ステイルメイト

18

「結局岡崎ちゃんの予言どおりになったな」
「なんか不満でも?」
「いやいや、大変光栄でございます」

花形と高野の間に挟まれた岡崎は、ふたりを見上げながら点と線で出来たような顔をした。夏祭りである。岡崎の言うように昨年と同じ顔ぶれ。ただし、岡崎は今年メイン会場で行われるダンスバトルに出場することになっているので、途中で抜ける。なので、浴衣も着ていないし、化粧が濃い。

「いやいや、違うのは岡崎ちゃんだけじゃないでしょ」
……なんでこっち見るんだ」

緒方が藤真の方にすいっと顔を巡らせると、以外の全員がそれに倣った。何の話?

新生翔陽は相変わらずハードな練習に励んでいるが、部活を離れると監督はずいぶん丸くなった。たちがいてもよく笑うし、冗談も言うし、花形先生の観察によれば、なんと今年度は春からネガ藤真が出現していないという。それはそれで異常事態なんじゃないかと先生は楽しそうだ。

「そりゃ確かにインターハイも行かれなかったけど……
「そんなこと言ってるんじゃないんですよ監督」

とうとう身長が170センチを突破し、現在172センチあるという今年も同じ浴衣の緒方がずいっと進み出る。

「あんたらこれで何もありませんとか大事な友達を謀るのもいい加減にしろってんだ」

ふいをつかれた藤真とは、緒方に腕を掴まれて高々と掲げられてしまった。藤真の右手首との左手首には、同じデザインのブレスレットが嵌っていた。グリーンと白とピンクが交互に入った天然石のブレスレットが露天の明かりにきらりときらめき、控えめな歓声が上がる。が、本人たちは変なところに火がついた。

「ちょ、お前なに着けて来てんだ!」
「はあ!? なんで私だけだめなの!? そっちこそ何いきなり着けてきてんのよ!」
「たまにはいいだろうが! お前浴衣なんだから遠慮しろよ!」

緒方に腕を掴まれたままふたりはきゃんきゃん言い合う。間に挟まる緒方はため息をつくと、腕を解放してふたりの後頭部をペチンとはたく。その優しいツッコミにも藤真も我に返るけれど、色々手遅れだ。

時間が取れた時に藤真はにピンクベースのブレスレットを買ってきてプレゼントしたのだが、それから話が転じてふたつの石を混ぜて同じブレスレットを作ろうということになったのが、終業式の日だった。夏休みに入ると同時に合宿の藤真のブレスレットを預かり、が直しに出していたブレスレットは例年であればインターハイに出発する頃になって届いた。

お盆休みに入り、もう実家に帰りもしない藤真はその間にが一泊してくれたので高ポジ状態にある。休みが明けても妙な上機嫌が続いているのにはそういう理由があった。マナークラスも6年目のは浴衣くらいなら自力で着られるので、正直今日もお持ち帰りする気でいた。

「まあまあ緒方、こいつらが急に素直になってベタベタし出したらかえって面白くないと思うぞ」
「どういう意味だよ花形」
「まあ先生の仰ることも一理ある」
「緒方もちょっといい加減に……

だが、今年は岡崎が途中で抜けるのもあって、花火を待たずに一行は解散になった。用があるという長谷川が先に離脱、岡崎のステージを見た後で緒方が何やら演劇部関係の知り合いにでも遭遇したらしく、これも離脱。そんなわけで、花形と高野と永野は、と藤真を置いて遊びに行ってしまった。

雑踏の中に取り残されたふたりは、190オーバー3人組が見えなくなると、ちらりと顔を見交わしてから手を繋いだ。藤真の右手、の左手、繋いだ手のすぐそばには同じ配置の石が並ぶ。歩くたびにそれが擦れ合って、かちりかちりと音を立てている。

「いろんな人に見られると思うけど」
「だろうな」
「ずいぶん投げやりだな」
「なんかもういい、色々、どうでも」

という割には、藤真は未だにに好きとは言わないし、藤真が言わないのでも頑として言わないし、そんなわけでふたりはこれでも一応付き合ってはいない。ふたりきりで置いていかれたということは、は確実にお持ち帰りされるだろうが、それでも付き合ってることにはなっていないのである。

たくさんの同じ学校の生徒に目撃されたけれど、ふたりともそれぞれの場所ではヒエラルキーの頂点に祀り上げられている立場だ。それがセットになってしまうと誰も声もかけられなかった。ふたりははしゃいだ様子もないし、ただ静かに手を取り合っているだけに見えたから、余計に。

藤真は花火を見上げながら、1年前、雷に怯えていたを思い出す。どうしても抗えずに抱き締めてキスしてしまったあの夜が遠く感じられる。今思うと、息も出来ずに唇を重ねていたあの時、が愛しくてならなかった。けれど、藤真は自分に理由が欲しかった。をそんな風に思う、納得のいく理由が。

つまりそれが結局は「だから」ということだったのだけれど、そこに至るまではずいぶん時間がかかった。

あとはちゃんと言葉にして「好き」なのだと言えれば、もう何も問題はないのだが――

夏休みが明け、またアナソフィアが秋のデスレースに突入する頃、翔陽バスケット部は思わぬ展開に3年生が浮き足立っていた。この年の国体神奈川代表が選抜になるので、藤真と花形と長谷川にお呼びがかかった。

「でもなんかふたりに申し訳ないというか……
「そんなこと気にすんなよ一志、それよりちゃんと活躍して来いよ」

高野と永野は代表に漏れた。長谷川はそれを申し訳なく思っているようだったが、本人たちは決勝リーグにも出られなかった翔陽から3人も呼ばれたことが嬉しいようだった。それに、今年の神奈川はバケモノ揃いなので、きっと試合は面白いに違いない。

「冬の選抜まで大きな試合はないと思ってたから、なんだか変な感じだな」
「またすごい面子だなこれ……引退したはずのやつも入ってるじゃないか」
「あの海南と陵南の監督がやりそうなことだな。武里泣いてるぞこれ」

呼ばれた3人もチーム編成を見て苦笑い。今年の神奈川オールスターで、確か夏に引退したはずの3年生まで混じっている。とはいえ、翔陽がブロック戦で負けた湘北から5人も入っているので、藤真監督は少し複雑な心境だ。幸いメガネの副主将はいないけれど、なんとなく。

そんなわけで棚ぼた的に国体への出場が決まった藤真たちは、急ごしらえのチームではあったけれど意気揚々と東京に出かけていった。この年の国体は東京開催、男子バスケット少年の部は西東京近辺での試合だった。さすがにバケモノ揃いの神奈川代表は強く、順調に勝ち進む。

そうして男子バスケット少年の部トーナメント3日目、土曜日のことである。なんでお前みたいなのがいて翔陽は負けたんだと首を捻られた藤真は、海南と陵南の両監督にずけずけと口出しするまでになり、不用意に「に似てきたな」などと言いだした花形を朝から蹴っていた。が、手首にはちゃんとブレスレットである。

本日は2試合目なので、朝会場に着いた神奈川代表は各々控え室などで準備を済ませると、客席に入って1試合目を観戦することになっていた。国体も平日の試合は選手の家族や学校関係者がほとんどという客席だが、土曜なので観客が多い。特に今日2試合目は近所の神奈川なので、余計に多い。

また、代表漏れした各校の部員たちも学校がないので続々とやってくる。いわば今年の編成は神奈川ドリームチームなので、部員であれば見逃せない。それを藤真の隣できょろきょろと見ていた海南大附属の1年生、清田が楽しそうな声を上げた。

「それにしても……湘北はきれいどころ多いなー」
「しかもあれ赤木さんの妹だって言うんだから、遺伝子って怖いよな」

清田の向こうに座っている同じく海南の神が苦笑いしている。そこに花形の「ヘァッ」という変な声が上がり、隣の藤真だけでなく、真後ろにいた長谷川や、清田に神も花形の方を見た。花形は体を捻って客席の後ろの方を見ている。藤真たちもそれを見て顔を上げる。

「おお、何だよ高野と永野じゃないか、変な声出してどうしたよ」
「バカ、ふたりの後ろ! おい高野永野隠すな!!!」
「なんなんすか藤真さん」
「さあ……

少し離れた位置でニコニコしている私服の高野と永野は、花形に怒鳴られて後ろに首を捻っていた。すると、その後ろからひょこっと覗く顔が3つ。に岡崎に緒方だった。今度は藤真が変な声を出した。

「あのバカ、なんで……!」
「うええ、なんかすげー可愛いのが3人も。なんすかあれ藤真さんのファンクラブですか」
「あっ、違う違う、あれは――
「だァってろ花形ァ!!!」

黙ってろと言いたかったらしい藤真だが、焦るあまり口がうまく回らない。岡崎や緒方はともかく、は遠慮がちに手を振っている。この様子では高野と永野に誘われて半ば強引に連れてこられたのかもしれない。が、黙ってろと言われて黙る花形先生ではない。

「聞いて驚け、あの3人、アナソフィアだぞ」
「嘘!?」

これには清田だけでなく後列の長谷川に並んでいた湘北の宮城と三井も食いついた。その間にたちは高野永野に引っ張られて客席を降りてくる。はビビっているようだが、岡崎と緒方はまあまあ楽しそうだ。それにしてもこの3人が私服だと本当に可愛い。花3輪だ。

「お前らも来るなんて言ってなかったじゃないか、人が悪いな」
「それがさ、が見てみたいって言うもんだから」
「え!?」

まさかのご希望とは。ひっくり返った声を上げる花形の横で藤真はぐったりと肩を落とした。これまで頑なに線を引いてきた部活との境界が少し揺らいでしまった。今日の試合、ちゃんと出来るだろうか。

恥ずかしさのあまり、藤真はに怒鳴ってしまいそうになるのを必死で堪えていた。ここで過剰反応すれば自分の首を絞めるだけだ。しかしその反面、自らが試合を見たいと言って会場まで来てくれたことがすごく嬉しくて、それに驚いてもいる。手首のグリーンとピンクに胸が疼く。

「いいからほら、
「いいって永野、そんな近くじゃなくたって、ほらご迷惑だから――ヒァ!」

神奈川代表席と通路を挟んで反対側に座ろうと促されていたは、背中を押す永野に抵抗していた。のだが、その直後に花形藤真に続いて変な声を上げ、直立不動のまま固まった。知らなかったとはいえ、想像できないわけがない、まあ言わば想定内のはずの展開だ。木暮と赤木である。

神奈川代表は全員着席していたが、観戦に来ていた木暮が選手たちのところにやって来て、それを赤木が立って応対していた、というわけだ。木暮赤木が立っていたせいで余計に双方が音でもしそうなほどに固まったのがよく見て取れる。というかもう神奈川代表諸君は目が離せない。何これどうなってんの。

「あっれ、んちの隣のお兄ちゃんじゃないですか。……あっ、そうかお兄ちゃん湘北だ!」
「隣の」
「お兄ちゃん?」

家によく泊まりに来る岡崎の声に清田と三井が鸚鵡返す。しかも翔陽5人で言えば、このことは藤真しか知らないことで、さしもの花形先生もメガネの奥の目が零れ落ちそうだ。

木暮の方も国体神奈川ドリームチームと思って観戦に来てみれば、なぜかが翔陽男子とグループになっている。おいおい、翔陽男子興味ないとか言ってたくせに何なんだこの状況は。

「あれ、みんな知らなかったのか。とお兄ちゃん、家、隣。生まれた日以外基本的に全部同じ」
「おおおお、岡崎ちゃんやめてお願い……!」

説明する岡崎の肩を掴むの手に、ブレスレット。藤真の隣に目ざとい清田がいたのは、不運だった。

……藤真さん、これお揃いっすよね。もしかして彼女っすか?」

いつかのようにひょいと手首を持ち上げられた藤真は真っ青。神奈川代表席の視線が藤真の手首との手首を忙しなく往復する。は真っ白。木暮や赤木が見ているというのに! もう何も言い返せない藤真だったが、は脱兎のごとく逃げ出した。無理もない。その後を岡崎緒方と、木暮が追いかけた。

「あらら、行かなくていいんすか藤真さん」
「清田、もう突っつくのやめてやってくれ。この後試合なんだから」
「っていうか気になりすぎてオレらも試合になるかどうか」

一応この場にいる以上は県下でも指折りのプレイヤーなので、ちゃんと試合にはなる。全員そういう選手だ。だが、長谷川に窘められた清田は神にもお小言を言われてもめげず、国体が終わるまでネタにし続けた。

一方、走って逃げたはロビーで岡崎に捕まり、追いかけてきた木暮を見てまた竦み上がった。

「何で逃げるんだよ
「だ、だって……
落ち着け、お兄ちゃん怒ってないってば」

どう説明すればいいのかわからなくて混乱しているだが、木暮はいつもの穏やかな顔をしていた。ロビーにあるソファに座らされたは、なんとか言葉を選ぼうとしているが見つからない。ので、緒方が余計なお世話を買って出る。

「まあその、よくわかってると思うけど、頑固だから、一応なんでもないらしいんだよね藤真とは」
「ああそういう……一応ね、一応、うん」
「隠しておくようなことでもないのにねえ」

ひとりビビると違い、木暮はにこやかだ。

「そうだよ、オレ言ったじゃないか、相手が誰でも気軽に仲良くしてみればいいのに、って」
「まあ相手が翔陽だったから、言いづらかったんだろうとは思うけど」
「バカだな、そんなの関係ないだろ。お前が誰と仲良くしたからって何でオレが怒るんだよ」

木暮は困ったように眉を下げて、柔らかく微笑む。

「それにアナソフィアと翔陽だろ、言い方は悪いけど、よくあることじゃないか」
「しかも今年ふたりともトップ・オブ・ザ・イヤーだからね」
「あはは、そりゃそうだよなあ! いいじゃないか、どっちも似たもの同士で」

木暮の言葉に岡崎と緒方が顔を上げる。と藤真をひと括りに纏めるいい言葉が出てきた。

「お兄ちゃんそれだ! 同類だ、同じ種類だ」
「おお、やっぱりそうか。なんかホッとしたよ、藤真なら、ちょうどいいじゃないか」
「ちょうどいいって公ちゃん……
……の見てる世界はオレたちにはわからない。でも、藤真ならわかるんだと思うよ」

真面目な顔で木暮が言うので、は思わず背筋を伸ばした。

「進路のこととか大変だろうけど、にそういう相手がいてよかったよ」

木暮は全開の笑顔を残して客席に戻っていった。

第一試合が終わると、神奈川代表はぞろぞろと控え室に向かう。その途中で木暮に気付いた藤真は足を止めた。いくら何でもない関係ということになっていても、もう色々漏れているのだし、無視するのもおかしい。

「木暮、誤解しないでくれ、その――
「誤解してるのはそっちだよ。オレが怒るとでも思ってたのか?」

やはり木暮はニコニコしている。心配――ではなく完全に野次馬で近くを離れない花形や清田が聞き耳を立てているが、木暮は普段どおりの人のよさそうな笑顔だ。や藤真の整うあまりに人の警戒を解く笑顔とはまた違う種類の警戒解除スマイルだ。つられて藤真も表情が緩む。

「まあ確かに最近じゃ本当に血縁なんじゃないかって気もしてるけど、一応他人だし、だけど本当に兄妹みたいにして育ってきたから心配はしてたんだよ、目立って華やかなくせに頑固だし、常に人から好かれたり羨ましがられたりする割には、もしどこかでポキッと折れたら自分じゃ修復できないだろうって」

それを聞いていた花形はまたどこかの誰かの話みたいだな、と考えていた。

「だけど、藤真、一緒にいてくれたんだろ。だからは折れたりしないで済んだんだな、きっと」

何度も喧嘩して何度も泣かせて付き合ってもいないのに手まで出してますとは、口が裂けても言えない。しかも、木暮を目の前にしてしまうと、途端に強烈な罪悪感が襲ってくる。藤真は無理やり予選のことを思い出してそれを中和しようと試みたが、あまり上手くいかなかった。お兄ちゃんごめん。

「だからオレ、というか隣の家のことなんか気にしないでくれよ」
……わかった。黙ってて悪かった」

花形と清田には聞こえないくらいの声で藤真は返す。またにっこり微笑んだ木暮は、楽しそうに付け加えた。

「まーでも相手じゃ苦労するだろ! あれでけっこうすぐ手が出るし言葉はキツいし」

藤真は思わず喉が詰まる。木暮、今度ちょっとじっくり話、させてくれ!