ステイルメイト

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GWも過ぎ、迫るインターハイ予選を前にいつものように有料コート仲間が集まっている。2年生に進級してから1ヶ月以上が経ち、寮に藤真がいないのにもようやく慣れてきた。学校も事情をよくわかっているので、例えば花形たちが藤真のアパートによく出入りして寮を空けてもお咎めはない。居場所が増えたような感じだ。

一方、未だ翔陽バスケット部は監督が見つからず、3年生と藤真による「監督班」で回している。このままだと予選も監督不在で出なければならない。とはいえ、この「監督班」は今のところおかしな采配を振るうことはなく、今年の翔陽も昨年までと変わらずに強い。

その「監督班」唯一の2年生である藤真だが、花形たちが見る限りでは3年生よりも判断が的確なんじゃないかと思う様な状況もしばしば。これでは藤真がプレイに専念できず、しかも余計な重圧を背負わせることになるという懸念は、この時の彼らにはまだない。そんな5月の夜だった。

「しかし女の子はこういうの、好きだよな……
「まあ、オレらはあくまでも生ぬるく見守ってるだけだからなあ」

本日「監督班」ミーティングで遅い藤真は後入り。そこで藤真との話が出た。すると長谷川が緒方経由で「の様子が変」だと聞かされていると言ってきた。花形たちも4月からこっち、部活を離れると藤真が少し変なことに気付いていたので、何かあったのだろうとは思っていた。

それを緒方に連絡してやると、今からここに来るという。緒方は地区予選が終わって少し余裕のある時期だ。

「地区予選? それはまあぶっちぎりで通過ですが」
「この地区はあんまり力入れてない高校も多いしね。アナソフィア演劇部のファンていうのも多いから」

近隣地域の男子高校生垂涎のアナソフィア女子のはずなのだが、制服を着てなおイケメンに磨きがかかる緒方はそう言って前髪をサッと払った。今日は練習がないという岡崎も着いてきている。

「ていうかが変てどういう……
「先月のいつ頃だったかなあ、突然なんかぼーっとしだして。どうしたのって聞くと真っ赤になってさ」
「そりゃ何かあると思うじゃん。何かあるとすれば今のところ藤真しかいないじゃん」

淡々と言うふたりに花形は吹き出した。たまにコート周辺で遭遇するとはいえ、それほど頻繁に顔を合わせているわけではないのだが、さんがになってからしばらくして、だいたいみんな呼び捨てになってきた。ただし、普段からちゃんづけの岡崎はそのままである。

は頑なに拒否するんだけど、実際、あいつら付き合ってないんだよね?」
「あー、そっちもそういう感じなわけね」
「そっちも、って、まあ私たちお互いどうなってんのかまったく知らないからね」

これではただの野暮な野次馬なのだが、緒方が詳細を知りたがるのにはわけがある。相手がストーキングまでされる藤真だというのが少し問題なのだという。そのあたりは花形たちも想像に難くない。特にアナソフィアでは有名なので、何か影響が出るのも致し方ない。

これが翔陽では問題にならないのは、翔陽男子の場合が「藤真ならしょうがない」となるからだ。対するアナソフィアでは「なら仕方ない」とはならない。これは性差なのでいかんともしがたい。

「アナソフィアだけかもしれないけど、1学年上が一番擦れ合うんだよね不思議と」
「藤真、年上にも狙われてるしねえ」
がうちの1年生に追い掛け回されるようなもんだな」

進級したと藤真は順調にそれぞれの場所でヒエラルキーの頂点へと押し上げられつつある。概ね自分の場所でも好かれているふたりだが、の場合、なぜか1学年上だけは危険を孕む。

「特に前期の生徒会が大人しくてに貸しがあったでしょ。今期は割と強いというか、性格悪いというか」
は貸しがあったって大きい顔するような子じゃないんだけど、生徒会でもないくせに的なね」
「あー、なんかわかるな、そういうの」
「だから、もし本当に付き合ってるなら協力してあげたいし、邪魔されないようにしてあげたいし」

だけど本人たちは顔を赤くすることはあっても何があったのかなどは絶対に口にしない。

「これもわかると思うけど、ハイスペックなくせに厭世的というか、要領はいいけど固いっていうか」
「特には藤真みたいに夢中になってるものもないし」
……そうだな」

長谷川が大きくため息をついた。ふたりとも羨まれる性能があるがゆえに自己評価は低いし、自身の在り方に対してもとても厳しい。素直になれないのにはそういう背景もあるのではないかと長谷川は思う。特に藤真の場合は深刻なトラウマ持ちだ。

「ほんとふたりがお互いのこと好きならさ、仲良くして欲しいと思ってるんだけどさ」
「相性は悪くないと思うんだけどね。ああ見えて割れ鍋に綴じ蓋だよ」

真顔で言う岡崎に、また花形が吹き出す。高嶺のアナソフィア女子なのに例えが可愛くない。

「これでみんなが暇ならどこか遊びに行こうって言うところだけど」
「生憎これから一番忙しいんだよな」
「それじゃまた夏祭りくらいしかないかあ、いい感じになるチャンス」

今度は緒方がため息をついた。にも藤真にも幸せになって欲しいけれど、道は険しい。

この年も結局県予選を準優勝で抜けることになった翔陽は、監督不在というハンデを考えると大健闘だと言っていいはずなのだが、春に出なかったネガ藤真が遅まきながらやってきた。インターハイには行かれるが、内容には納得も満足もしていない。気持ちはわかるがこれは本人が乗り越えるしかない。

さらにインターハイでは藤真が縫うほどの怪我をするという非常事態が起こり、監督はいないわエースは怪我をするわそのまま試合には負けるわで、翔陽バスケット部は史上最悪の状態にあった。もちろん2ヶ月と開いていないにも関わらず夏のネガ藤真が出た。

試合会場から病院、病院から実家へと強制送還された藤真がアパートに戻ったのは、お盆休みの最中だった。寮生は全員帰省しているので長谷川が2度ほど顔を出したのだが、藤真は少し気力を失っていた。無理もない。ネガ期は抜けているようだったが、それと同時に心にも風穴が開いてしまったような感じだった。

メールでことの顛末を聞いた緒方や岡崎は心配をして、休みの間に遊ぼうかと誘ってくれたのだが、長谷川はこれを断った。きっとそれは傷口に塩をすり込むだけだろうし、学校も部活もないお盆休みの間にアパートに帰ってきたということは、ひとりで静かに時間を過ごしたかったからだろうと思ったのだ。

そして一応緒方と岡崎に「体の傷は大丈夫だけど心の傷の方が深い」と書き添えておいた。

そしてお盆休み明け、緒方と岡崎と生ぬるく見守る会が春にお節介にも「いい感じになるチャンス」と考えていた夏祭りである。有料コート仲間も全員寮に戻ったので、緒方はを夏祭りに誘った。また今年も岡崎ちゃんと浴衣を着て、一志たちと夏祭り行こうよ!

「だけど……
「藤真のこと気にしてんの?」
「いやそういうわけじゃ」
「なんか元気みたいよ。試合に負けた方がダメージ大きいとか、体育会系は理解できないねー」

緒方はメールやメッセージツールが嫌いで、親しい間柄であればすぐに電話をかけてくる。

「また去年みたいに絡まれても嫌だし、向こうも女の子避けになるから助かるみたいよ」
「女の子避けって」
「まあしょうがないよ、あんたは疑問感じるのかもしれないけど、藤真はアイドルだし、花形だって――
「いや、だから、だったら余計に私たちが一塊になってもいいことないんじゃないの」

きっと今頃夏祭りに行こうと誘われている藤真も、同じことを4人のうちの誰かに言っているだろうと想像した緒方は鼻で笑った。ハイスペックな上に人を惹きつける魅力まで持って生まれたというのに、なんて欲のない。と違って障害は壊すから気持ちいいというタイプの緒方にはこれも理解できない。

「いいことがあるなしで決めること? 私たちが楽しければそれでいいじゃん。誰かに迷惑かけるわけじゃないし」
「そりゃ緒方たちはいいかもしれないけど――私ほら、藤真に」
「また何か言われるって? らしくないな、何か言われたら間髪入れずに殴れ」

藤真の攻撃についてはそれとなく話してある。が、それも緒方と岡崎には見えた話だし、普段ならそんなことに怯むではない。これはにとっての「逃げるための言い訳」だ。本当に嫌なら逃げたって構いはしないが、本当に嫌なら愛想のいい笑顔を作るという無難な道を選ぶのが本来のだ。

グズグズと言い訳を並べて迷っているということは、それだけ強く心に藤真が引っかかっているからに違いないと緒方は踏んでいる。何があったか知らないけど、いいじゃないの、ハイスペック同士堂々としてなよ、背中を見せるから攻撃されるんだよ。

「それにね、私の前であんたに毒づいたら一生後悔するような目にあわせてやるから、安心しなよ」
……ほんとにさ、なんで緒方は男の子じゃないのよ」
「私が男だったらどれだけの女が泣くと思ってるの。天の采配はさすがに正しいわ」

とうとうも吹き出した。緒方が男の子だったらと思っているアナソフィア女子は100人や200人ではない。

「去年と同じ浴衣だからなんだってんだ。浴衣1枚いくらすると思ってんだ」
「安いとセットで5000円くらいで買えちゃうからねえ……

同じ地区の他校演劇部員と駅で行き会ったという緒方は、浴衣が去年と同じだと突っ込まれたらしく、憤慨している。危うく去年と同じ浴衣なんだなと言いそうになった物覚えのいい花形は口元を押さえて青い顔をしている。知らないことは迂闊に口にするべきではない。

「5000円で安いって、浴衣ってそんなに高いものなの?」
「私は浴衣だけで3万」
「は!?」
「その他もろもろ込みで全身総計5万弱です。一生着るつもりで買ったからね」

気軽に聞いた高野は緒方の言葉にひっくり返った声を上げた。高野だけでなく、男子5人の感覚では、こんなぺらぺらな生地の浴衣がなんでそんなに高いんだというところだが、ぺらぺらなのは浴衣だからであって、緒方の浴衣は木綿の反物から仕立てた伝統的なものなので、安物のポリエステルなどとは桁が違う。

「アナソフィアは中1の頃からマナークラスっていう授業で完膚なきまでに品位ある女に仕込まれるからね」
「そのせいでギャル浴衣みたいなのを買おうと思う子がひとりもいない」
「品位ある女になってるかどうかはともかくな」

アナソフィア3人はそう言いつつへらへらと笑っている。確かに辺りを通り過ぎていく女の子たちと比べて3人の浴衣は古風というか地味というか、少々飾り気がない。中身が派手なのでそれでも可愛いけれど、それはこの3人だからだ。おかげでこの集団は今年も目立つ。

「でも助かったよ、お姫様たち日増しに美しく成長してるでしょ。不埒な輩の劣情に火がつくのは仕方ないでしょ」
「はいはい、今年もちゃんと送って帰ります」

緒方がふざけているのは、こめかみに保護テープを貼り付けている藤真を気遣ってのことだ。彼の性格を考えると、同情は厳禁だ。慰めても鼓舞しても気持ちを逆なでするだけ。藤真以外の4人が緒方の芝居に付き合うのもそれをわかっているからだ。

花形も長谷川も高野も永野も。もちろん藤真は彼らに心を許しているし信頼もしていよう。けれど、甘えるような相手ではない。彼らがネガ藤真を甘やかしたり宥めすかしたりしないのは、自分たちの関係性をよく弁えているからだ。そういう優しさをかける役目ではない。

例えば花形は、時に不安定でネガ期とポジ期を行ったり来たりするような藤真には、脆い部分を受け入れてくれるような、そういう役目を担ってくれる相手がいた方がいいと考えている。昨年の春に、直感でにその可能性を感じたのだが、それが正しかったかどうかはまだわからない。

今も藤真は以外とはそこそこ楽しそうに振舞っている。緒方や岡崎とも普通に話す。そのせいでが少し悲しそうな顔をしているが、花形はそれでいいと思っている。藤真がを好意的に思えば思うだけこういう展開になる。にはつらいだろうが、藤真の心が解けるまで辛抱してもらいたい。

「あれ、少し風が出てきたね。花火、中止にならないといいけどなあ」
「このくらいなら大丈夫だろうけど、そろそろ場所取りに行くか」
「いやあ、今年も無事に終わりそうで安心したわ」
「無事だったかこれ」
「このくらい、無傷みたいなもんでしょうが」

単体でも目立つグループが一緒になっているので、それだけに良くも悪くも人の気を引くのは無理からぬことだ。どちらもなぜその組み合わせで来ているのかと怪しまれた。一応緒方と長谷川が同じ地元という言い訳は立つが、それだけの繋がりで一緒に夏祭りということに納得できない場合もあろう。

特にアナソフィア3人は高等部2年生以上の生徒に出くわす度に引き止められ、好意的な場合でも紹介を、特に藤真との橋渡しをせがまれた。だが昨年からのストーカー事件からこっち苦難続きの藤真にそんなことしようものなら、本人が壊れる。そこは緒方がなんとかあしらったが、彼女でなければこれも角が立っただろう。

それでもこの8人というのは、を除けば全員夢中になっているものがあり、と藤真の微妙な関係を除けば実に仲の良い友人関係にある。あれこれと面倒くさい外野はいるけれど、こうして夏祭りにはしゃぎ、花火を待つのは楽しかった。

「いやー、また来年もみんなで来たいなあ」

しかし、暢気にそんなことをいいながら花火を見上げる岡崎の言葉には、誰も返事が出来なかった。それももちろん楽しいに違いない。そうだったらいいだろう。だけどそれは同時に来年も特別な相手のいない夏だということになる。そう思うと、少しだけ寂しい。

花火が終わり、今年もお姫様方の送りは去年と同じ組み合わせになった。

「花形、今年は下痢すんなよ」
「緒方、女の子が往来でそんなこと言うんじゃない」

もう帰るというこの時になってやっと藤真は声を上げて笑った。それに安心したのか、今年は誰も送り組を振り返ることなく帰って行った。後に残されたと藤真は少し気まずいが、花形はもうそんなことは知ったこっちゃない。どちらを気遣うこともなくさっさと歩き出す。

例年通りの人手なので、今年も送り組は川沿いを通って地元駅と住宅街に挟まる国道を目指す。

「そうか、今年も秋のデスレースか。また文化祭何かやるのか」
「わっ、私は別に去年のも自分で計画したわけじゃ!」
「なんだよ、やればいいのに。岡崎ちゃんだってどうせ何かやるんだろ」

そして去年同様、と花形が話しているだけ。藤真は並んで歩いているけれど、話には入ってこない。

……今年はもしかしたら、ダンス部、去年のようにはいかないかもしれないから」
「えっ、なんで?」
「文化祭は基本的に生徒会の仕切りなんだけど、今期の3年がちょっとね。私たちあんまり相性良くなくて」

緒方が言っていた例の気が強いだか性格悪いだかいう今期の生徒会のことか。

「ちなみに今の3年副会長がバスケ部の部長さん狙い」
「そっ、それは……キャプテン彼女いるよ……
「うん、さっき永野に聞いた。今日で私たちがみんなと仲良いってバレたし、色々怖い」

も大抵の人には好かれる仕様なので、現状そうであっても実害はないはずだ。ただ、そういう細かいことが重なってダンス部にまでとばっちりが及ぶかもしれないということがつらい。岡崎も本人の性癖に関わらず大変に人気のある人物なので、ダブルでリスクを抱えていることになる。

「でもまあ、後夜祭のステージ自体は中止にはならないから、また見に来てよ。岡崎ちゃんの晴れ舞台」
「こっちもまだ2年だからなあ。緒方にも言われてるし、隙を見てな」
「緒方今年は何やるって言ってたかな、男役であることは間違いないんだけ――

そんなことを言いながらニヤついたは、急に言葉を切ると藤真と花形の視界から消えた。

「うわ、大丈夫かおい!」
「手、貸せ」

がいた場所には、鼻緒の切れた下駄が片方だけ残っていて、本体の方は土手の草むらの中に転落していた。それまで面白くなさそうに黙っていた藤真が素早く手を伸ばして、を引き上げた。

「び、びっくりした……穴に落ちたかと……あ、ありがと藤真」
……別に」
……もう突っ込まないからね」
「あーあ、2箇所も切れてるぞ。ダメだなこりゃ」

片足で立っているを支えながら藤真がまた不貞腐れているが、花形はもう気にしない。しゃがみ込んで下駄を拾い上げると、鼻緒が前坪と外側の2箇所取れていた。すげていた糸もボロボロになってしまっていて、もちろんこの場での修繕は不可能だ。

「花形、コンビニってたまにビーサンとかあるよな」
「そこまでおぶって行くしかないか」
「えっ、無理無理! 浴衣だよ!」
「じゃあお姫様だっこか?」
「花形ふざけないでくれる」

半分くらいはふざけていた。しかしそこまで何とかして歩くか、誰かが買ってくるしかない。

「いいよそんな……
「いやいや、どうにもならないだろコレ」
「お、幼馴染に連絡して来てもらうから、いいよ、先に帰ってふたりとも」
「あのなあ! お前それ逆に失礼だぞ」

浴衣は汚れるし、お気に入りの下駄は壊れるしで凹んでしまったは、滅多に声を荒げない花形に怒られて余計にしぼんだ。としては、あまり手間をかけさせるとまた藤真に何か言われるのではないかという懸念の方が先に立った。公ちゃんならなんとか頼めないこともないし、その方が喧嘩しないで済むと思ったのだ。

「コンビニ、行ってくるから待ってろ」
「は!? お前もバカか! なんでオレが残るんだ!」

を土手沿いのガードレールに座らせた藤真がコンビニに行くと言い出したので、また花形は声を上げて怒鳴った。藤真の肩を掴んでの隣に突き飛ばすと、そのままずかずか歩いて行ってしまった。人の波の中でいつまでも飛び出た頭が見えていたが、それも夜の闇の中に溶けていった。

そして結局、凹んだままのと不貞腐れた藤真だけが取り残された。