続・七姫物語 清田編

Epilogue

「さあさあお嬢ちゃんにお兄さん、リートおバァの昔語りだよ、聞けば人生が豊かになり、恋が実るよ」

カイナンの夏市と言えば大陸南部を代表する夏の大祭であり、近年では同時期に同じ様式の祭を行う国や地域が増えてきた。特に、宗教行事以外の祭を行う習慣のなかった聖都では物珍しさから年々規模が拡大中という話だ。

またこの各地の夏市は、20年ほど前に星国で「電気灯」なるものが発明されて爆発的に普及したことにより、一気に広まった。数年前には海の向こうの国々でも小規模な夏市が開催され、その元祖である銀国とカイナンから使節団が派遣、商人たちの会談を実現させてきた。

カイナンで長く市に関わる商会の人々に言わせると、「昼は商売に精を出し、夜になったら明かりを灯し、芝居を見て酒を飲み楽しむ」のが夏市の基本だそうで、それさえ大事に守っていれば、あとはそれぞれの地域によって自由でいいものなのだという。

例えば星国では夏市とは言わず、星祭と呼ぶ。派手な催しや乱痴気騒ぎはせず、電気灯を発明したというのに祭の間は明かりを落とし、空を見上げて星の明かりを愛でる祭なのだそうだ。だが昼間は商人たちが元気に商売をし、子供たちが芝居や音楽やお菓子を楽しむ。

あるいは慣れない祭に興奮気味な聖都では、普段の厳格な気風はどこへやら、真夏のど真ん中に開催される夏市の会場では大陸で一番の乱痴気騒ぎが巻き起こるらしい。普段粛々と暮らしている人々が年に一度、我を忘れて大暴れ、全ての鬱憤を放出して来たる冬に向かう祭と化している。

とまあ、大陸各地で夏は大きな祭が行われる習慣があるのだが、その元祖である銀国では春に祭が行われる。銀国の春市は数百年の歴史を持ち、途中数年途絶えたけれど、国を統べる王家が変わったことで本来の姿である「市」を強化して再び始まり、今でも銀国春の風物詩として国民に愛されている。

その伝統を元に作られたのがカイナンの夏市である。最初はほんの一晩。城下町の片隅にある広場に野外舞台と屋台が5つ。そこから始まった夏市は以来数十年、途中でもうこの辺にしておいた方がいいんじゃないのかと国王から渋い顔をされるほどに拡大、現在は7日間の開催となっている。

銀国の春市に比べると、商談のための市の規模は小さめ。星国ほど静かではないが、聖都ほど大暴れもしない、どちらかと言えば芝居や音楽や、ありとあらゆる芸能や芸術の要素が強い。現在の王妃がこの芸術分野への支援に熱心であるのも手伝い、30年ほど前にはカイナン初の芸術大学が開かれた。なのでこのところカイナンでは芸術分野を学ぶ学生や創作活動に精を出す国民が増えている。

そのため国内に抱える芝居の一座や芸術集団の数は大陸で最も多く、カイナンの娯楽産業は急発展を遂げてきた。その礎となったのが、王妃自らが制作に関わったという「風の標さす空」という芝居である。昨今では「古臭い話」と敬遠する向きも多いそうだが、夏市といえばこの物語、という伝統になりつつある。特に若者には人気がないが、大人になるとこれを好む人も増えてくる。

「ほらほらあんたたち、『風の標さす空』は見てきたのかい」
「あんなの見ないって。年寄りの説教みたいで鬱陶しいし、共感出来ない」
「子供の頃に学校で見たけど、面白くなかった。貧乏くさいし笑えないし歌もないし」
「なんてこと言うんだよ罰当たりめ。てか子供の頃ってお前たちも子供だろうが」
「そりゃバァさんから見りゃ子供かもしれないけど」
「私たちもう友達同士で夜の夏市に来ていい年だもん。子供じゃないよ」
「だからもう大人の階段上ってるってのかい。しょんべん臭いガキがいっちょまえに」
「うるせーなババア、昔語りで商売してんじゃないのかよ、やる気あんのか」

夏市で盛り上がる城下、「風の標さす空」を作った一座の本拠地がある地区の広場の片隅で、小銭の受け皿を前に座り込んでは客引きをしていた老女に小生意気そうな少年少女たちは悪態をついていた。

夏市の夜、カイナンでは15歳になると友達同士で出かけてよいという習慣があり、これを過ぎると社会的に「子供ではない」という認識を持たれる。かと言って大人でもないのだが、それぞれに責任ある行動を求められ、例えば裁判で単独の発言を許されたり、商売を始める権利が与えられたり、大人になる準備期間に突入したとみなされる。

しかし当の15歳にとっては待ちに待った夜遊び解禁でしかない。昔語りの客引きをしていた老女に威勢よく噛みついていた少年も15歳であった。その少年の腕に絡まっている少女もきっと15歳だろう。老女はふん、と鼻で笑い、大量の指輪が嵌った手で指を差した。

「しかも色気づいたと来てる。お前さんたち同じ学校の子かい」
「違うけど」
「今年の夏市で知り合っただけだけど」
「ハッハー! それでもうそんないちゃつくくらいになってるのか」
「悪いかよ!」

急に興奮し始めた老女についカッとなった少年だったが、老女の鋭い眼差しに背筋を伸ばした。

「バカを言うんじゃないよ、いいかい、春でも夏でも、市で巡り会った人と結婚すると幸せになれるって言われてるんだよ。大人でも子供でも、市で巡り会った人は大事にしなきゃいけないよ」

老女は年寄りの愚痴めいた説教の声色から一転、聡明で優しげな声でそう言った。

生まれた時から毎年夏市で遊んでいる少年少女たちは、確かにそういう言い伝えを聞いたことがある。あるけれど15歳、そんなものに夢を見るようなお年頃ではなかった。

「て、年寄りはみんなそれ言うけどさあ、別に幸せに夏市とか関係なくね?」
「夏市で知り合わなかったら幸せになれないっていうの?」
「夏市以外で出会った人たちに不安を与えるよね。よくない言い伝えだと思う」

老女はゆったりと微笑み、抱きかかえていた宝石で飾られた杖をふわりと振るう。

「もちろんどこで出会おうと、幸せになれるかなれないかはその人次第さ。夏市で出会って恋仲になっても破局する連中はごまんといるよ。あんたたちも秋には大喧嘩してるかもしれない。だけどね、こんな夏の夜の刹那の出会いひとつ大事に出来んやつは、他のどんなことだって幸せを掴むことなんか出来やしないんだよ。そういうことさ」

ムッとした少年少女もふんと鼻を鳴らし、嘲るように笑う。

「つまんねえ説教〜。ほんとに幸せになったやつなんかいないくせに」
「まったく子供ってのは物知らずで困るよ、ほら見てごらん」

老女の杖がするりと背後の広場を指すので、少年少女たちはつい振り返った。

「見てみなさい、ふたりでピアノを弾いているお方がいるだろう。あのおふたりは星国の国王様とその王妃様だ。偉大なピアノの弾き手であり、厳格な法の守り手であり、星国の技術発展に大いに貢献もし、私たちにより強い光をもたらしてくれたお方たちだ。彼らも市で出会い、結婚し、王妃様など幼い頃は病気ばかりしていたのに子供を何人も授かり、星国で一番賢い女性として慕われている」

見れば広場に据えられたピアノに並んで向かい、軽やかに音楽を奏でている真っ白な頭の男女がいる。その真っ白な頭からは想像もつかないほど軽快で巧みな演奏に広場の人々は歌い、踊り、飲んで大いに夏の夜を楽しんでいる。

まさかその辺の広場でピアノ弾いているのが星国の国王と王妃だとは思わない少年少女たちはまたシャキッと背筋を伸ばした。ていうかそんな人がこんな広場でいいのかよ。

「そのピアノの傍らにいるお方は、あんたらが今バカにした『風の標さす空』を作り主演を努めたカイナンで最も偉大な役者だ。この大陸南部はかつて大きな戦乱の危機にあったけど、その後も何度も危機的状況に見舞われ、そして乗り越えてきた。それは彼女が魂を込めてこの大陸でも海の向こうでも『風の標さす空』を演じてきたからだ。彼女の物語が人々の心に届いたからなんだよ」

自分たちが生まれる前の事件のことなど知りもしなければ興味もない少年少女たちに、老女は両手を広げ、まるで踊るように歌うように語る。

「星国の王様と王妃様が奏でている曲、これこそ『風の標さす空』の主題曲。我らがカイナンの王妃様が作曲されたという名曲さ。さあ見てごらん、広場の真ん中で踊っておられる方を。あれは誰だい」

広場には何組かの大人がピアノを中心とした楽団の曲に合わせて軽やかに踊っているが、それが誰って……と目を凝らした少年少女たちは一転、目を真ん丸にして身を乗り出した。よく見たらあの真ん中で踊ってるふたりってもしかして――

「そう、このカイナンを守るために全力を尽くしてくださっている王と王妃の両陛下さ」
「えっ……なんでそんな人が……
「お前たち夏市が終わったら歴史を勉強しな! ここが王妃の出発点だからだよ!」

宝石の嵌った杖で尻を叩かれた少年少女たちはしかし、もう悪態をつくことはなく、広場の真ん中で楽しそうに踊る王と王妃を見つめていた。夏の涼し気なカイナン伝統の衣服はまるで庶民のものと同じで、ふたりの長く白い髪が丁寧に編まれているのだけが少し異質で、橙色の灯りの揺れる夏の夜に異世界に紛れ込んだような錯覚を覚える。

「いいかい、王様も王妃様も、市で出会ったんだ。それは銀国の春市の夜だったけれど、おふたりはその出会いから数十年、互いを慈しみ支え合い、同じ方向を向いて共に進む同志でもあり、たくさんの王子王女を生み育てるのと同じようにあんたたちのようなカイナンの人々を慈しんでこられた」

いかな自分の国の歴史に興味がない少年少女たちでも、国王とその王妃が仲睦まじく、王子王女もたくさんいて、その孫も続々と増殖中で、なおかつ芸術振興や福祉に積極的に取り組む君主であることは知っている。というか王妃が芝居バカでしょっちゅう劇場に紛れ込んでいるのは有名な話だ。

曲が終わると王と王妃は互いを見つめ合いながら微笑み、そしてキスを交わした。

「本当に……幸せになったんだ……

ぼそりと呟いた少女の手を、少年はぎゅっと握り返した。老女はまた杖を掲げる。

「さあさあどなたも耳を傾けてごらん、リートおバァの昔語りだよ。聞けば人生が豊かになり、恋が実り、明日を生きる勇気が湧いてくるよ。このカイナンに降り掛かった危機とそれに立ち向かった人々の物語、そして夏市が誕生するまでのお話、聞けばきっといいことがあるよ」

広場にはまたピアノの音が弾み、王と王妃は笑いながらまた踊りだした。広場を取り囲む人々からは拍手喝采、今度の曲も王妃が演出に携わったと言われている短い音楽劇「おんな楽団道中記」の主題曲だ。王と王妃は何やら楽しそうに話しながら笑い、そして踊る。

少年少女たちは黙って振り返ると、神妙な顔つきでその場に座り込んだ。

……おばあちゃん、話、聞かせてくれる?」
「ああいいともさ。お代は聞き終わってから好きなだけ入れてくれればいいよ。銀貨一枚でもけっこう」

老女は杖を傍らに置くと両手を揉み合わせて咳払いをする。

「それじゃあ始めようかね、始まりは数十年前の銀国春市の夜からだ」
「その話、長いの?」
「もちろん長いさ。だけど全部話してたら夜が明けちゃうからね。まずは最初の物語からだよ」

広場で踊る王と王妃にも、道行く人々にも、誰にでも語るべき物語があり、歴史がある。それは夏市の夜一晩なんかではとても語り尽くせない。けれど請われれば老女はいくらでも話してくれるだろう。そこに生きた人々の勇気の物語の数々を。しかしそれはまた別のお話。

ひとまず、みんな幸せに暮らせることを祈りつつ、めでたしめでたし――

END