ステイルメイト

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県下にその名を知られた中高一貫の名門女子校、聖アナソフィア女子学院は昨今にあっても厳格な校風で知られるが、大変な人気があり、毎年倍率は3倍を越える。敷地内にあるレンガ造りのチャペルに憧れる女子は多く、なおかつ10年ほど前に制服が一新されてからはさらに人気が出た。

アナソフィアは人気も高いが、偏差値も高い。面接も重視され、受験する本人より保護者の面接の方が長いという特徴がある。そのため、経済状況に関わらずしっかりした家庭環境に育った成績優秀な子でなければ、アナソフィア女子にはなれない。

それでも憧れのセーラーブレザーを夢見て、毎年千人近い女子がアナソフィアを目指す。

10年ほど前に制服が一新されると、ただでさえ希少種のアナソフィア女子は一種のブランド化を起こし、近隣の男子学生たちの憧れにもなった。まず親が面接で振るい落とされるような学校であるから、だらしのない生徒はいないも同然、艶やかな黒髪に肌のきれいな女の子率が異様に高いのだ。

文化祭も一般入場はないに等しく、基本的には事前に申請した家族でなければ門前払いである。つまり、紹介してくれる人がいないなら街でナンパでもしない限り基本的にアナソフィア女子と知り合うきっかけはない。

ところが、アナソフィアの敷地内にはいつも男子高校生がうろうろしている。彼らはアナソフィアとは歩いても1時間とかからない距離にある翔陽高校の生徒たちである。

教会ありきで始まった聖アナソフィア女子学院は、そもそもは宗教施設である。そして、翔陽の遡ること5代前の校長は大変信仰に厚い人物として知られていた。自身が校長を務める翔陽は男子校なので、自分の娘はアナソフィアに入れ、なおかつ両校の交流と発展に尽力した人物である。

そんなわけで、アナソフィアと翔陽は姉妹校としての提携こそないが、もう何十年も公式に交流を持つ間柄となっている。校内のイベントの殆どでなんらかの交流が持たれ、部活動単位でも頻繁に行き来がある。その中でも特に盛り上がるのが文化祭で、基本的には全校生徒で押しかけるのが通例だ。

ただし、高等部だけの翔陽に対してアナソフィアには中等部がある。アナソフィアの文化祭ではどのみち触れ合ってしまうのだが、基本的には隔離されている。交流はなし、イベント参加もしない、翔陽の文化祭には行かない。それが中等部だ。

受験という門さえ通過してしまえば、アナソフィアは案外のんびりした学校と言うのが生徒たちの評であるが、入学してみてびっくり、敷地内は高校生男子がうろうろ、高等部のお姉さんたちはそれをきらきらした目で見ているという現実が待っている。

アナソフィア中等部の生徒はそんな様子を3年間ただ眺めて過ごし、そして高等部に進学するや、同じように目を輝かせ始めるのが一般的だ。

対する翔陽男子も、このアナソフィア女子が目当てで入学してくるという場合が少なくない。ただし、翔陽は部活動が盛んな校風であり、県大会上位は当たり前という部がひとつやふたつではない高校である。アナソフィア女子とお近付きになりたくても、秀でたものがないとすぐにあぶれてしまう。

さて、そんな両校であるが、高等部に進学したアナソフィア1年生と、翔陽の新入生が初顔合わせとなるイベントが春にある。アナソフィアの球技大会である。このイベントでは全試合終了後にエキシビションマッチとして、アナソフィア選抜チーム対翔陽1年生選抜チームの試合が行われる。

エキシビションマッチの種目はバスケット、バレー、テニスの3種目。翔陽1年生の方は3種目の部員ではないこと、身長170センチ以下であること、というハンデを負う。ただしアナソフィアの方の人選に制限はないため、だいたいは各部の3年生だけでチームが組まれる。

これに先立って、球技大会の準備のために生徒会同士の打ち合わせがあるのだが、その際に翔陽側は1年生選抜の中から代表を決め、打ち合わせに同行させる習慣となっている。この年、その代表に選ばれたのは、バスケット部期待の新人である藤真健司という生徒だった。

だが、バスケット部は翔陽の中でも1、2を争う実績があり、5月には早くも8月のインターハイに向けた予選が始まる。神奈川のバスケット部としては名門であるゆえ、今年も第2ブロックのシードではあるのだが、正直なところ、藤真はこの1年生選抜代表には乗り気でなかった。

「あんなの、アナソフィア目当てのサッカー部にでもやらせておけよな」
「なんで翔陽はサッカー部だけちょっとおかしいんだろうな」

練習終わりの部室で、藤真は同じ学年の花形とぶつぶつ文句を言っていた。部活動が盛んな割に翔陽の運動部は監督やコーチなど指導者が長続きしないという妙な因習がある。サッカー部は昨年から地域のボランティアに頼るまでになってしまい、正規の監督を失った4年前からどうにもだらけている。

「あ、そっか。おかしいから代表にできないのか。なんか正直者がバカを見るって感じだな」
「選抜にも入ってないんじゃなかったか?」
「覚えてないけど……入ってなくたってどうせ見に来るんだから同じなのにな」

アナソフィアの球技大会は1年生のみ見学参加が許されている。同じ翔陽生からもあまり良く思われていないサッカー部の場合、選抜チームに選ばれない方がいいのかもしれない。何せ目的は試合の勝敗ではなくて同い年のアナソフィア女子との面識であり、連絡先だ。

「だいたい、代表って何するんだ?」
「生徒会と一緒にアナソフィアで打ち合わせして挨拶して、当日は選抜チームのキャプテン」
……それだけ?」
「それだけ」
「それって代表、必要ないだろ」

花形は呆れてため息をついた。藤真の場合、その高い能力を買われて1年生ながらスタメン入りが確実視されている。おまけに県予選を控えた状態で、そんなくだらないことに付き合わせないでもらいたいというのがチームメイトとしての正直なところだ。

しかし学校の行事扱いのため、ひとりグズって代表を下りるわけにもいかない。なんとなれば、このエキシビションマッチ選抜チームの代表は学校側の選出なのである。選抜に入るからにはスポーツに秀で、成績も問題なく、アナソフィアに顔を出させて恥ずかしくない生徒である必要があるのだ。

大変名誉なことでもある反面、大変迷惑でもある。藤真はバスケット部なのでバレーに出場することになっており、その練習にも出なくてはならない。アナソフィアでの打ち合わせを含めて全部で4日間程度ではあるのだが、その間部活に顔を出せないのは耐え難い。

「なあ、その間夜に練習付き合ってくんない?」
「有料コートか?」
「そう。おごるから」
「いやいいよ、そう言うことなら一志にも声かけとくわ」

実績のある運動部所属で選抜に入れられてしまった場合は、こうして藤真のようにはなからやる気を削がれることも珍しくない。そうしてナメてかかるとアナソフィア3年チームに負けそうになる。もしくは本当に負ける。それを先輩たちは一応忠告するのだが、毎年1年生たちは聞く耳を持たない。

「あーあ、計った時にあと1センチあればこんなことにならなかったのにな」

藤真の入学時の身長は170センチちょうど。これも不運といえば不運だ。

「まあ、向こうの生徒会に可愛い子がいるといいな」
「アナソフィアだからって顔が可愛いとは限らないだろ。そんな都合のいい話、あるとは思えないね」

藤真はロッカーの扉をバタンと閉め、天井を見上げながらため息をついた。

「なっさけない! そんなんでよく生徒会に入ろうと思ったよね」

一方こちらはアナソフィア高等部A棟にある視聴覚教室である。その一角で足を組んで座り、憤慨しているのはダンス部に所属している岡崎という生徒だ。その向かいで呆れた顔をしている生徒は、という。は明日行われる予定の球技大会打ち合わせに出席することになっている。――何の関係もないのに。

「先代がだいぶ革新的だったから、今期はかなり大人しいみたいよ」
「だからってさ、何も1年に助けてーって言うことないじゃない」
「1年なら断れないと思ったかな」

だいぶというかかなりガツガツした先代の生徒会に代わって今期執行部に所属しているのは、ひだまり系とでも言うべき本来の意味で非常にアナソフィアらしい生徒ばかりだった。昨年の秋に生徒会長に就任した3年生は、1年書記2年副会長という経歴で、会長候補がいないためにスライドで会長職についてしまった。

一方、生徒会どころか部活にも入っていないは、成績優秀容姿端麗、コミュニケーション能力も高く要領もいいというチート人間。進級するごとにアナソフィアヒエラルキーを順調に駆け上がっており、器用貧乏体質のせいか、運動部文化部問わず勧誘が絶えない人材でもある。

ひだまり系の生徒会はこの打ち合わせに消極的で、通常であればアナソフィア側にはいない「代表」にあたる役割をに頼んできた。エキシビションマッチに出場する3年生も特に異論がないというのでは押し切られてしまった。

「今年の翔陽の生徒会って何か噂とか聞いてる?」
「ううん、なんにも。ただまあ、先代が大喧嘩やらかしてるからね、それで生徒会はビビってんだな」
「先生だっているのに何をビビることがあるんだか」

は肘をついてハーッとため息をついた。

「あんまりそういう場に顔、出したくないなあ」
「だから何か部活入っておけばよかったのに」
「どうも1つのことだけにかかりきりになるの、好きじゃないんだよね」

岡崎のダンス部もが欲しい部のひとつだ。もダンスは好きで、よく岡崎に教えてもらっては教室で踊っている。だが、ダンス部に入ってそれだけに集中しなくてはいけないという環境が嫌だった。好きな時に好きなだけ踊れればそれでいい。他の部にしても全て同じことだった。

「今期生徒会に掘り出し物でもいればいいね」
「それも期待してなーい。なんかみんなヘラヘラしてて、まともに話が出来る気がしないもん」
「まあそりゃ相手があんたならしょうがないよ。その辺は大目に見てやんなきゃ」

岡崎はそう言うが、にとっては大問題である。人はを前にすると、媚びへつらったり卑屈になってみたりで、対等に話が出来ない。そのくせはとにかく人を惹きつける。

「よく言えば好かれるってことだけど……期待できなくても早めに彼氏作った方がいいんじゃないの」
「まともに話も出来ないようなのの中からひとり選んで付き合うの? なんかそれもねえ」
って相当ハイスペックだけどさ、石頭と頑固さもトップクラスだね」
「どーいう意味よー」

見た目も美しければ性能も良いだが、チャラついたことは得意ではない。要領はいいが、いい加減に済ますのは嫌い。そんなだから、わらわらと寄ってくるヘラヘラした男子諸君の中から適当に、もしくは一番マシなのを選んで彼氏という名の盾にするなどということはプライドが許さない。

とはいえのハイスペックにビビらず真正面から向き合える自信が持てるとなれば、同じようにハイスペックか自信過剰のどちらかしかないだろう。にとって、例えば同世代と対等に恋愛をするということは非常に入り口が狭くなっているのだ。

「でもまあ、上手いこと片付ければ生徒会に貸しが出来るよ。そのつもりで挑んできたら」
「そうするー。そしたらダンス部が文化祭で発表できるように脅してあげるね」

岡崎は歓声を上げてに抱きついた。ダンス部はアナソフィア校内に一切の発表の場がないという冷遇された部なのである。文化祭の時は基本的に校内の路上や駐車場などが彼女たちのステージである。は岡崎の肩を撫でながら、またため息をついた。

「ただいまー。あれ、公ちゃん珍しいね、今日部活ないの」
「いや、うん……毎日じゃないからね」
「ああ、そうか。なんか赤木くんを基準に考えるとねえ」

帰宅したを待っていたのは、隣の家に住む同い年の幼馴染である木暮という男の子だった。生まれた日が違うだけで、後はだいたいなんでも「同じで一緒」で育ってきたふたりは実の家族も同然で、今も木暮は家のリビングでおやつをかじりながらテレビを見ていた。名前が公延というので公ちゃんである。

「まだ入ったばかりだから様子見ながら居残りしていこうって話してきたところ」
「てことは、先輩たちあんまり真剣じゃないんだね」
「まあ、全員が全員赤木のようにはいかないよ」
「公ちゃんもこうしてお菓子バリバリ食べてるわけだし」
「お腹減るんだよ」

お腹が減って自宅にめぼしいものがないと隣の家に来てバリバリお菓子を食べる。と木暮はそういう環境で育ち、今年揃って高校生になった。木暮は中学の頃からバスケットに夢中で、今年から湘北高校の新入部員というわけだ。あまり熱心な部ではないようだが、木暮たちの口癖は「全国制覇」である。

「なあ、今年の翔陽バスケ部ってどうなん?」
「バスケ部なんて知らないよ。球技大会もまだだし」
「試合とか見に行ったりしないの?」
「バスケ部の子なら行くのかもしれないけど私は別に」
「もったいないなー。バスケ部の知り合いとか出来たら話聞かせてくれよ」
「だからー、ないってそういうの」

木暮がだらりと座っているソファにも腰を下ろし、おやつを掴み取ってバリバリとかじる。ふたりとも親が我に返った8歳頃まで一緒にお風呂に入っていたような間柄なので、色々遠慮がない。おかげで恋愛感情も沸かず、むしろ最近では本当に血が繋がっているのではないかと錯覚し始めている。

「でもナンパも多いんだろ。早めに彼氏作っておいた方がいいんじゃないのか」
「岡崎ちゃんと同じこと言わないでよ」
「てことはみんなそう思ってるってことじゃん」
「そのためだけに付き合うのもおかしいでしょ」
「そう固く考えずに気軽に仲良くしてみればいいのに」
「それは前からよく言われる」

はまたおやつを取ってバリバリ食べる。そう簡単にことが運べば誰も苦労はしないんじゃないかと思うが、どうも周囲の人間には、はいつでも好きな時に人を選んで恋人に出来るとでも思われている節がある。

「公ちゃん自分の立場になって考えてみなよ。そんなノリで付き合って気分悪くない?」
「悪くないと思うけど。そこから仲良く出来なきゃそれまでだけど、最初なんてそんなもんじゃないの」
「なんでそうみんなライトなのよ!」
がヘヴィーなだけだって」

納得のいかないはお菓子のゴミをひとつひとつ木暮に投げる。木暮はそれをひとつひとつ拾い上げて一纏めにしていく。年は同じだが、どちらかと言えば木暮が兄、が妹というような関係である。2組の両親がを猫可愛がりしているということもあって、は家に帰ると少々わがままだ。

「まあに正面から張り合えるようなのはなかなかいないだろうけど」
「公ちゃんまでそんなこと言うの」
「客観的な認識だよ。はその辺の自覚が足りないんだよな」
「そんな自覚があるって相当イヤな人間じゃない?」
「あははは、本当に固いな」

上を向いて吹き出した木暮の横腹には拳を打ち込む。不意打ちに木暮は体を丸めてのた打ち回った。

「どうよ、龍っちゃん直伝のグーパン」
「どうよってあいつは柔道だろ、なんでパンチなんか習ってんだよ」
「護身用。私の力でも殴ると結構痛いところを色々とね」

は握りこぶしを掲げて不敵に微笑んだ。

「お前な、そんなことしてるとロクな男が寄ってこないからな!」

横腹を擦りつつ言う涙目の木暮を見下ろして、は鼻で笑った。