続・七姫物語 清田編

07

「ここまで来るとちょっと病的だな」
「なんとでも言って。別に困る人もいないでしょ」
「それはそうだけど、銀国の春市って有名だし……
「それはそうなんだけど」

まだ毎朝毎晩冷え込むけれど、暦では春が近いある夜のこと。このところ任務が途切れがちな信長は毎日の部屋に来てはふたりで過ごしていた。じいやとふたり、大陸南部の問題に絡む歴史の勉強をしていることはまだ話していないが、闇雲に任務に突撃するのではなくじっくりと物事を見極めようとしているということは伝えてある。

が、新年を迎えて以来はシャオとの芝居作りに夢中で、あまり真剣に聞いていないようだった。ああ、が芝居のこと話してる時のオレってこんな感じなのかと信長は反省しつつ、書付けを前に腕組みでしかめっ面のに後ろから抱きついていた。

は今、カイナン城下町での春市を企画しているのである。

カイナンの城下町は東側の端に大きな市場があり、そこで月の始めには食品と日用品の大市が立つが、それはあくまでも商人のためのもので、一般市民には関係がないし、外国人も招かない。なのでは「お祭り」としての春市を城下で出来ないものかと企画を練っている。

だが信長が言うように、大陸南部の人々にとって「春市」と言えば「銀国の大春市」という印象が強く、似たような祭をやってみたところで「銀国の市みたいだね、あの爆破事件が起きた」と余計なことまで思い出させる可能性が高い。

それに、今から企画を進めたところで今年の春には間に合いそうもない。春市をやるならどんなに早くても来年ということになってしまうだろう。1年以上待てる気がしないは唸る。

「てかその企画書ってどこに持っていくんだ。まさか親父じゃないよな」
「まさか、陛下のところまで届かないよ。これは商人組合の組合長に相談するために書いてる」
「組合長……?」
「あれ、知らない? 大通りの大きな仕立て屋の」
「仕立て屋が組合長なの?」
「仕立て屋って言ってもカイナンの繊維の流通を取り仕切ってる人だからなあ」
……さんいつの間にか城下のやり手商人みたいに」

信長は長いこと一座に潜り込んでいたけれど、カイナンに戻れば当然城に帰る。なので座長の身近な人物とは親しくても、城下の人々とまでは面識もなく、大通りの仕立て屋と言われてもはっきりとは思い出せない。というかのような一座の女の子がそんな商人たちの親分みたいな人物に簡単に会えるものなのだろうか。

「座長の幼馴染なんだって」
「座長の顔の広さはなんなんだ」
「先祖代々城下町生まれ城下町育ちらしいから」

あるいはこの城下の表の主は組合長であり、裏の主は座長なのかもしれない。座長を介せば城下の商人組合と国王はお互い筒抜けということにもなる。なのでそれを知ったが春市の企画に夢中になったのも無理はない。上手くいけば城下の商人にとっても得だし、利があることを知ってもらいたい。

信長は「オレが顔出してやろうか」と言いかけてやめた。これはの仕事であり、大袈裟に言えば彼女の人生だ。自分が今将来に向けて努力をしているように、も暗中模索の真っ只中、じいやの言うように誰かが横から口を出すのではなく、自分で掴み取るべきものだ。

「でも言われてみると確かに城下には大きな祭がないよな」
「地方にはあるの?」
「それぞれの町や村にはあるよ。秋の収穫祭がほとんどだけど」
「城下周辺は農地が少ないからそれもないもんなあ……

カイナンは慎ましやかな小国だが、南部はそもそも平地が多く気候が荒れにくいので、大陸北部より何でも自給率が高い。その分周辺の国々との貿易の機会も少なく、国力が育ちにくくはあるのだが……

「うーん、でも私がやりたいのは結局芝居小屋なわけだし、いきなり大きな市でなくてもいいのかな」
お前……ほんとに芝居バカなんだな……

いつか王妃になった時のために民衆のことを考えて春市をやりたいのかと思っていた信長は腕を緩めて呆れた。のことは大好きだが、もし結婚出来てもこの人城から抜け出して芝居を観に行っちゃうんじゃないだろうか。それでいいんだろうか、王妃が。

だが、そんな王妃に呆れながら王座に腰掛け「何、王妃がいない? じゃ街に降りて劇場を探してこい」と言う自分を想像すると、思った以上に心が疼いた。警護隊に紛れて自分も劇場に向かい、驚く妻を抱き寄せて「夫を置いて二枚目俳優と浮気したのか?」とか言ってみたい。なんだそれ言ってみてえ〜!

「ねえちょっと、聞いてる?」
「えっ、うん、それで帰ったら浮気のお仕置きとかするんだよ。なんだそれ燃えるな」
「何の話だ。カイナンの庶民的な郷土料理ってどんなのがあったっけ」
「庶民的なと言われるとオレもちょっと……王子様なので……
「人のこと言えないじゃん、お気楽な王女様とかって偉そうにバカにしてたくせに」

に鼻をつままれた信長はフガッと息を詰まらせた。確かに途中まで物知らずのお姫さんだと思って馬鹿にしてました……すいません粋がってました……

「あとで座長に聞いてみるけど、そういう城下の人たちが好きな軽い料理の屋台とかどうかな」
「カイナンで屋台ってほとんど見ないからいいかもしれないな」
「まずは屋台とお芝居。お芝居は広場で誰でも見られるやつを」
「いいね。広場でお芝居なんて子供が大喜びすると思う」

広場は一座の本拠地の目の前だし、芝居をやるにしても観客がそれを眺めるにしても充分な広さがある。その程度からならひとりの企画としても無理がなさそうだ。

……最初はお前をひとり残して旅に出るなんて心配でしょうがなかったけど、は自分で道を切り拓いててすごいよ。オレがバカにしてた外出禁止令のお姫様はもういないな」

信長はまたの体を抱き締めて頬に唇を寄せた。カイナンに到着するまでのは「自分が守ってやらねばならない少女」だった。だが、自分が旅の中で成長しているように、で一座の中で自分を高めているように思えた。

……お姫様じゃなくても、いい?」
「当たり前だろ。がお姫様でも、やり手の守銭奴でも愛してるよ」

と出会ってからもうすぐ1年が経つ。任務の途中だというのに惹かれていくのを止められなかった世間知らずの姫は、やがて心から愛する女へと変わった。の唇を味わいながら、信長は心が少しだけ冷えるのを感じていた。

もう手遅れだ。例え祖国を捨てることになっても、オレはこの女でなければ愛せない――

もちろん座長がつきっきりで補佐してくれたおかげでもあるのだが、の「まずはお芝居と屋台の小さなお祭りを」という企画は組合長に歓迎され、好感触であることを座長が慎重に確かめたのち、元王女であることも明かした。

組合長は、自分は商人としての生き方しか知らないので、まっとうな商売が成り立っている以上は細かいことは気にしないけれど、社会情勢が不安定になってくると人の心も荒れるのが常だから、ここだけの話にしておきましょう、と言ってくれた。

というわけでの春市計画は組合長の許可を得て具体的な話になり、このところ巡業に出られなくて少々腐り気味だったプロメテ座の仲間たちも喜んだ。がいるおかげで国外での公演が減ったと思っていたけれど、予想外の新しい舞台が始まるかもしれないという期待でいっぱいになっていた。

というかこの一座、国外に出て公演を行う「巡業組」は固定の20人ほどで、実はその他にも旅には出ずに本拠地でのみ参加する仲間が15人ほどいる。たまに参加する兼業役者が数人と、大道具の師弟が3人とお針子、そして座長の元相棒である作曲家。なのでプロメテ座は現在40人弱の大所帯になっている。

さらに劇場館がある地区の顔役は座長のいとこであり、のことも信長のことも全て承知していて、こちらもの企画を喜んでくれた。ここ数年は大国の動向に怯えて意味もなく萎縮する日々が続いていたので、町の人々が楽しい時間を過ごせるなら大歓迎だという。

ただし、やはり今年の春には間に合わない。というか組合長と会談を重ねている間に春になってしまった。しかし来年の春まで待ちたくないは企画書の表紙に大きくバッテンを入れ、改めて大きく「夏市」と書き入れた。もう夜の市に芝居があれば何でもいいんだよ。

「夏市か。夏の夜に似合いそうな演目は何がいいんだろう」
「怪談なんかもいいかなと思ったけど、子供が見られないよね」
「いや、それいいんじゃないか。姫はまだ演ったことなかったかな、『幽霊御殿』だよ」
「あー、なるほど、あれなら笑えるしいい話だし、でもちょっと怖い感じにも出来るね」

さすがに芝居バカ、カイナンの古典的な演目でも話が早い。は信長がまた旅立った翌日の夜をシャオと過ごしていた。毎日信長が来てもいいようにお茶を用意しているが、旅立って数日で帰ってくることはないので、その間はだいたいシャオか、あるいは一座の女性がよくやって来る。最近では例の壮大な物語作りにも参加してもらい、さながら一座の女性みんなで作る演目になりつつある。

シャオの言う「幽霊御殿」は、商才のない冴えない男が世を儚んで死のうとしたところ、突然現れた先祖の霊に止められ、彼らの助けを借りて商売に成功し大きな御殿を建てるまでになるという物語だ。一応カイナンでは実話に基づく創作物の古典だが、長きに渡って手を加えられ続けた結果、笑って歌って最後はホロリと泣ける、人を選ばない演目になっている。

「しかしほんとに春市……じゃなくて夏市か、それを実現させるとはね」

シャオはその演技力から演じる役を問わない。なのできっと「幽霊御殿」の主人公も演じることになるはずだ。性別は異なるが、不思議と彼女が演じると男性に見えてきてしまう。はそれを想像するだけで心が躍るなと思いつつ、カップを傾けるシャオに頷いた。

「信長には『銀国の春市を思い出させるかも』って言われたけど、出来るところまでやってみたくて」
「王子は姫のことが心配でならないんだよ。知り合った時から惹かれてたんだからね」
「えっ、そ、そうなの……
……えっ、知らなかったの?」

が狼狽えているのでシャオは驚いて身を乗り出した。知り合って1年経つのに何やってんだ。

「そりゃまあ、気になってるとかそういうことは言わなかったけど、座長がいないところでお姫さんがお姫さんが、って聞いてもいないあんたのことをぺらぺらとよく喋ってたんだよ。なんだよ、大層な任務で預かってる王子が恋しちゃったんだろうかねってみんなで笑ってたらその通りになるからさあ」

は久々に真っ赤だ。出会ったときのことを思うと胸が締め付けられる。

……なによその真っ赤な顔は。てかまさかあたしが教えたこと、まだ試してないの?」
「えっ、そ、それは!」
「試したの試さなかったの、どっちよ!」

シャオに詰め寄られたは椅子ごと逃げ回る。というのも、信長とは心から愛し合っているけれど、婚約や結婚の件は完全に宙に浮いているのでキスが限界だということを彼女に打ち明けたところ、妊娠を避けながら愛し合う方法を教えてあげるよ! と言い出した。よく考えたら娼館出身だった。

座長に引き取られたので結局シャオが娼婦として働くことはなかったけれど、先輩たちの世話を焼きながら客の相手をする際の「作法」はかなりしっかりと仕込まれたそうで、嫁した先で世継ぎを産むための作法しか習ってこなかったに「楽しむ手段」をいくつも教えてくれた。

当然は混乱しまくり、大いに恥ずかしがったけれど、シャオは「幸せなことだと思うべきだ」と真面目くさった顔で言ってきた。想い合う者同士、肌を合わせて睦み合うのは幸福のうちのひとつ。大いに楽しんで心を豊かにし、日々の糧にするべきだ、と主張。

それが実に半年近くも前のことなので、シャオは詰め寄るわけだ。

「その、ええと、いくつかは、やってみようかって、話は」
「それで実際にやったの? 出来た? 気持ちよかった?」
「た、たぶん……
「たぶんて何よ! 出来たか出来なかったかくらいわかるでしょ!」

シャオはあけすけな性格をしているので気にならないのだろうが、そこは世間知らずのお姫様だったなので、急に全てをさらけ出すのはやっぱり恥ずかしい。というか自分もシャオも極端な生い立ちなので程よい加減がわからない!

だが、実際はシャオに教えてもらった方法は全て実践済みである。信長も喜んだし、いつも勢いでベッドに倒れ込んでは無理に気持ちを抑え込んできたので、やっと解放された気がした。一座の館の一室である手前そっと静かにではあるが、年が明けてすぐの嵐の夜にふたりはかりそめの初夜を過ごした。

以来、ふたりで過ごす時間にはゆったりと逢瀬を楽しめるようになった。が、それをシャオに言いたくはないは逃げ回り、騒ぎすぎて座長に叱られてしまった。

けれどこんな風に身近な人々と笑ったりはしゃいだりしながら、芝居を作ったり夏市の準備をしていると遠く未来にある不安を忘れられた。そうして信長が戻り、ふたりきりで時間を過ごせばもっと忘れられた。結婚だの婚約だの、侵略戦争だの王家だのを思い出して不安に苛まれる時間は暖かい季節の夜のようにどんどん短くなっていった。

気付けばはじいやともほとんど会わず話もせず、初めての夏市を迎えた。

劇場館の目の前にある広場に野外舞台を設え、周囲に5つの屋台が並んだ「夏市」はひとまずごく近所の人々がやって来るだけの、言ってみれば地区内の夏祭り程度でしかなかったけれど、そうした催しに不慣れな住民たちは大喜び。屋台のお菓子や酒を手に、子供でも楽しめるよう分かりやすく再構成された「幽霊御殿」で笑い、芝居の後は音楽に合わせて踊った。

当日のは屋台を手伝い、「幽霊御殿」では劇伴も弾き、座長やプロメテ座の脚本家のおじさんと踊り、最終的には遊びに来てくれた人々と一緒になってカイナンの民謡を輪になって歌った。

そして、湿度の高いべっとりとした夏の夜空に橙色と赤の灯りが浮かび上がるのを見て、野外舞台の影で少し泣いた。王宮からほとんど出ずに育ったにとって、生まれ故郷である銀国を偲ぶ面影と言えばこの橙色の灯りしかなかった。

高い塀に囲まれた狭い世界、の心をときめかせたのは春市の夜の灯りと信長だけだった。

シャオのように過酷な人生ではなかった。ドレスを着て毎日高級食材の食事を取り、部屋の掃除ひとつしたことがなかった。それらは全て失ったけれど、思い出すのはこの橙色の灯りだけ。故郷の思い出は全てこの夜に浮かぶ灯りの中にあった。

未だ手の中には夏市を企画する走り書きの紙しかなかったけれど、ひとつ自分の世界を取り戻したような気がした。信長は旅に出ていて一緒ではなかったけれど、いつかまたふたりでこんな夜を過ごしたい。たとえ結婚出来なくても、そんな夜があるなら生きていける気がした。

初めての夏市は地区の住民に好評だった上に、組合長からは「来年もぜひやりましょう。今度はもっと規模を大きくして城下中の市民に楽しんでもらえるようなものにしませんか」と言ってもらえた。

「幽霊御殿」の衣装のままのシャオは酒を片手にに並び、ニヤリと笑う。

「ねえ姫、もうすっかりカイナンの人って感じだね」

そう思ってもらえるだろうか。銀国の第五王女であった自分が、この国の人間になれるのだろうか。

私はこの国に生きていくことが、出来るのだろうか。

橙色の灯りを見つめるの頬を、真夏の熱い風が撫でていった。