続・七姫物語 清田編

10

新年を迎えた大陸は束の間、居心地の悪い静けさが続いていた。何しろ問題の中心である銀国の首がすげ代わり、やっと件の事件の「事後処理」が始まったからだ。例の老女王は何においても厳格に厳格を極め、会議はさながら居残り学生の補習のようだと噂されていた。

だが、そんな妙な静けさの大陸にまた春が巡る頃、密かに連絡を取り合っている同盟国連合はそれぞれの国で眉間に皺を寄せるようになっていた。

「君から見てどうだ。どれも『ほんのちょっとしたこと』に見えるけど」
「私でもこれは疑いますし、長老殿のご判断は正確ですが……
「でもこれだけじゃ尻尾を掴めないって言うんだろ」

春の花が咲き始めた頃、深夜のカイナン城の狭い部屋で国王と信長とじいやは声を潜めていた。カイナン諜報部の長老が国内の事件から「気になる」ものをいくつか届けてきた。どれも違法な武器や火薬、薬品などの所持密売による事件だった。

それ自体は残念ながら珍しいことではなかったけれど、取引内容や発生時期が他の同盟国のそれと非常に近いという。だからといってそれが何かひとつの「解」を指し示しているわけではなかったのだが、長老は疑い、じいやも頷いた。

「まあ銀国の君主が一新されたからって何もかも終わるとは思っていなかったが……
「でも、同盟国の中でこういう摘発が相次ぐってことは、銀国ん中の話じゃないよな?」
「可能性は無きにしもあらずでしょうが、やはり第三勢力を疑うべきかと存じます」

じいやに学び始めて早2年近く、すっかり信長も国王と話が出来るようになってきたわけだが、だからといってじいやがずっと疑っている第三勢力が何なのかを思いつけるわけでもない。長老を始め各国の手練の諜報員たちが不審な摘発を見過ごせないとして報告書を上げてきただけでは糸口にならない。

「君の過去を考えても思い当たることはないのか」
「ですから、それはひとつではありません」
「候補を当たることは出来るだろう」
「既にいくつか当たっておりますが、何ぶん古い話ですので……

銀国に敵対する国のひとつでもあればまだ調べようもあるのだが、残念ながらこの大陸に銀国と対等に渡り合える国家はない。の父と祖父が狙っていた海の向こうの大陸はそもそもこの大陸に興味がない。その上じいやが諜報員だったのは15年以上前の話で、記憶は鮮明でも情報の鮮度は落ちている。

「ただ……先日気になる報せが届きました」
「なんだ」
「聖都に預けた姫から便りが届きまして、星国王家の方と知り合ったそうなのです」
「星国……本当か」

なぜかではなく自分宛てに手紙が届いて驚いたじいやは、内容を見てもっと驚いた。

「星国は以前、仕事で色々ありまして」
「そうだったな」
「おいおい、今は突っ込まないけどあとで話せよ」
「もしその星国王家の方が今回の件に関わっておられるのなら、候補は絞り込まれます」
「聖都の姫に取次を頼めないのか」
「そのように連絡いたしましたが、聖都はまだ冬のうちですし」

雪に不慣れな南部の民は、晩秋から春までの間は聖都には近寄らないのが普通だ。事故を起こしてしまう確率がとても高いので、手紙のやり取りだけで済まさねばならないことも多い。

「まあそれは先方の都合にもよるだろうし、ひとまず任せる。信長、お前はしばし国内に目を光らせておけ。同盟国との任務があればまた行ってもらうが、今はカイナンで起きていることに集中しよう」

――と、3人が難しい顔でそんなことを話している間、は王妃に招かれて来客用の部屋に通されていた。なぜかふたりっきりでお茶である。

「どうですか、もうそろそろカイナンに来て2年になりますが」
「おかげさまで、恙無く暮らしております」
「困ったことはありませんか。市民の中で暮らすことに戸惑いはありませんでしたか」
……銀国を出る直前は、地下牢におりました。それに比べればどんな困り事も些細な問題です」
……そうでしたね」

王妃は初対面の時からに対して同情的であった。しかし現在城下の劇団員に過ぎないを気軽に城へ呼び出せる理由もなく、じいやの登城を耳にしたので姫も一緒に、と声をかけてくれたらしい。精一杯の正装でやって来たは久々の「城」に懐かしさを感じていた。

だが、特に話題はないのである。お互い丁寧に言葉を選ぶ社交辞令挨拶のような会話がそう長く続くわけもなく、気まずい沈黙とお茶の香りだけが漂っていた。すると王妃が大きく息を吸い込み、身を乗り出した。よく見ると目が信長にそっくりだ。

「あのねさん」
「はっ、はい!」
「その、息子とはまだ恋仲なのよね?」
「はい!?」
「嘘、違うの? もう別れちゃった? うちの息子、なんかやらかした?」

王妃が突然城下の町娘のような口調でペラペラと喋りだしたので、は椅子の背もたれにへばりついて目を真ん丸にしていた。これはどう対応するのが正解なんだろうか……

「あの、その、いえ、殿下は何も、私は」
「確かにあの子ずっと任務でいないけど、もしかして他に好きな子とか出来ちゃった?」
「ちちち違います、そんな人おりません、わた、私は今でも殿下をあい――
「愛してるの!? ほんとに!?」
「はいい!」

信長によく似た王妃の大きな目は薄暗い明かりの中でも強烈な輝きを放ち始めた。手を組み身を乗り出し、頬を染めて困り顔だが声は弾みまくっている。は王妃から逃げるようにして悲鳴のような返事をした。確かに愛しています、愛していますけども、どういうことですかこれは!

「ああよかった……ずっと気になってたのよ、息子はいないし、あなたは座長のところだし、ちゃんとふたりの時間を作れているのか、邪魔は入っていないだろうか、障害が愛を育むとはいうけど、それだって程度ってものがあるでしょ。陛下はほっとけって言うけど、もし城下の男の子にちょっかい出されてるんだったら私が雇い入れてでも城に閉じ込めちゃおうかしらとかそんなこと考えてて」

今度は立板に流した水のように喋りだした。というかそんなこと考えてたのか。

「あの……陛下、私は、殿下以外の」
「そんなに畏まらなくたっていいのよ、信長って呼んでるんでしょ」
「えっはい、のぶ、信長以外の誰かを好きにはなりません。お約束します」

王妃の豹変に動揺しつつも、は精一杯心を込めてそう言った。だがどうにもよくわからない。自分も政略結婚で嫁いできた身とはいえ、息子の恋人に対してそんなに気持ちを傾けるものだろうか。なので正直にそう問いかけてみると、

「それはねえ、陛下には内緒よ、私ね、実は政には一切興味がないの」
「そ、そうですか……
「本音を言えば、カイナンがどうなろうと構わないの」
「え!?」

とんだ爆弾発言が飛び出てきたのではつい大きな声を出した。あんた何言ってんだ!

「私、陛下との間には4度子を授かっているんだけど、無事に生まれてきたのはあの子だけでね」

聞き捨てならない爆弾発言かと思えば今度は至極真面目な話だ。は目が回る。

「というか他の子たちの命を食ってしまったんじゃないかっていうくらい信長は元気な子でね。今なんか落ち着いた方。でも手のつけられない暴れん坊だった我が子を見ていたら、この子を『世継ぎ』という目で見られない自分に気付いたの。言うことは聞かないし、少しもじっとしていられないし、みんなあの子には手を焼いてた。ああ、この子には自分で生きていく強い強い力があるんだなって思ったの」

母親だけでなく世話係の人々が幼い信長を追いかけ回してへとへとになっている様は想像に難くない。はつい口元が緩んだ。元気な王子で大変結構、なんて微笑ましく思う余裕がないくらい彼は暴れん坊だったのだろう。

「そう思ったら、あの子の人生はもしかしてこんな小さなカイナンの中だけに収まりきらなくて、世界中に広がっていくんじゃないかって思えて仕方なくて。あの子がカイナンの世継ぎであることは変わらないんだけど、それでもあの子を普通の王子のように籠の中の鳥にするのはやめようと思ったのよ。この子はきっと自分の道を切り拓いていくから、それを無理に止めないようにしようって。それでもしこの王家がダメになってしまっても構わないっていうのが本音なの」

母の予想は的中、おそらく本人の強い希望で諜報活動に加わり、現在大陸中を駆け巡っている。

「心配じゃなかったのですか」
「もちろんいつでも無事を祈ってるけど、私の安心であの子を縛りたくないもの」
「陛下もですか」
「陛下の方が心配してる。座長やあなたのじいやさんがいなかったら許可しないと思う」

何だかきゃぴきゃぴした王妃様だな……と若干呆れていただったが、いつしか背筋を伸ばして姿勢を正した。この王妃様、信長の母親はふざけているのではなくて、強いのだ。あまりにも強い心を持った人だった。そしてその強さと輝く大きな瞳が信長に受け継がれていると思った。

「陛下はあの子が12を過ぎた頃からあちこちの王家の姫を品定めし始めて、早めに結婚させたらどうかと考えていたみたいなの。でも私はそんなの絶対無理だと思ってたし、案の定あなたを見つけてきた。命懸けであなたを救い出して連れ帰ってきた。やっぱりね、と思ったわよ。そういう子なの」

信長の持つ「生きる」力、自分で自分の人生を選び取る力、それはもいつも感じていた。王宮の中で芝居のことしか考えていなかった自分には想像もつかない世界を生きる信長は、生命力の塊だった。そんな彼に手を引かれ心を惹かれてカイナンまでやって来た。

「だからどうせなら自分から好きになったあなたと恋仲でいてほしいなって、そこは親のわがままね」

は忙しなく首を振って否定した。とんでもないです。

……確かに、劇場館で暮らすようになってから信長の他にもたくさんの人と知り合いました。なんて素敵な人なんだろうと思う方もいます。現状私が信長と婚約出来る可能性は低いし、城下の人の中で暮らすことを選んでしまった方が楽だと思います。でも、やっぱり信長が好きなんです。信長も私を好きだと言ってくれます。不安だらけの日々ですが、それに勝る幸せはないです」

王妃が優しく微笑むので、はつい続けた。

「私は今、故郷の春市のような催しを城下の方々と作っています。プロメテ座の仲間と一緒に、そこで長く演じられるような壮大なお芝居を作ろうと試行錯誤しています。王宮からほとんど出たことのない自分に何が出来るのか、どこまで自分を成長させられるか、模索しています」

シャオと作っている芝居は中々完成しないけれど、諦めるつもりはなかった。芝居を育てることは即ち、自分を鍛え上げることのように思えてきた。苦しみは喜びを生み、喜びは苦しみを連れてくるけれど、その繰り返しの中で自分を試したいと思った。

王妃はまたにっこりと笑顔を作り、胸の前で手を組んだ。

「あなたも信長と同じなのね。大変な決意だと思うけど、困ったことがあったら言うのよ」
……ありがとうございます」

胸が詰まる。は頭を下げるふりをして、目をぎゅっと閉じた。

この年、2度目の夏市が開催された。は年明けには準備を始め、組合長や顔役らと会議を重ね、劇場館のある地区内の大通りと広場を全て使って一気に規模を広げることになった。

だが、王妃や座長にこのことを聞かされた陛下は最初難色を示した。得体の知れない勢力が暗躍しているかもしれないという時に、規模の大きい催しは銀国の春市同様いい隠れ蓑になってしまうのではないか。観光客を装った不審人物の入国の目くらましになってしまうのでは。

陛下の懸念はもっともなので、しばし国内の動向に目を光らせておれという指示を受けている信長が名乗りを上げ、普段滅多に人前に顔を出さない王子が警備責任者になったということで夏市はいきなり注目を集め始めた。王子殿下しばらく見ないうちにすっかり立派な青年になっちゃって。

というか信長とじいやはむしろその陛下の懸念こそ好機だと思っていた。カイナンはほんの小さな国だし、田舎の街が緊張感のないことに浮かれて夏祭りなんぞやっている……と高を括り、密談でも密売でもやってもらえれば、情報を得ることが出来るかも知れない。

そういうわけで2年目の夏市は突然王子が後援になり、ほんの地域の夏祭り程度だった昨年に比べて規模は拡大、城下中の人々が大挙して押し寄せる大きな祭になった。

規模が拡大したということは芝居小屋も増える。プロメテ座はもちろん公演を行ったが、春市で王宮前広場に小屋を立てていた懐かしい一座たちもやって来た。は感涙、遊んでいる暇はなかったのだが、いわば究極の「市の夜の芝居バカ」なので特別に時間をもらい、2年ぶりに自分の関わらない芝居をたっぷり堪能、嬉しさのあまり泣きまくった。

規模は拡大したが、まだ春市のように何日も連続で……とはいかない。市とは言うものの、商人のための場所はなく、内容はただのお祭りでしかないし、深夜まで続くが開催は当日限り。

その上、信長が組織した特別警備が数日前からくまなく監視を続けたけれど、国外からやって来たのは旅の一座が3組、大道芸人が4名、城下の市民の親戚が2名――だけしかいなかった。特に旅の一座と大道芸人は座長が全員よく知っており、例の銀国の爆破事件で共に王宮前広場に閉じ込められていた人々でもある。身元は問題なかった。

なので信長も夜更けにはじいやから時間をもらい、いよいよ酒の匂いがきつくなる夏市に繰り出した。突然現れた王子に城下の人々は面食らったけれど、何しろもうすっかり酔っ払っていたので、気さくな王子の振る舞いに喜んでいた。

そしてちょっとハラハラした表情の座長の制止にも耳を貸さず、広場のど真ん中でと踊った。

アポロン音楽団は来られなかったけれど、城勤めの音楽家たちが個人的にやって来て演奏してくれたので、広場はさながら即席の舞踏会。は信長と踊りながらまた泣いた。嬉しくて、幸せで、涙が溢れてきた。時間が止まればいいのに、と笑いながら泣いていた。

そんなふたりの頭上で、小さな花火が5つ、花開く。

お互いのことを思いながら花火を見つめていたのはほんの2年前のことなのに、もっとずっと遠い過去のように感じた。窓辺から吹き込む春の風、香り高いお茶、ハチミツケーキ。橙色の灯りに彩られた夜に始まった恋は今でもふたりを包み込んでいる。

「ねえ信長、春市で巡り合った人と結婚すると幸せになれるって言い伝えがあるんだよ」

囁き声のに、信長は嬉しそうに目を細める。

「まだ結婚してないけど、今すっげえ幸せ」
「じゃあ結婚したらもっと幸せになれるね」

の手をすくい上げた信長はその指にキスをしてニヤリと笑った。

「姫、もうすぐあなたをさらいに来ますからね」