続・七姫物語 清田編

17

「こんなところに救いの手があるとは……
「どうだ、完璧だろ」
「まったく、様の件はこれで一気に解決ですね。座長に抗議しないと」

アリスの叔父である教授の存在を座長は知っていた。それをもっと早く教えてくれていれば……とじいやはちょっと面白くなさそうだ。まあ座長は各国の縁組に関する法など全て記憶しているわけではないだろうから、仕方のないことではあるが。

教授はアリスからざっと事情を聞くと、信長の提案を快諾してくれた。聖都は古くから信仰都市である都合上、他国からの移住には寛容であり、その延長で審査さえ通れば貴族階級の縁組も他国に比べて容易だ。というか彼は養女という手段をすっかり忘れていた様子。

「では様だけでなく、ええとアリス様も一緒に縁組をなさるのですか」
「そう。だから書類上ではは聖都と星国の貴族階級の娘であり、銀国王妃の姪!」
「そうか……アリス様のお母上は王妃のまま亡くなられましたから、弟の娘で姪になりますね」

元々の身分は銀国の正統な王女なのだし、書類上だけでも「平民ではない」身分になれば法的な問題は解消出来たも同然。この思いつきにアリスは「またと姉妹に戻れるんですね」と喜んでいた。信長も疲労で麻痺していた心が元気になってきた。これでいつでも婚約できる。

「この件については3年かかっても糸口が掴めなくて心が折れかかってたんだよ。もういっそ誰も娶らずにも城下に置いといて、親父が死んだら国王権限で法を調整して妃にするしか方法がないんじゃないかと思ってたんだよな」

はーっと勢いよくため息をつく信長に、じいやは珍しく微笑んだ。

「言葉では散々伺ってましたが、若は本当に様を好いておいでなんですな」
「だからそう言ってるだろ。ていうかあんたはそういうのないのかよ」
「そういうことをやってる暇がなかったというのが正しいですが」
「はいはい、どうせ色気づいた甘ちゃんの王子様ですよ」

善は急げ、教授は養子縁組の相談をしに役所へ出かけ、アリスは通いの女性と夕食の相談をしていて、じいやは症状が落ち着いてきたので医者から起き上がってよいと許可をもらったところである。

今夜はじいやの家族を招いて食事、そのあとでクラヴィアと話す予定になっている。

「私の身内なんぞ、こんなお手間を取らすようなことじゃないのですがね……
「いいんじゃねえの、姉上楽しそうだし」
様の件が片付きそうとはいえ、緩みすぎと違いますか若」
「ここを出るまでには締め直しておくよ。早く終わらせて帰ろうと思えばやる気も出る」

クラヴィアの話次第によっては聖都からの出立も早まるかもしれないし、代表会議や街道沿い諸国の都合で事態は変わることがあるかもしれないが、信長はそれがさっさと終わることを願うばかりだ。早くの元に帰りたい。

だが、そんな浮き立った心に本懐を忘れるような子供でもなくなっていた。

――だから必要なことは全部話せ。いいな」

ベッドに腰掛けたままのじいやに、信長は上から見下ろしてそう言った。いつしか彼は、考えるよりまず行動だけで他に手がない少年ではなくなっていた。じいやは彼をひたと見つめ、そして深々と頭を下げた。目の前におわすのはカイナンの王子殿下、いずれ彼の国を引き継ぎ君主となる人物だったから。

少し早い晩餐に招かれてやって来たじいやの母親と妹は、聖都の通りに溢れかえっている尼の僧衣に身を包み、焼き菓子を手にしていた。聞けば行くあてがなく聖都に転がり込んできた女性の保護施設で働いているそうで、そこで暮らす女性たちの作るお菓子なのだそうな。

しかしどうにも聖都というのは文化の基本が厳しい修行の場だった時代のものなので、どれも味は二の次。その割に寒冷地域なので脂肪分はたっぷりという、南部に生まれ育った信長やじいやにはなかなかに厳しい焼き菓子だった様子。

だがアリスが考えてくれた晩餐は南部でもよく使われる食材を中心に、暖かく優しい味付けの料理が並んだ。ただし、体も大きく日々の運動量も多く、従って異様に代謝が高い信長にだけ、ちょっと濃い目の味付けの肉料理が添えられた。

じいやの母親は既にかなり高齢だが、年齢を感じさせない聡明なご婦人で、結婚前は教師をやっていたという。妹さんの方も銀国の軍で外国語の指導教官をやっていたと言うから、じいやの家はやはり当時の銀国では高い階級の家庭であったようだ。

それがなぜ出家することになったのかは、どちらも何も語らない。というか銀国での話題はそれきり、現在の生活のことしか詳しく話そうとはしなかった。

なので和気藹々の晩餐ではあったが、実に数年ぶりの再会となる親子はまるで近所住まい同士のように感慨もなく別れの挨拶をし、母子は帰っていった。

「そりゃあそうでしょう、おふたりは何も信仰心から尼になったわけじゃない」
「ふぅん」
「妹さんなんか離縁までして尼になった。それだけのことがあったのですよ」

食後、居間に戻った信長はクラヴィアとアリスの向かいに座って足を組んでいた。じいやは少し離れて椅子に座り、信長の隣には教授が陣取っていた。 教授は書類を手にしていて、咳払いを挟む。

「その前に殿下、様を養女とする件は問題ないそうです。ご本人がいらっしゃる必要もありません。必要でしたら書類を発行してくださるそうですし、こちらを出立する前にご入用でしたらお言いつけください。その後私の遺産を放棄する書面だけご返送くだされば終わりです」

教授の遺産には聖都の資産となる近代文学に関する多くの史料が含まれるため、その相続人は聖都に居住が義務付けられる。なのでそれを一切放棄するならば、という条件がついたので、信長とじいやは本人に無断でそれを承諾した。ならそんなものの所有権を主張したりすまいが、もしそういう事態になればアリスが補填すると請け合ってくれた。

「アリスの妹君を妃に、ですか。南部は結婚が早いですね」
「ついでだ。の件もちょっと聞いてもらうか。たぶん姉上も聞いてないと思うんだけど……

何かが引っかかったままの例のお茶売りの件を信長が説明すると、アリスとクラヴィアだけでなく、教授までもが難しい顔をしてため息をついた。

「その件の真相と直接結びつくかどうか分かりませんが……あるいはそちらのじいやさんが標的なのではないか、というお考えは間違っていないと思います。というか、そちらのじいやさんの父親が原因で、と言えばいいか。簡潔に話しますから、反論は後にして下さい」

現在は一介のピアノ弾きであるという遠慮があるのか、クラヴィアは信長に対しては謙った態度を崩そうとしない。だが、あくまでも彼は「じいやの父親のせいで国を追われた」という点を強調するらしい。指に嵌まる灰簾石を撫でながら彼は大きく息を吸い込んだ。

「簡単に言うと、そちらのじいやさんの父親、当時の銀国諜報部の重鎮であった通称『時計屋』が我が国と通じ、金を目的に非合法な取引、そして情報漏洩を行っていた。そのために星国の諜報員であった通称『魔術師』を罠にはめ、結果として魔術師が銀国と通じるきっかけを作り、いざ『敵国と通じる諜報員』が交差してしまうとまた魔術師を陥れて事態の発覚を工作した。事態の発覚そして逮捕を恐れた魔術師は事もあろうに私の父に罪を押し付け、時計屋と通じていた王は自らの罪から逃れるために王子で世継ぎであった私の父を処刑した」

クラヴィアの隣に腰掛けていたアリスが目を閉じ、唇を固く引き結んで身を縮めていた。彼女には負担の大きい話だろうが、退席するつもりはないようだ。

「王とは言うが、私の祖父は星国の出身ではなく、正統な血統である私の祖母の夫に過ぎず、しかも私の父の父親でもなかった。前夫の子である王子を処刑することに躊躇いはなかっただろう。当時私の祖母は既に亡く、運良く王位に就いただけの余所者だ」

正統な血統であるクラヴィアの祖母が亡くなった時、クラヴィアの父親である王子はまだ成年に達していなかった。なのでその夫が「仕方なく繋ぎ」で即位したに過ぎなかったわけだが、彼は王座につくと態度を一変させ、終いには次の世を継ぐ人物を処刑してしまった。

あとを引き取った教授も肩を落とす。

「まだ幼かったクラヴィア殿下をお救いしたのは、彼のピアノの指導者でした。王子が投獄された時、殿下の母君は心労のあまり体調を崩し妹の家に身を寄せていたのですが、母君の状態が思わしくないことを悟ると、ある日無断で彼を連れ出し、この聖都まで逃げ延びてきました」

この大陸で身元を隠して逃亡するなら聖都、はよくある手ではある。なので以前から行方不明者の照会は常に行われているが、なかなか発覚には至らない。なぜかというと、もし私欲からの罪を犯し逃れてきたとしても、この聖都は欲を許さず堕落を認めない気風が強い。協調性を持たない身勝手な人間にはあまりにも暮らしづらい土地柄なのである。なので聖都に隠れ潜むのは、そんな修行のような生活を耐えてでも何かから身を守りたいという人物ばかりになる。クラヴィアの命を守りたかったピアノの指導者が聖都を選んだのは当然のことだっただろうし、事情を知った人々は口が裂けても『この少年は星国の王子だ』などとは言わなかっただろう。

……私を救ってくれた師匠は当時既に高齢で、古い知り合いである当時のアポロン音楽団に私を預けると、そのまま息絶えた。その頃に母も死に、私は父親をふたり失い、母親ひとりを失った」

幼いと言っても記憶はある年齢だったのだろう、クラヴィアは灰簾石の嵌まる指が赤くなるほど手を強く握り締めた。両親と師匠を失った悲しみよりも、彼らを奪われた怒りの方が強いように見える。

……教授も星国の出身だったよな?」
「はい。私は当時、クラヴィア殿下の、叔母君の、婚約者でした」
「えっ!?」

信長は驚いてつい大きな声を上げた。じゃあ昔馴染みみたいなものじゃないか……

「もうすぐ結婚という時でしたが、彼女は正気を失ってしまった姉から離れられず、私は私で銀国に姉が嫁いでいましたから、嫌疑をかけられる恐れがあり、聖都に亡命しました。追って彼女も迎え入れるつもりでいたのですが、行方不明です」

こうして星国では一時、王家と天文学の祖の一族で成り立っていた中枢を入り婿に乗っ取られていた。それは結局世継ぎがないまま王が死んだことで有耶無耶になったけれど、今も星国は空白の王座を守りながらクラヴィアの行方を探しているのかもしれない。

「聖都に亡命が認められてから2年ほど経った頃でしょうか、国立学院に籍を置くことになったのでこの街に越してきましたところ、故郷の童謡が聞こえてきたので懐かしくなって覗いてみたら、なんと王子殿下がひとりでピアノを弾いていたのです。楽団が演奏旅行の時は置いていかれていたのですね。通いの尼に世話をしてもらっていたようですが、慌てて引き取りました。当時の王子はお辛いことが続いたせいで声が出なくなっており、治療には長い時間を要しました」

教授はその頃に一度姉に会いに銀国を訪れたが、直後に彼女が病没したため、アリスともそれ以来会っておらず、クラヴィアを守りながら暮らしてきた。

信長は頷きながら聞いていたが、口は挟まない。じいやには「話せ」と命令はしてある。それ以上の助け舟を出してやる気はない。それを察したじいやもまた大きく息を吸い込むと、背筋を伸ばした。

「ご異論はございましょうが、私の父・時計屋と、魔術師の件はどちらかの策略ではなく、同時に進行していたのです。ご存知のように銀国の前王は大変なけちでしたから、重要な任務に携わる諜報員でも薄給、我が家は全員が働かないと食っていけない有様でした。父が金銭欲に取りつかれたのはまあ、それが原因でしょう。対する魔術師は銀国のような大国に、つまり都会に強い憧れを持っていたのだと思います。あれはどちらもが強い強い欲のために引き起こした事件です」

クラヴィアは納得がいかないようだが、こちらも口を挟むつもりはないようだ。

「時計屋、私の父は当然始末されました。私も諜報員の職を退き、母と妹は聖都に。当時の信頼できる筋の情報では、魔術師も同様に処分されたと、聞いていたのですが……影武者を立てたのでしょうね、殿下の祖父である、星国の王が」

だが、クラヴィアは「その第三勢力を率いているのは魔術師」だと言った。じいやの無数の「心当たり」の中で死んだものとしてばつ印を打たれていた魔術師は生きていた。そうすると――

「参ったな、仮説でしかなかったあれこれが全部説明できちゃうじゃねえか」

を連れ去ったのが「奇術師」だったことも、魔術師という通り名の人物が率いる組織との関わりを簡単に想起させる。信長の読みは遠からず、じいやが標的のうちだったことは正しかったのかもしれない。銀国の企んでいた侵略戦争問題は隠れ蓑、標的は最初から銀国の王と、時計屋の息子――

「てかどうやってそんな情報を手に入れたんだ。代表会議でも簡単に掴めなかったのに」
「星国にもこの事件の解決を諦めていない人々がいますので」
「なんか暗躍してる組織があるってことなわけね」

はっきり言わないクラヴィアに信長は鼻で笑ったが、信長がずっと突き止めたいと思ってきた問題の「根本」はその姿が見え始めたと思っていいのではないだろうか。

「で、そういうことだから、魔術師とやらの討伐にもなるので、殿下も同行する、と」
「そういうことです。別に今でも私はアポロン音楽団の主宰ですし」
「まあそうだよな。じゃあ、それは断るよ」
「はい、そう――えっ!?」

信長は長椅子の背に両腕を引っ掛け、足を組んだままにこやかに言い、クラヴィアを仰天させた。

「しかし私は!」
「あんたピアノ弾きだろ。討伐は令状持って大人しい犯罪者を捕まえに行くわけじゃない」
「それはわかっています!」
「わかってるならここに残れ。自分がその指輪の主だと思うならここで討伐が終わるのを待つんだ」

おろおろするアリスと教授の間で信長は厳しい声を出し、クラヴィアはどう説得したものかと唇を噛んだ。確かにクラヴィアは今のところピアノ奏者でしかないが――

「でも、殿下は行かれるのでしょう。私と同じように、たったひとりの世継ぎなのに!」
「オレはもう4年も諜報活動で大陸中を旅して回ってる。今回の討伐隊でも普通に戦闘員だ」

にはちょっと嘘をついた。確かに同盟各国の代表はそれなりの人物が務めているが、信長の場合は同時に現場に出られる強みがあった。作戦決行の際に司令部で待っているための代表ではない。

「だから、だったら私より余計に危険なわけでしょう!」
「だから言ってんだよ! オレがもし死んだらを引き受けろ!」
「殿下! 死ぬだなんて、おやめ下さい!」
「姉上、あなたもです。私が戻らなければクラヴィア殿下とふたりでを守って下さい」

信長はそう言うと立ち上がり、また一同を上から見下ろした。

「情報が全て正しければ魔術師の標的は前銀国王とじいやだ。だがそこに絡んでも狙われている。が今オレと恋仲で、じいやが従者になっていることも把握してるだろう。3年前の銀国春市で狙われたことと、奇術師がカイナンに現れたことはやはり繋がっていたんだ。魔術師を、第三勢力を壊滅させるのに余計な感情を持っている人間を連れていくことは出来ない。討伐隊はお前ひとりの復讐のためにあるのではない、諦めろ」

そして長椅子にかけてあったマントを羽織ると、さらに大きな声を出した。

「じいや、今すぐをここに呼び寄せろ。教授、を匿う準備を頼む」

身軽で直情的な性格の少年だった頃を知るじいやと姉上は少しぽかんとしていたが、早くしろと言われて慌てて部屋を出ていった。そして後にはまだ両手を握り締めているクラヴィアだけが残された。