ステイルメイト

02

この春卒業した先代の生徒会長と副会長、そして会計監査と書記4名は歴代アナソフィア生徒会役員の中でも例を見ないほどに凶暴であった。もちろんアナソフィア6年目ともなれば、見た目には途轍もなくお上品なお嬢さんなのであるが、とにかく気が強く、特に対翔陽においては1年間喧嘩が絶えなかった。

それと言うのも、だいたいがひだまり続きのアナソフィア生徒会執行部は翔陽の生徒会にはナメられっぱなしで、何をやるんでもいいように言いくるめられて翔陽生徒会の一方的な展開に持ち込まれるのが常だった。

そこにたまたま気性の荒い生徒が入り込んでしまった。さらにたまたま、彼女と同学年の翔陽生徒会には後に会長となる横暴気味な生徒がいた。それを見かねた先代会長――当時書記は改革を決行、ひだまり系を排して強気な生徒会を作った。そうして1年間戦い、結果としてアナソフィア生徒会は勝ったのである。

「勝ち逃げというかね……まだ翔陽の会長、諦めてないみたいだから」
「でもうちの元会長、イタリアなんでしょう」
「翔陽の会長が夏休みに会いに行くって言ってるらしくて、こっちの会長はそれを見計らって帰るって」

結果的に翔陽の横暴会長は凶暴会長に陥落、恋をしてしまった。が、凶暴会長は教会の伝手でイタリアの大学に留学中、そして横暴会長にはまったく興味がないとのこと。凶暴会長が役職を退いたことで生徒会はまたひだまり系に逆戻り、たかだか球技大会の打ち合わせにビビってを頼る始末。

「私たち、会長がいた頃はただ黙ってただけでよかったからさあ」
「それは翔陽も同じなんじゃないんですか」
「向こうは全員オラオラ系だったんだもん」

現会長は未だに自分が会長の座にいることを忘れがちである。は球技大会の打ち合わせをどのように進行するかの説明を受けながら、目の前で小さくなっている現執行部のビビりっぷりにため息をついた。

「打ち合わせなんて何をするのかと思いましたけど、要は顔合わせなんですね」
「新体制になってからはしばらく用がないから、そういうことになっちゃうの」
「それでこんなにビビってどうするんですか。秋までまたナメられますよ」
「ねえさんお願い生徒会入って」

ひだまり会長はに手を合わせて拝んだ。はそれには取り合わず、打ち合わせ場所である生徒会室をぐるりと見渡す。アナソフィアの生徒会は3学年体制になっており、会長だけは必ず3年生で、文化祭まで務めることになっている。執行部は会長1名副会長2名、会計監査3名書記3名庶務3名の計12人。

「アナソフィアで13人目になんて、なりたくないです」
さんが入ってくれるなら、たぶん喜んで辞めるのが何人かいるから平気」
「そんなんで務まるんですか」

現1年生の執行部役員は高等部に進学してすぐに生徒会入りを決めなければならない。も散々勧誘されたが、全て突っぱねて今に至る。おそらくそのせいであまり乗り気でないのが入っているのだろう。しかしそれはも同じだ。

だが、これを上手くこなしておけば、岡崎の言うように生徒会に貸しを作ったことになる。しかも相手は3年生だというのにに頼りきりのひだまり会長である。は内心ほくそ笑んだ。今日の活躍如何ではダンス部に文化祭で発表の場を作ってやれるかもしれない。

「可能な限り努力しますけど、先輩たちもシャキッとして下さいね」
「は、はい……善処します」

は翔陽生徒会ご一行様に渡す予定の書類を整えながら、またため息をついた。

放課後、翔陽生徒会が到着次第、球技大会の打ち合わせがアナソフィアの生徒会室で開始される。部外者であり、言わばただの助っ人であるはずのは会長の脇に据えられてしまい、どちらも先輩である副会長ふたりがペットボトルのお茶などテーブルに並べている。

そこへ引率の先生と共に翔陽生徒会ご一行様が入ってきた。アナソフィアの生徒会室は旧校舎にあり、ドアの高さが低いので、翔陽男子くんたちは頭を屈めて入ってくる。アナソフィア女子たるもの、きょろきょろと客人を見たりしては品位が損なわれてしまうので、一行が止まるまで起立して目を伏せ、黙って待つ。

「本日はどうぞよろしくお願いします、今期生徒会と選抜チーム代表です」
「よろしくお願いいたします」

引率の先生の挨拶に、場の一同は深々と頭を下げた。ばらばらに頭が下がる翔陽に対して、さすがのアナソフィアは角度を揃える練習でもしたかのようにきれいなお辞儀をした。なぜか前列で頭を下げているも同様だ。頭を下げてきっかり1秒、またアナソフィア女子は一斉に顔を上げる。

静かに姿勢を戻しながら、顔を上げたその時、は真正面を見つめて、息を止めた。

「まあ先に自己紹介でもして頂きましょうか、じゃあ翔陽の方から」

息を止めたの真正面には、藤真がいた。その藤真も、顔を上げたと目が合った状態のまま、吸い取られたように息を止めた。翔陽の引率の先生が自己紹介を促し、翔陽生徒会の会長から順に役職と名前を言ってはまた頭を下げている。その声も、と藤真には聞こえていない。

の耳にも藤真の耳にも、まるで部屋の中の音が聞こえなかった。ただお互いの目を凝視したまま、息を止めているせいで高鳴る鼓動だけが大きくなっていって、そのうちに、周囲の景色までぼやけて見えてきた。

ふたりともお互いの姿だけが鮮明に見えて、その他のことはぼやけて霞んでよくわからなくなってきた。

その間に順番が回ってきた藤真だったが、それと気付かずに、真横にいた2年生の副会長に突付かれた。それを機にと藤真はおかしな呪縛から解かれて大きく息を吸い込んだ。一体今のはなんだったのだろう?

「おい、藤真」
「あ、はい、1年選抜チーム代表の藤真です」
「以上6名です。今日はこれだけですけど、実際の執行部は9人なんですよ、よろしくお願いしますね」

にこやかな引率の先生に促されて、アナソフィアの方も挨拶していく。会長から始まりが変な位置にいるのであちこち飛び飛びである。しかしひだまり生徒会は声が小さい。こそこそするのが嫌いなは少し苛ついてきた。これではまたナメられる。順番が回ってくると、は器用に笑顔を作り、背筋を伸ばした。

「大会事前準備委員会代表、1年のと申します。当日はお役に立てることがございませんが、本日はどうぞよろしくお願いいたします」

アナソフィア中等部1年から6年間週一回1時間を割いて仕込まれる「マナークラス」の賜物である。は流暢に淀みなく自己紹介を済ませた。ちなみに事前準備委員会などというものは存在せず、の適当なでっちあげである。最後にもう一度にっこりと笑顔を作ったは、先生に促されると静かに着席した。

「では、1時間を目安に打ち合わせを始めてください。くれぐれも失礼のないように」

翔陽の引率の先生はアナソフィア女子の挨拶に満足した表情で生徒会室を出て行った。とりわけ生徒会の場合は生徒たちの自主性が尊重されていて、過去数十年の間にも問題行動はなかったので、先生は席を外す習慣である。つまりここまではどちらも猫かぶりのままということだ。前期の生徒会vs生徒会でもこれは同じだった。

先生が退室して数秒が経過すると、翔陽男子はすぐにだらりと姿勢を崩した。その様子にひだまり生徒会は早くも竦み上がる。週一のマナークラスでしごかれるアナソフィア女子と違い、背筋を伸ばして座っているのが苦痛なのだろう。それだけのはずだがひだまり系には何もかもが恐ろしい。の出番だ。

「打ち合わせの前に、少しよろしいでしょうか」
「はい? ええと、事前準備……
「申し訳ありません、それは嘘です」
「は!?」

翔陽生徒会長は目を丸くして身を乗り出した。は動じない。

「2年生3年生の方はよくご存知のことと思いますが、前年の生徒会は大変な荒れ模様でしたから、今期のアナソフィア生徒会は大変恐縮しておりまして、また前年度の会長が大変なワンマンでしたので、新体制発足からだいぶ経ちますが、方針が定まっておりません」

この口上もが適当に考えた言い訳である。

「こちらも失礼のないよう円滑に打ち合わせを進めたいと思っておりますが、至らぬ点が多くなることが予想されます。混乱を避けるためにも本日は基本的にわたくしひとりで応対させて頂きます。どうぞご了承下さいませ」

は言い終えるとまたカチッとスイッチを切り替えたように微笑んだ。考えようによっては大変可愛くない口上だが、そこはアナソフィアヒエラルキーの階段を駆け上がるチート人間である。柔和な微笑とよくコントロールされた声色は簡単に人の心を欺く。翔陽生徒会はコロリと落ちた。

「それはまた逆に申し訳ないことをしました。去年のことはあまり気にせず、平和的にやりましょう」
「ご理解頂きましてありがとうございます」

簡単に騙された生徒会長は心なしか目尻が下がっている。

さん、でしたか。君は生徒会ではないの?」
「はい。部外者です。本日この場限りとなりますが、どうぞお手柔らかに」
「なんだかもったいないね。会長さんみたいな風格だ」

はまたコロコロと品よく笑って見せる。会長だけでなく、藤真の横に座っている副会長も目尻が緩んだ。

「確かに去年の会長さんは怖かった。けどあれが特別なのだと思ってますからね」
「遺恨が残ってしまったのでは、と生徒会は心の休まる暇がありませんでした」
「ああそれは可哀想なことをしました。こちらも前期の会長は怖い人でしたからね」

もう会長はの手の上である。にテーブルの下で突付かれたひだまり会長以下アナソフィア生徒会も、マナークラス仕込みの笑顔をなんとか作る。これが出るようになれば、しめたものだとは踏んでいた。案の定翔陽男子諸君の緩んだ目尻が波及して、生徒会室は穏やかな空気に満たされた。

「さあでは始めましょうか。1時間しかないですからね」

球技大会の打ち合わせはもちろん、秋の文化祭までの交流予定の確認から校内情勢の情報交換まで、さっさと済ませてしまわねばならない。時間が余れば、お喋りしていても構わないからだ。生徒たちにとってはそっちの方が交流の本質なのである。連絡先を交換したって誰にも文句は言われない。

はこっそり気合を入れなおして、またにっこりと笑顔を作った。アナソフィア生徒会でもうっかりすると見蕩れる笑顔だ。その笑顔に翔陽生徒会諸君はゆるゆると表情が解けていく。打ち合わせなどさっさと終わらせて早くと雑談でもしたい。そう考えていたに違いない。

その中でひとり、険しい顔をした藤真になど誰も気付かないまま、打ち合わせは開始された。

昨年と違って横暴会長のいない翔陽生徒会は、にいいように転がされたとはいえ、実に穏やかに接してくれた。そのおかげでひだまり生徒会も緊張が緩み、大会に関する打ち合わせが終わる頃には会長同士でやり取りが出来るまでになった。

もっとも、会長以下翔陽生徒会諸君はと話したいので、そのせいもあって打ち合わせや予定確認は無駄なくスムーズに終わった。1時間という限られた時間の中でやるべきことはたくさんあったが、翔陽生徒会諸君の頑張りで20分も時間が残った。

とってはこれが誤算だった。アナソフィアの制服を着ている上に美しいは普段からナンパが引きも切らず、また木暮に笑われたように頭が固いので、気軽に連絡先交換などに応じてやる気がない。かといって、断るにも理由付けが難しい。携帯持ってませんと言って通じるだろうかとは肩を落とした。

なんとか席を外れての雑談に持ち込もうとしている翔陽側を横目で確認しつつ、は頭をフル回転させる。

なんとかして時間をやりすごしたい。1時間経ってしまえば先生が戻ってくるし、の役目は今日この場のみだし、今期の翔陽生徒会に凶暴性がないことはひだまり生徒会もよくわかっただろう。当日はもう用がないのだから、この1時間さえ無傷で乗り切れれば言うことがないのに――はふと目を落とした。

手にカサリと書類が触れる。大会当日に翔陽1年選抜チームが使う更衣室の地図だ。

翔陽1年選抜チームの男子諸君には可哀想なことだが、当日は朝イチで制服のままアナソフィアに移動し、エキシビションマッチまでの間にアナソフィアの校長及び教会関係者のお話を聞かされなければならない。そのため、試合前になって初めてジャージやらユニフォームやらに着替えられるのである。

近年、このエキシビションマッチでアナソフィアが勝つ傾向にあるのは、翔陽側のハンデとこの朝の訓示のせいではないかと言われている。そしてそのためにわざと朝の訓示を入れているのではないかとも揶揄される始末。ともあれ、翔陽1年選抜チームは当日に更衣室を使用する。

しかし非常に厳格なアナソフィアである。適当に廊下などで着替えさせるなどもってのほか、着替えがアナソフィア女子の目に触れるのも厳禁なのである。そんなわけで更衣室は毎年コロコロと場所が変わり、今年はこの旧校舎1階にある旧職員室が開放される。現在は未使用の部屋だ。

髪を払う振りをして、は素早く目で確認をする。選抜チーム代表の1年生、藤真はどうにも表情が固く、既にヘラヘラし始めている生徒会諸君と違ってアナソフィア女子との交流に積極的ではないようだ。選抜チーム入りということはイコール運動部でエース級と考えて間違いないので、面白くないのはよくわかる。

はこの藤真を利用することを思いついた。

「あ、お渡しするのを忘れていました。当日の更衣室の地図です。代表の方は――
「はい、自分です」
「当日はおそらくこちらがご案内できないと思うのでこれを――んん、これは少しわかりづらいですかね」

は藤真に渡そうとした地図を引っ込め、顔をしかめてくるくると回して見せる。アナソフィアは歴史が深いために新旧様々な建物があるし、校舎だけでなく教会関係の施設も多い。の言葉ははったりだけれど、場所がわかりづらいのは事実である。

「少し時間が余りましたし、一度ご案内します。代表の方お願いできますか」

はまたにっこりと会長に笑いかける。会長はそんなの嫌だという顔をしているが、だめだと止める理由がない。当日は1年生しか来ないので、3年生である自分も行くという理由も使えない。は策がきれいに嵌ったので、またにっこりと微笑む。

アナソフィア生徒会の方も、もう大丈夫だろう。が席を立ってもすがるような目はしなかった。軽く頭を下げて部屋を出て行こうとするの後ろから、藤真も大人しく着いてくる。は難局を切り抜けられたことに浮かれながら、生徒会室を出た。