ステイルメイト

20

12月24日、横浜で行われるダンス大会に、今年は全員が揃った。岡崎は既に引退しているので一応客として来ている。岡崎がステージに上るわけではないのだから、全員揃って応援に来なくてもいいのだが、3年の2学期も終わったことだし、要は昨年藤真が言ったような「みんなでクリスマスデート」という体だ。

岡崎はの家に逃げ込むというストを2年近く繰り返した結果、ダンスの専門学校へ進学することが決まっている。夢はテーマパークのダンサー。それを聞いた高野が不思議そうに首を傾げる。

……にしてはちょっと顔が怖くないか」
「ハロウィンの時には役立つはずだからいいんだよ」

一方この日、アナソフィアの昼のクリスマスミサに出席してきたという緒方は受験組である。だが、ミサにも出たので今日は1日潰すつもりだと言って上機嫌だ。受験予定の大学も身の丈に合った偏差値だそうで、疲労は見えない。誰もが演劇関係に進むものだとばかり考えていたが、演劇は演劇でも劇作家になりたいという緒方は文学部を目指しているという。少しもったいない。

「てか一志彼女いいのかよ、イヴなのに」
「あー、永野くん、可哀想なのでそれはツッコミ禁止」

長谷川の彼女は母子3代アナソフィアな上に真面目な信仰を持つ家庭で、夏祭りならともかくクリスマスに夜遊びなど絶対に許されないらしい。昼のミサで会ってきたという緒方が仲介役を引き受けて、プレゼントだけは当日渡し出来たというあまりにピュアなカップルだ。藤真はちょっと心が痛い。

高校生の部の開始を待つ8人は、会場の入り口を少し入ったところでだらだらと喋っていた。中学生以下の部と高校生の部では観客が殆ど入れ替わるので、広いフロアはがらんとしている。高校生の部になると途端に客の年齢層が下がり、各出場チーム関係者でない場合は一気にチャラチャラし出す。

しかし全員努めてフロアを見ないようにしている。なぜかと言えば、可動式のバスケットゴールが置いてあるからだ。部門と部門の間、いわばハーフタイムに客が遊べるようにという計らいではないかと岡崎は言うが、翔陽5人にとってはあまり気持ちのいい光景ではない。

それでも小学生とその親や中学生が楽しんでいるくらいなら別段気にならなかった。しかし、中学生の部が終わって、高校生の部の観客がちらほらと入ってくるようになると、チャラついたのがチャラついたプレイをして得意げな顔になっていて、精神衛生上あまりよろしくない。

だが、こんな時に余計なトラブルに巻き込まれるのがミス台風の目、アナソフィアの至宝である。

最初は確か、岡崎が顔見知りの出場チームに挨拶をしていただけだった。それが顔見知りの顔見知りを呼び、最終的にチャラついたどこかの誰かにが絡まれた。一番高くて197センチの花形がいるというのに絡んでくる勇気だけは立派だが、チャラ男くんはがつれないので一番言ってはならないことを言った。

取り巻きのお前ら、バスケで勝負しようぜ、というのである。

全員ぽかんとしていたのだが、緒方が堪えきれずに吹き出した。それがまたチャラ男くんに火をつけてしまい、一番小さいお前、勝負しろとにやにやし出した。緒方はもう我慢できない。壁に向かってひとりで笑っていた。チャラ男くんがどんどん自分の首を絞めているのが可笑しくてたまらない。

さてその「一番小さい」藤真は取り澄ました顔で我慢をしていたが、チャラ男くんの仲間と思しき連中にが触られたのを見るや、にっこり微笑んで前に進み出た。これには花形先生も耐え切れずに緒方に並んで壁に向かって笑い出した。チャラ男くん地雷踏みすぎ。

藤真はコートを脱ぐとに持たせ、止める長谷川を振り切ってチャラ男くんに対峙する。一番小さくても現在182センチ。春から4センチ伸びていた。が、体に対して顔が小さいのであまり威圧感がない。チャラ男くんたちも背は高いので、気楽に侮っているのだろう。

「いいよ、相手になろう。こっちはオレひとり、そっちは何人でもいいよ」

ちょっと怯んだチャラ男くんたちだが、見るからに見栄えのする藤真を見ていると闘争心に火がついた。仲間ふたりを引き連れて藤真の後を追い、フロアに進み出た。たちも後を追う。会場内はハーフタイムのお遊び用ゴールポストに何やら不穏な空気が立ち込めたのを察知して、人が集まってきた。

見ればボールをバウンドさせているのは、なんだかすごく整った容貌の持ち主で、対するチャラ男くんたちが余計にだらしなく見える。ボールを脇に抱えた藤真が腕まくりをすると、ブレスレットがステージとフロアの照明にきらりと輝く。

「やっばい、今日来てよかったあ。こんな面白いもの見られるなんて」
「緒方ニヤニヤしすぎ」
「花形もそのゆるゆるの口元引っ込めなよね」

はらはらしているのはと長谷川だけ。岡崎もぴょんぴょん飛び跳ねて藤真に声援を送っている。

、心配か?」
「え?」

藤真のコートをぎゅっと握り締めていたに、後ろから高野が声をかけた。

「だって、あんなの」
「何も心配いらないって。藤真だぞ。がそんな顔してどうするんだよ」
「だけど、ほら――
「もういいんだって。見てみろよ藤真の顔。楽しそうな顔してるだろ。あれはあれ、これはこれ」

は高野の言葉に大きく頷いて、岡崎の隣に進み出た。翔陽は冬の選抜の予選を、前年と同じ2位で終えることになったのだった。藤真は結局3年間神奈川ナンバー2に甘んじる結果となってしまった。それを経てのこの茶番劇には不安になったのだが、高野の言うように、藤真はなんだか楽しそうな、悪い顔をしている。

「藤真ー手加減してあげなよー!」
「藤真ー1点でも取られたら部室の壁のユニフォーム剥がすからな!」

岡崎と永野の声援に藤真はにやりと笑うと、チャラ男くんたちに向かって走り出した。

バスケット勝負は当然藤真が勝利した。勝利したというか、チャラ男くんたちがとんでもない相手に勝負を挑んでしまったのだと気付いて逆ギレして逃げ出していくまでの間に、藤真は花形先生のカウントで39点入れた。チャラ男くんたちはボールに触っても、シュートフォームにも入れないままだった。

ハーフタイムのお遊びのはずが、なんだかすごいプレイが展開されて会場は大騒ぎ。しかもその本人がわかりやすいイケメンと来ている。その上今日はすぐそばでが見ているので、藤真はいつもより多めにかっこつけている。会場の中にいた女の子はさあ大変。あのかっこいい人誰、と大はしゃぎ。

黄色いざわめきの中を戻ってきた藤真は息も上がっておらず、寒いせいか汗も殆どかいていないようだった。

「もう少し入れられたんじゃないのか」
「手加減しろって言われたからな」
「ええー私のせいにしないでよ」
「まーまーいいじゃないの永野、をうっとりさせられたんだから得点なんかどーでも」
「何言ってんのよ緒方!!!」

笑いすぎて涙目の緒方に肩を抱かれたは藤真のコートを抱き締めたまま慌てた。

「別にそーいうつもりでもないけど」
「ほんっとにふたりとも、もう3年の2学期も終わってんだよ?」

もうこれはいつものことで、緒方が突っ込むのもまあ言ってみれば様式美のようなものだ。だが、今日は少し状況が悪い。何しろもうすぐ高校生の部が始まるので、観客は9割方高校生になっている。遠巻きにではあるが、女の子の生垣が形成されつつあった。

「あーあ。どうすんのよ」
「知るか。、コート」
「自分で撒いた種なんだから自分でどうにかしなよっ、監督!」

緒方に背中を叩かれた藤真は、コートの袖に腕を通すと、ちらりと周りを見渡してため息をついた。ゴールポストが撤去されて、もう高校生の部が始まるというのに、女の子の生垣が崩れない。仲間内に女の子が3人もいても気にならないようだ。

「何でオレが悪いみたいになってんだよ。種なんか撒いた覚えないぞ」

今回に限っては藤真の言う通り。しかし刈り取らねばなるまい。藤真はため息と共に、を抱き寄せた。

「ふあっ!?」
「お前が悪いんだよ」
「なんでそうなるのよ、理不尽な。……さっきかっこよかったから特別に許すけど」
……やっぱりお前が悪い」

そう言いながらにもたれかかる藤真だったが、もう緒方もからかわなかった。こんなことですらふたりの精一杯なのだろうし、無事に生垣は崩れたのだから。

「そっかあー、ひとり欠けちゃうんだね。それはそれでなんか寂しいもんだね」
「そもそも地元は全員バラバラだからな」

藤真ショータイムというサブイベントを挟みはしたが、ダンス大会は無事に終了、新生アナソフィアダンス部は昨年より順位を下げ、6位に終わった。私がいなくなったからと少し鼻息の荒い岡崎も含め、全員で緒方と長谷川の地元の店にやってきたところである。昨年も来た店で、岡崎と藤真だけが初めてとなる店だ。

そこで進路の話になり、これから受験の緒方以外は全員進路が決まっているということが判明した。その中で、ひとり高野だけが関西へ進学だというので、緒方が肩を落とした。1年生の夏祭りからこうしてつかず離れず仲の良かったメンバーが欠けるのは寂しい。

「あれっ、岡崎ちゃんは専門だろ、緒方受験だろ、は?」

その高野が発した疑問に、とうとう藤真の隣に座らされているはアルコール抜きのジュレップソーダを吹き出しかけた。自分の進路だけ教えないというわけにもいかないけれど、いざ話が振られると焦る。

も既に推薦で決まってるよ、教会繋がりのところ」

そうして岡崎が大学名を挙げた瞬間、高野と永野と長谷川が悲鳴を上げた。まさかの藤真と同じ。

「えっ、なによなんかマズいことでも……
「なんだよ聞いてないのか!? 藤真と同じじゃねえか」
「嘘お!?」

今度は岡崎と緒方が悲鳴を上げた。本人たちは顔を背けて黙っている。

「っていうかまた知らないの私たちだけか! お前ら本当に大事な友人を何だと思ってんだ」
……オレも聞いたの先月だけど」
ー」
「ご、ごめん、なんとなく言いづらくて」
「何が言いづらいってんだ。私たちが嫌な顔するとでも思ってたっての!?」

酒は入っていない。だが、緒方は頬を赤くしてグラスをテーブルに叩き付けた。その勢いに全員身を引いて固まった。どうやら緒方の地雷を踏んでしまったらしい。

「ヒュパティアの話は知ってるけど、例えばあんたが藤真と同じところに行きたいって言い出したって、誰が反対したって私と岡崎ちゃんは応援するに決まってんだろ! あんたが! 2年の時文化祭でやったみたいに!」

スイッチが入ってしまったらしい緒方が猛スピードでまくし立てているので、岡崎が口を挟んで元校長ヒュパティアの件を説明してやる。ついでに緒方の爆発にしょげているの代わりに「たぶん恥ずかしかっただけ」だと付け加えておいてやる。全員それは想像に難くない。

だが、緒方のこの爆発も、こうして近場で集まったり出来なくなる寂しさから来るものだ。

「まあ高野は確かに遠くなるけど、あとはそんなに……

永野が千葉だというが、後は全員東京だ。緒方が言うほど離れ離れになるわけではない。長谷川が宥めようとするが、緒方は寂しいスイッチが入ってしまったらしく、あまり聞いていない。

「どうにもならないことだってわかってるけど、もうこうやってみんなで過ごしたり出来ないって思ったらさ。夏祭りだってまたみんなで行きたいけど、そんなのダメじゃん、みんなみんなちゃんと彼氏彼女と行かなきゃダメじゃん」

そう言われると返しようがない。特にに藤真に長谷川。

「わーん、私ちゃんと合格してアメフト部とかラグビー部とかに突撃するー!」
「散々いいこと言っといてそれかよ!!」
「高野が帰ってこられる時に会えばいいじゃないかって言おうと思ったけど、お前が一番来なさそうだな」
「っさい藤真! 他の女にちょっかい出したら顔が変わるくらい殴ってやるからな!」
……緒方お前酒飲んだか?」

ともあれ、その緒方が受験を控えているので、卒業までに全員で集まることが出来たのはこのクリスマス・イヴの夜が最後になった。緒方がなかなか帰りたがらなかったので、また夏祭りの時のように3方向に分かれて帰路についたのは23時を回っていた。

「ちょっと意味合いは違うけど……あんたら全員卒業式の日に『花迎え』しに来なさい!」

そう言いながら緒方は長谷川に引き摺られて帰っていった。

「さっき緒方が言ってた『花迎え』って何?」

組はまた藤真と花形である。駅に着き有料コートを過ぎたあたりで花形が思い出したようにに聞いてきた。はきょとんとした顔で花形を見上げ、そして今度は藤真の方を見てまた不思議そうな顔をした。

……まさか知らないの、花迎え」
「初耳だけど。なあ藤真」
「オレも聞いたことないよ」
「ふたりとも本当に翔陽?」

は目をまん丸にして息を呑んだ。

「アナソフィアと翔陽の古きよき伝統『花迎え』、卒業式の日に翔陽くんが迎えに来るの。アナソフィアに」
「ってか確か翔陽もアナソフィアも同じ日なんだよな、卒業式って」
「普段使われてないけど、正門があるでしょ。あそこでみんな待ってるんだよ」
「彼女迎えに来るっていうこと?」

それだけで伝統って、という顔をしたふたりには花迎えの沿革を説明した。ことの起こりは100年近く遡る。まだアナソフィアが花嫁養成所のようなものだった頃、卒業式の日になると正門に嫁ぎ先の車が待ち構えているということが度々あった。卒業したばかりの娘をその場で連れ去るようであまりいい習慣ではなかった。

だがこれは正門の大寒桜舞散る下での様式美としてアナソフィア女子を迎える側に大変な好評を博し、それがいつしか「花迎え」と呼ばれるようになった。

その後、2度の大戦を経て花嫁養成所は「聖アナソフィア女子学院」と名を変え中高一貫の女子校になった。それを追いかけるようにして翔陽高校が誕生、このあたりからちらほらと両校の交流が生まれ、それと同時にアナソフィア女子と翔陽男子のカップルも生まれ始めたのである。

「翔陽も一時期はすごく硬くて、バンカラみたいな生徒が多かったらしいのね。だから卒業して初めて密かに付き合ってた女の子を迎えに来るっていうことがあったらしくて、それが昔の嫁回収の歴史と重なって『花迎え』って呼ばれるようになったの。今はまあ、迎えに来るのと、最後の告白のチャンスの場になってるという感じ」

想像以上の歴史の深さにぽかんとしていた藤真と花形のふたりだが、我に返った花形が首を傾げた。

「一志みたいな場合はどうするんだ?」
「スーツで迎えに来る人が多いよ。車で来る人もいるし。アナソフィア女子にとっても憧れだから」

神妙な顔でそう言っただったが、直後に堪えきれない様子で吹き出した。

「あんなこと言ってたけど、緒方、たぶん告白避けになって欲しいんだと思う」
……ああそーいう」
「これもちょっとどうかと思うんだけど、卒業生は全員正門から帰らされるんだよね」

彼氏もいない告白もされないで正門から帰っていくのはつらいものがある。しかもそれを見越したナンパが少し離れた場所で待ち構えているというおまけつき。また逆にや岡崎緒方のような生徒は告白ラッシュに遭う場合が多い。ダメ元と、ある種の記念にと好きでもない目立つ子に告白するケースも多いからだ。

「3年前には手が出たこともあったしね」
「はあ!?」
「け、藤真覚えてるかな、1年の時のさ、球技大会の準備で出た話。前期の生徒会長ふたりのバトル」

花形はまた突っ込まないでおいてやる。藤真は少し間を置いてから思い出したらしく、頷いた。

「うちの凶暴な生徒会長に惚れちゃった翔陽の生徒会長、花迎えしに来たんだよね。で、告白したけど即振られて、つい食い下がっちゃって、抱きついちゃった。花迎え史上初の顔面グーパンとして語り継がれてる」

そんな青春を締めくくる卒業式のイベント、それが『花迎え』だ。良くも悪くも伝統の恋模様であり、主にアナソフィア女子の方にとっては憧れでもある。翔陽に限らず既に相手がいる場合は、事情を説明して来てもらうパターンが一番多い。

も憧れてんのか?」
……いや、あんまり。目立つの、嫌だし」
「文化祭で充分目立ってただろうが」

花形の問いにぼそりと返したの隣で藤真がツッコミを入れているが、花形はの声色にピンと来て頬を緩めた。まさか自分のいるところで藤真に来て欲しいとは言えないよな。だけどはきっと藤真を待ってる。桜の花の下、藤真の方から手を差し伸べてくれるのを望んでいるに違いない。

それでなくとも今日はクリスマス・イヴ。なぜかの家に向かっているが、行き先は違うはずだ。花形は寮との家に向かう分岐点のあたりで、後を藤真に託してひとりで寮に帰っていった。なかなか素直にならないふたりの友人はまた不貞腐れたような顔をして花形を見送った。