聖都の外れに集結した同盟国の「隊商」は、いよいよ雪が降り出しそうな空の下を街道に向かって出発した。最新の調査で明らかになった組織の拠点5つのうち、4つが街道沿いにあり、離れたひとつのみ別働隊が向かっている。そちらは聖都とはまた別の自然信仰の教団を装っている。
隊商に見せかけているだけでなく、立ち寄る町や村では実際に商いもし、信長は久々に曲芸師でおひねりを稼いだり、アポロン音楽団も積極的に演奏会を開いた。
銀国の北に位置する街道まで来ると、こちらはまだ日中なら暖かな日の差す気持ちのよい秋である。いかな南部でも真冬には雪深くなる地域もあり、この穏やかな秋のうちに討伐を成功させたい、というのが代表会議の正直なところだった。
なので隊商のふりをしながらも出来るだけ急いで進み、別働隊とも同時に全ての拠点を襲うつもりでいた。5つの拠点は3つの国に散らばっていて、それらの国も警戒を続けている。出来るなら年内に厄介者を片付けてしまって、安心して新年を迎えたい。
街道に長く列をなす隊商が司令部として用意した村に到着すると、そこには例のクラヴィアの情報源が待ち構えており、星国に近い拠点に魔術師が潜んでいると確認が取れたと報告してきた。
「ここは……かなり古い城じゃないのか」
「城?」
「今から千年以上前、このあたりは今よりももっと細かく国が分かれていて、おそらくその頃の……」
魔術師が潜んでいると思われる古城は、現在は星国の隣に位置する国の森林地帯の一角にある。クラヴィアによればその辺りは今はもう存在しない小さな王国の遺跡が点在しているそうだ。その中の城と思われる場所に魔術師がいると確認が取れたのはほんの数日前だったそうだ。
「当日までに勘付かれないことを祈るばかりだ」
「ま、大丈夫だろ」
「……殿下はずいぶん楽観的なんだな」
村は既に代表会議が金で買収しており、秋の収穫祭に隊商が招かれて数日間を過ごすという状況にしてある。村の外には無数のテントが立ち、その中のひとつで信長とクラヴィアは地図を挟んで食事をしていた。アポロン音楽団とじいやは気を使ってか、外で食事をしているらしい。
「まあな。オレは何もかも成功してまーるく収まるって信じてるから」
「今まで危険な目に遭ったことは?」
「血だらけで銀国に戻ってきただろ」
「……あの時は驚いた。まだ幼い少年というくらいの王子殿下がここまでするなんて、と」
銀国は工業地区に代表会議の隠れ家があるのだが、地下牢に捕らわれていたたちの救出作戦に協力してくれることになった一座や楽団は何日かそこに詰めていた。その時の信長は血に染まった包帯をあちこちに巻いたまま一日中駆けずり回っていた。
「ああいうのは理屈じゃないだろ。を助けたくてじっとしていられなかった」
「……出発前、アリスに求婚してきた」
「は!?」
「返事はもらってないから私が伝えただけだけど」
「あのな……そういうことすると死ぬって言われてんだぞ……」
「でしょうね」
信長はテーブルの上にこぼしてしまったスープを拭いながらニヤリと唇を歪めた。まあオレも人のこと言えないんだけどさ。
「……殿下は様を妃に迎えるんだったな」
「カイナンに帰ったらな。教授の養女になったから、もう何も問題なし」
「反対は?」
「初っ端から父親に反対されたよ。銀国の事件の直後だったし、認められん、てな」
「今はもう大丈夫なのか」
「民の反発とかそういうことか? それも大丈夫。それはが自分で何とかしたから」
クラヴィアが首を傾げるので、信長は少し伸びてきた耳の後ろの髪を指に絡めた。
「あいつはどうしても春市をやりたかったんだな。芝居があって、音楽があって、みんなで夜更かしして歌って踊って。それをひとりで城下のおっさん連中にかけあって、最初は小さな地区の祭から始めて、3年目の今年は城下中をあげたカイナン最大の祭にまで育て上げた」
3年目の今年は芝居にかかりきりだったので、は準備委員会からは手を引いていたのだが、まあいいだろう。の春市への情熱が、農村の収穫祭くらいしか祭のないカイナンに大きな催しをもたらしたのは間違いない。あるいは、
「かと思えば、子供の頃から過酷な生活を強いられてきた女の物語を作って絶賛されてる。女の物語っていうけど、あんたにも響くんじゃないかな。いつか姉上と一緒に見に来てくれよ。きっとあれはあんたや、姉上やみたいに一瞬で日常を奪われた人々への賛歌なんだろうから」
聖都でほんの数日顔を合わせただけのアリスの妹は、まるでどこにでもいるような町娘にしか見えなかった。このぎらぎらと輝く真夏の太陽のような王子を惹きつけてやまない強烈な魅力があるようには感じられなかった。だが、のことを語る信長の眼差しは春の日差しのように穏やかで、クラヴィアはきっと自分もアリスを見つめている時はこんな目をしているのだろうなと思った。
「銀国がどうとか、南部の情勢がどうとか、きっともうみんなそんなことよりも、自身を見てくれてるはずだ。カイナンはド田舎の小国だけど、だからこそ国を預かる連中にはしっかりと目を光らせてる。王子の妃を持参金の額やドレスの飾りの多さで見たりはしないとオレは信じてる」
かつての銀国のような大国の、さらに都市部の政に関わる人物であれば信長の言葉は鼻で笑い飛ばされていたかもしれない。けれどカイナンは小さくて穏やかな国だし、これもひとつの在り方なのではとクラヴィアは思った。星国は天文台から始まった技術大国ゆえ学問を特に重んじる気風があり、その分聖都のような信仰には理解がない国でもある。どれが正しくてどれが間違いということもないはずだ。
ただ自分やアリスように罪もなく苦難を強いられる人がいない場所でありさえすれば。
アリスを妻にと望む気持ちにはそうした願望から来る感情も強い。アリスとなら自分の思いを失うことなく父から譲り受けるはずだった王座を守っていかれる気がする。
「姉上、尼になりたいって言い出してなかったか?」
「なので返事は保留」
「ふぅん、じゃあ姉上が頷いてくれたらオレたち義理の兄弟になるのか」
「なんだそのニヤニヤ顔は」
「うちのんびりした国だけどよろしくな。兄弟のよしみで技術指導よろしく。劇場建てたいんだよ」
政略結婚で大陸中が絡まりあっているので、兄弟姉妹間の婚姻でそれを家族と称する習慣は、特に星国のある西部では見られない。が、信長の「運がいい、タダで色々やってもらえるぞ」という顔にクラヴィアは吹き出した。しかもまた芝居絡み。どこまでが好きなのか。
「オレが即位出来たら手伝わせてもらうよ。そのためにも死ぬなよ」
「心配すんな。逃げるの得意だから」
2日後には作戦開始なので、特に討伐隊は酒を禁じられている。なので杯の中身はお茶だが、ふたりはそれをぶつけあって乾杯した。早ければ作戦は1日で終了の予定だ。何もかもが上手く行ったら聖都が雪で埋もれる前にとアリスを呼び寄せられるかもしれない。
南西部で秋の中頃は雨も少なく、大規模な作戦行動にはうってつけの時期だった。しかも街道沿いをくまなく塞いでしまったので、もし襲撃から逃れようとしても北方面に逃げるしかなく、そうすると迫る厳寒の冬に飛び込む羽目になる。逃げ場がない。
さらに街道沿いは落葉樹が多く、今まさに色づいた木々は風に枯れ葉を舞い散らせていて、隠れ潜むのが難しい。魔術師が潜んでいると思われる古城も半地下があるだけの朽ちかけた小さな遺跡で、潜伏には向いても要塞としては弱い。
それでも古城組は100人以上で構成され、特に戦闘に長けた者が投入された。現地ではさらに4班に分かれての作戦で、信長とじいやもその中に入っていた。じいやは魔術師の顔を知っているので、それもあってふたりは最初に突入する班に混じっていた。
隊商の司令部到着から2日後、日が昇ったのを合図に5つの拠点は一斉に攻め込まれ、一番小規模な場所ではものの数時間で全てが片付き、討伐隊は一切の無傷、というところもあった。
攻め込んで見れば組織は大陸中から寄せ集めの集団で、銀国を襲撃した連中によく似ていた。しかも拠点ごとの頭役はおらず、屈強な討伐隊の隊員たちに怯えて命乞いをする者まで出始める始末。なのであっけなく摘発が終わってしまった拠点は人員を分けて古城へと差し向けた。
最終的に古城は200人以上の討伐隊に取り囲まれ、周囲に点在する廃墟を含め一帯全てが炎上、その鎮火を含めて1週間ほどで完全に制圧された。
だが、大陸中に明るい報せが届くことはなく、すっかり雪景色となった聖都に至っては隊商が出立したきり何も情報が来ないという状態が続いていた。国同士の戦ではあるまいし、現地に隊商が到着していれば全ての作戦行動は10日とかからずに終わるはずである。
例えそれが隊商全滅などという報だったとしても、届くはずである。
「現地に到着してみたら情報が間違っていた……なんてこともあるかもしれません」
「そういう場合はどうなるんですか」
「現地で正しい情報を集め直さねばならないでしょうね」
「そうすると司令部の村にも長居できなくなりますよね……」
ただでさえ冬は外出が減る聖都だが、特にとアリスと教授は家にこもりっきりの日々を過ごしていた。慣れない土地での暮らしと討伐隊を案じる気持ちでは心が不安定な日々が続いていたが、教授は毎日のように大陸の文学についての興味深い話をしてくれたし、日に最低1度は近所の尼たちがやって来ては話を聞いてくれたり、一緒にお菓子を作ったり、ずっと支えてくれた。
この日もとアリスは昼食作りに奮闘したのち、居間で教授も交えて舞台化された文芸作品について語り合っていたところだった。そこに郵便が届いたのだが、今日も隊商の消息を報せる手紙はなく、揃って肩を落としていた。
隊商を見送って2ヶ月半、姉妹は同じ部屋で休み、毎晩毎晩語り合って過ごしていた。その中でアリスはクラヴィアに求婚されたことを明かし、ずっと悩み続けてきた。と話しても尼たちに話を聞いてもらっても、気持ちが定まらなかった。
突然姪とその腹違いの妹を養女に迎えた教授はアリスの決断を尊重し、必要とあれば支援を惜しまないと言ってくれているが、それはアリス自身の心の整理には何の役にも立たなかった。
「でも、便りがないのは無事な証拠です。もし隊商に何かあれば――」
3日に一度は同じことを言っている教授がまたそれを繰り返そうとしたところ、玄関広間の方で大きな音がした。今日はもう来客はなく、夕食を取って休むだけの予定だが、一体何事だ。慌てた3人が居間を飛び出して玄関広間に向かうと、聖都の雪混じりの風が強く吹き込んできた。
そして玄関広間には雪まみれの男性が何人もひしめていて――
「クラヴィアさん!!!」
「アリス!!!」
アリスは駆け出し、雪で半身が真っ白になっているクラヴィアに飛びついた。きつく抱き合うふたりを、外套を脱いで肩から湯気を立ち上らせているノーテンがさらに抱き締めた。見ればアポロン音楽団が全員雪を払いながら防寒着を脱いでいて、玄関広間の床はすっかり水浸しだ。
「何の連絡もないから――」
「すまない、手紙を届けるよりいつもの経路で戻った方が早いから」
「お怪我はありませんか、全員揃ってますか、ノーテンさん、リートさんも」
「私たちはいつも通り音楽隊やってただけだもん、無事だよ」
真っ赤な頬をしたリートとも抱き合ったアリスはしかし、きょろきょろと辺りを見回して一歩下がった。振り返るとが教授に支えられて真っ青な顔をしている。
「皆さん、だけですか? カイナンの方々はご一緒ではないのですか」
玄関広間だけでなく、教授の邸宅の前庭には周囲を固めているカイナンの警護隊が集まっていた。帰還してきたアポロン音楽団を急いで通したはいいけれど、肝心の王子が見当たらない。彼らも不安に思って中を覗き込んでいた。
クラヴィアは雪ですっかり濡れてしまった髪をかきあげると、小さく息を吐く。
「組織の拠点は全て制圧されて、全員捕縛された。作戦は成功に終わったと言っていい」
うつむくアポロン音楽団、表の警護隊も真っ青だ。
「が……魔術師の生死と所在が不明、そして……殿下とじいやが、戻ってこない」
「様!」
クラヴィアが言うなり教授の大きな声が響き、アリスが振り返るとが床に倒れ込んでいた。慌ててアリスとノーテンが駆け寄るが、衝撃のあまり気を失ってしまったらしい。
すると今度は表の方で何やら騒ぐ声が聞こえてきた。ドアの近くにいたリートが顔を出すと、顔までほとんど覆ってしまった人物がひとり両手を上げて佇んでおり、武器を突き出す警護隊に「この家の主に用がある。武器を預けたいから取ってくれ」と言っていた。
その人物はかなり小柄で背中に差し渡した武器以外は丸腰のようなので、警護隊は武器と荷物を剥ぎ取ったところで教授を呼んだ。するとその人物は顔を覆っていた布をするすると解き、表に顔を出した教授に向かって片手を上げてみせた。
「バ……バシリス!」
「テイオス、久し振りね」
驚くあまりドアに縋り付いたままの教授にそう声をかけた人物はスタスタと玄関に近寄ると、混乱激しい玄関広間に向かって明るい声を放った。
「クラヴィア! 私、バシリスよ!」
「…………お、叔母様!?」
教授もその場に崩れ落ち、玄関広間にはアポロン音楽団の絶叫が響き渡った。
「カイナンの王子を追ってたんだけど、途中で痕跡がわからなくなってしまって……まだ顔を出すつもりはなかったんだけど、カイナンの王子が戻るならここしかないでしょう。テイオス、申し訳ないけど私もしばらくここにいさせて。全部話すから」
の失神で大混乱だった玄関広間は突然の展開に呆然としており、バシリスと名乗った人物はそれをどう受け取ったのやら、胸元から細い鎖をするりと引っ張り出した。
「クラヴィア、私の顔忘れちゃった? ほら、姉さんの灰簾石よ。これなら覚えてるわよね」
彼女の指にはクラヴィアの手にあるものによく似た灰簾石の指輪が引っかかっていた。
「ていうかものすごく寒いんだけど、ドア閉めないの?」