ステイルメイト

06

さん、待ってよ」
「今日は送ってもらわなくても大丈夫、ありがとうふたりとも。ごめんね」
「いやそういうことじゃなくて、待ってくれほんとに」

なるべく距離を置きながらを追いかけていた高野と長谷川は、がどんどんスピードを上げるので、大きな通りに出る辺りで仕方なく腕を掴んで止めた。気をつけないと強引なナンパと思われそうな状況にふたりはビビっている。

「ごめん、本当にごめん」
「いやふたりに謝ってもらっても……
「それはそうなんだけど、だけど……

の目はまた真っ赤になっていて、あまり口の上手くない高野と長谷川は余計に焦る。

「みんな、仲いいんだよね、普段から」
「え、ああ、うんまあ、ずっと一緒だから」
「あの人いつもああなの?」

とうとう「あの人」になってしまった。この間は一応「藤真くん」と言ってくれていたのに。

「いや、そんなことないよ、うち男子校だけど、みんなに好かれるっていうか」
「そうそう、あんな顔して割と兄貴肌というか」
「私、そんなにひどいことしたのかなあ。なんであんな風に言われるんだろう」

真っ赤な目からぽたりと雫が落ちる。ふたりは気の利いたことも理に適ったことも言ってやれない。どうにもならなくて長谷川がの背中を擦ってやる。むしろ自分たちも藤真があんな風に豹変する理由が知りたかった。

「最初に八つ当たりしてきたのは向こうなんだよ。それにちょっと言い返しただけなのに」
「それ、オレらあんまり知らないんだけど、何があったのか聞いてもいい?」

あまり表情がない割には、超が付くほどの真面目であることが一目でわかる長谷川はある意味では得な顔をしている。もそう聞かれて素直に頷き、アナソフィアでの球技大会打ち合わせのことをかいつまんで説明した。

……そ、それだけ?」
「それだけ。私も悪いのかもしれないけど、もうイーブンじゃないのかなあ」

ぐずぐずと目を擦るがあまりにも可哀想になってきた高野と長谷川は、しかしじゃあどうしたらいいのかはやっぱりわからなくて、遠慮するに構わず送って行った。その間に花形からメールが届いたので、ふたりはを送り届けると足早に寮へ戻った。こんな時なので長谷川はまた泊まりである。

藤真が部屋に篭って返事がないので、花形の部屋に集まった4人は気疲れしてぐったりしていた。

さん大丈夫だったか?」
「いや、また泣いちゃった」
「あーだよなあ……
「藤真は?」

長谷川の問いに、床にひっくり返っていた花形と永野はむくりと起き上がり、目配せをすると声を潜めた。

「実はふたりが追いかけて行った後、オレもついカッとなってさ」

ことのあらましを説明した花形は、最後に永野とふたりでたどり着いた結論で締めた。

……は?」
「一志、目が2倍の大きさになってる」
「ちょっと待て、それはあの、子供が好きな子をいじめてしまうというアレか?」
「いやまあ、それとはちょっと違う気もするけど」

高野はわけがわからなくて両手を顔の前でぐるぐる回している。

「帰る間花形とも色々考えてみたんだが、今日に関して言えばたぶん高野が連れてきたから」
「オレが? さん連れてきたから?」
「普通に喋ってたろ。てかさんの場合常に笑顔だから、楽しそうに見えたのかも」
「だからさんに当たったのか?」
「たぶん」

永野がそう締めくくったところで、花形は吹き出した。

「花形楽しそうだな……オレ、藤真のトラウマもよく知らんから、話が見えん」
「ああそっか、一志泊まりはだいたいうちだもんな。高野と永野は聞いてるか?」
「オレらもちゃんとは聞いてないよ」

花形の部屋が一番片付いているので、長谷川が泊まる時はだいたいここを使う。今も平均して身長190センチ前後が4人もひしめいているが、床には何もないので一応座っていられる。

「去年付き合ってた彼女が、まあよくあるアレだ、バスケばっかりで構ってくれないってやつで」
「去年なら藤真なんか4番だっただろ、そんなの当たり前だろうに」
「で、中学で一番人気だったらしいその子とまずモメた。んで、それを彼女の友達が色々世話してくれて」
「あー、なんか話見えたな」
「お察しの通り、今度はその友達が付き合えと言い出した。断ったら、ストーカーになっちゃった」
「あーあ」

「あーあ」は3人の合唱になった。その話を聞かされた時の花形も「あーあ」としか言えなかった。当時の藤真もバスケット部においては最重要人物であったので、チームメイトや先生たちは藤真を必死に守ってくれた。だが、ストーカー化した子は体調不良を起こして親が激怒、付き合った方の子はそのせいもあって3年の秋だというのに不登校を起こした。

もちろん藤真にお咎めなどないけれど、中学でヒエラルキーの頂点にいた彼に対して僻みを抱いていた人物は多い。結果的に学校での彼の立場はぐらぐらと揺れ、部活しか気の休まるところがないという有様だった。そうして翔陽から推薦の話を受けた藤真は即決。受験の心配がないので基本的にクラスでは寝て過ごした。

「オレ、実は今日すげえ藤真のこと嫌いになってたんだけど、撤回するわ」
「おそらくその付き合った子とさんが被るんだろうな」
「なるほどな。さんもありゃ3年になったらアナソフィアのトップだろうな」

あくまでも想像の域を出ないけれど、色々腑に落ちた4人はうんうんと頷き、そしてまた肩でため息をついた。

「でも、文化祭だっておそらくさんはまた隠れて過ごすんだろうし、もう会わなくて済む」
「もったいねえな。さんいい子なのに」

それにはまた全員が頷いた。可愛いし賢そうだし、何より笑顔が明るい気立てのいい子だ。それは、言葉を変えれば藤真だって同じなのに。藤真さえあんな風に豹変してしまわないなら、仲良く出来たかもしれないのに。中3の時の彼女と同じだなんて、そんなことはないはずなのに。花形がニヤニヤしながらため息をつく。

「バカだな、藤真」

そんな藤真たちだが、期末も合宿も無事にクリアして臨んだインターハイでは3回戦で敗退、ベスト16にあと一歩という成績を残して帰ってきた。今年1年生ながらスタメン出場した藤真はここでも顔を知られることになったが、本人は試合に納得がいかなかったようで、花形の予想通り夏のネガ藤真が出た。

だが幸いにもインターハイから帰るとお盆休みで部活は一切停止になる。元々自宅通いの長谷川はともかく寮生4人はそれぞれの実家に帰った。おかげで夏のネガ藤真のとばっちりなどはなく、藤真はネガ期を実家でやり過ごしてきた。

短いお盆休みが明けると寮生は一斉に帰ってくる。翔陽の場合、夏休みの間も朝から学校が開放されているが、閉まるのも早い。正門が朝6時に開き、校内施設はきっかり12時間後の18時に全て閉まる。それを超過したりすると、部活単位でペナルティがあるので、時間は絶対厳守となっている。

無事に夏のネガ期を乗り越えてきた藤真はじめ、翔陽バスケット部は基本的に毎日朝から18時までをフルに使って練習に励む。だが、お盆休みが明けて数日後の夏祭りの日だけは練習が短縮される習慣になっている。監督がいないために潔く休む部もあるくらいだ。

翔陽からだと二駅ほどの場所にある大きな河川沿いで行われる夏祭りは、規模も大きく来場人数も多く、数キロにわたって続く露天と1万発の花火が名物だ。近隣の中高生にとっては夏休みのメインイベントであり、アナソフィアや翔陽のように女子校男子校の場合も貴重な出会いの場となる。

そんなの行きたくない、有料コート行きたいと藤真がごねたが、それを先輩たちに正直に言えるわけもなく、また有料コートはお盆時期が明けたので4日ばかり休みになっている。幸いにもポジ期に入った藤真は大人しく諦め、先輩たちに引き摺られて夏祭りに出かけることになった。

さすがにジャージで祭りというのも恥ずかしいし、もし万が一何かのトラブルに巻き込まれでもしたら校名入りのジャージは都合が悪い。一度着替えに帰り、改めて祭りに出かけていく。最初はグズっていた藤真も立ち並ぶ屋台の光を目にして機嫌が直った。

「まあ、外食したと思えばいいか」
「割高だけどな」

部活終わりでただでさえ減っている腹に、ソースの香ばしい匂いは強烈なダメージを与えてくる。乗り気でなかった藤真も、もうもうと湯気の立ち上る焼きそばの屋台を前に喉を鳴らした。地味に倹約が基本の寮生生活だが、たまにはお祭りも悪くない。

しかしここは地域で最も大きな夏のシンボル的存在のお祭りである。近隣の中高生はだいたい足を運ぶ。友達が少ないような子でも、たいていは家族や親戚などと一緒に繰り出してくるのが普通だ。だから、基本的に知り合いには遭遇するようになっているのだ。

「あ」

そこには浴衣姿のが佇んでいた。

は同じく浴衣姿の女の子ふたりと、あんずあめを手にしている。花形と高野は思わず藤真のTシャツを掴み、一歩後ろに下がった。その代わりに前に出てしまった長谷川と永野だが、それを見て、の隣にいた背の高い女の子がぴょこんと飛び出てきた。

「もしかして、一志!?」
……緒方か!?」

小学校が同じふたりの3年ぶりの再会であった。緒方と呼ばれた女の子はぴょんぴょん飛び上がって長谷川の手を取り、ぶんぶんと振り回した。背が高くきれいな顔をしているが、確かに男前だ。

「一志なにそれこんなでっかくなっちゃって!」
「お、緒方こそ……
「それは言わないでー! もう少しで170行っちゃうんだよ〜! 何、いまどこにいるの?」
「いや、翔陽……
「はあ!?」

それならなぜ球技大会の時に会わなかったんだと緒方は首を傾げるが、長谷川はアナソフィア女子に囲まれていたし、緒方は翔陽男子と取り巻きに囲まれていたので無理だ。演劇部でだいたいいつもイケメン役を演じている緒方の場合、中1の頃から取り巻きと縁が切れない。

「てかなに、知り合いなん?」
「あ、うん、ちょっとね」
「一志たちはなに、部活仲間?」
「ああ、うんバスケ部」
「そかそかー。ねえ、約束がないなら一緒に回らない?」

と翔陽5人は凍りついた。だが、緒方がにこにこ顔でそう言うのには理由がある。

「ご存知うちのお姫様をはじめ、みんな浴衣で可愛いでしょう。既に警察のご厄介にもなっちゃってて」
「警察!?」
「うん、さっきなんかチンピラみたいなのに絡まれちゃってさあ。拉致られる寸前」

緒方はからからと笑っているが、長谷川は顔が青い。

「でも悪いのはそいつらで、私たちは普通にお祭りを楽しむ権利があるじゃない?」
「まあな」
「だからもし約束とかないんだったら、一緒にいてもらえないかな」

藤真以外の全員、もちろんそれは構わない。構わないのだが、なにしろ爆弾を抱えているわけで。

「あっ、迫ったりはしないから無問題! バスケ部じゃあ球技大会の時、大変だったでしょ」

それはそれで少し残念なことだが、さて困ったのは長谷川である。後ろを振り向くとみんな藤真をちらちらと見ながらどうしたものかと困り顔だ。また素早く顔を戻してみれば、も気まずそうな顔をしている。これは引き受けても状況が悪化するだけなのではと思った長谷川だったが、直後に気が変わった。

目の前ではまた酔っ払いに腕を掴まれていて、一番近くにいた永野が慌てて間に入った。

「花形、どうする。オレはいいと思うんだけど」
「どうもこうもオレも一緒にいてやりたいけど、藤真、我慢できるか」
……我慢てなんだよ。好きにすればいいだろ」

また牙を剥くんじゃないかと冷や冷やしていた花形と高野は、藤真のぼんやりした顔に目を丸くした。一方永野はたちを両腕で囲うようにして逃げてきた。に緒方、そしてもうひとり、岡崎といえばアナソフィア高等部1年のトップ3、それが浴衣では無理もない。

「一志ー。こんな状態なもんで、花火まででいいからさ」
「わかった。いいよ、一緒に回ろう」
「いやー恩に着るわー! お礼に何か奢るよ!」

たち3人と翔陽5人を合わせた一行はぞろぞろと歩き出した。

すっかり祭を楽しんでいる緒方と岡崎はともかく、と翔陽5人はしばらく緊張が取れなかった。ただ、なぜか今日は藤真が静かにしているので、徐々にほぐれてくる。さすがにアナソフィアの3人は立ち振る舞いにそつがなく、藤真を除いた4人は楽しくなってきた。はもちろん、緒方も岡崎も可愛い。

だが、ちょっといい感じになっちゃってもいいかな、などという甘い期待はすぐに崩壊した。

「ああ、迫ったりしないって話? そりゃそうだよ、私ゴリマッチョフェチだから!」
「私はオッサンフェチ! 最低でも30くらいは年上じゃないと!」

にこにこ笑いながらふたりがそう言うので、あからさまにガッカリした永野にはごめんと謝った。が、元々ナンパのつもりはなかったのだ。同様気さくで明るく話し上手な緒方に岡崎も、とてもいい子だった。そんなわけで、花火までの間に連絡先の交換をするまでになった。

高ポジ期であるはずの藤真は相変わらず静かでぼんやりしていて、事情を知らない緒方に押し切られてとも連絡先を交換した。その時も何も余計なことは言わなかった。それを横で眺めていた花形はある仮説に思い至った。藤真はの浴衣姿に見蕩れているんじゃないだろうか?

だが、それが事実だったとしても藤真は絶対に認めないだろうし、大人しいのは緒方と岡崎がいるからという説も捨てきれない。ともあれ場が荒れないことにはホッとしている。このまま何事もなく済めばいいのだが……

それから2時間ほどして、花火が終わると、たちは帰ると言い出した。時間も21時前と、浴衣の女の子としては確かに頃合だ。翔陽組も特に祭に残る理由がないので帰ることにした。だが、アナソフィア3人の帰宅方向がバラバラで、かと言ってこの状況で放り出して帰るのも心配になってきた。

「マジで? なんなの、みんな優しいねえ。アナソフィアに気になってる子いたらステマしてあげるよ」

3人それぞれ送っていってくれるという申し出に緒方は目を丸くした。個性的なフェティシズムのせいで望みゼロが2名もいるというのに、翔陽くんたちは心が広いと岡崎も感嘆している。地元が同じ緒方を長谷川が、岡崎を高野と永野が送っていくことになった。

となると、つまりは花形と藤真ということになるが、大丈夫なのかと不安そうな顔をした長谷川たちに花形はしっかり頷いて見せた。これもいわば花形の直感に過ぎないのだが、藤真がかなりのポジ期にあるのを信じて接触させてみたかったのだ。

もし本当に藤真がに恋心を抱いているのだとしたら、早くこの情緒不安定反応を解いてやりたかった。

一番近い駅へ向かう道は身動きが取れないほどの混雑なので、それぞれ帰る方向に合わせてスムーズに帰れるルートを選んで解散となった。藤真が気になる長谷川と高野永野組はちらちらと振り返りつつ、人の波に飲まれていった。

「じゃあオレらも帰りますか。さん下駄大丈夫?」
「平気。これけっこう普段から履いてるから」

まだ人の多い河川敷、花形と藤真はを挟むようにして歩き出した。