続・七姫物語 清田編

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その後、魔術師は信長からクラヴィアへと引き渡され、星国は行方不明になっていた王子と処刑されたはずの重罪人が突然現れるという事態に騒然、大陸南部と街道沿いの諸問題が解決へ向かう中だったが、一大騒動へと発展した。

例の奇術師は魔術師の息子であり、しかし幼い頃に生き別れて時計屋との事件の記憶はなく、銀国の春市で再会したものの「父は自分たち家族を思って裕福な銀国に移り住むことを願うあまり内通してしまったが、銀国国王の『裏切り』により一家離散してしまった」と思い込んでいた。それを知った魔術師は銀国や時計屋の息子や、あるいは平穏に暮らしている市井の人々に対して武力で「復讐」することを思いついた。それが一連の事件の「真相」であった。

そして銀国爆破事件の容疑者とされていた「行方不明になっている学者や技術者の家族」は偽装されたものであり、本物の被害者家族たちはバシリスの組織の一員になっていた。魔術師が星国で裁かれる運びになったため、バシリス含め真相を追い求めた人々も故郷に戻るとのことだ。

だが聖都の学院で教鞭をとっているアリスの叔父テイオスは突然亡命やめますというわけにもいかず、もう十数年待ったのだから、バシリスが聖都に来てくれるのを待ちます、と残留することになった。

一方でじいやは長く自分を縛り付けてきた過去から解放されたせいか、聖都に帰還した時にはすっかり弱っており、母親と妹に預けられて聖都で療養することになった。やはりとは涙の抱擁なんていうこともせず、いつかゆっくり話しましょうとだけ言って多くを語らなかった。

むしろ涙の別れとなったのはとアリスだ。アリスはクラヴィアとともに星国へ向かい、クラヴィアの即位が叶っても叶わなくても、彼と結婚して星国で暮らすことを選んだ。ひとまずバシリスの屋敷でノーテンも一緒に4人で暮らすらしい。

……ちょっと待って、じゃあアポロン音楽団は解散しちゃったの?」
「えーと、確かみんな星国について行ったはず。ほとんど家族なんだろうね」
「ていうかあんたも一度帰らなくていいの、銀国に」

夏のはじめ、カイナンに戻ってきたは、やっと時間を見つけてシャオに事のあらましを話していた。信長は冗談のつもりだっただろうが、プロメテ座は若干本気で王子の冒険譚を芝居にしたらどうかと考え始めているらしい。

がカイナンに戻った時、国境沿いには陛下や王妃、そしてプロメテ座の仲間や城下町の人々が待ち構えていて、と信長の帰還を大いに喜んで迎え入れてくれた。城の政務官がアリスの叔父から連絡をもらっていたらしく、晴れてが王子の婚約者と認められたからだ。

特にプロメテ座の仲間と城下の人々は大騒ぎで、とうとうそこに王妃まで混じって「結婚おめでとう」と盛り上がった。が、ひとまずまだ婚約の状態であり、これから各種式典や儀式を挟んでから結婚の運びとなる。すると城下の人々は「夏市の時に挙式をしよう」と本人たちそっちのけで突っ走り始めた。

これにはやはり陛下がちょっと難しい顔をしていたけれど、必要なら伝統的な結婚式と夏市挙式の両方やればいいだろ、という妻と息子に押し切られていた。それでも陛下はにこれまでの頑なな態度を侘び、これからは家族になりたいと頭を下げていた。

そんな中、カイナンの城あてに一通の封書が届いた。執務室が開封すると、なんと銀国女王から直々の手紙で、がテイオスの養女となったことで資産の凍結が解除になったことを報せていた。資産と言っても一国の王女としては微々たるものだが、合法的に銀国からカイナンに持ち出せるように手配をしてくれたらしい。また手紙には、「これらは元からあなたが引き継いでいた正当な資産です。価値はかなり下がったが、いくらかの金にはなります。あなたの生まれ故郷である銀国からの餞と思って受け取って下さい。どうぞきれいな花嫁さんに」と書かれていた。

「あたしはこの女王に憧れるね。一族の長から一国の女王になったっていうのに、粋なことをするよ」
「陛下には出来るだけ早くご挨拶に行こうとは思ってるけど……
「銀国に足を踏み入れるのは気が進まない?」
「どうかな、泣いちゃいそうで怖い気はする」

カイナン王家に嫁ぐこと、カイナンで生きていくことに迷いはない。自分で選んで掴み取った道だ。だが、銀国に戻りあの王宮前広場に立ってしまったら感情が制御出来ない気がしている。もし心の中に銀国を故郷と思う気持ちが残っていたら、という不安もあるし、あの爆発の音を思い出すのも怖い。

だが女王は「いつか春市に」と言ってくれていることだし、女王はそもそも高齢だし、出来るだけ早くに心を決めて信長とふたりで訪れたいとは思っている。

「だってあのじいやをビビらした女傑でしょう。あたしもお目にかかりたい!」
「もし許可が降りるなら、『風の標さす空』を見て頂きたいな」
「ちょっともう姫、それ最高じゃん。やばい、鳥肌」

やたらと女王を恐れていたじいやだが、じいや職についてすぐにの資産管理のために面会したことがあったのだそうな。凡庸な城務めを装ってにこやかに挨拶したつもりのじいやは、にこりともしない彼女に元諜報員だと見破られ、震え上がった。今まで任務で正体がバレたことはなかったのに。

ついその動揺から余計なことまで喋り、悪魔とあだ名されて職を追われたことを話すと「悪魔の何がいけないというんです。冷徹な悪魔のように心を殺して目の前の職務に邁進しなさい」と説教を食らったのだそうな。というわけで彼女はじいやがこの世で唯一恐れる人物となった。

するとそこに座長が顔を出した。以前は芝居の一座の座長にありがちな太鼓腹の福々しい人物だったのだが、「風の標さす空」や建設予定の劇場や聖都に旅立ったまま戻らないと信長を心配するあまり、げっそりと痩せてしまった。

「おや姫、来てたんですか。いいんですか、こんなところで油売ってて」
「ちゃんと時間もらってきたから。それより座長、大丈夫なの本当に」
「大丈夫だと思いたいです」
「舞台の上だと思えばいいのに」
「私は元々舞台役者じゃなくて話芸の人なんですって」

部屋に入ってくるなりがっくりと肩を落とした座長が嘆いているのは、来月に控えたの結婚式で花嫁側の大役を担当することになったからだ。

カイナンの伝統的な挙式では、両親や兄弟姉妹を除く一族の代表的な人物が新郎新婦ともにひとり選ばれ、結婚の証人という役割を担う。それにあたる人物が不在のは、誰でも構わないという陛下の心遣いに甘えて座長を選んだ。

「だってここはじいやさんでしょう、どう考えても」
「そのじいやが聖都でのんびり療養してるんだから座長しかいないでしょ」
「お名前なんでしたっけ、姫の現在のお父上の」
「そんなにやりたくないの!?」
「王家の挙式の証人なんて荷が重いって言ってるんです!」

というやり取りを何度も繰り返しているわけだが、これは決定事項であり、座長に逃げ道はない。

城下で商売をしているおじさんたちは盛大な式を企画していて、今からその準備で自分の商売を放り出しては家族に怒られているそうな。そして、夏市の3日目の夜から開始という、小さくともそこそこの歴史を持つカイナンでも初めての王家の挙式となる予定だ。

一応王子との出会いが祭りの夜だから、という言い訳はあるそうだが、夜から始まる挙式がそのまま夏市最後の夜祭になって官民揃って朝まで酒飲んで大騒ぎ――になってもいいように、というおじさんたちの意図が見え見えである。まあそれで困る人もいない。

「私はね、あの時姫をお救いするのは諦めていたんですよ。処刑されると思ってた」

シャオの隣に腰を下ろした座長はまた肩を落とし、すっかりこけてしまった頬を撫でる。

「私たちだけじゃ何も出来ないと思ってたし、こうなったからには一刻も早く王子と合流して彼を連れ帰らねばと思ってたんですが、銀国の城下で足止めを食らっている間に王子が帰ってきちゃった。その上あなたを助けたいから手伝ってくれと言われた時は目の前が真っ暗になりましたよ」

実際は他にも多くの捜査員が潜入していたので、座長たちだけでやらねばならない救出作戦ではなかったのだが、最終的に救出した人々を素早く国外に連れ出すためには座長たちの協力が不可欠だった。王子ひとりを預かっていればよかったプロメテ座も緊張の日々だった。

「まったくあの時はうちの役者たちをどれほど誇りに思ったことか。シャオたちがしゃあしゃあと嘘をついて色んな場面を切り抜けてくれなかったら姫をお救いする前に我々は死んでたかもしれません。王子もペラペラと嘘をつきまくってましたし、みんなよくやりましたよ」

座長はとみに最近この「銀国脱出物語」を繰り返すようになった。きっと今後ますます同じ話を、そしてどんどん美化され脚色されてゆく冒険譚を誰彼構わずに語るようになっていくのだろう。はその鬱陶しい昔語りを何回でも聞きたいと思った。

じいやも確かに自分を育て導いてくれた人には違いない。複雑な思惑が絡んでいたのだとしても、自分の安全のために尽くしてくれたことには感謝をしている。信長にじいやの事情を聞いた時は驚いたが、彼が元気になったらゆっくり話そうと思った。だが、家族のような愛情を持って常に傍らで支えてくれたのはプロメテ座であり、その代表は座長だ。「一族」を持たないにとって結婚の証人にこれ以上の人選はない。座長に自分の一生の決断の証人になって欲しい。

遠い日の座長の声は今も耳に残っている。幌馬車の御者台で風に吹かれながら彼は言った。

私たちにとってもあなたは大事な姫君なのです。だから私も覚悟をしました。万が一王子と離れることになっても、私たちはあなたのしもべであり続けます。どんなことがあってもお助けしますからね。

その言葉の本当の意味を、その時は正しく受け取れていなかった気がする。けれど、今は座長のその「覚悟」が危険と隣り合わせの重苦しいものであり、深い愛情をたっぷり含んだものだとわかる。プロメテ座のみんなの優しさと労りが今の自分を生かしている。

……座長、私ね、こうやって色んなことがうまくいって、つらいことや悲しいこともいっぱいあったけど、だけどあの王宮の中でお芝居とお菓子のことしか考えてない王女だった自分より、今の自分の方が好きなの。プロメテ座で過ごした3年が今の私を作ったと思う」

この3年を振り返ると、楽しかったことより苦しかったことの方が多かった気がする。けれど、銀国王宮の西館に住む王女には戻りたくなかった。カイナンのような小さな国に迷惑をかけていても知らんぷり、自分がお芝居を見てお菓子を食べられる生活が出来ていれば誰かが苦しんだってどうでもいい。そんな王女のままどこかに嫁がされ、自分さえよければどうでもいい妻になり、母になり、人生を終えていたかもしれなかった。

もうそんな自分には戻りたくない。プロメテ座のみんなのように誰かの支えになれる人になりたい。

そのためにも信長と一緒になろうと覚悟した。彼と一緒にこのカイナンを支えていきたい。

「だから座長、私をプロメテ座という一家の娘と思って、その一族の代表と思って証人になって」

父の顔はよく思い出せない。祖父の顔はもう忘れた。

けれど目の前には大好きな座長とシャオの笑顔がある。このプロメテ座こそ家族だ。

カイナンは故郷、そして私の生きる理由なのだから。

みんな寄っといで! 夏市最後の夜に最高潮! 王子が結婚するよ! ……というもはや夏市の出し物のひとつなのではという雰囲気の中、カイナンの王子は妃を迎えた。

遡ること1週間ほど前に王家の伝統的な儀式は済ませてあるので、式次第としては完全に略式であり、証人を立てるのも演出程度でしかない。が、一応証人は新郎新婦両方の一族から出さねばならないので、現国王の従兄弟でカイナンの司法の長を務める人物と並ばされた座長はダラダラ汗をかきながら真っ青な顔をしていた。

城で行われた正式な結婚の儀はカイナンの伝統的な様式で行われたが、こちらはもう様式もへったくれもないので、は本人の希望とプロメテ座のお針子たちの夢と願望と意地と見栄がパンパンに詰まった豪華なドレスで挑んだ。

この年の夏市も「風の標さす空」は超満員の拍手喝采が鳴り止まぬ人気であったし、その制作に関わったが王子の妃となることはどこでも歓迎された。もはやが銀国の王女だったことなど、誰も覚えていないかのようだった。

きっとこの子なら将来このカイナンを優しい国にしてくれる。誰もが芝居を楽しむことが出来て、幼い子供が恐怖に怯えて泣き暮らすような国にはするまい。王子は正しい選択をした。だから王子もきっとそんな世を作ってくれるだろう。みなそんな風に考えていた。

やっと調子の戻ったじいやも戻り、母と妹と共にの晴れ姿を眺めていた。また、故郷に帰って予期せぬ人生を歩み始めていたの母親もやって来て、は花嫁姿で年の離れた妹を抱いた。かと思えば現在さらに弟か妹が腹にいるそうで、はつい大笑いした。失ったと思っていた家族は増えていくばかり。全て失ったと思っていたけれど、最初から失ってなどいなかったのかもしれない。

そして星国からは最近無事に即位した国王とその王妃が揃って駆けつけ、王妃に至っては正式な結婚の儀でも夏市でもずっとピアノを奏でていた。

挙式は一応厳かに華やかに演出されたのだが、そこは夜の夏市、ある程度式次第が終わってしまうとあちこちから乾杯の声が響いてきた。杯を打ち鳴らす音、笑い声、酒樽を開ける音、歓声、どこもかしこも喜びで溢れていた。

「こういう日がいつまでも続くといいんだけどな」
「こんな乱痴気騒ぎが続いたら困るでしょ」
「そうじゃなくて、こんな風にみんなが笑っていられればなって」

広場の片隅の席でと信長は軽めの酒をもらって寄り添っていた。手を繋ぎ顔を寄せ合って話しているが、そうでもしないと声が聞こえない。だがはそんな状況にふと昔のことを思い出した。

そういえば信長と夜の街に繰り出した次の日、もう一回ふたりで夜の街を歩きたいと思っていたな。狭い路地を歩き、ちょっと暗くて大人が集まるような店でこそこそと誰にも聞こえないように話してみたい。もうひとりで街を歩いても満たされない。そう思っていた。

狭い路地でも大人がひしめく店でもないが、とっぷりと暮れた空に橙色の明かりが揺れる夜、王宮の西館の片隅でが夢見ていた信長との時間は現実となって現れた。何度彼の帰りを待ったかわからないけれど、彼はいつでも必ずの元へ戻ってきた。

風のようにひらりと現れての心に恋心を植え付けていった王子様は、いつしか同じ道を目指す大事な同志になっていた。あの夜と同じようにふたりの目には柔らかな色の明かりが踊る。

「きっと大丈夫。そういう日々が素晴らしいと思えることが最初の一歩だから。そのために出来ることはなんだろう、自分はどう生きればいいんだろう、それをちゃんと考えられるカイナンはきっと大丈夫」

この3年間そうやってカイナンで生きてきたには確信があった。

恐怖と不安と絶望の闇に飲まれそうな心にはいつでもカイナンの暖かい風が吹いていた。恐ろしさに震える心はそのままに、優しく背を押してくれる風は勇気をくれた。怖いまま苦しいまま、それでも風の示す道を歩んできた。

苦痛はなくならないだろう。悲しみも怒りもつきまとうだろう。けれど、生きることは決して諦めない。シャオの台詞がまたを抱き締める。

そんな自分の志が、いつか誰かの苦難の助けになる日を夢見て。

、死ぬまで生きていこうな、一緒に」

繋いだ手は熱く、は夫の目だけを見つめた。思いは同じだ。

「必ず」