ステイルメイト

04

高等部に進学したのを機に、はアルバイトを始めた。だいたいが厳格なアナソフィアであるが、アルバイトは禁止されていない。受験に際しては親も厳しく審査されるが、審査項目に経済状況は入っていないので、平均的な一般家庭の子女が多く、中にはこうしてアルバイトに励む生徒もいる。

家は裕福ではないが困窮してもいない。しかし、部活には所属したくないの場合、何かと暇なのでアルバイトはちょうどよかった。学業や体調に障らない程度に働き、お小遣いも入って一石二鳥というわけだ。そうして初めての給料で両親と木暮家に食事を振舞ったのはGWのことである。

だが、可愛い顔と人を惹きつける性質が災いしてはナンパ、キャッチ、勧誘、スカウト等々に遭遇しやすい。道を聞かれる回数も人より多い。

アナソフィアの制服など着ていたら確実に絡まれるので、制服のままアルバイトに入る時などは必ず着替えや制服が隠れるパーカーなどを持参して予防している。が、制服がなくてもは可愛いので、実際のところ、その効果は薄いといえる。

今も地味な色のロングパーカーで制服の殆どを覆い隠しているのに、酔っ払いに囲まれてしまった。制服が見えないせいで成人していると思われたか、またはそんなことは関係なく目に付いたか、とにかく飲みに行こうとしつこく誘われている。なんとか断ろうとしている間に腕も掴まれてしまい、いよいよ逃げられない。

そんなことをもう5分もやっているので、は泣きそうになってきた。人通りは決して少なくないのに、誰も助けてくれない。酔っ払いは調子に乗って体を触ってくるし、息は臭いし、目が泳いでいて気持ち悪い。

「お願い、離して――
「何やってんだよ!」

聞き覚えのない声に突然名前を呼ばれたは驚いて顔を上げ、辺りをきょろきょろと見渡した。

……え?」
「あのー、妹になんか用ですか」

驚いて言葉が出てこないのすぐ横に進み出てきたのは、藤真だった。は一瞬で前日の記憶が蘇り、今助けに入ってくれているのが、あの藤真だと理解した。

「お前なに」
「兄ですけど。こういうの、困るんすよね。手、離してもらえません?」

藤真はの手首を掴んだまま離さない酔っ払いの腕に手を添えて、少し力を入れている。酔っ払いがああだこうだと文句を言っているが、藤真は視線を外さずに睨んでいる。だが、今のところ170センチ少々といった身長の藤真は小柄に見えてあまり威圧感がない。酔っ払いに肩をどつかれ始めた。

ついに手が出たのでは顔色が悪くなってきた。怖い。が、それを見てか、酔っ払いたちの後ろからぬっと暗い影が差す。も含め、藤真以外の全員が顔を上げると見上げるほどの身長が計4人、この騒ぎを見下ろしていた。それに驚いて酔っ払いが手を離したので、はやっと解放された。

藤真はそれを確かめると、素早くの腕を掴んで囲みを飛び出した。わけがわからないを引きずって有料コートの方までどんどん歩いていく。その間も上背のある4人に囲まれたままだった酔っ払いたちもさすがに怯み、なんだかんだと文句を言いつつ駅の方に戻って行った。

さて、有料コートのフェンスまでたどり着いたは、わけがわからないながらもとにかく助かったのでホッとして大きく息を吐いた。だが、それも束の間、藤真は掴んでいたの腕を乱暴に放り出した。は腕を払われて少しよろめく。

「バカかお前! こんな時間にこんなところで何やってんだ」
「はあ!?」

不愉快そうな顔をした藤真は打ち合わせの日のように腕を組み、素っ頓狂な声を上げたを見下ろしている、というか軽く睨んでいる。はまたわけがわからなくなって口をパクパクさせた。この人何言ってんの?

「22時だぞ22時! こんな時間にこんなところウロウロするとか危機感足らないんじゃないのか」
「いや、ちょっと待って私は――
「こんな時間に夜遊びとかお前本当にアナソフィアかよ」

酔っ払いが逃げ去ったのでまた追いかけてきた花形たちが戻ってくると、ちょうど藤真がの平手でビンタされるところだった。藤真の髪が跳ね、は殴った勢いでまたよろめいて膝を折った。目の前の超展開に焦った花形が飛び出して藤真を押さえ、よろめくは永野が支えてやる。ふたりも顔が青い。

「なんなのよあんた! 夜遊びしてるなんて誰が言ったのよ! バイト帰りの何が悪いのよ!」

は永野の腕を振り解こうともがきながら牙を剥いた。だが、藤真もビンタに怯むことなく花形の手を払い除けて声を荒げた。

「アナソフィアがなんでバイトなんかしてんだよ! つかその下制服だろうが! 誘ってるようなもんじゃねえか」
「アナソフィアがバイトして何が悪いのよ! そんなのこっちの勝手でしょ! バカじゃないのあんた」
「バカはお前だ!」

キーキー言い合うと藤真に慌てた花形たちはそれぞれふたりがかりで押さえて引き離した。花形と高野が藤真を、永野と長谷川がを押さえている。何か落ち着かせるような言葉をかけてやらねばと思うが、彼らもわけがわからなくてあわあわしている。

「助けてくれたんだと思ったのに、お礼言わなきゃって思ったのに、なんなのこれ!」
「だったら言えばいいだろ! 助けたことには変わりないじゃないか!」
「あんたホントに頭おかしいんじゃないの!?」
「何だと!?」
「藤真、いい加減にしろ!」

高野にヘッドロックをかけられた藤真はウッと喉を詰まらせてよろけた。

「君、アナソフィアの人? 昨日打ち合わせにいた?」

を押さえている長谷川が問いかけると、は小さく頷き、そしてそのまま目を真っ赤に染めて泣き出した。ヘッドロックをかけられている藤真はともかく、これが例の可愛いけど可愛くないアナソフィアの子かと納得していた4人は慌てた。

「わ、ちょ、泣かないで! ごめん、こいつが悪い、本当にごめん」
「ちょっとオレたちも事情がわからないんだけど、こいつには後でよく言っておくから」

状況はよくわからなくてもが可愛いということは見ればわかる。そんな女の子を泣かせてしまって、4人はパニックだ。高野はヘッドロックをかけていた腕を解くと、藤真の側頭部をパチンとはたいた。どつかれた藤真はの涙を見てもまだ不機嫌そうな目をしたまま、顔を斜めにして睨んでいた。

「なんなの、何で、私バイトの帰りに酔っ払いに絡まれただけなのに、何でこんなこと」
「君は悪くない、悪いのはこいつだから、お、落ち着いて、な?」

泣いてはいるがも負けていない。永野が全力でホールドしているから届きはしないが、藤真を蹴ろうとして足をバタバタさせている。それにしても酔っ払いから助けたはいいが、このままでは自分たちが通報されそうな気がした花形は、既に閉店した大型スーパーの方に藤真を引き摺っていった。

「高野すまん、荷物頼む。あと彼女も移動させてくれ。あのまま放り出すのは危ない」
「わかった。てか一志もう時間無理だな」
「いいよオレんとこ泊まれば」

高野が戻っていくと、花形はスーパーの壁沿いにあるベンチに藤真を座らせ、肩を掴んだままガクガクと揺すった。藤真は不機嫌そうな顔のまま大人しく揺すられている。

「おい、しっかりしろ藤真。お前今自分が正気じゃないのわかってるか」
…………ああ」
「あの子あのまま放置できないから一旦連れてくるけど、もう噛み付くなよ」
……わかった」
「いいか、噛み付いたら今度はオレが殴るからな」

藤真が小さく頷くと、花形は振り返って有料コートの方に目をやった。全員分の荷物を抱えた高野と長谷川に挟まれ、永野に背中を支えてもらっているが目を擦りながらとぼとぼと歩いてくる。とりあえず暴れてはいないようだが、藤真とは距離を置かせた方がいい。

荷物を抱えたふたりに向かって無言で隣のベンチを指差すと、花形は静かに立ち上がる。

「ええと、なんかエラいことになって申し訳ないんだけど、翔陽バスケ部の花形っていいます」
……です」

藤真から目を離さないようにしながら、花形はに会釈した。荷物を隣のベンチに置いた高野が藤真のホールドを買って出て、の隣には長谷川が戻ってきた。

「さっき聞いたら、ここが地元駅なんだって。公立なら北村中になるらしい」
「聞いたことあるな。ってそれはともかく、本当にごめんなさい。全部オレらが悪いです」
「いえ、いいです……皆さんは悪くないです。助けて頂いてありがとうございました」

鼻をぐずぐず言わせながらはぺこりと頭を下げた。パーカーの袖口が涙で変色してしまっている。

「言い訳するつもりはないんだけど、その、助けたかったのは全員同じなんだ」
「それは、本当に感謝してます。助かりました」
「それでその、今すぐ許せとは言わないけど、できたら――
「学校には何も言わない。今日のことも忘れる。二度と会うこともないだろうから、それでいいでしょ」

確かに花形が言いたかったのは、学校関係には黙っていてもらえないかという提案だった。アナソフィア内はともかく、翔陽、ひいてはバスケット部にこのことが漏れるのだけは何とかして阻止しなければならない。だが、真っ赤な目を吊り上げてそうに言われると、それもマズいという気がしてきた。

さんちょっといいかな。――すまん、藤真頼む」

既に身長が190センチを突破している花形の場合、例えば手をかけるなどしなくても、一歩進み出れば相手は一歩下がる。もそれは例外ではなく、花形に押し出されるようにして輪を離れた。スーパーの壁際に並ぶ自販機の近くに移動してきた花形は、出来るだけ声を抑えて話し出した。

「信じてもらえないと思うんだけど、藤真に悪気はないんだ」
「うん、信じられない」
「実は、君が絡まれてるのを見つけたのはオレなんだ。だけど、飛び出して行こうなんて考えなかった」

この有料コート仲間は、翔陽バスケット部に入ってすぐ仲良くなった気の会う仲間だ。部活の中では藤真だけ頭ひとつ飛び出ているような状況だが、オフコートでは良い友人関係にある。藤真とそんな付き合いがある花形は、平たく言えばただの直感で、このとの繋がりを切ってしまってはいけない気がした。

「通報するか、交番てどこだっけ、なんて言いながら何もしなかった。でも、あいつは飛び出して行ったんだ」

寮に入ったばかりの頃、同じ学年の寮生同士で何度も部屋の行き来をした。それにも慣れてくると、その時々でどこかの部屋に集まったりなどは今もよくある。そんな中で、花形は藤真の中3の時の苦い記憶を聞いたことがある。彼はモテるのが災いして後悔を作った。

アイドルにでもなれそうなきれいな顔立ちをしているので仕方のないことなのかもしれないが、藤真がバスケットに夢中な元気一杯の少年に過ぎないことを誰も理解しようとしない。そういう周囲にも潰されて、さらに今に限って言えば季節もののネガ藤真出現中なので、女の子に対して極限まで捻くれている。

しかし本来的には、まっすぐで芯の通った性格の「いいやつ」なのだ。との間に何があったか詳しいことはわからない。けれど、花形にはこのが藤真の捩れを戻してくれるのではないかという気がしてならない。

それでなくとも、が絡まれているのを見た藤真は、考えるより早く本能で飛び出して行ったように見えた。口ではああだこうだと文句を言っていたのに、咄嗟に兄妹を装って単身で飛び込み、安心したところでカッとなるほど、このに対して何らかの思いが芽生えているように見える。

「君に対して暴言を吐いたことは本当に申し訳ないと思ってる。だけど、あいつが一番君を助けたかったんだ」

藤真を悪く思わないで欲しい、特に今はネガ藤真が出現中で。そう正直に言ったものか迷う。

「その、オレが言うことじゃないんだけど、あんな風に感情的になるのも珍しいことなんだ」

たぶんそれは君が特別だから――

「なんだかよくわからないけど、だからなんなの。悪意しか感じられない」
「ああ……ですよねえ……

花形は想定内の着地に肩を落とした。これが恋に恋する地味でおとなしい女の子なら、いい意味で勘違いをしてくれたかもしれない。しかし目の前にいるのは、例えアナソフィアでなかったとしても近寄る男全てを魅了しそうな美しさを持ち、藤真にビンタをかまし、それだけではおさまらずに蹴ろうとまでしたなのである。

もしかしたらと近しくなることで、去年のトラウマが癒えないものかと考えたのだが、そう簡単にいく展開ではなかった。ネガ藤真出現中ということも不幸だった。

「まあその、さんを助けたい一心だったんだってことをね、わかって欲しいなと」
「私だってそのくらいはわかってるよ。助けてくれるんだって思って、さっきは超嬉しかった」
「え」

藤真のように腕組みをしたは、まだ赤い目を吊り上げたまま吐き捨てるように言う。

「あの状況で助けてもらって感謝しないわけないでしょ。昨日アナソフィアでは部活に出られないのがよっぽど面白くなかったらしくて、八つ当たりされたの、私。だからつい突っかかっちゃったんだけど、ああ本当はいいやつなんだなって思ったよ、さっきは」

どうかそのままいいやつだと思い直していてもらえませんか――とはいかないか。

「でもあんな言い方されて、それでも藤真くん超いい人! なんて思えるほど私オトナじゃないから」

いや、大人でも無理だ。花形はそう思いつつ、が想像以上に「マトモ」な子であることを驚いてもいた。アナソフィアなのだから、学力は途方も無く高いのだし、見栄えもするし、冷静に物事を見られる目もあるようだ。ますます藤真に近い人種じゃないかと思うと笑ってしまいそうになる。

「そしたら、もうこんな時間だし送っていくよ。オレらも寮がこの辺りでさ」
「寮?」
「いわゆるスポーツ特待っていうやつ。ひとり実家だけど、あとは全員寮」
「今からひとり暮らししてるの?」
「ひとり暮らしって言っても、建物全室翔陽の生徒なんだけどね。だから全員で送ります」

ずっと目を吊り上げていただが、知らない世界のことに興味を示すと機嫌が直る。表情が緩んだ。

「全員ってのは逆に悪い気がするけど……
「誰が行くんだって話になってもまた面倒だし。藤真も連れて行くけどちゃんと捕まえておくから」
「花形くん、今からこれじゃ3年間大変だね」

がやっと笑ったので、花形は心底ホッとした。これで無事に送り届ければの方は問題あるまい。

藤真の方はネガ期がマックスまでいってしまったらしく、を送ってから帰るのだと聞かされても大人しく頷いて着いてきた。花形は慎重にと藤真を近寄らせないようにしながら、その場を離れる。時間を確認すると、22時半をとっくに過ぎていた。