続・七姫物語 清田編

13

初日の御前興行が大成功だったおかげで、2日目の上演は広場に入りきれないほどの観客がつめかけた。広場に面した商店は屋根の上まで人で埋まり、数少ないカイナンの貴族は城のバルコニーに詰め込まれ、警備と合わせて大変な混雑となった。

というか初日の上演を見た観客の中からプロメテ座に加わりたいという人が続出、あるいは主人公にあやかった商品を作りたいだの、戯曲を出版しないかだの、座長は朝からてんやわんやだった。

そんな騒ぎを信長は自分の部屋の窓から見下ろしていた。彼の部屋は城の3階にあるため舞台の声はあまり聞こえないが、音楽は聞こえるし、今日も袖で見守っているの後ろ姿が見える。

2日目の上演が始まったばかり、夏の夜風に髪をそよがせていた信長の隣には父親が佇んでいた。

「カイナンにはこういう壮大で長い物語がなかったからな」
「こんな小ぢんまりとした田舎の小国だからな。古典でも他愛のないものが多いのはしょうがない」
「お前と同い年だろうに、彼女は大した舞台人のようだな」

だが、国王は前日の御前興行の終演後でも息子や王妃に倣って軽い拍手をしているに過ぎないように見えた。信長はちらりと父親の方を見て鼻で笑う。

「何が言いたいんだよ」
「城下の民にずいぶん知られているそうだな、彼女との関係を」
「らしいな」
「勝手な真似をしたとは思わないのか」
「思わない」
「約束が違うだろう」
「そんな約束した覚えねえけど」

と知り合った頃はまだ父親より背が低かった信長だが、そろそろ追い抜きそうだ。曲芸師の真似事が出来るくらいに軽かった体も大きく逞しくなりつつあり、並んでいるとすっかり大人同士に見えるようになっていた。

父もまた息子の方をちらりと見てため息をつく。

「我々には責任があるんだ。この国の君主として、果たさねばならない責任が」
「それとのことは関係あるか?」
「大ありだ。そんなことも分からんようじゃ――

呆れた声を出した国王だったが、王子は窓辺に寄りかかって腕を組むとニヤリと笑った。

「昨日、を抱いたよ」
「なん……お前、もし子供でも出来たら」
「出来たかもな。『作法』より念入りにやったから」

昨夜、ふたりはシャオに教わった方法を全て忘れ、初めて交わった。それは勢いや流れではなくて、3年間迷って悩んで耐えたふたりがシャオの台詞にもらった「勇気」だった。なので信長は怒りの滲む表情の父親にも怯まない。全てふたりの決意だった。

「改めて言っておく。オレに以外の女をあてがっても、その女を妻とは呼ばないし抱きもしない、そんなことをしても不幸な女がひとり増えるだけで、世継ぎが生まれてくることはない」

国王の頬が少し引きつる。彼は父親として息子が本気であることがわかるので、言葉に詰まった。

「昨日の挨拶を見ただろ。あいつは誰よりも平和と命の尊さを知る偉大な王妃になる。民の気持ち、苦しみや悲しみや、喜びがどんなものかを知っていて、心を共に出来る唯一絶対の女だ。オレはそれを捨て置いて何も出来ない女を選ぶような、無責任な世継ぎになるつもりはないからな」

昨晩の交わりはへのありったけの愛であり、そういう信長の覚悟でもあった。

「オレはあの姫を妃に迎える。ふたりでこの国を治め、こうして民が芝居を楽しめるような日々を守る。今あの舞台の真ん中で主役を演じてるシャオ、親の顔も知らずに虐待を受け娼館に逃げ込むしかなかったような、そんな子供をひとりも生まない世を作る。それがオレの『責任』だ。異論は認めない」

信長の祖父は既に亡い。現在の国王自身も5人兄姉弟の末っ子で、無事に育ち上がったのは彼だけだった。なので妃を迎える前に即位し、彼は彼でひとりで祖国を必死に支えてきた。そこに突然生まれてきたのが異様に健康で異様に元気な王子、信長だった。

王妃同様、父親として息子の「強さ」は知り抜いている。それだけの運命を背負って生まれてきたとしか思えない強さを羨んだこともある。だが、彼の覚悟の宣言を目の当たりにすると「きっとこいつなら成し遂げるだろう」という確信だけが残った。あるいはそんな希望を見出したのかもしれない。

夏の夜、息子の覚悟に夢を見たのかもしれない。

……どうしようもなく愛してるんだよ、あの女を」

いつしか息子の頬には幼さが消え、眼差しは遠く未来を見据え始めていた。

夏市3日目、噂の芝居を見たいという人々と、もう1回見たいという人々で広場は朝から場所取りでほぼ埋まってしまい、広場に面した商店は急いで城下の大工をかき集めて急ごしらえの「3階建て観客席」を作り、勝手に見やすい席に高値を付けたが飛ぶように売れた。

国王の言うようにカイナンには「幽霊御殿」のようなほのぼのとした物語はたくさんあるが、子供が見るには少々難解な長編物語は少なかった。というのも、都会を夢見る人は銀国や星国や東部の都市へ、何かを学び極めたいという人は聖都に行ってしまうため、カイナンに留まって芸術の高みを目指そうという人材が残らなかった。

なので「風の標さす空」は他国の都市部であれば粗削りの佳作といった出来であっただろうが、カイナンの慎ましい人々にとっては衝撃の問題作であり、特に女性には人生と価値観を揺るがす、もはや「事件」であった。

そんな大騒ぎになっている実感はまだ湧かないだったが、2日目の上演を袖で見つめながら、ちょっと燃え尽きたな……と感じていた。この数ヶ月「風の標さす空」に全力で取り組んできたせいか、頭の中が空っぽになってしまったような気がする。

座付き作家に言わせれば「よくある」だそうだが、じゃあちょっと休んでから次回作に取り掛かろうか、という気が全く湧いてこない。というか今更ながらなんでこんな長大な物語を作れたんだろう……とよく分からなくなってきた。夫に愛想を尽かした妻が音楽隊を作ってボロ儲けをする芝居を作っていた時はあんなに楽しかったのに、もう物語は作れない気がする。

「そんないっぱしの作家みたいなことを」
「いっぱしの作家はここまで燃え尽きないと思う。やっぱり芝居は見てる方がいい気がする」
「あんまり信用できねえな〜しばらくするとウズウズしてくるんじゃないか〜」

昨夜遅くに窓から飛び込んできた信長は、ベッドの上での背中に唇を寄せつつ、朝っぱらから広場で酒盛りをしている人々の笑い声に浸っていた。素肌に潤う汗の匂いですら芳醇な酒のようだ。ああ何もかも忘れてずっとこうしていたい。

「ていうか今日はやけに静かだな。座長どうした」
「昨日から休む暇もなく対応に追われてるから、たぶん帰ってきてない」
「まったく、夏市といい芝居といい、とんだ旋風だな」

のうなじに口元をうずめた信長はくつくつと笑い、はくすぐったがって暴れた。昨日の上演終了後、組合長ら城下の名士たちがずらり揃って座長に「数千人を収容出来る劇場を作らないか」と言い出した。座長は白目を剥いて乾いた悲鳴を上げ、そのまま連行されて帰ってこない。

言ってみればカイナンは芸術文化にはとことん弱い土地柄であった。そこに降って湧いた「風の標さす空」の衝撃は商売人の意欲にも火を付け、夏市は思わぬ影響を及ぼし始めた。

「何も持たない何も出来ない流浪の元王女だなんてよく言うわ。お前はカイナンを変えたんだ」
「大袈裟な。芝居を作ろうって言い出したのはシャオだよ」
「シャオはお前がここに来なかったらそんなこと言い出さなかったはずだぞ」

座長に拾われて20年近く、確かにシャオはこれまで一切作劇には関わってこなかった。痛いところを突かれたのでは黙る。そうは言っても台詞や展開を具体的に書いたのは私じゃないんだけどな……

「そりゃもちろんお前があれこれ指示して何かが動いたわけじゃない。でもほら、シャオの台詞みたいなもんで、風みたいにみんなの背中を押したんだよ。芝居を作ってみたい、夏市楽しかったからもっと大きくしたい、劇場を作りたい、って」

信長の囁き声に、は息を呑んだ。そうか、シャオ渾身の台詞は私の言葉でもあると思ってたけど、あの主人公と共に生きていく風の方がしっくり来る気がする。手を掴んでぐいぐい引っ張っていくよりも、寄り添い、背中を押し、共に歩んでいく。

そういう妻に、そういう王妃になら、なれるのかもしれない。

連日の舞台で疲れ切ったプロメテ座は座長を除いて全員昼頃まで死んだように眠っていて、は信長とともに少し街に出てみた。今日で最終日という安心感と、ちょっとした寂しさ、そして今頃になってようやく舞台の成功を実感してきたので祭を楽しみたくなったのだ。

今日の上演は前日前々日よりも早く、日没後すぐを予定している。そして終演後は広場でそのまま深夜まで楽団の演奏が入り、明け方まで夏市の終わりを惜しむことになっている。なので城下を巡るなら午後が最後の機会ということになる。

……なあ、あの大通りの店のハチミツケーキ、お前が作らせたんじゃねえの」
「そんな職権濫用はしてません。ハチミツケーキ食べたいとは言ったけど」
「似たようなもんだろ、ケーキに『』って名前ついてたぞ」
「知らないってばそんなこと〜」

だが、大通りを歩けばあちこちの商店から「ちゃん、寄って行かない」と声をかけられ、食べ物を渡され、誰も彼もが「お芝居よかったよ」と言ってくれた。花飾りを売っていた女性など、を見るなり半泣きで礼を言い出し、問答無用での髪に花飾りを挿していった。

「お姫様よくお似合いですよ」
「バカにしてんな」
「してないって! いや〜お前はいい王妃になると思うな〜」
……王妃、なってもいいかなって、ちょっと思い始めた」
「えっ、まじで!?」

頭に白と黄色の花飾りを挿したが真面目くさった顔でいうので、信長は往来で素っ頓狂な声を上げた。これだけの大仕事のあとでは、芝居への未練が強いだろうと思っていたのに。

「ちょちょちょ、そんなこと、大丈夫か」
「いい王妃になれるかどうかは自信ないけど、頑張れそうな気がしてきた」
「まじか……いいのか、プロメテ座は」

信長はの腕を引いて路地に入り、ふたりが出会ったときのように少し屈んで彼女の目を見つめた。こんなところでなんですが、聞き捨てならないのでちゃんと聞かせてください。

「王妃っていう立場がどうこうというよりも、ここまで来たら信長が他の女と結婚するとか許せないし、昔の私みたいな姫にシャオたちに関わる大事な決断を任せられるわけがないし、そうやって心配しながら誰かにやってもらうくらいなら自分でちゃんとやりたいって、なんとなくそう思えてきた」

そしては花飾りをひとつ外して信長の髪に挿した。

「それに、私が王妃になるとしたら、陛下が亡くなる時でしょ。まだまだずっと遠い話でなきゃ」
……お前のこと、まだ認めてないようなやつなのに」
「それが出来る陛下だから、カイナンはこんな風に優しい国なんだと思うよ」
「芝居から離れてもいいのか」
「劇場が出来たら通う。元々それが好きなんだもん。充分だよ」

照れくさそうに肩をすくめたはしかし、そこで言葉を切って信長の肩の向こうを覗き込んだ。

「どうした?」
「ごめん、今、すごく見覚えのある人が……誰だろう」
「銀国の人か?」
「そんなわけはないと思うんだけど……銀国の私の知り合いって、基本貴族か王族だし」
「じいやみたいに城勤めの人とか」
「あんな若くておしゃれな感じの男の人、いなかったはずだけどなあ」

ふたりで路地を出て大通りに戻ったけれど、祭の最終日でごった返していて通り過ぎた人を目で追えるような状況ではなかった。しかもと信長が揃って立ち止まっているので、気付くとあたりは人だかりになっていて、ふたりはそそくさと逃げ出した。

それに午後の日差しが傾き始めていて、はそろそろ劇場館に戻らねばならない。

「それじゃ最終日、頑張ってください」
「上演後のお祝いは来てくれるんだよね?」
「もちろん」

劇場館の前までを送った信長はの手にキスをし、片目を瞑って見せた。

が見たこともないような『王子様』で行くからな。覚悟しとけよ」

ひとまず最後の上演となる3日目、広場は今にも舞台が押しつぶされそうなほどの人が詰めかけ、真昼よりも暑さを感じるほどの熱気に包まれていた。実際出演者たちは汗だく、舞台は滴る汗で滑りそうになっていたし、熱気のせいで具合を悪くした観客が何人も出る始末。

とはいえ上演自体は無事に終了、この夜も城下の人々を魅了した。プロメテ座には寄付の話も舞い込み、劇場の建設や本拠地の一新も含め組合主導の一大事業となりそうだ。座長の白目が戻らない。

芝居の余韻が残る広場は急ぎ舞台が片付けられ、楽団の演奏が始まると、そのまま舞踏会に早変わりした。広場に面した酒場は次々と酒樽を開け、人々は歌い、踊り、城のバルコニーから顔を出した国王と王妃に手を振り、カイナン万歳と叫んで酒を煽った。

そこにほぼ正装の信長が予告通り登場。バルコニーの陛下は厳しい表情をしていたけれど、大盛り上がりの中を進み出てを連れ出し、広場のド真ん中で踊りだした。一応王女として育ってきたも踊りは完璧。南部なら適齢期の王子と姫はそれだけで絵になる。

それに気付いた楽団は国王主催の舞踏会で演奏されるような曲に変更、酒とカイナン万歳の広場は一転、王子様とお姫様が格式高く踊る舞台になってしまった。酔った城下の人々はそれを微笑ましく、あるいはうっとりと眺めた。

どういう経緯があるのかはよく分からないけれど、お互いを見つめ合いながら踊るふたりは仲睦まじく見えるし、何しろ「風の標さす空」を見た後である。王子があの娘を好いていて、本気で愛しているのならそれでいいんじゃないのか――そういう空気が漂っていた。

それを察したのかどうか、いよいよ曲が最高潮になるところで信長はを両腕に掻き抱いてキスをした。の頬は薔薇色に染まり、広場には拍手や感嘆のため息が溢れる。もちろん陛下は厳しい表情をしたままだったけれど、隣の王妃は満足げに微笑むばかり。

あの娘は銀国の王女だったという。国を追われ王子に救われてカイナンにやってきたという。王子はきっとあの姫を妃に迎えるに違いない。王子は確か年の頃18、いい頃合いじゃないか。そもそもこのカイナンにはあの王子しか世継ぎがいない。ふたりが子宝に恵まれたなら、こりゃめでたいじゃないか!

人々はそんな気持ちに酔っていた。突然始まった夏市は楽しいし、突然現れた芝居は面白いし、南部は不安定な時代だけれど、カイナンは楽しくて良い国になっていくに違いない。

そういう皆の視線の中で踊っていたはしかし、キスの照れくささや嬉しさを一瞬で忘れ、信長の手をぎゅっときつく握り締めた。真夏の夜に汗ばむ肌がつめたく冷えていく。

、どうした。具合悪いのか」
「あの人が……いる……
「えっ、誰、てか大丈夫か」

それとなく踊り続けてはいたけれど、の薔薇色の頬は真っ青になっていく。

「あの人、昼間見かけた人、今そこにいた。誰だったか、思い出した」

そして周囲に悟られないよう信長の胸に顔を押し付け、呻くように声を絞り出した。

「奇術師だ。私に薬を嗅がせて、さらった人、あの人が今ここに来てる……!」