続・七姫物語 清田編

11

不気味な静けさの中、同盟国はしばしそれぞれ国内の動きに注視していたのだが、秋の代表会議でひとつの結論に達しようとしていた。じいやがずっと疑ってきた第三勢力の存在である。銀国主導の侵略戦争を企んでいた秘密会合とは無関係、それよりも憂慮すべき問題と考えられていた。

それについては疑問視する意見も多かったし、じいや自身も推測の域を出ないとしていたけれど、各地の武器などの流れを見ても大陸の南西部に何らかの拠点が存在することは確実という結論が出た。大陸を四つ割りにすればカイナンも南西部である。

というのも、東部から始まって大陸の南岸沿いを延々と続く街道は銀国を過ぎたところで急に角度を変え、南西部の背中を抜けて西部に通じているのだが、各国の諜報部がふるいにかけた危険度の高い事件がその街道に集中しているのである。

じいやや長老いわく、似たような事件は大陸中にあるけれど、あらゆる手口が市井の悪党のものではない、という。組織の規模がどの程度なのかはまだ掴めていないけれど、指導者的存在に政の裏に精通した人物がいるはずだと口を揃えた。

「結局この街道って、行き着くところは」
……星国ですな」
「聖都の姫はなんと言っているのだ」
「それが、あまり踏み込んだ話が出来ずにおります。座長も旧知の仲だそうなんですが」

秋、長老が代表会議から戻った日の夜、陛下の私室である。アリスからの手紙を見て乾いた悲鳴を上げる座長に、知り合いなら取り次いでもらえないかと頼んだのだが、時間がかかると言われてしまった。

「親父、星国って確か王座が空いたままなんじゃなかったか」
「現在の君主は一応王家の血筋ではあるけど、執権を名乗ってる。あそこは古いからな」
「じいや、もう話してくれてもいいんじゃないのか」

この頃信長は指導を受けるだけの物知らずを装うことをやめ、徐々に上からものを言うようになっていた。じいやも畏まって頭を下げ、膝に両拳を置いて親子をひたと見つめた。

「陛下はご存知かと思いますが、私が諜報部員としての立場を追われることになったきっかけが、星国の事件だったのです。事件と言いましても、銀国と星国の間で何か揉め事があったわけではなく、同様に諜報部員だった私の父が任務上の問題を起こし、私も共に責任を取る形で諜報部を出ました」

や信長がまだ2歳くらいの頃の話である。ふたりには遠い話だが、じいや本人や陛下にしてみればそこそこ「最近」の出来事だったであろう過去だ。

「なので因縁と申しましても、私自身が星国あるいは星国の誰かと悶着したというわけではありません。実際、星国には任務で1回足を踏み入れたことがあるだけ、現地のことは詳しくありません。その後様のじいやになりましたので、それこそ諸外国の情報には手が届かなくなりました」

陛下がすぐに話を変えてしまったのでそれまでとなったが、腕と足を組んだ信長は硬い表情のまま、頷きもしなかった。じいやと組んで丸2年、この元諜報部員の全てが偽りの作り物だと思う気持ちはどこかに持ち続けていた。工作員としては信頼出来るが、人間としてのじいやには「実」を感じなかった。

このじいさんはまだ何か隠してる。それがなんなのか、親父のやつも知ってる。でもそれは恐らく、「オレに知られたくないから」ではなく「に知られたくないから」なんじゃないかって気がする。オレが知ればに筒抜けになる。そしてオレはまだ「全て決まった後に詳細を知らせればいい」程度のやつだと思われてんだろうな。

それを今すぐひっくり返して自分が主導権を握りたいとは思わなかったけれど、第三勢力の存在を前提にした方向で話が進むことになった以上、自分は知る必要があると思った。そのためには、そう、「自分の常識に囚われず、誰がどんな考えを持ち行動しているのか、想像をする」のだったな。

あんたがオレにそれを仕込んだんだ。隠せると思うなよ。

「いいじゃないのそんな隠さなくても〜私しか聞いてないのよ〜」

じいやが登城ということは王妃である。はシャオと座付き作家が書く脚本の監修をしており、自分の意志に関係なくひとり異国に嫁いできた身である王妃にも意見を伺いたいと考えていた――のだが、最近信長とはどうなの、と始まってしまった。

だがまさか娼館仕込みのやり方で愛し合っていますと言うわけにもいかない。なので回避策で出会いからを話していたら長くなってしまった。でも隠してるのではなくて、出会いから銀国脱出まではそれほど複雑な話じゃないんです。

「最近陛下たちが話し合ってる第三勢力って、その爆破事件の犯人と同じなのかしら」
「どうでしょうか、あの時は極端な寄せ集めで、組織だったかどうかも……
「私の故郷の言葉が混じってたなんて、やりきれない。圧政や飢餓のない優しい国だったのよ」

信長の話では兵器開発のために拉致されていた学者や技術者の家族ということだったが、捕縛されたのはほんの数名、本当に家族だったのかどうか確かめきれない人物ばかりだったという。同盟国から参加した身元の確かな有志だったはずなのだが、途中で数人がすり替わっていた。

だがそれはひとまず措こう。故郷の話が出たのではすかさず口を出す。

「故郷を離れるのはお辛かったですか」
「それはもちろん。陛下とは面識もなかったし、両親を恨んだわよ」

王妃は胸の前で手を組み、ちょっとだけ上を向く。話が長くなる前触れだ。

「みんな口を揃えて『すらりとした美しい青年で聡明な王様』だって言うんだけど、そんな上手い話があるわけないって思ってたのよ。故郷を出て海岸沿いをカイナンに向かっている間はもう絶望して海に身を投げたいって思ってた。見たこともない人と結婚して子供を産むなんて、想像しただけで吐きそうだった。ていうか実際何度も吐いたのよね、あまりにも結婚が嫌で」

その気持ちはわかる。別れの前に愛し合いたいと部屋にやってきた信長を追い出したあと、当然の自分の運命として信長のように心が惹かれることのない相手に体を差し出さねばならないのだと思ったら、目眩と吐き気が同時に襲ってきた。思い出しただけで胸のつかえを感じる。

「でも思いきって死ぬ勇気が出なかったのよね。吐きながら移動している間にカイナンに着いてしまって、気持ち悪いまま陛下にお目通りしたら、聞いた通りだったのよ。ほんとにすらりと美しくて聡明な王様だったんだもの、その時の私の気持ち、わかる?」

はつい顔を逸して肩を震わせた。わかりますとも。

「しまった、私さっきも吐いたからこれじゃキス出来ないわとか思ってたんだけど、誰かが気を使って姫は具合が悪くてとか言ったみたいで、陛下ったら慌てて私を休ませるように手配をしてくれて、ねえ、陛下どうしたと思う、看病してくれたのよ!」

は堪えきれずに笑った。そりゃあ色々大変だったでしょうね。

「もう正直に全部話したわよ。結婚が嫌だったこと、本当は田舎育ちの暴れん坊だってこと」
「暴れん坊?」
「子供の頃から体を動かすのが大好きだったのよ。乱暴者でね。信長は私に似たんだと思う」
「乱暴者」
「でも陛下ったら、そんなあなたでも素敵ですって言ってくれたのよ!」
「陛下」

あくまでも王妃の言い分では陛下も初対面から姫を気に入り、ふたりは大盛りあがりで結婚したそうな。シャオの考えている「大人の都合で苦労した女の物語」を前提に考えると参考になりそうもない。それをどう誤魔化したものかと考えていたは、ふと思いついて打ち明けてみることにした。

このところ城下では「突然顔を出してきた王子と夏市で踊っていた女の子」が噂になっているらしい。

「それがプロメテ座の人間だとまでは知られていないようなのですが……
「噂って、どっちの意味で? 歓迎されてないのかしら」
「そこまでは私も……ただ先の見通しがない状態でそういう周知のされ方はいいのだろうかと」

王妃は少し考えていたが、ややあってから相好を崩して両手を広げた。

「むしろ好機だと思うわよ。自分が良い姫だということを思い知らせるまたとない機会じゃない」
「そ、それはそうですが、良い姫と言ったって……
「あなたお芝居を作っているんでしょう。考えなさい、民衆にとって良い姫とはどんな人物なのか」

声色はそのままで、王妃はにこやかにビシッとを指差した。まだほんの子供と大人の中間くらいという年頃のである、その指先は珍しく心の奥底にグサリと刺さった。

「城下で暮らし始めてもう……2年になるかしら。 暮らしに馴染むということは、人々の心に触れるということでもあるのよ。誰がどんな思いを抱いて暮らしているか、それを知らずして観客の心を揺さぶるお芝居は書けないんじゃないかしら」

王妃は裏を感じさせない無邪気な声と表情で話しているが、の心は抉られっぱなしだ。実のところ台詞やト書きを考え書いているのはシャオと脚本家で、はあくまでも全体の流れを演出しているだけなのだが、それでは観客の心を掴めないと思った。

今のところ芝居の演出も夏市も、たくさんの人々が助けてくれるから出来ている。けれど、そういう身近な人々が一体何を思い、物事をどう受け取って暮らしているのか、そういう視点でものを見たこともなければ、王女として王宮暮らしの長い自分には、平民暮らしに慣れるより難題なのではと思えた。

一緒に芝居を作っているシャオなど、生きてきた世界がかけ離れすぎていて理解できるわけもないのだから深く知らずとも構わない、とはなから考えるのをやめていた。

私は一体この2年間、何を考えてたの。

夏市で王子が踊っていた女の子の噂は劇場館のある地区から広まり、この年の年末には城下中に知れ渡っていた。たくさんの女の子と入れ代わり立ち代わり踊っていたならともかく、王子は同い年くらいの女の子ひとりと延々踊っていたので怪しまれるのも無理はない。

正直それどころではないということで、じいやや座長、信長ですらこのことは気にしていなかったのだが、その中で生活しているは気が気でなかった。王妃に指摘されて以来ずっと周囲の人々についてを考える日々だったし、余計に噂がどう受け止められているのかが気になって仕方なかった。

なおかつ、新年の祝いあたりを境に今度はが銀国の元王女だということが漏れ始めた。おそらく出処は夏市の準備委員会だと思われるが、委員会は以外全員城下では名士であるおじさんたちばかり。噂が伝播していくのを止められるわけもなかった。

どうやらプロメテ座に銀国の元王女がいるらしい、それが夏市で王子と親しげに踊っていた女の子らしい、という噂についての否定的な意見としては、元王女を狙って危険な人物が何かを企んだりはしないだろうな、という程度で、自身に対する城下の人々の反応は掴めないままだった。

というのも、信長たちは忙しくてそんなことのために密偵を引き受けてくれるわけもなく、かといって自身もシャオたちとの芝居作りがいよいよ佳境に入り、城下の人々の噂話に聞き耳を立てている暇がなかった。

年が明け、がカイナンで3年目の春を迎えようとしている頃、大陸南部から西部で銀国のものに似た小規模な爆破事件や原因不明の暴動が起こり、同盟国の代表は春の会議で文字通り頭を抱えた。

もうなりふり構っていられない同盟国の諜報部の老練家たちが心当たりを虱潰しに当たってはみたのだが、これという結論にたどり着かず、南部から西部にわたる大陸の大部分が緊張状態続きで苛つくようになっていた。

春の花が一斉に咲き乱れても南西部の都市は不安を忘れることが出来なかったし、忍び寄る危険は影も形も音もなく、日毎に苛立ちや鬱憤が溜まっていくばかりだった。当然そんな日常には諍いが絶えなかったし、人々は神経を尖らせて他者への疑心暗鬼ばかりを強めていた。

そんな中、殺伐としていく街を眺めながらは時折劇場館入り口の階段でぼんやりと座り込むようになった。もう王女ではないけれど、すっかり平民というほど馴染めてもおらず、芝居作りはやり甲斐もあるが、夢は信長と一緒になることだったし、自分の心の置き場所がよく分からなくなっていた。

「姫、大丈夫?」
「うん、大丈夫。わけがわからなくなっちゃってるだけだから」

隣に腰掛けるシャオは、目下「決め台詞」で毎日悩んでいる。一座に入ってからたくさん勉強をしたというが、それでも辞書一冊が丸々頭に書き込まれているかのような座付き作家のようにはいかず、物語の山場で主人公が語る台詞にどんな言葉を使ったものか、決まらないらしい。

「今そこで『あそこでぼーっとしてる子、元王女で王子の恋人なんだって』って言われてた」
「なにか言ってた?」
「聞いた方が『へえ〜そうなんだ』って言ってた」
「それだけ?」

は姿勢を崩して吹き出した。何の感想もないんかい。

「ま、正直、こんないつどこで爆弾で吹き飛ばされるかわかんない世の中で、王子様の恋人が誰だとか、どうでもいいのかもしれないよ。将来の王妃かもって思ったところで、このカイナンがちゃんとあるのかどうかも怪しいし、どこかのめんどくさい国の王女がぽいと放り込まれてくるより、平民暮らしになっちゃった元王女くらいの方が気楽なんじゃないのかな」

シャオの正直なところだったのだろう。笑いながら話しているが、目は真剣だった。

「私、信長と一緒になりたいとは思ってるけど、その先にあるのが王妃だってことは忘れてる」
「まあ別にそれが目的じゃないしね」
「私はそんなもの必要ないけど、信長にこの国の責任を放棄してほしくないとも思うし」
「王子との関係、重荷に感じてきた?」

シャオはを甘やかさない。空気を読んで気を使ってお茶を濁すようなことはせず、の言葉が揺らげばそこを確実に突いてくる。

「重荷とは思わないけど、お互いもっと簡単な立場であればなとは思うよ」
「だけど、簡単な立場のより、今のの方がいい王妃になるよ」
「そんなことは……
「あたしはあんたが気楽なお姫様だった頃もよく知ってる。あの頃の姫だったら王妃なんてごめんだね」

一緒に暮らしているのですっかり忘れていたが、シャオはがじいやに手を引かれて子供向けの芝居を見に来ていた頃から看板役者だった。がシャオをシャオと認識したのはほんの5年ほど前、自分は芝居のことで頭がいっぱいだと自覚した頃のことだ。

「あたしたちにとっては大事な大事なお客様だったけど、芝居とお菓子のことしか考えてない甘やかされて育ったお姫様だったもの。あの頃の姫がそのまま大きくなって王子の妃になったら、あたしはカイナンの将来には不安しかないと思ったと思う」

芝居とお菓子のことしか考えてない王女だった自覚はあるので、は苦笑いをしつつ肩を落とした。芝居を見に来るだけの王女としては親しく出来ても、君主としては絶望的。それはわかる。そういう自分だったことに後悔もあるし反省もあるが、だからといって今の自分が立派な王妃になれるような人間になってきたとも思えない。

「ていうか姫、あんたいくつよ。今あんたの故郷を仕切ってるのは誰? 王子が言ってたでしょ、真っ白な髪の超怖いおばあちゃんだって。あんたなんかまだ子供。あんたがどんな王妃になるかはこれからのあんたがどれだけ心を磨くかにかかってるんじゃないの」

かつらやつけ毛の必要があるのでシャオはいつも髪を短く切り揃えている。そんなシャオの前髪が風に翻り、彼女のニヤリ顔を顕にした。正確なところはわからないけれど、彼女は確か30歳を過ぎているはずだ。それだって現銀国女王からしたらひよっ子なのかもしれない。

「ねえ姫、私ね、施設から逃げ出した後、毎日走ってた。後ろから施設の人が追いかけてくるんじゃないかって怖くて、友達と手を繋いで泣きながらずっと走ってた。泣いたってどうしようもないのに、涙が止まらなかった。だけど立ち止まろうとは思わなかったの」

信長によれば、国内の児童養護施設は基本的に国王の認可がなければ運営できないもので、シャオがいたという施設は記録にないという。本当に「施設」だったのかどうかも怪しい。そしてシャオたちの逃亡劇はひとえに勇気と幸運の賜物だった。

……風がね、背中を押してくれる気がして」

の頬にも暖かな風がふわりと当たる。

シャオの言葉には銀国を脱出してカイナンを目指していた時のことを思い出した。銀国から持ち出せたものは自分の体ひとつ、他には何もなくて、信長がそばにいてくれることだけが心の拠り所だった。幌馬車に揺られていたの心をそっと奮い立たせていたのはシャオと同じように、風だった。

シャオは照れくさそうに鼻を指で掻いて、

「台詞、ひとつ使いたいのがあるんだ」
「どんなの?」
「それはまだ内緒。だけど、風に吹かれて元気を出してたあたしの心だよ」

シャオはこれまで脚本に関わることはなかった。言葉も文字も苦手だからと脚本家に丸投げしていた。けれどこの芝居だけは彼女の心をぎっしり詰め込んだものになる。言葉は彼女自信が見つけなければならない。そしてまた風はふたりの女の子を勇気づけるように優しく吹いた。

……シャオ、題名、『風の(しるべ)さす空』ってどうかな」

瞬間、はシャオにきつく抱き締められた。

「それがいい。姫、それはあたしが逃げながらいつも見ていたものだよ。それしかなかったんだ」