ステイルメイト

07

毎年、花火が終わると夏祭り会場は一気に人が減り、その代わり、徒歩でたどり着ける駅に祭客が殺到する。そのため駅では入場規制が行われるほどで、河川敷から近い場所に住んでいるなら、1駅くらいなら歩いてしまった方が早い。

「アナソフィアの秋はイベントシーズンでね、デスレースって言われてる」
「へえ、文化祭だけじゃないんだ」
「合唱祭でしょ、スポーツ交流会でしょ、文化祭でしょ、生徒会選挙でしょ、そんなことしてたらすぐ期末だし」

よくもこれだけ詰め込んだなというほど秋のアナソフィアは行事が多い。もちろんその間に中間も挟む。

「文化祭、また大変だろうけど頑張ってね」
「まだ1年だからな、覚悟しておくよ。でもそれはさんもじゃないの」
「私は一応アテがあるから平気」

もちろん藤真は口を挟まないので、は花形とそんなことを話しながら歩いている。祭り会場から有料コートのある駅方面まではの足で40分もあれば着く。そこからの自宅までを含めても、1時間くらいだろうか。さらに翔陽の寮までも20分くらいだ。

そうして有料コートのある駅に近い国道までたどり着いたところで、トラブルが起こった。花形が腹が痛いと言い出して、慌ててコンビニを探すことになった。地元民によれば、例の高野と遭遇したコンビニが一番近いとのこと。それはほぼ駅前なのでまだ少し距離があるが、花形は顔色が悪い。

「冷たいものばっかり食べたからじゃないの」
「そんなに腹弱くないはずなんだけど」

そうは言うが、かき氷、ラムネにトルコアイス、タピオカジュースと、特に花形は冷たいものばかり食べていた。なんとかコンビニに駆け込んでことなきを得たが、急な腹痛を起こしたせいか花形は顔が真っ白で冷や汗をかいている。に勧められてスポーツドリンクを買った花形だったが、少しよろよろしている。

「花形くん無理しないで帰って。もう地元だから平気だよ」
「いやそれはマズいよ、もう22時近いんだし」
「普段バイト帰りはもっと遅いんだから大丈夫だって」
「普段は浴衣なんか着てないだろ」

まだ腹が痛むのか、ぎくしゃくと歩く花形はひとりでいいと言い張るも見ずに歩いている。コンビニから国道まで戻ってきた3人は、大きな交差点で赤信号に足を止めた。この交差点から左に行けば翔陽の寮、まっすぐ行けばの自宅方面である。

少々息の荒い花形を困った顔で見ていただったが、その間に藤真が割り込んできたのを見てぎくりと足を竦ませた。体調の悪そうな花形を案じてしまったので、また噛みつかれるかと思ったのだ。

「花形、お前は寮帰れ。オレが行くから」
「は!?」

藤真の言葉にと花形は揃って声を上げた。藤真はやや仏頂面ながら、花形の背中を擦りつつ、頷く。

「体冷えてるぞ。帰ったら温めて出来るだけ水分取れ。もし熱っぽくなったらすぐ連絡しろ」
「いやお前、だけど……
「明日の朝練も無理するなよ」

何をバカなことを、とでも言いたげな花形だったが、信号が変わると藤真は花形を残しての背中をぐいと押し出した。驚いて何も言えない状態のは押し出されるままに小走りで横断歩道を渡り始めた。

後に残された花形は真っ白な顔をしつつも、少し口元を綻ばせ、寮方面へと力なく歩き出した。

……ねえ、送ってくれなくていいって」
「しつこいなあんたも」
「誰もいないじゃない、平気だって」

確かに国道を過ぎると住宅街が広がり始めるので、途端に人通りは減る。だが、そんな人通りの少ないところで、いくら地元でも浴衣姿の女の子のひとり歩きが「平気」なわけがない。

「少しは自覚持てよ。何かあってからじゃ遅いんだぞ」
「自覚って何よ。私、ナルシストじゃないから」
「そういう問題じゃない。こんな暗さで品定めなんかしないことくらい想像つくだろ」

それこそそういう問題じゃない。あんたと帰ると何を言われるかわからないから嫌なんだという言葉をは飲み込んだ。チームメイトの腹の一大事を前にして、藤真は私情を仕舞い込み、乗りかかった船を無事に接岸させようとしているのはよくわかる。

しかし話すことがない。

ほぼ初対面から険悪なままのと藤真は、実はろくに会話をしていない。が喋ったのは花形たちであって、藤真はそれを聞いていただけ。もちろんふたりきりになったのも、アナソフィアでが藤真を利用したあの時以来のことだ。

それでもの家には20分もあれば着いてしまう。多少気まずくても黙って歩いていれば、その内終わる。

だが、そうやって無為な時間を過ごしていたと藤真の後ろから騒々しい音が鳴り響いてきた。原付と思しきエンジン音、嬌声、低音のリズム。あまりお行儀のよくない若者の集団であることはすぐに想像がつく。しかもエンジン音は複数。ベルのような音もするので、自転車も混じってるらしい。

の家までは、今歩いている道をまだ真っ直ぐ行かねばならないが、後方の騒々しい集団も途中で道を折れる気配がない。ついちらりと後ろを振り返ってしまったは、ぐいと手を引かれてたたらを踏んだ。藤真がの手を取って、少し早足になっている。

「回り道、できるか?」
「本当に遠回りになるけど」
「この際仕方ないだろ。なんなら来た道を戻ってもいいから、早く」
「じゃあ、どこでもいいから右に」

もうほんのすぐ後ろにまで騒音が迫っていた。藤真はの手を引いて右に折れた。

繋いだ手をぐいぐいと引いて藤真は暗い住宅街を行く。騒音は、右折したふたりには構わずにまっすぐ通り過ぎていく。ただしスクーターも自転車も蛇行しながら走行しているらしく、その歩みは遅い。藤真の早足よりも遅いくらいの速度だった。

「このまま行った方がいいみたいだな。次は?」
「もう少ししたらまた大きな通りに出るから、そしたら左に」

もう手を繋ぐ理由はなかったのだけれど、藤真はそのまま歩いている。も、振り解こうとはしなかった。

の言う大きな通りに出ると、人通りはないけれど、交通量が増した。しかもちらほらとではあるが、営業中の店舗もあって、少し安全な雰囲気になる。その通りを途中でまた左に折れれば、元の住宅街の通りに戻る。静かな住宅街に、藤真の歩く速度がようやく落ち着く。

「足、平気か」
「え? 足?」
「下駄」

今になってが下駄履きであることを思い出したのか、藤真はしかめっ面でそう聞いてきた。

「ああ、平気。慣れてるから。――ありがと」
「別に心配してない」
……ほんとに、顔に似合わず可愛くないよね」
「失礼な」

それでもふたりは手を繋いだまま歩いている。

「球技大会の時だって、言いたい放題だったしさ」
「あれはむしろ感謝して欲しいくらいだ」
「私、人に罵られて喜ぶ趣味ないけど」

繋いだ手をぶんぶんと振り回したに、藤真は鼻で笑う。きれいな嘲笑だ。

「サッカー部のバカが、あんたのことで大盛り上がりしてた」
「はあ、サッカー部」
「監督もコーチもいなくなった何年か前から、翔陽のサッカー部はチャラいだけで真面目にサッカーする気のないやつばっかりになってる。もう、まともにサッカーしたいってやつは翔陽には入って来なくなった。それがあんたを狙ってるって、自慢げに話してたんだよ」

狙うだけならなんの自慢にもなりゃしないのだが、要は自分が人気のあるアナソフィア女子を狙っているのだからと牽制しているつもりだったのだろう。残念なことに、チャラくて不真面目なサッカー部の彼は顔がよく愛想もいい。を落とせる自信があったに違いない。

「でもそんなの自由だから最初はほっといたんだけどな。そのうち話がエスカレートし出したから」
「エスカレート?」
「聞かない方がいいような内容だけど聞くか?」

なんとなく想像がついたはふるふると首を振った。

「代表の件で公式に接点があったのは事実だからな。ああ言っておけば途端に萎えるだろ」

はそっと藤真の横顔を盗み見る。しかめっ面はしていないが、楽しそうでもない。元々きりっとした眉の持ち主なので、黙っていると厳しい顔つきに見える。そうか、また助けてもらってたんだね。は酔っ払いに絡まれた時のことを含めて、少しだけ藤真に感謝した。

でも、言わない。言えばまた喧嘩になるのはわかっているし、今はそんな気分ではなかった。

「そういうことだ」
「そっか。なるほど」

その代わりに、繋いだ手を少しだけ力を込めた。そのせいで、少し体の距離が近くなった気がした。

遠回りしたふたりは10分ほど余計に時間をかけての自宅前までやってきた。門の辺りで足を止めて手を離した藤真には振り返り、礼を言う。このくらいなら喧嘩にはなるまい。

「送ってくれてありがと。藤真くんも気を付けて帰ってね」
……別に。じゃあな」

表情はぴくりとも動かないが、こころなしか角が取れてきたようにも見える。すぐに踵を返して立ち去ろうとする藤真の横顔に、は声をかけた。なんとなく、そう言って別れるのが一番いいと思った。それが一番正しい選択だという気がして。真夏の夜の生ぬるい風に、の声が溶けていく。

「またね」

夏休みはまだ残っているが、お盆休みも夏祭りも終わると藤真たちはまた部活漬けの生活に戻る。夏祭りの翌日、花形が前夜の腹痛のために午前の練習を休んだ以外は全て通常通りだった。ただし、痛む腹を抱えた花形は横になってスポドリをちびちびやりつつ、藤真が単独でを送っていったことを早速バラしていた。

「ほんのりと機嫌いい気がするのは先入観かな」
「いいんじゃねえの、先入観ありで。なんせ『藤真とさんを生ぬるく見守る会』だからな」

休憩中、永野に一瞬で出来る靴紐の結び方を教えている藤真を眺めつつ呟いた長谷川に、高野は頑張って笑うのを堪えていた。生ぬるく見守る会会長は当然花形だ。昨夜彼は腹が痛いくせにそんなタイトルでメールを寄越した。惜しむらくはを送っていった間に何かあったかと藤真本人に聞くことができないというところか。

だが、慎ましい好奇心を心の隅に抱いているに過ぎない長谷川たちと違い、会長は遠慮がない。

「ていうか藤真、昨日あの後大丈夫だったか?」
……大丈夫って何が」

練習が終わり、一旦帰宅して夕食を済ませた5人はまた有料コートに集まった。練習ももちろんしているけれど、こんな風に夜な夜な有料コートでバスケットを挟んで遊んでいるのが彼らにとっては唯一の娯楽と言える。

1on1をしている高野と永野を見ながら口を挟んでいた藤真に、花形はとってつけたように聞いた。それを真横で耳にした長谷川はあやうく水を吹き出すところだった。藤真にだってプライドがある。自分や高野永野が黙っておいてやったというのに、花形の野郎。というかプライド高い方だろ藤真は。

「喧嘩しなかっただろうな。でなきゃ変なのに絡まれたりとか」
「喧嘩ってお前な……何かあるはずないだろ。絡まれもしない」
「よく言うわ。お前、もう既に2度もさん泣かしてんだぞ。心配するって」

そう言葉にされるとさしもの藤真も言葉に詰まった。売られた喧嘩は必ず買ってくれるだが、それでも高校1年生の女の子だ。それを2度も泣かしているというのはさすがに不名誉なことではないだろうか。これには長谷川もペットボトルを口につけたまま俯いた。泣かすほどのことはしていないというのに、なぜこうなった。

「前のこと、ちゃんと謝ったんだろうな」
「な、なんでオレが謝るんだよ悪いのは――

これは売り言葉に買い言葉だったのだけれど、ふたりに真顔で凝視された藤真はまた言葉に詰まった。

「緒方に聞いたんだけど、さん学校じゃミス・パーフェクトなんだってよ」
「それがなんだよ」
「常に明るく笑顔で上級生でも下級生でも分け隔てなく接して、ものすごく好かれてるって」
「だから――
「そんな子が簡単に泣いたりしないと思うんだよな。よっぽど傷ついたってことだろ」

ただでさえ実直で誠実な性質の長谷川に淡々と言われると、どうにも反論できない。だけど素直にそうですねとも言いたくはない。何しろトラウマ持ちであるから、に惹かれているかもしれないことなど認められない。

女の子を2度も傷つけて泣かしてしまったことは確かに非道な行いだっただろう。それについては悪かったかなと思う部分もある。が、それだけだ。金輪際には罵詈雑言を吐いたりはしませんとは言い切れない。なぜならを前にすると急に感情が高ぶって、それを持て余すので、本人にぶつけるしかないからだ。

大抵の場合それは恋なのだろうが、生憎それをすんなり受け入れるような性格ではなかった。

「また会うようなことがあったら、ちゃんと謝れよ」

藤真のために、のために。そう言う長谷川に、しかし藤真は頷くことが出来なかった。

新学期、未だジリジリと焼け付くような日差しの下を登校してきたは、教室に入るなり岡崎に羽交い絞めにされた。彼女とは夏祭り以来になる。

「朝からなにー」
「なにーじゃなくてさ、夏祭りの後、どうだったのー」
「後?」

夏祭りは既に1週間以上前だ。岡崎の言わんとしていることがわからなくて、は首を傾げた。

「花形くんからメール来てさあ、藤真くんひとりで送って行くことになったって言うから」
「何でいちいちそんな報告……まあ確かに送ってはもらったけど」
「何かあった?」
「いやごめん、意味がわからない」

本当にわからない顔をしていたので、岡崎は大人しくを解放したけれど、の席まで追いかけてきて前の席にどっかりと座り込んだ。黙って踊っていれば美少女なのに、この岡崎はなかなか雑な性格をしている。

「意味がわからないって、だって……あれ?」
「だから何の話よ」
「えーっと、、藤真くんとなんかちょっといい感じなんじゃなかったの?」
「はあ!?」

の素っ頓狂な声が教室に響き渡る。

「どこでそんな話になってんの」
「ええと……誰だろ。高野くんと永野くんそんなこと言ってたかな」
「いい感じになんてなりようがないけど」
「えー、だけどさあ、お祭りの時、藤真くんのことずっと見てたよ」
「そんなことないって。岡崎ちゃん、コンタクト作り直しな」

そんなことあってたまるか。は肩を落としてため息をついた。確かになんだか勢いで手を繋いで帰ってしまったけれど、それだけだ。藤真の態度は薄皮一枚剥がれた程度しか軟化しなかったし、自身も藤真に対してわだかまりがなくなったとは思えない。

仮に藤真が自分を見ていたのだとしても、何か罵倒するネタでも探しているのだろうとしか思えない。

例え、酔っ払いから助けてくれても、サッカー部のチャラ男から助けてくれたのだとしても、それだけだ。藤真は顔を合わせれば悪口雑言を浴びせてくるだけの、意地悪なヤツなのだから。どうして自分を攻撃してくる男となど、いい感じになれようか。そんなことあってたまるか。

またねと言って別れたけれど、もう二度と会えなくたって、何も問題ない。

「でもあーいうハイスペックな子なら、の相手にはぴったりなんじゃないの」
「ハイスペック……あれが?」
「あらら、目が悪いのはあんたの方じゃないの」

岡崎は目を細めてにんまりと笑っている。岡崎は自身の好みのせいで恋愛が難しいせいか、こういう他人の恋話には目がない。火のないところに一生懸命火をつけようとしがちだ。

「また時間がある時に話すけど、あの人、私のことなんかいいと思うはずがないんだよ」
「おお、なんだ、深刻な話か」
「てほどでもないけど、とにかくありえないんだって、そんなこと」

宥めるように話すに、岡崎はにっこりと笑って見せる。太陽のような笑顔だ。

「恋なんて、ありえないくらいがいいんだよ。もまだまだだなあ」