続・七姫物語 清田編

08

が初めての夏市を成功させている頃、信長とじいやは代表会議が組織した隊で銀国に来ていた。

例のの兄ふたりの主権争いは終わらず、第一王子の回復も見込めず、銀国内の情勢は悪化の一途を辿っていた。南部各国代表が参加しての合同隊が組まれたのも、この情勢の悪化によるものだった。

しかも今回はじいやという銀国で諜報員だった過去を持つ人物がいるので、合同隊は銀国の様子をじっくりと伺ってきた。荒れていく一方だが、だからといって戦を仕掛けて潰すのは得策ではない。南部全体を戦乱に陥れることになるし、未だに銀国の有する戦力は大陸でも随一、失敗は目に見えている。

それに、じいやは最初からこの内紛は解決を見ないと断定していた。第二王子と第三王子は例の事件が起こるまでは出世欲の強い性格でもなかったのだが、今や国内二大勢力にまで膨れ上がっていて、この内紛自体が王子ふたりを担ぎ上げた何らかの勢力によることは間違いなかった。

合同隊はそれを探りつつ、じいやが内紛に関しては待っていればよいと言うので静観に努めていた。

「どうやら第二王子を担いでいるのは亡き陛下の弟君のようですな」
「つまり……の叔父」
「と言っても陛下には8人の弟君がおりますので、そのうちの誰かということになりますが……

信長とじいやは合同隊が身を潜めている家の一部屋で膝を突き合わせていた。合同隊に参加している隊員は全員身元の確かな人物であったし、じいやは意味もなく隠し事をしたりはしなかったけれど、ふたりは毎晩その日に集まってきた情報を何度も精査して状況を見極めようとしていた。

「第三王子を担いでる方、オレは初めて見る名前だけど」
「私もです。ということは最近位を与えられた新参者ということでしょうな」
「出自が不明っていうのは厄介だな」
「いえ、これはおそらく銀国南端の有力者だと思います。漁業関係だったかと」
「なんでそんなことがわかるんだ」
「名前の組み合わせです。銀国は王族から位を受ける時に土地の名前を入れるんです」

じいやが第三王子の派閥内の人物を洗い直すと、そうした「新参者」が大量に出てきた。銀国各地の有力者の寄せ集め状態。信長はその一覧を見ながら背筋を伸ばして大きく息を吸い込む。

「つまり、第二王子の方は貴族中心、第三王子の方は平民中心の派閥ってことだな」
「そうなります」
「でも王子の方は第三王子の方が高貴な血筋なんだろ。組み合わせがおかしくないか」
「どちらも傀儡だからでは」
「まあそうか、担ぎ上げられてるだけだもんな」
「私が気になるのは、誰がこれを仕組んだか、です」
……誰が?」

国王と世継ぎが一度に不在となった銀国で王子同士が揉めている……という情報が流れてきたのは件の事件から半年以上も過ぎてからだった。それを耳にした信長はしかし、に成人した兄が3人いることは知っていたので、一番上の具合が余程悪いのかと思っただけだった。

「そうです。でもその半年がおかしいでしょう。確かに大きな事件でしたが、城下のほんの一部が爆破され、国王周辺の要人が死んだに過ぎません。王子たち本人がずっと野心を秘めていたのなら、事件の3日後くらいに言い出すのが当然かと思いますが」

確かにそう言われると不自然に感じてくる。混乱状態だからだと思っていたけれど……

「その半年の間に王子ふたりを祭り上げてふたつの勢力をまとめた人物がいるはずです」
……ちょっと待て、それって誰か得をするか?」
「銀国が完全に消滅ということでしたらカイナンも得をする立場かと」
「まさか。銀国に寄りかかって生きてる状態なんだぞ」
「だとしたら、どうです」
「銀国の状態が悪化することを望む人物あるいは勢力……

信長は両手で髪をかきむしった。銀国は大陸南部の中心であり、悪く言えば支配者、よく言えば盤石な土台だった。それが侵略戦争に熱を上げるようになったのでカイナンを始め周辺の小国は頭を抱えていたわけだが、それさえなければ銀国に突然消えられてしまうのは困る。

「て、ことは……その人物か組織の狙いは銀国そのものだけじゃないとか?」
……あるかもしれませんね」
「大陸南部全体を陥れて得する国なんかないと思うけど」
「国ではないということも考えられますね。若の言うように、人物あるいは組織」
「そういうのって取っ掛かりがないから難しいんだよな〜」

仰け反る信長を目の端に止めつつ、じいやは顎に手を当てて考え込んでいた。確かに国や地域などに関係した組織や所属している人物という前提で紐付けられるなら話は早い。だが、今の自分たちのように各国寄せ集めの組織だとか、個人的な遺恨となると手がかりに乏しい――

「遺恨……
「あ?」
「いえ、諜報部にいた頃のことを考えると、銀国は個人的な恨みもたくさん買っていたなと」

じいやは積極的に協力してくれるけれど、自身が諜報部所属だった頃のことについてはあまり余計なことを話さない。なので信長はまた慎重に耳を傾けた。お互い原動力はだが、このじいやは腹の底が読めないので先入観で先読みをしてはならない。

「そりゃ……あれだけ大きな国家だから」
「だというのに振る舞いがよろしくなかったですからな」
「思い当たることがあるのか?」
「まあ、あるといえばありますが……何しろ数が多いもので」

これは嘘だな。信長は真面目に耳を傾ける生徒の顔をして心の中でそう受け取った。おそらくじいやにはこれという思い当たる何かがあるはずだ。だが彼は何らかの理由でそれを濁し、自身の過去のことを明かさずに問題解決の道を探りたいのでは、と信長は思うようになっていた。

お互い目的はと信長が婚約あるいは結婚をすることだが、同じようで意味合いは異なる。信長は愛する女と一緒になりたい、しかしじいやの場合は「をカイナン王家に嫁がせて身の安全を確実にしたい」であるはずだ。じいやの過去はそれに影を落としてしまうものなのかもしれない。

そう思ったらちょっと口が疼いた。

「なあ、諜報部ってどんな仕事をするんだ? うちとは内容が違うだろ」
「どんなと言いましても……戦をしていたわけでもないので、ほとんど監視でしたな」
「監視?」
「警備と言ってもいいような仕事でしたね。不審な芽は早めに摘み取り、以後は目を光らせる」

確かにこの大陸での大きな戦は絶えて久しい。特に南部では銀国が現在の領土に拡大したのが100年以上前の話で、戦らしい戦というとその際の紛争くらいなものだった。じいやの言う「警備みたいなもの」であったことは嘘ではないだろう。ただ、その「程度」が異なるだけで。

「なので、姫が好きな冒険活劇をやる機会はほとんどありませんでしたね。だもんで、ちょこちょこと色んな事例に首を突っ込むことが多かったんです。これは何か重大な事件かもしれないと思っても全くの杞憂だったり、情報自体が間違っていたり、逆に些細な問題だと思っていたらあわや……なんてことをあっちこっちで毎日繰り返していましたな」

これも嘘ではなさそうだ。戦はないけれど、銀国の体質から考えても方々に根を張り巡らせて不穏な種は取り除き、各国の情報をつぶさに集め、ありとあらゆる情報を把握し――

「いやちょっと待て、だったらこの間の事件、諜報部は何をしてたんだ」
「いいところに気付かれましたね。だから私は第三勢力を疑ってるんです」
「銀国ほどの大国の諜報部が何ひとつ気付いてなかったってことだろ」

大陸南部全体をかき回し、銀国の諜報部の目をかいくぐり、城下の大通りだけでなく王宮内でも襲撃を成功させる組織あるいは個人――信長は初めてまだ見ぬ敵を怖いと思った。カイナンの諜報部ですら国内の精鋭を集めた組織だというのに、あの銀国を翻弄した組織や人物など想像がつかない。

「そんな不気味な誰か、組織、いくつも心当たりがあるのか……?」
「それを先導出来るかもしれない、ということならいくらでも」
「いくらでも……

本人は努力を重ねているけれど、それでも信長はまだ「王子」であり17歳である。少し姿勢が崩れた信長をちらりと見ると、じいやはさらに声を潜めた。

……王子、いずれ君主となった暁には、そういう世界で生きていかねばならないのですよ」

信長の耳には「生易しい覚悟では国とを預けるに値しない」と言われているように聞こえた。

……よく覚えておくよ」

臆する気持ちはなかった。けれど、胸を叩いて笑える気分でもなかった。

銀国での諜報活動は秋を待たずに一旦解散となった。だが銀国内は王子同士の一触即発の空気が続いていて、それらをどうするかはそれぞれが一度国に持ち帰って方針を決め、冬を迎える頃には南部の安定を目指す国々の間でひとつの結論が出た。

ひとまず銀国の王家を完全に消滅させようというのだ。第一王子はもはや復帰が見込めず、第二第三は話し合う気もなく主権を主張するばかり。この王子たちに銀国を任せるといずれまた何らかの紛争の火種になるのでは……という懸念が拭えなかった。

幸い前国王の元で政務を行っていた人々は数名の大臣を除き現在も必死で銀国を支えている。首がすげ替えられても政には大きな支障はないはずだと判断された。

「すまん、お前の兄さんたちなのに」
「ほとんど話したこともないし、そろそろ顔も忘れそうなくらいだから」
「お前の家のことでもあるだろ」

銀国の王家解体のためにまた旅立つ信長に寄り添いながら、は目を閉じた。

「あの王宮を『家』だと思ったことないよ。今はこの劇場館の方が『家』って感じる。私の帰りを待ってくれる人がいて、私も信長の帰りを待ってる。毎日の暮らしの基礎になる場所で、安心できて、笑ったり悲しんだり、そういうのを繰り返してる。だから気にしないで」

そしては一通の手紙を取り上げて信長に見せた。

「母からの手紙。身分を捨てて学校の先生をやってるらしいんだけど、春に結婚したんだって」
「おお、よかったじゃないか」
「と思ったら妊娠したらしい」
「早いな!?」

の母はそういうわけで弟か妹が生まれるから、いつかきっとまた会おうと手紙を寄越した。も信長と同じ声を上げ、しかし母の腹に宿った命を無条件で愛しく感じた。それは父親や兄たち、年の離れた姉たちには感じたことのない感情だった。

「私の家はここにあるし、近くにはいないけど家族は元気だし、それでいいの。私の知る銀国はもうあの爆発で吹き飛んでしまって、跡形も残ってない。それより私はいつかこの国の、カイナンの人間になりたいって思ってるから」

漠然と王女の生活をしていた頃は、見ず知らずの国に嫁いでもその国を祖国だと思えないのではと考えていた。けれどカイナンはいつしか家になり、日々の安らぎや楽しみをくれる場所になり、が知ることのなかった感情をたくさんもたらしてくれる国になった。

「でもそれは、カイナンが信長のいるところだから。信長がどこか遠くに行くっていうなら、私も行く。カイナンでなくても構わない。私の本当の『家』は信長がいるところだから」

子供の頃から毎日一緒に過ごしてきたじいやが留守がちであることは驚くほど気にならなかった。彼はあくまでも養育係であり、王女としてのの従者であった。小言ばかりだったし、愛しさや心の繋がりを強く感じる相手ではなかった。だが、信長は違う。

信長もの髪を撫でながら目を閉じる。

……前は、国内から妃をもらいたいって思ってた。オレはカイナンが好きだし、この国の習わしや様式を大事にしたかったし、他の国のそういうものを持ち込んでくる女は絶対嫌だと思ってた。今はそういうの自分本位だなと思うけど、でもがそう言ってくれることが嬉しくてしょうがない」

というかそもそもは故郷の習わしや様式を持ち込むどころか、突然平民として暮らすという強烈な変化を体験した。なので馴染むのに苦労したのがカイナンの日常なのか、平民の日常なのか、よく分かっていないのが正しいところなのだが、唯一の後継ぎであるにも関わらず諜報活動に身を投じてまでカイナンを守りたかった信長にとっては、は理想的な存在でもあった。

「最近、目標が変わってきたんだ。前はとにかく功績を上げてを婚約者として認めさせることだったけど、今はこのカイナンを『誰もが芝居を楽しめる国』にしたいと思ってる。毎年夏には夏市があって、毎晩芝居小屋で上演があって、がいつでも好きな時にそれを見られる、カイナンをそんな場所にしたいんだよ。そのためには何でもやりたい」

夜な夜な劇場に消える王妃に呆れてため息をつく王になりたい。吹けば飛ぶような小国、銀国のような強大で広大な国にならなくてもいい、父祖たちがそうであったように自分もこのカイナンをそんな穏やかな暮らしの営める場所として守っていきたいと思った。

それは全て、を愛しく思うが故だ。がいなければ思いつきもしなかった志だ。

「愛してるよ、前よりももっとずっと愛してる」

の体を強く抱き締め、信長は固く誓った。

そのためには何でもやってやる。何でもだ。

同年晩秋、銀国では新年を待たずに第二王子と第三王子が武力衝突、城下町にほど近い砦を挟んで数日間戦闘状態に陥った。これはじいやが中心となった数カ国からなる合同隊の工作によるもので、信長以外全員各国の諜報部の精鋭という隊員たちはしかし、新年の1ヶ月前には双方を引き上げさせた。

第二王子と第三王子が揃って戦死した上に、重症を負っていた第一王子までもが死んだからだ。

合同隊は暗殺などを仕掛けていたわけではなかったので、この同時に全員が死亡という事態は当然じいやたちの第三勢力への疑念を強めたわけだが、ともあれひとまず王家の内紛の両陣営は空中分解、それにつけこんで以前から内通していたある貴族を一気に祀り上げた。

の血統である王家から見ると、銀国の興りまで遡った親戚、いわば分家にあたる。しかし階級は貴族でも義理で貴族対応になっていたという程度の家で、そのため一族で金融業を営んでいた。その関係で司法に携わる人物も多く、上層階級の人脈も広く、この混乱激しい銀国をひとまず管理するということを任せられる人材を多く抱えていた。

本人たちは自分たちが王族になるなんてとんでもない、政治は素人だから、これを機に共和制にした方がいいと渋っていたが、何しろカイナンを含め大陸南部は王国だらけ、その中心的存在が急激な変化を起こすことによる更なる混乱を避けたいと訴えると、大陸南部が安定を取り戻した時には共和制を目指すということを条件に何とか頷いてくれた。

そういうわけで暫定の君主はなんと女王。働ける人材が王座に腰掛けている余裕がないので、一族の長老である女性に白羽の矢が立った。彼女も一族の生業の中で数十年働いてきた人物であり、とにかく厳格で怖いという。じいやが会いたくないと言い出すくらい、怖いらしい。

信長はこっそり彼女に面会し、だとは言わずに王女をひとり預かっていること、彼女を妃に迎えたいことを打ち明けた。すると真っ白な髪をきつく縛り上げた女王はにこりともせずに「第五王女の様ですね」と看破し、「いつかまた春市においで下さいとお伝え下さい」と言った。

の「春市好き」がどの程度有名だったかはわからないけれど、信長は彼女の小さな目に強い決意を感じて頭を垂れた。この人もきっと自分と同じ夢を見ているに違いない。この銀国の王女だったがカイナンの王妃として春市にやってこられるような、そんな日々を取り戻したい。

年が明け、銀国はその政の全てを掌握していた王家が事実上の消滅、古の分家がその座に就くという新たな一歩を踏み出した。カイナンを含む周辺の小国は銀国が日常を取り戻せるよう支援に奔走し、ひとまず件の事件による問題は収束に向かうと思われた。

だが、結局の所問題は何も片付いていなかったのである。