ステイルメイト

05

「そういえば、アナソフィア行った子がいたな。アナソフィアは確か緒方……
「えっ、緒方一緒だったの? 今同じクラスで仲いいよ」
「へえ、相変わらず男前?」
「小学生の頃から男前だったんだあの子……

送って帰る道すがら、と並んで話しているのは長谷川である。5人の中では一番近い町の出身であり在住なので、と地元話ができる。と藤真の間には花形と永野が入り、注意深く気を付けていた。だが、藤真はすっかり静かになり、俯いたまま黙々と歩いている。

「緒方は中学の時から演劇部のスターでね、今年も期待されてるんだよ」
「期待って?」
「演劇部にも県大会全国大会があるんだよ。アナソフィアは文化部強いから」

それにしてもは物怖じしない。その上、普段から無口であまり喋らない長谷川まで楽々会話させてしまう話術に花形は舌を巻いた。この開心術にも匹敵する能力は藤真も持っているが、まだまだ発展途上だ。同年から年下なら簡単なようだが、年上や異性相手だと精彩を欠く。

さんは何か部活やってないの」
「うん、帰宅部。どうも何かひとつのことに集中しなきゃいけない環境っていうのが苦手で」

ひとつのことに集中するのが当たり前のバスケット少年たちは意味がよくわからない。

「なんでも興味あるけど、どれかひとつ選べって言われると、どれも特には。だからみんなみたいに一生懸命なの、ちょっとうらやましい。幼馴染も中学から部活漬けで……あ、その子もバスケやってるんだよ」

そして、アナソフィアから帰るなりムカつく女がいたと不貞腐れていた藤真に疑問を感じる花形と永野であった。は親しみやすく話も上手で、藤真がこんな様子でなかったらついふらふらと好きになってしまいそうな、ある意味では強烈なオーラの持ち主だったからだ。もちろん可愛いせいもある。

一方の方も、藤真以外の4人がヘラヘラしながら擦り寄ってきたりしないので、少し楽しくなってきた。4人に関して言えば、見目がよくカリスマ性の強い人間は藤真で慣れているので、そう言う意味ではの人を惹きつける能力にも耐性がある。

「みんな1年だよね? 球技大会、来るの?」
「まあ運動部だし、こいつも出るし、行きませんてのはダメだろうな」
「たぶん大変なことになると思うけど、怒らないでね」
「怒る?」

藤真に代行してくれと頼まれた高野が首を傾げる。

「伝統的に翔陽運動部の人は人気が高いの。逆にアナソフィアは文化部人気が高いから、おそらくアナソフィアの運動部に取り囲まれると思うよ。既に女子校歴3年を超えてるからちょっと変に感じる子もいるかもしれないけど、よかったら仲良くしてあげてね」

そのあたりは翔陽男子にとってむしろ歓迎だけれど、本物のアナソフィア女子を目の前にして即答はしづらい。

「そういうさんも大変なんじゃないの」
「あーうん、そうかもしれない。だから、当日は会えないと思う」
「そんなに囲まれるのか」
「ううん、そうなる前に隠れる」
「隠れるて!」

永野のツッコミにはけたけたと声を立てて笑った。俯いてとぼとぼ歩いている藤真以外全員、そんなを見て心が和む。なんだよいい子じゃないか、藤真、何がムカつくっていうんだよ?

ぞろぞろと自宅近くまでを送った5人にはまたぺこりと頭を下げ、改めて礼を言い、笑顔で手を振って帰っていった。多少のあざとさは見えたとしても、完璧な振る舞いだった。しかも、この短い時間の間に全員の名前と顔を覚えて、ちゃんと名前を呼んで礼を言う周到さ。

「藤真はまだ彼女には及ばないな。あっちの方が一枚うわ手だよ」

まだ落ち込んでいる藤真をちらりと見つつ、花形は嘆息した。

球技大会当日までの間にネガ藤真はすっかり消え、むしろ平時よりも機嫌がいいほどだった。の件を穿り返してイジったりしなかったのは花形たちの友情である。藤真もそのことについては何も触れなかった。

本人が言った通り、藤真たちは球技大会当日にと会うことはなかった。は早々に岡崎と身を隠しており、試合でふたりを見て狙っていた翔陽男子くんたちは校内をうろうろする羽目になった。しかもふたりが隠れていたのは旧校舎。藤真たちが着替えたりしている同じ棟で嵐が過ぎ去るのを待っていた。

藤真率いる1年生選抜チームは、先輩たちの忠告に耳を貸さず、部活から引き離された不満で練習もいい加減に行ったので、負けた。途中からマズいと思い直したけれど、立て直すのには急ごしらえ過ぎるチームだった。対するアナソフィア代表は、その殆どがほぼ6年間同じ仲間でプレイしてきたチームである。結束も強い。

翔陽はバスケットもバレーも負け、唯一テニスだけ勝利というエキシビションマッチであった。

だがこれで藤真たち1年生選抜チームはアナソフィアから解放される。案の定選抜チームだけでなく見学していた翔陽運動部は取り囲まれたが、の忠告が記憶に残るバスケット部は上手にあしらうことが出来た。特に藤真は大変な人気だったけれど、とうとうひとりも連絡先を交換しなかった。

「お前、頑なだなあ」
「ほっとけよ。きりがないだろあんなの。全員とメールしろってのかよ」
「変に真面目なんだよな。そんなの適当でいいのに」

だが、そういう花形もアナソフィアバスケット部の部長とメールアドレスを交換しただけである。部長といっても引退間近の3年生、交換した意味はほとんどない。この日アナソフィア女子の連絡先を大量ゲットしてほくほくしていたのは高野だ。

……今思うとさんのメアド、聞いとけばよかったんじゃないか」
「必要ないだろ。今日も会わなかっただろうが」

ほんの思いつきでカマをかけてみた花形だったが、藤真は難なくスルーした。

「ああこれでやっと部活に戻れる。もうアナソフィアなんか来ないぞ」
「だといいんだけどな」

グズる藤真が不在の間に、文化祭に行かないなどという身勝手が許されないことを花形は先輩たちに聞かされていた。運動部はアナソフィアのグラウンドでキャンプファイアを焚くお手伝いをする習慣になっているし、それでなくとも顎で使える後輩が来ないのは言語道断なのだそうだ。

それを藤真は知らない。花形はにやつく口元を大きな手で覆い隠した。

アナソフィアの球技大会を無事に終えた藤真がバスケット部に復帰、翔陽は昨年度と全く同じ、準優勝で県予選を終えてインターハイへ出場することになった。今年はライバル校に怪物と呼ばれる1年生が入り、それと対戦した藤真は共に新時代のシンボルとして顔を知られることになった。

ただその怪物1年生と藤真が異なるのは、大量の女性ファンがついたという点だけ。現在1年生の藤真だが、彼に夢中になるのに2年生も3年生も関係なかった。男子校だからと油断していた藤真はげんなりした。春のネガ期から2ヶ月も経たなかったからよかったようなものの、下手したら夏のネガ期が前倒しになるところだった。

さて、インターハイ、そしてそれに先立つ合宿を控えての期末である。

有料コート仲間の5人の中で一番勉強が得意なのは花形である。万事頭脳明晰というよりは、勉強するのが上手なのだ。なので、よろずテスト前はだいたい花形先生をお迎えしてのお勉強が恒例になっている。そのおかげか、中間の時も5人の中から赤点は出ず、教え方が上手いので夜は練習に行かれる余裕すらあった。

「さすがにどこもテスト前だから空いてるな」
「たぶんオレら勉強もしないバスケバカだと思われてるんだろうな」

期末前の部活停止期間に入ってすぐ、有料コートである。5人は部活がないので、一旦花形の部屋で勉強したのち、日が落ちてから有料コートへやってくる。日の高い間は子供や女性が多いので、あまり利用しないようにしている。勉強していてもバスケバカである花形と永野がへらへらと笑った。

「てかよ花形、例のネガ藤真、合宿とかインターハイの最中に出たりしないよな?」
「合宿は平気なんじゃないか。インターハイは負ければ出るかもしれないが……
「スイッチの基準がよくわからんな」

概ねポジ期にあたる藤真は長谷川と1on1をしている。高野がジュースを仕入れにコートを出たのだが、帰ってこない。ただ、高野は手ぶらで出て行ったので、自販で買っているのだとしたら苦労するに違いないが、花形も永野もそれを助けに行こうという気はない。

「高野遅せーなあ。喉カラカラなんだけど」
「まだ20時半だから補導ってこともないだろうし……お、来た来た、ってええええ」

フェンスに手をかけて通りを覗いた花形は高野の姿を見つけると、情けない声を上げた。

「どうしたよ」
「あのバカ、余計なことを!」
「あ、ほんとだ」

高野はコンビニの袋を手に、を連れて歩いていた。

有料コートのフェンスを挟んで、を加えた6人は音がしそうなほどギクシャクしている。高野によれば、コンビニでに遭遇したので挨拶をしたのだという。それだけで別れたのだが、高野がコンビニを出た直後、は素行がよろしくない感じのグループに絡まれた。止むを得ず高野はを連れてきたというわけだ。

……うちの高野にちょっかいかけるとか、やめろよな」
「ちょっかいなんか出してないけど、あんたにそんなこと指図される筋合いもないから」

ポジ期の藤真だが、高野が一通り事情を説明し終えると苦々しい口調でそう言った。も表情ひとつ変えずに言い返す。フェンスを挟んでいる分、手は出ないと安心していた花形は片手で顔を覆って項垂れた。今の話をどう聞いたらちょっかい出したことになるんだ。

「あと、あんたが旧校舎で人のこと散々悪く言ってるの、聞こえてたからね」
「更衣室覗いてたのかよ!?」
「バカじゃないの。私は2階に隠れてて、窓開けっ放しの1階から聞こえてきたの!」
「お前何言ったんだよ……

ここまで来るとただ一方的に藤真が悪いとしか思えない長谷川がため息をつく。

「あんな女やめとけよ、暴力は振るうし性格も悪いし自分が可愛いと思ってるし、時間の無駄だってね」
「何も間違ってないじゃないか」
……高野くん、ありがとね。インターハイ頑張ってね」

冷たい目で睨む藤真から視線を外すと、は高野に笑いかけて、そのまま立ち去ろうとした。

「いやちょっと、さん!?」
「花形、オレも行ってくる。あと頼むわ」

早足ですたすたと歩いていくを高野が追いかけたので、長谷川もコートを出て追いかけた。

……藤真」
「なんだよ」

現時点で20センチ近く身長差がある花形は、藤真に声をかけると平手で張り倒した。事態を読んでいた永野に受け止められた藤真は後ろからホールドされて、さらにもう一発花形からビンタを食らった。グーで殴られなかったのは花形が冷静だったからだ。

「お前さ、さんになんかひどいことされたのか? 違うよな?」
……関係ないだろ」
「関係あるよ。こんなクズ野郎とチームプレイしたくねえからな」
「じゃあ辞めればいいだろ。誰も止めない」
「藤真、花形にも突っかかってどうするんだよ。お前らしくないぞ」

永野にもぴしゃりとはたかれた藤真は鼻を鳴らしてベンチにくずおれた。

「女子の言葉がキツかったりするのなんて、彼女だけの話じゃないだろ。ていうかお前があんなひどいこと言ったりしなかったらさんだって言い返してこないよ。バカにしたりしないで普通に話してくれるし、この間なんか相当気を使って話してくれてたの、わかるだろうよ。一志、普段ならあんな風に話さないだろ」

ベンチでまた不貞腐れた顔をしている藤真の肩を掴んで花形はまたガクガクと揺すった。どう考えてもおかしい。例え女の子にトラウマがあるのだとしても、だけにあんな風に攻撃的になる必要などどこにもない。

藤真は花形の手を勢いよく払い、立ち上がってくるりと振り返るとくしゃりと顔を歪めた。

「なんでか知らねえけど、あいつだけはどうしてもムカつくんだよ! 帰る!」

本当に帰ってしまった。荷物も置きっぱなし。残された花形と永野はポカンとして藤真の後姿を眺めていた。

……花形、オレ思うんだけどさ」
……ああ、オレもそうだと思うよ」
「いやオレまだ何も言ってねえし」
「言ってないけど間違ってねえよ、それ」

全員分の荷物を纏めてコートを出た花形と永野は、高野が置いていったコンビニ袋からペットボトルを取り出してごくごくと流し込むと、ハーッと大きく息を吐いて顔を見合わせた。

「藤真、さんのこと好きなんだな」
「それ、本人には言ってやるなよ。キレるから」

ふたりは硬い表情でそう言うと、一転、我慢できずに吹き出した。