ステイルメイト

09

は、うっかりすると涙ぐみそうになりながら、下手の袖からダンス部のステージを見ていた。

3年2年の先輩たちももちろん上手いのだが、何しろ岡崎が飛び抜けて上手い。まだ1年生だが、岡崎の場合、ダンスのキャリアは4歳からなので基礎が違う。たまに教室や演劇部の部室でふざけてダンスを教えてもらったりしていても、体の動かし方がとてもきれいだった。

ちょっと怖い顔をしてるけど岡崎ちゃん、なんてきれいなんだろう。なんて可愛いんだろう。

この日そう思ったのはだけではないのだが、それでもはそんな岡崎を見られて幸せだった。藤真に悪態をつかれて思わず泣き出すほど傷ついたことも、全部チャラになった気がした。

そうしてダンス部のステージが終わると、演劇部有志のコントが始まった。その裏でダンス部は未だ冷めない興奮の中にいて、も搬入路の隅でその相伴に与っていた。そこへ上気した顔の岡崎がやってきて、に抱きついた。岡崎の体は燃えるように熱かった。

「岡崎ちゃん、めちゃくちゃ可愛かったよ、私、なんかもう泣きそう」
「泣くのはもうちょっと後にしてよ、まだ終わってないんだから」

まだダンス部がパフォーマンスをするのかと考えていたは、直後、後ろから両脇に腕を差し入れられて飛び上がった。慌てて首を捻ると緒方の顔があった。いつにも増してイケメンの緒方がピンクのハート型ビームでも放ちそうな目でにやついている。

「あれ、緒方? どうしたの」
「私たちと会長にどんなお礼をしたらいいかとずっと考えてたんだよ」
「いや別にそんなの」
「ひだまり会長の方は、文化部代表のお膳立てで本日無事に翔陽生徒会副会長とくっつきまして」
「そうなの!?」

両方を知るは素っ頓狂な声を上げた。そんなことになっていたとは。

はどうしようかと思ってたんだよね」
「っていうのを緒方に相談されててさ」
「いやちょっと待って何が始まるの」
「色々考えたんだけど、をスターにしようと思うんだ」
「は?」

意味がわからなくてぽかんと口を開いていただったが、今度は両腕を掴まれたのに気付いて短い悲鳴を上げた。顔を上げると、ダンス部と演劇部の部長ふたりだった。岡崎と緒方を通じて面識もあり、どちらも去年からを口説き続けてきた。

ふたりもにんまりと微笑むと、そのままを引き摺って機材置き場に連れ込んだ。

20分後、はダンス部の衣装を着させられ金髪のウィッグを被らされ、簡単に化粧を施されて搬入路に転がり出てきた。搬入路の両脇にはダンス部が整列していて、みんな思いっきりニヤニヤしている。冷静な思考が追いつかないは、緒方に耳にマイクを引っ掛けられても、まともに反応できなかった。

そんなに、岡崎が両手を差し出す。

、私と一緒に踊ろ」
「え、は?」

そうして、演劇部有志のコントが終わったステージには放り出された。姿勢よく手を上げて歓声に応える岡崎と違い、背中をどつかれて出てきてしまったは目をひん剥いている。

だが、そもそもはアナソフィアでは有名な生徒なのである。特に今観客席を埋め尽くしている文化部の部員なら、3年生が口説きまくっても絶対になびかない孤高の器用貧乏だとよくわかっている。さらに言えば今年の合唱祭はソリストで学年優秀賞を取っている。そんなわけで、観客席は一瞬のうちに熱狂の渦に包まれる。

、見せてやりなよ」

今頃になってしまったという顔つきをしているの手を取り、岡崎がにやりと笑う。ステージの照明が落ち、そこに大音量で鳴り響いてきたのはLadyGagaの「BadRomance」だった。教室で演劇部の部室で、岡崎に教えてもらってふざけながら踊っていた曲だ。思わずも苦笑い。これはもう逃げられそうもない。

はステージに明かりが戻るのと同時に腹を括った。

本人の生活態度からして絶対にありえないとされていたの登場に沸き返る講堂の片隅で、有料コート仲間は顎が外れそうなくらいに口を開けて絶句していた。思っていたより岡崎のダンスが迫力もあって可愛かったので、満足していた。演劇部有志のコントもつい笑ってしまい、これは完全に帰るタイミングを失ったなと言いながらへらへらと笑っていたところだった。

そこにまた岡崎が登場し、その後からどう見ても突き飛ばされてステージに出てきた女の子の顔をよく見てみてたら、だったというわけだ。しかも金髪、しかもやたら可愛くてちょっとだけセクシーなダンス部の衣装。制服と浴衣しか見たことはないが、さすがに似合う。

「あれ、さんだよな?」
「部活やってないんじゃなかったのか?」

永野と長谷川が混乱している横で、花形は藤真に聞こえるように言って、ニタリと笑った。

「なるほどな、岡崎さんと緒方さん、これを見ろって言いたかったんだな」

そして一瞬のうちに暗転、次にステージに光が差した時、はすっかり別人のようになっていた。歌いながら踊るそのパフォーマンスは、未完成ながらなぜか妙に色気があって惹きつけられる。客席のアナソフィア女子だけでなく、翔陽男子くんたちもの放つオーラにあてられて吸い寄せられていく。

岡崎とふたりで歌って踊っていただが、終盤に入るところで下手からダンス部が乱入、最終的には背後に17人ものダンス部を従えて踊ることになった。そのダンス部の手練れたちに比べたら技術は低いというのに、なぜか見劣りしない。だが、それがという人間だった。

岡崎も緒方も、それを「見せてやり」たかったのだ。講堂を埋め尽くす観客と、そして、藤真に。

ふたりとも夏祭りの時には藤真の態度に疑問を感じていた。のことをずっと見ているというのに、不機嫌そうな目をしていた。送ってもらう道すがら、それとなく聞いてみれば普段はそんな人物ではないという。そういうことなら簡単な話だ。花形と同じ結論にたどり着く。

例えそのあたりが不発に終わっても、きっとはアナソフィアで確たる立ち位置を得ることだろう。

あまりに盛り上がるので、はステージから下ろしてもらえず、調子に乗ったダンス部3年生にせっつかれてCarlyRaeJepsenの「CallMeMaybe」も歌った。曲が曲なので衣装がより可愛く見えて、この時翔陽くんだけでなくアナソフィア女子の何人かが恋に落ちたという話だ。

「なんかすごいもの見ちゃったな」
「岡崎さんと緒方さんもすごいと思ったけど、まさかさんもとはな」

アナソフィアからの帰り道、花形と高野は繰り返しそんなようなことを言ってはまたへらへらと笑っていた。のサプライズステージが終わると、5人はまたこっそりと講堂を出て帰路についた。藤真に感想を聞くに聞けないのがもどかしいが、本人は夏祭りの時のようになんだかぼんやりしている。

が岡崎と踊っている間も、藤真は講堂の壁に寄りかかり、首だけをステージに向けて身じろぎひとつせずに見つめていた。それを真横でちらちらと盗み見ていた4人は、藤真の目の色が何かしらの確信を得たように思えて仕方なかった。おそらくは、に対しての。

駅に帰り着いた4人は少しだけ足取りが軽かった。

「じゃあ、コート行きますかあ」
「まだ19時前か、思ったより早かったな」
……オレは帰るよ」
「は?」

ただ退屈なだけだと思っていた文化祭も、終わってみればなかなか楽しかった。そんな気分のままコートで一汗かこうかと腕を伸ばした花形の横で、藤真は頭をボリボリと掻いた。4人は揃ってコート行きたいとグズった張本人が何言ってんだ、という顔をした。が、藤真は見ていない。

「疲れたから帰って寝る。じゃーな」

そう言うと軽く手を上げてさっさと先に行ってしまった。

「刺激が強かったか?」
「まーな。夏祭り以来会ってないし、久々に見るのがあれじゃあな」

真面目腐った顔でそう言い交わした花形と高野は、言い終えると腹を抱えて笑った。

それからしばらくの後、11月末。とりあえず集まるといったら有料コート近辺という4人は、今日はコートの外であれこれと話をしていた。4人と言っても、生ぬるく見守る会ではない。本日の欠員は花形だ。普段の行いがあまりよろしくないのか、ここぞという時に体調不良に見舞われる。

1学期の中間から花形先生頼みだった4人は、迫る期末を前に途方に暮れていた。普段勉強を蔑ろにしていても、定期考査の度に花形先生が要点をわかりやすく教えてくれるので何も心配要らなかった。だが、当の花形先生がダウン。冬の選抜予選で忙しかった彼らはもはやどこから手をつけていいかわからない有様。

しかし彼らも遊んでいたわけではなくて、一生懸命予選のために頑張っていたのだ。結局冬の選抜県代表にはなれなかったけれど、今回はネガ藤真が出現することもなく、ただただ頼みの花形先生がまた腹をひどく壊したというのが不幸だった。なので、神様は彼らにこっそり微笑んでくれたのかもしれない。

「あ! おーい、久しぶり!」
「お、おい、永野……

たまたま通りの方を向いていた永野が丸めていた背を伸ばし、手を振った。そこにはがいた。冬のアナソフィアはこれまた趣のある指定コートが有名で、逆に目立つので替えた方がいいという議論が絶えない。

「わ、久しぶり! あれ、ひとり足りないんじゃないの」
「先生はテスト前だって言うのに腹壊してくたばってる」
「また!?」

思わず声を上げたに、藤真以外もつられて笑う。

「テスト前にそれじゃあ花形くん大変だね」
「いやいや、あいつは元々頭だけなら翔陽レベルじゃないから大丈夫」
「むしろそれで困ってるのはオレたち」
「なんで?」

いつまた藤真が突っかからないかと冷や冷やしている長谷川の気苦労も知らずに永野と高野は喋る喋る。これまで花形と一緒に勉強してきたおかげで赤点を取ることもなくやってこられたが、その先生がノータッチになってしまうと心許ないということを説明した。

「冬の選抜の予選もあったし、ほんとにどうしようかと。アナソフィアは終わったの?」
「ううん、これから。うちも今テスト期間で部活停止になってるよ」
「アナソフィアのテストとかすごそうだな」
「そんなこともないよ、アナソフィアって進学校だと思われてるけど、そうでもないから」

元々は良家の女子が良家に嫁ぐために通うような学校だったので、学校の方針として何が何でも偏差値の高いところへ進学させようとしたりしない。ただしアナソフィアの場合、入学できた時点で既に偏差値は高いので、有名どころに進学したい生徒は自主的に高みを目指して勝手に勉学に励む。

そういう前提があるだけに、アナソフィアの場合、定期考査は比較的穏やかというか秋のデスレース中のイベントの方が厄介という捉えられ方をしている。確かにアナソフィアでも1位から最下位までナンバリングされてしまうけれど、その頂点と底辺の点差があまりなかったりもする。赤点も滅多に出ない。

「つーかもうさん余裕あるなら教えてくれー」

花形を頼れないとなるともう打つ手がない高野が頭を抱えた。

「いいけど……
「は!?」

ついひっくり返った声を上げたのは長谷川だった。高野も驚いている。本気で言ったわけではもちろんなかったからだ。そりゃあアナソフィア女子に教えてもらえれば助かるけど、何しろ藤真がいるので心配です。

「どっちみちテスト勉強はするんだし……家でやるか外でやるかくらいの違いだから」

長谷川と高野と永野はちらちらと藤真を見る。今日は突っかかるつもりがないのか、黙っている。しかし油断できない。でもテストのことを考えると背に腹は替えられない。今のところ藤真から物言いは出ないのだし、3人はこの際自分たちの期末を優先することにした。

「そしたら、そこの店でもいい?」
「いいよー」
「いやほんと……助かった〜。さん、ジュース奢るよ」

藤真も大人しく着いてくる。生ぬるく見守る会会長不在だが、今日はもし藤真が暴れるようなら帰らせるつもりで3人はファストフード店へ向かった。藤真がどんな思いでいるのかは知らないが、今はそんなことより自分のテストの方が大事だ。

「おー、教科書違うからやってること全然違うねえ」
「まあ頭の出来も違うしな」
……アナソフィアの英語、何が起こってるのかさっぱりわからん」
「まあ、うちは英訳聖書なんかも使うから」

はざっと範囲を確認すると、それぞれが不安に思っているところをひとつずつ見てくれた。花形ほどではないにせよ、充分わかりやすかったし、何しろ物腰が丁寧で優しいのでリラックスして勉強できる。特に古典や歴史になると、よく噛み砕いて解説してくれるのでとてもわかりやすかった。

あらかたポイントを改めなおした3人は休憩中にハーッと大きくため息をついた。これでなんとかなりそうだ。

「あー助かったーさんマジ感謝」
「いいってー。それに文化祭来てくれたんでしょ。緒方喜んでたよ」
「ああうん、緒方さんもかっこよかったけど、なんせさん」
……え?」

永野の言葉に、はジュースのカップを手に固まった。

「いやほら、後夜祭の講堂で」
「み、見てたの、あれ」
「え、うん、見てたけど」
「だっ、だってみんな、バスケ部でしょ、グラウンドでしょ、なんで――
「岡崎さんが見においで、って」

そう長谷川に聞かされるなり、は両手で顔を覆って体を丸め、小さくなってしまった。ちらりと覗く耳が真っ赤だ。あれだけのパフォーマンスが出来るのに恥ずかしいのだろうかと3人は首を傾げた。

「いないと思ってたのに……!」
……悪かったな」

そしてここに来てとうとう藤真が口を挟んだ。3人はサッと血の気が引く。

「わ、悪いなんて言ってないでしょ」
「だけど見られたくなかったんだろ」
「そりゃ恥ずかしいもん」
「あの大観衆の前で歌って踊って何が恥ずかしいんだよ」
「そういう問題じゃないの!」

血の気が引いた3人はしかし、と藤真のやりとりを交互に見ているうちに、すぐに気が抜けた。よくわからないけど、なんか好きなように言い合いしてるけど、今日は険悪さを感じないんだけど。どころか、ふたりとも少し楽しそうにさえ見えるんだけど。会長、どうなってんのこれ。会長、何でこんな時にいないんだ。

「ていうか藤真くんは大丈夫なの、期末!」
「ほっとけよ、オレは自分でなんとかする」
「ってノート真っ白じゃない、なにこれは、現文?」
「いいっつってんだろーが」

藤真の現文が危険なことを知る3人は、に向かって示し合わせたように首を振った。お願いさん藤真の現文を見捨てないであげて。

「ほらー、みんなよくないって言ってんじゃん」
「お前ら余計なことを」
「みんな藤真くんのこと心配してるからでしょ」

藤真が睨むが、3人はそ知らぬふりで自分のノートに目を落とす。なんだかこれはこれでイチャついてるようにも見えるので静観しますの意思表示だ。自分たちはとりあえずよくわかっていなかったところを教えてもらったし、あとはもう寸暇を惜しんで勉強あるのみ。

「別にいいけど。藤真くんが赤点取ろうが補習になろうが、それで部活出来なくなろうが」

の言葉に3人はまたがばりと顔を上げてぶんぶんと横に振った。それは困る、いくら1週間程度とはいえエースが赤点で補習で部活出られませんなんて、それはダメだ!

「あのな、こいつに教えてもらわないと赤点取るって決まったわけじゃないだろ」
「ちょっと、こいつって何よ。失礼な」
「お前なんかこいつで充分だろ」
「お前って何よ、この、藤真!」
「なんだと!?」

さすがにファストフード店内なので、ふたりとも大声は出していないが、結局こうなる。だが、それにしては険がないなとふたりを静観する3人は考えていた。

「藤真、名前くらいいいだろ」
「そーだそーだ長谷川くんの言う通りだー」
「なんで一志はくんづけでオレは呼び捨てなんだよ」
「あんたなんか呼び捨てで充分でしょ」
「だったらお前も呼び捨ててやるからな!」
「好きにすればー。あっ、みんなも呼び捨ててくれていいからね」

会長不在の折、彼らは「さん」から「」へとクラスチェンジした。