続・七姫物語 清田編

04

陛下に引き止められてしまったじいやを残し、と座長は先に劇場館に戻ってきた。

「姫、どうか諦めずに」
「座長、姫はもうやめてください。私が本当に姫だったら、こんなことには」
「捨て鉢になってはいけません。陛下のお言葉をよく思い出してください、あなたが問題なのではない」
「それはわかってるけど、この大陸の南部が不安定なのも、元はといえば私の父親のせいで」
「それを陛下が責めましたか? そんなことは言わなかったでしょう」
「だけど南部の国々が全部落ち着きを取り戻すのに一体何年かかると!」

は身に着けていた装飾品をむしり取っては衣装箱の中に戻し、力任せに髪も解いた。良い君主であるらしい陛下の「認められない理由」はがどれだけ籠の中の鳥育ちでも、しっかりと理解できる。正しいと思う。それを諦めるな、などと言う座長の方に苛立っていた。

……北の方はともかく、南部ではだいたい18から22くらいの間が適齢期」
「だからと言って王子がその頃に必ず結婚しなければならないわけではないでしょう」
「断れない相手から縁談が来たら陛下は迷わず受けるでしょ!」
「それは諦める理由にはなりません!」
「どうして!」
「そりゃオレもお前のことがずっと好きだからだよ」

言い合いをしていたと座長は突然信長の声が聞こえてきたので、揃ってくるりと振り返った。劇場館は城下の大通りを少し外れた地域にある地下2階地上4階建ての建物だが、その3階の窓に信長が腰掛けていた。は駆け出して飛びつき、信長はその体をマントの中にくるみ込んだ。

……ごめん、城に戻ってから何度も何度も話したんだけど」
「立派なお父様だね。お母様も可愛らしい方で」
「母親は歓迎してくれたよ。オレが選んだならそれでいいって」

信長がの髪をゆっくりと撫で梳いていると、扉を叩く音がして、じいやが入ってきた。

「じいやさんだけ残って、どうなったんですか」
……一時的にではありますが、私は城に召し抱えられることになりました」
「召し……じいやさんがですか? なんでまた……

座長とじいやが話しているその向こうでキスをしていたと信長だったが、座長の問いにじいやが答えないので、信長が代わりに口を開いた。

……王女の養育係だっていうのに、妙に腕が立つだろ」
「城の警備なら今でも充分でしょう」
「んにゃ、城の警備じゃなくて、オレの護衛」
「はい?」

信長は座長の方は見ない。の頬を指で撫でながら、低い声で続ける。

「言ってただろ、を婚約者として認められないのは、今はまだあの騒ぎからほんの3ヶ月程度しか経っていないからだって。しかも、のおやっさんが死んでも大陸南部がえらく危なっかしい状態にあるのは変わってない。だったら、それを終わらすしかないじゃん」

軽薄そうな喋り方だったけれど、信長の表情は厳しい。王子の装いにマントを羽織っただけでやって来たらしく、それが表情をより深刻なものに見せている。裾を残して一束に括られた髪に、長い紐のついた髪飾りが揺れている。

「こんな状況下では絶対に無理だって言うから、だったらオレがこんな状況終わらせてやるって、言ってきた。その代わり、オレに縁談が来ても全力で断れって、約束させてきた。だから、オレ、またあちこちに旅に出て、色んなもの片付けてくることになったんだ。じいやはその護衛」

自分がこの大きな仕事を成し遂げるまで、どこからも縁談は受け入れるなと約束をさせた信長はしかし、父親から独りで出来るわけがないだろうがと突っ込まれたので、のじいやがやたらと腕が立つから借りると言ってしまった。すると陛下は神妙な顔つきで「知っていたのか」と言い出した。

「でも、わざわざじいやでなくても本職の人の方がいいんじゃないの」
……それは本人に聞きな」
「どういうこと?」
……姫、私も元は諜報員だったんです」
……は?」

の声がひっくり返る。無理もない。子供の頃から日常の躾やら勉強やらを小うるさく指導してきただけの人である。にとってじいやは妙に腕っ節が強いと言うだけの家庭教師程度の人だった。

「諜報活動の中で問題が起こって失脚しまして、それで姫が2歳の頃にじいや職に転属したんです」
「しかもウチの諜報部の長老と顔見知りでやんの。ふざけてるよな」
「こちらとは敵対関係になったことがないですからね。面識がある程度ですが」
「な、オレの護衛にぴったりだろ」

声だけは明るいけれど、信長もじいやも表情は暗い。

「それじゃあ、ふたりとも、いなくなっちゃうの?」
「二度と戻ってこないわけじゃない」
「だけど、ふたりだけで旅に出るんでしょ?」
「ひとつ仕事が終わるたびに帰ってくるよ」
……毎日、会えなくなるんだね」

俯いたを信長がぎゅっと抱き締める。

「座長、オレが留守の間、何か問題が起こったら迷わず王妃に。非常用の手段を使っても構わない」
「かしこまりました」
の身元はくれぐれも明かさないように」
「一座の全員が肝に銘じています」
「それから……この窓の鍵だけは、いつも開けておいてくれ」
……そのように。こちらは姫のお部屋にいたしますから」

信長は座長の返事に頷くと、にキスをして額を擦り付けた。

「帰る前には文を出す。にだけ、わかるように」
「うん……待ってる」
「ここで待ってて。夜になったら、来るから」

座長とじいやが部屋を出ていったので、信長はまたの唇に食らいつき、体を掻き抱いた。

、オレは諦めないから、お前も諦めないでくれ」
「危ないことは、しないでね」
「気をつけるよ。じいやまで取り上げることになって悪かった」
「ううん、私はここでお芝居を作って、待ってるから」
「お茶を用意して待っててくれるか? お菓子、持ってくるから」

春市の夜、外出禁止を食らったの元に、信長はお菓子を手に窓からひらりと現れたものだった。あの頃はお茶とお菓子で、まだ友達くらいの距離感で、だけどどこか惹かれ合っていた。それを懐かしく感じてはぎこちなく微笑んだ。

「王子様、いつか私をさらいに来てください」

「王子、姫に全て話していないのではないですか」
「言ってどうなるよ。不安にさせるだけだ」
「任務にお供するのは結構ですが、その結果姫が辛い思いをするだけなのでしたら私は」
「今は他にどうしようもないだろ! オレが働いて結果残すくらいしか出来ることがないんだよ」

翌日、早速旅に出た信長とじいやは馬で並んで走りながら、言い合いをしていた。

実は、じいやが城に残されたのは他でもない、この旅の件だけでなく、の母親が故郷に戻って「国王の妹」という身分を捨てて平民になったとの報せが既に届いていたのである。大陸南部では古くから実より名が重んじられるので、例え伯父が国王だったとしても、母親が平民の身分になった以上は娘も平民と考えるのが慣例だ。

それを「お血筋はもちろん問題ない」と言ったのは陛下の優しさだったのだろう。だが、現状信長が唯一の王位継承者であり、小さいながらも大陸南部の王家であることを考えると、母親が平民下りをしてしまったのは非常にまずい。民の感情が歓迎になったとしても、法治国家である以上は許されない。

身分を問わない刑法とは別に、この大陸の王国には「お家のしきたり」とでも言うべき法が定められていることが多く、ご多分に漏れずカイナンでも平民との婚姻は出来ない。これを曖昧にすると野心家につけ入れられて気付いたら血筋ごと乗っ取られていた……なんて例はいくらでもある。

そういうわけで、現在ただの平民の娘であるは、結婚どころか婚約すら違法になってしまう。

「しかし結果が出たとしても、それが本当に王子の功績だと果たして信じますかね」
「じゃあ他にどんな手があるっていうんだ」
「言ってもよろしいんですか?」
「なんだよ、いい案があるなら言ってくれよ」
「カイナンが滅亡する、またはあなたが王子の身分を捨てて平民になることです」
「はあ!?」

じいやがあまりにもさらっと言うので、信長は甲高い声を出して馬上で傾いた。

「何言ってんだ、そんなこと――
「では、姫のために王子という身分は捨てられない、ということになりますね?」
「そりゃそうだろ、捨てたとしても――
「つまり、王子はお父上様と同じなのです。様だけいれば良いというわけではない」

父親と同じと言われた信長は途端に言葉を失って黙った。父親は父親であることよりも国王であることを優先せざるを得ない状況だと言った。そのためにを婚約者とすることが出来ないと、そう結論づけた。と一緒になれないくらいなら王子の身分など、とは考えたことがなかった。

「オレが……オレに、王子やめろって言うのかよ」
「いいえ。王子はまだ姫がどれだけのものを失くしたのか、おわかりでないと思ったもので」
「どういう意味だよ」

じいやは信長より遥かに年上だが、その普段のゆったりとした動作からは考えられないほど俊敏で、そして凄まじい豪腕である。今ここでカッとなってじいやに掴みかかっても斬りかかっても敵わないことをわかっているので、信長は睨んで低い声を出すだけで我慢している。

「むしろもう残っているものの方が少ないのです。家族も家も財産も身分も、姫のような年頃の少女が持つような手鏡ひとつありません。全て一座のお嬢さんたちが貸してくださるだけです。あとはこの元諜報員の老いぼれくらいしか、姫の持ち物はありません。その姫が今一番手放したくないものはなんだと思います。ご親切な王子のお母上様がお気遣いくださったとき、姫はなんと言いましたか」

それを思い出すと信長の胸は痛む。

「私は3歳から姫をお育てしている者として、確実な方法が欲しいと願っているだけです」
「確実な方法なんて――
「王子はそれをお父上様とじっくりお話することより、外に出りゃなんとかなると思っておいででは?」

というか、そもそも信長の行動原理が「考えるよりまず行動」なのである。これは主義思想などではなく、生まれつきの体質のようなものだ。考えるより先に「考えるよりまず行動」を選ぶのである。じいやの言うことも一理あるが、これまでそういう生き方しかしてこなかったので、うまく反論できない。

「こうした任務に赴いて南部の情勢が落ち着いたとしましょう。王子が民の感情に訴えて歓迎されたとしましょう。だけどやっぱり法を破ることは出来ないので婚約は出来ません、ではお話にならないのですよ。その結果姫は一座預かりのままあの館に寝起きするだけになり、いつかいずこかの姫君を妃に迎えるあなたを遠くから見なければならないのでしたら、私は今すぐ引き返して姫とカイナンを出た方がマシだと思っています」

やけにじいやが饒舌だという違和感も感じないほど信長はうなだれていた。じいやの言うとおりだからだ。の身分がないことは、自分が王子のままでは結局一緒にはなれないことを意味する。

「あなたと姫の仲を疑っているわけではありません。あの状況の中、地下牢までやって来て姫を迎えに来たあなたのお気持ちは本物でしょう。だけど、姫もあなたもまだ16歳、長い生涯を考えれば傷は浅く済むと、まあ年寄りはこう考えるわけです。それだけの話です」

考えるより先にまず行動で生きてきた信長の頭では、ちょっと考えれば代案が出てくるような問題ではなかった。問題解決のためにはどこから手を付ければいいのかもわからない。そのせいで頭がぼんやりしてきて、じいやの話がまるで他人事のように聞こえてきた。年寄りでなくてもみんなそう思うんじゃねーの……

とは離れたくない。王家の男子としてはやや早いかもしれないが、今すぐ結婚してもいいくらいに思っている。一座に潜り込む前に母方の親族が政略で結婚したが、上手いことに引き合わされたその時からふたりは惹かれ合い、政略なのにお互い心から望んで夫婦になったという。そういう例もある。

だから、若い王子が外で遊んでるうちに燃え上がってしまっただけの気の迷いでは済まされたくないという思いもあった。密書を運んでいる途中で襲われ、目覚めた時にはのことを思い出していた。自分の故郷よりも任務よりも、の天使爛漫な笑顔が暗転して見えて、激しく後悔した。

傷が塞がってないと止める医者を振り切り、頭から血を流しながら馬で三日三晩走り抜いたのは、をどうしても失いたくなかったからだ。そう、その時は確かに、自分の命を引き換えにしてでもを救い出したいと思っていたのだ。だから決死の覚悟で戻った。

それが3ヶ月の旅を経て故郷に戻ったことで気が大きくなったんだろうか。父親と大喧嘩しつつも、一度も自分が王子の身分を捨てれば――という選択肢を思い描いたことはなかった。父親の頭が固いだけ、民もほとぼりが冷めれば気にしない、そうしたら身分がないことなんか黙っていればわからない。

オレが王子やめてどうするんだよ、平民暮らしなんかしたことないふたりがどうやって生きてくんだよ、なんていうのは子供の駄々のような反論という気がした。負け惜しみにも似た些細なこと、そのくらいしか言えないのかと、自分で思った。じいやはそういうことを言いたいのではない。

父親がダメだと言うばかりでマトモに取り合ってくれなかったのも、そういう理由からだろうか。

……確実な方法を模索しろって、言いたいんだな?」
「ですからそう申し上げています」
「あんたにとって、オレはまだを任せられない男だってことだな」

じいやが否定しないので、信長はその瞬間に腹が据わった。そういうことかよ。

「よくわかった。けどオレは諦めが悪いんだ。確実な方法、絶対に見つけてやるから、あんたも手伝え」
「仰せのままに」

ふん、と鼻を鳴らして馬に足を入れた信長はじいやを置いて先に出る。髪が風になびき、一座に潜り込んでいるときから羽織っているマントが翻る。

それを眺めながら、じいやは陛下と諜報部の長老との話を思い出していた。

陛下は何しろ王子の婚約どころではない。銀国の事件のせいで事態はより混迷を極めた。父親としては息子の決断を歓迎してやりたいが、立場上無理が多すぎる――という本音をじいやは信長のいないところで聞いていた。するとそこに諜報部の長老が現れた。

「これはこれは……君が王女のじいやとは。ふん、顔だけは老けて見えるけど、他は変わらんな」
「まさか。少々蓄えがあるくらいなものです」
「何が少々だ。一生遊んで暮らせるくらい溜め込んでるくせに。私は忘れてないぞ、十字の――
「ははは、諜報部の古老ともあろう方が、おとぎ話を信じておられるようで」

長くカイナンの諜報部で働いてきた総白髪の男性は陛下からも「長老」と呼ばれていて、じいやはそれとにこやかに話しているように見えるが、ちっとも楽しげではなかった。じいやが長老の嫌味をはぐらかしているので、陛下は咳払いとともに割って入った。

「それはともかく、姫の件は私の方でも考えよう。よい姫君のようだし、それは問題じゃない」
「は、恐れ入ります」
「それと引き換えに、というのは言い方が悪いが、その分君に働いてもらう」
「なんなりとお申し付けくださいませ」
……なんなりと? 君より未熟者だが、これでも一国を預かる立場だ。舐めてもらっては困る」
「そんな、滅相もない」

じいやの言葉は慇懃無礼に聞こえたようで、陛下は嘲るような笑みをたたえていた。

「だったら、同盟国の代表会議に名乗りを上げて侵略戦争で私欲を満たせると信じ込んでいる勢力を全部片付けてきてくれ。そうしたらどこか遠い国の分家に金で頼んで姫君を養女にでもしてもらおうじゃないか。君がかつての働きを見せてくれるなら、そのくらいの金はむしろ安いものだ」

陛下にそう言われたじいやは初めて頭を下げ、「お許しを」とだけ呟いた。

「我々が姫君のことを盾に無理難題をふっかけているとでも思っているのか? 君は姫の処遇が安定しないのを不満に思うんだろうが、自業自得で滅亡しかかっている王家の末端の少女ひとり、放り出されないだけありがたいと思ってくれなくては困る。彼女を預かることでこちらも危険を冒しているんだ」

じいやは反論せずにさらに頭を下げる。

「幸い、過去の働きに加え、君には10年以上王家の子女を養育してきた経験もあるからな」
「まあ、王子はまだヤンチャ坊主のようなものですが、それでもいずれは国王となる身ですからね」
「諜報活動をしていると言っても、座長や代表会議の庇護の中で働いていたに過ぎないからな」
「今回のことは良いきっかけであったかもしれませんね」

頭を垂れるじいやに構わず陛下と長老はそう結論づけ、少しだけ笑った。

「というわけで、君には王子を警護しつつ南部の問題解決のために働いてもらいたい。そのついでに息子を鍛えてほしい。どうにもあれは『考えるより先にまず行動』だけで他に手がない。今我々が手を尽くして姫君を与えてしまっては自分で問題に取り組むことを覚えないだろうからな。その代わり、君が協力を約束してくれるなら姫は我々が全力で保護しよう」

陛下からの思いがけない「取引」だった。

正直、の側を離れることは本意ではなかったのだが、カイナンは日常の危険以上の不安はない穏やかな場所だし、今、じいやにとっての安全は最優先事項であり、他に選択肢もなかった。

それに、自分が働くことでの安全が確保されるなら、それはむしろ安い取引であると言える。じいやが素直に従順な態度を取れないのは、ひとえにこの長老が過去の自分をよく知る人物だからであり、それが回り回ってや座長たちの耳に入ることを恐れているからだ。

しかし取引を持ちかけてきたのは陛下の方なのだし、じいやが銀国の元諜報部員だなどと彼に吹き込んだのは長老であろうし、かといって信長に「正体」を明かすつもりもないようだから、心配はなさそうだと彼は考えた。これは「取引」なのだから、言う通りに働いている以上は勝手なことはするまい。

そういうわけでじいやはこの取引を受け入れ、13年間育ててきたを一座のねぐらに残して、信長と旅立ったのである。一刻も早くを婚約者、あるいは妃として認めさせねばならない。

そのためには王子、容赦しませんからね。

じいやは先を行く信長の若々しい背中に向かって、冷たく尖った視線を投げかけていた。