ステイルメイト

08

アナソフィア秋のデスレースは合唱祭から始まる。開催日は年により前後するが、中間付近でスポーツ交流会という名の「近隣の女子高頂上決戦」を挟み、そのまま文化祭に雪崩れ込む。生徒会3年生の任期が文化祭までなので、その後には選挙が控えている。それも終われば期末は目の前だ。

合唱祭も球技大会の時と同じく、合唱部の部員にソリストをやらせたりは出来ないことになっている。そのため、のような音楽系クラブに所属していないくせに歌が上手い人物がクラスにいると得、という展開になる。

合唱自体はそもそもアナソフィアの場合、毎朝朝礼で賛美歌を歌うので、あまり差が出ない。そのためアレンジであったりソリストのパフォーマンス如何で評価されるという本末転倒な行事になっている。

スポーツ交流会の方は10競技を4校の女子高が競い、これも本職禁止というルールのためにグダグダな試合展開になるのが常で、それゆえのようなタイプが重宝されるのは合唱祭と同じ。この年はラクロスとバドミントンかけもちという憂き目に遭い、しかし自分の試合だけはなんとか勝利して終えることが出来た。

これに中間を挟むので、特に1年生はグッタリしはじめる。が、翔陽がほぼ全校あげて押し寄せてくる文化祭が控えている。や岡崎のようなのはともかく、一番楽しいイベントなので、アナソフィア女子たちの士気は高い。というか、2学期は忙しすぎて遊ぶ暇もないので文化祭くらい楽しく過ごしたい。

「最近、会長逃げるんだよね」
「まあ期待してないからいいって」

生徒会に貸しのあるは、なんとかダンス部に発表の場を作れないかと1学期から脅し続けている。だが、そもそもダンス部が正式に認められるまでにも数年かかったという厳格なアナソフィアであるから、いくらに脅されても要望が通りにくいのは目に見えている。

しかし、を見かける度に逃げ出していたひだまり会長は、偉業を成し遂げた。

「規制緩和、ですか?」
「そうなの。後夜祭の講堂、クラブに出来るよ!」

普通の高校であればだから何だというところだが、そこはアナソフィアである。会長はダンス部の発表が通りそうにないのがわかると、後夜祭において講堂で行われる有志のステージの規制緩和を粘り強く交渉し続けた。

後夜祭の講堂、それは去年までは町ののど自慢大会の様相を呈する至って地味でつまらない空間だった。ステージで歌でも踊りでもコントでも好きなことをして構わないが、内容に審査が入るというケチがついていた。どんなにヒットしている曲でも教会関係者からいかがわしいとダメ出しされたらアウト。

それでも、グラウンドで丁々発止の駆け引きを繰り広げている運動部のノリについていけない文化部にとっては大事な催しでもあった。後夜祭の講堂は薄暗く、同じく体育会系ノリについていかれない翔陽理系文系と距離を縮める貴重なチャンスだ。

そんな講堂のステージの規制緩和を取り付けてきたという。これはアナソフィアでは革命にも等しい。

「ダンス部だけに解放ってわけじゃないんだけどね。でも、時間が許す限りたくさんパフォーマンスしていいよ」

岡崎は口元に手をあて、小さく悲鳴を漏らした。緒方も岡崎の肩を抱いて飛び跳ねている。

「あ、緒方さんもいるのね。演劇部も校内上演、規制緩和です!」
「ほんとですか!?」

ほぼ役立たずのひだまり生徒会の会長であったが、彼女の名はアナソフィアに長く語り継がれることになった。は球技大会で妙な助っ人にされられてしまったことを、初めてやってよかったと思っていた。そこから藤真というケチもついたのだが、それももうチャラにしてもいいと思った。

そんなわけで文化祭、歌舞音曲の規制緩和に勢いづいた文化部が異様にはりきる展開を見せ、その煽りを食ったクラス展示が大変地味に手抜きになるという副作用はあったが、そもそもアナソフィアは文化部が活発で実績もある。クラス展示がしょぼくても、文化部が盛り上がっている方がいいのだ。

一方で、部員数の特に少ない素朴な部では、文化祭前からの翔陽との交流の中でカップル成立がちらほらと出始めている。共学と違い、アナソフィアと翔陽の文化祭カップルは長続きしやすいという傾向にあり、少なくとも1学年に1組は結婚までいってしまう文化祭カップルが生まれるという伝統になっている。

通常であれば、2日間かけて行われるアナソフィアの文化祭、翔陽くんたちが押し寄せてくるのは2日目である。だいたい初日に保護者親類が来てしまうので、2日目はほぼ翔陽くんたちで埋め尽くされている。しかし、展示や発表に関わる翔陽くんたちは、文化祭の前2週間くらいから放課後になるとアナソフィアに通い続ける。

そんなことをしていればカップルなどボコボコ発生するというものだ。

さて、文化祭2日目当日である。

基本、中等部は隔離扱いなので、後夜祭の始まる1時間前くらいには強制的に下校させれられる。元々中等部の校舎には翔陽くん立ち入り禁止なので、アナソフィア女子といえど、中等部のうちは文化祭など大して面白くもないイベントなのである。そんな中学生が下校して初めて後夜祭は始まる。

「キャンプファイアってそんなに大変なものだったか?」
「全部で5基作るらしいから、人手はいるだろうな」
「主なところで言えば、うちと、野球バレーサッカーテニスてとこか?」

有料コート仲間5人は駅からアナソフィアまでの道のりをだらだらと歩いていた。もうすぐ冬の選抜の予選が始まるし、それが終われば新体制になるし、彼らもあまり暇ではない。暇ではないが、例えば2年生なら修学旅行に行かねばならないのと同じで、アナソフィアの文化祭は校内行事にも等しい。

文化祭、というだけあって、特にアナソフィアでは熱心な文化部の祭典であるので、正直運動部は肩身が狭い。運が悪いとクラスメイトの半数近くが文化部で、クラス展示を少人数でこなさねばならなかったりと、翔陽くんたちが来てくれなければただつまらないだけの行事だっただろう。

そんなわけで、アナソフィア運動部にとってもキャンプファイアは唯一の楽しみであり、もはやそこがメインなのである。それをたちに聞かされていた5人は、覚悟しているとはいえ、多少面倒でもあり怖くもある。

「高野ももういいのか、アナソフィア女子」
「いや……うん、無作為にモテようと思ったオレが愚かでした」
「悟ったな」

花形に突付かれた高野はかくりと頭を落とした。球技大会の時にゲットしたメアドのうち、実に8割近くが消去済みだそうだ。だから言っただろうがと藤真に突っ込まれたのは言うまでもない。また、長谷川という繋がりがあるせいで、5人はこの数日というもの、緒方からの舞台を見に来いメール攻撃に遭っていた。

「一志は行くのか、演劇部」
「別に後夜祭までは予定もないし見に行ったっていいんだけど、その……寝そうで」
「でも後ろの方にいたらそんなのわからないだろ。時間潰せていいかもな」

キャンプファイアの準備は、全ての門が閉まる16時より前の15時頃から始まる。今は昼前。演劇部の上演は2本立てなので、13時から約1時間程度。5人は緒方の晴れ舞台を見に行こうかと言うところで話がまとまった。

先輩たちになんとなくお伺いを立てつつ、特に用がないようなので、5人は時間になると予定通り演劇部の上演を見に行った――のだが、アナソフィアの演劇部が県はほぼ常連、過去には関東・全国の経験もあるということを忘れていた。しかも今年はイケメン女子緒方がいるのである。講堂内は女の子で溢れかえっていた。

すっかり気が萎えて逃げようとしていた5人だが、講堂の外で上演前のファンサービスに応じていた緒方本人に捕まってしまった。大量の女の子怖いので帰りますと言えない5人は、緒方の取り巻きに睨まれながら、講堂の一番後ろの席にそそくさと座った。全員寝てしまわなければ、なんとか言い訳も立つだろう。

その後、時間が来たのでキャンプファイアのお手伝いを黙々とやっている5人だが、藤真はこの使命さえ果たしたらすぐにでも帰りたいような顔をしていた。文化祭訪問は殆ど校内行事のようなものだが、後夜祭は参加自由なのである。文化祭の方に来ていて後夜祭を帰りたい生徒など、まずいないけれど、帰っても構わない。

「で、どーするよ。帰る?」
「帰りたそうな顔してるな、藤真」
「だってこれ終わったらもう何もやることないだろ。コート行こうぜ、その方が有意義だろ」
「そうかもしんねえなあ」
「先輩たちが何も言わないようなら帰るかあ」

藤真の言葉に花形と永野はぼんやりした目で力なく頷いた。だがその時、5人目掛けてサングラスにマスクにニット帽のアナソフィア女子が突進してきた。首から上が不審者、首から下はアナソフィア女子だ。気持ち悪い。

「いたいた!」
「な、なんですか」
「私! 岡崎!」
「おお、久しぶり……どうしたんだそのフェイスガード」

体当たりされた長谷川が逃げ腰になっていると、岡崎だと名乗るその女子はサングラスとマスクを少しずらしてにんまりと笑った。ものすごく濃い化粧をしていた。元々はとてもきれいなお嬢さんなので見栄えはするが、ちょっと迫力系なので怖さもある。

「す、すごいメイクだね……
「後夜祭、講堂でパフォーマンスするんだよ。みんなはここにずっといるの?」
「いや、準備終わったら帰ろうかと」

少し申し訳ないという顔をして見せた花形に、岡崎は驚愕の表情だ。そんなこと言い出す翔陽くんは珍しい。

「何言ってんの、帰っちゃダメだよ! ここに用がないなら講堂おいでよ」
「だけどオレら運動部だし」
「講堂はあんまりそういうの関係ないから大丈夫だって」
「だけど――

あまり乗り気でない5人はたじろいでいたが、岡崎は不審者3点セットを激しく打ち振り、一歩進み出ると藤真の真正面に立ちはだかった。そして、両手にこぶしを作って何度も振り下ろす。

「頼むから帰らないで! 見ないと絶対後悔するから! お願い!」

その言葉にピンと来た花形が、藤真の隣に進み出た。岡崎は何かを見せたいようだ。緒方の舞台は見たし、岡崎がこんな風に藤真に詰め寄るからには絡みだ。そういうことなら話は別。どうしたものかときょとんとしている藤真の隣で花形は何度か頷いた。

「わかったわかった、覗きに行くよ。それでいいだろ」
「うん。講堂は16時半からだけど、せめて18時くらいまでは見て行ってよ」
「オッケー」

岡崎の方も花形の表情に何かを読み取ったのだろう、満足そうに頷いて、そしてまた走り去って行った。

「花形お前なあ」
「ちょっとくらい顔出してやったっていいだろうが。コートは逃げないんだから」

しれっとした花形の言葉に、長谷川と高野と永野も話が見えた。そういうことなら残った方が面白いものが見られるかもしれない。意図せず、生ぬるく見守る会らしくなってしまってる3人は、不貞腐れている藤真を見て笑わないように努めた。

16時半、講堂の正面入り口と両脇の通用扉が開放される。今年の規制緩和を聞きつけて早くも興奮気味のアナソフィア女子たちがなだれ込み、最前列争奪戦が繰り広げられていた。対する翔陽男子諸君は規制緩和の意味がわからないながらも、ぱらぱらと集まり始め、薄暗い講堂はじんわりと温度が上がり始めている。

藤真たち5人はキャンプファイアの準備が終わり、火が点されると、そそくさとその場を逃げ出した。早くも藤真を狙っているアナソフィア運動部のお嬢さんたちが遠巻きに周りを取り囲み始めたし、それは先輩たちにとって大変面白くない状況なので、逃げた方が得策だ。

既に人で溢れかえっている講堂は、そんな5人にとっては逆に都合がよかった。ステージにも明かりがついていないので、客席は夕暮れの中でも暗く、誰がどこにいるのかなど殆どわからない。何か始まったら入ればいいかと考えていた5人は、また後ろから誰かに体当たりされた。

「来たな! 偉いぞ! いよっす一志!」
「お、緒方」

化粧の落ち切っていない顔の緒方だった。制服に着替えているが、結局寝ずに上演を見てしまった5人には、本日の緒方はもはや緒方ではなく新撰組副長土方歳三であった。女の子なのにこのイケメン具合はずるいと永野が愚痴ったくらいかっこよかった。

「副長、岡崎さんに言われたんだよ、来ないと後悔するって」
「副長言うな! 叩っ切るぞ不貞浪士どもめ。そっか、岡崎ちゃんに聞いたんだ」
「聞いたっていうか、何をやるのかとかは何も」
「あれ、そうなの。でもうん、見た方がいいよ。損はさせないから」

そう言いながら、緒方はちょいちょいと手招きをした。その様すらイケメン的で、5人はつい黙って着いて行った。

講堂の中に入ると、急に温度が上がった気がして、少し息が詰まる。緒方に導かれた5人は、客席が半分に分かれて2階席の屋根がかかり始める壁際に陣取った。どうしても必要な時にはアナソフィア全生徒約1500人が詰め込まれる講堂なので、通路も幅広く取られている。

「アナソフィアってね、イメージあると思うけど、すごく厳格な学校でさ」
「その割にはアナソフィアの子って元気で明るいよな」
「永野くんいいこと言うね。そうなの、外に出ればブランド品扱いのアナソフィア女子だけど、普通の子なんだよ」

モデル立ちに腕組みのイケメン――いや緒方はそう言って少し遠い目をした。

「それでね、今年この講堂と文化部の演目が規制緩和されたの」
「規制、緩和?」
「とりあえずのところ、好きなことやっていいってことになったんだ。芝居も歌も踊りも」
「ああ、なるほどね」

一同が納得したところで、緒方はサッと髪をかきあげ、不敵な笑みを浮かべた。

がそのきっかけを作ってくれたんだよ」

先ほどの岡崎と同じように、緒方は藤真をひたと見詰めてそう言った。

「覚えてるかな、藤真くん。球技大会の打ち合わせ。あの時生徒会に助っ人を頼まれたは、なんとか岡崎ちゃんたちダンス部に文化祭で発表の場を作ってあげたくて、やりたくもない生徒会の助っ人を引き受けたの」

藤真はただ黙って聞いている。

「そこで役目を果たしたは生徒会にダンス部の件を頼みまくってくれて、だけどさすがに学校側も頑なで、そこで方向転換した生徒会長の機転で規制緩和に繋がったってわけ。おかげで文化部みんなが恩恵に与って、私たちみんなハッピー。みんなと会長に感謝してる」

途中から緒方が何を言いたいのかよくわからなくなってきた5人はぼんやりと聞いていた。おそらく緒方の方も明確なメッセージがあったわけではないのだろう。とひだまり会長の恩恵をモロに受けているだけに、それを自慢してみたかったのかもしれない。

緒方が言葉を切ったあたりで、ステージにほんのりと明かりがつき、有志の出演者が準備を始めている。それを見た緒方は組んでいた腕を解いて、片手をひらりと回転させるとまた不敵に微笑んだ。

「まあ、そんなわけだから少し見て行ってよ。みんながバスケ頑張ってるように、私たちも頑張ってるから」

気の利いた返事を返せないままの5人にサッと手を振ると、緒方はくるりと踵を返してステージの方に消えて行った。その後姿を黙って見詰めていると、講堂は突然暗転、広がるざわめきの中でステージに光が差し、規制緩和後初の後夜祭が始まった。

その頃は搬入路の奥にある機材置き場でダンス部の手伝いをしていた。手伝いの内容はヘアメイクや衣装の管理など。今年は3学年40人程度のダンス部だが、校内を衣装や化粧のままうろつくのは厳禁なので、この狭い機材置き場でぎゅうぎゅうになりながら身支度をしている。

ダンス部の他には、同様に発表の場がない軽音楽部や演劇部有志のコント、吹奏楽部選抜のバンド、合唱部選抜のアカペラ等、それなりにバリエーションは豊富。しかしなんと言っても規制緩和で期待がかかるのはダンス部だ。使用楽曲だけでなく衣装も規制緩和とあって、手芸部に頼み込んで何やら色々用意していた。

「まあこれなら一応露出はしてないしね」
「3年の先輩たちこれが最後でしょ、そりゃもう張り切ってたよ」

いくら規制緩和と言っても肌を多く出しては即時撤回されかねない。しかし可愛い衣装を着たい3年生は悩みに悩みぬいて、肌はあまり出さないけれどちょっとセクシーけっこうカワイイという衣装をひねり出した。

「じゃ、行ってきます! も見ててね! のおかげで出来るステージなんだから」

ラメの飛び散る顔で岡崎はニカッと笑った。は手を振って送り出しつつ、この岡崎の笑顔が褒美だなと考えていた。何かひとつのことに夢中になれないにとって、岡崎や緒方のように青春を傾ける対象があるのが羨ましかった。頑張っている彼女たちが輝いて見えた。だから、その手助けが出来たなら、それでいい。