続・七姫物語 清田編

16

南部ならまだ蝉がうるさく鳴いている時期だが、聖都では早くも朝晩に冷たい風が吹くようになり、街の人々が長袖を準備し始める頃になってカイナンからの一行が到着した。今回は完全に非公式な訪問なので、一行はそのまま教授の邸宅へと向かう。

教授の邸宅も夏の花が咲き終わってすっかり色を失い、ぐるりを取り囲む常緑樹だけが涼やかな風に揺れていた。非公式でお忍びなので出迎えもなし、門の辺りにノーテンが待機していて馬を預かり、まずは信長とじいやだけを屋敷に通した。

玄関広間ではアリスと叔父上が待っていて、実に3年ぶりの再会となる信長とアリスは勢い抱き合った。

「姉上、お元気そうでなりよりです。こんな北ではお体に障るのではないかと」
「ありがとうございます殿下、おかげさまで健やかに暮らしております」
があなたを恋しがっていました。手紙を預かっていますので、のちほど」
「私も妹のことを思い出さない日はありませんでした。何もかもあなたのおかげです」

お決まりのやり取りだったが、ふたりとも心からの本音だった。アリスはじいやとも固く抱擁をすると離れ、教授を紹介する。信長はこれでも一応王子様なので教授は深々と頭を下げて名乗った。

「急な用件で押し掛けて申し訳ない。話が済めばすぐに発ちますので」
「とんでもない、お好きなだけご滞在ください。何かお困りのことがあればすぐにご用命を」
「恩に着ます。というか教授にも話を伺いたい。時間はありますか」
「はい、いつでも。長旅でお疲れでしょう、今日はお休みになって……
「いえ、時間が惜しい。姉上、件の方はご紹介頂けますか」

教授が歓待してくれることはわかっていたが、聖都はもう秋の気配だし、ここからまた討伐隊に合流せねばならない都合上、長居は無用だった。教授とアリスは頷き、すぐに居間へと案内してくれた。

居間に入ると暗く深い青の服を着た男性が待っていて、信長の声に振り返った。

……あれ!? えっと確か……あんたピアノ弾きの」
「ああ、アポロン音楽団の方ですね。お引き受けくださってありがとうございます」
「ああそうか、あんたアポロン音楽団の人だったな。久し振り、元気だったか」

信長にしてみればクラヴィアは3年前の春市で一週間銀国王宮前広場で毎日顔を合わせていたピアニスト、らを救出の際に協力を申し出てくれたので覚えていた。なのでそのつもりで気さくに声をかけた。じいやも親しげに礼を言い頭を下げた。が、その両脇にアリスと教授が並ぶ。

「殿下、ご紹介いたします。星国王家のクラヴィア王子殿下です」
…………は?」
「初めてお目にかかります殿下。いつぞやは大変なご無礼を致しました」

一歩進み出たクラヴィアは軽く頭を下げ、胸に手を添える。その手には星国王家に伝わる灰簾石の指輪が輝いていた。信長は目を真ん丸にひん剥いた状態で固まり、じいやですらぽかんと口を開けていた。

居間の長椅子に斜めに寄りかかった信長は暖かいお茶をもらいながら、目が回りそうになっていた。揉めまくっているとはいえ、こんな北の果ての静かな邸宅に王子王女が3人。どうなってんだよ、もう。

「ていうかそれ、座長は知ってたのか」
「もちろん。それに私がアリスの叔父に世話になってることも知ってます」
「だからアポロン音楽団に預けたんだな? なんで説明しねえんだよタヌキ親父め!」

座長が方々の事情に詳しいのはカイナン王家と密接で旅の一座だからなのだが、彼が最初から説明してくれていたら手間が省けたのにと思うと面白くない。しかし座長には「アリスが星国王家の生き残りと知り合ったらしい」なんてことは伝えていないので、絶妙にずれた伝達失敗の結果だ。信長はが喜びそうなお菓子を口に詰め込んでまたお茶をガブリと飲む。

「はあもうさっさと問題を片付けたいけど話が入り組んでてややこしすぎる」
「殿下、私はてっきりあの爆破事件で終わったものと思っていたのですが、違うのですか」
「そこがまだはっきりしないのですが、怪しい武器取引や不可解な無差別攻撃がありまして……

じいやの助けも借りながらざっくりとここ3年の事情を説明すると、アリスはちょっと青い顔になりつつも、隣に腰掛けているクラヴィアの手にそっと触れた。聖都に、アリスにもたらされる情報は多くないけれど、思っていた以上に南部の問題は片付いていなかった。

「それでアポロン音楽団に……
「と思っていましたけど、まさかそんな事情だったとは知りませんでしたので」
「若、やはり座長に出て頂いた方が……
「ああ、そうだな。姉上、クラヴィア殿下、せっかくの機会なのですが時間が――
「ちょっと待って下さい、私の話を聞いて頂けませんか」

色々事情は聞きたいが、アポロン音楽団が使えないのでは座長しか頼るところがない。今からカイナンに急ぎの報せを飛ばしたのち、自分たちもとんぼ返りしないと合流に間に合わない。途端に疲れた顔で頷きあった信長とじいやだったが、ふたりをクラヴィアが引き止めた。

「そうしたいのは山々だけど……
「結論から言います、アポロン音楽団はご協力します。戻る必要はありません」
「えっ?」
「私の話は聞く価値があります。いいですか、その第三勢力を率いているのは、魔術師です」

静かな居間に信長の「はあ?」という間の抜けた声がこだましたが、その隣ではじいやがアリスより青い顔をして眉を吊り上げた。クラヴィアはじいやに向き直ると、身を乗り出して低い声を出す。

「覚えがありますね、時計屋の、息子」
「じいや……?」

よくわからない言葉が出てくるので胸騒ぎを覚えた信長が隣を覗き込むと、じいやは初めて見るような憤怒の形相でクラヴィアを睨みつけていた。そして、唸るような声を漏らした。

「なぜ、それを知っている」

クラヴィアは微動だにしないまま、ぼそりと返した。

「私が君たちのせいで国を追われた王子だからよ。そのくらいわかるだろう、十字の赤悪魔よ」

教授ですら肩を落としてため息をつく。信長とアリスだけがぽかんとしていた。

話は何も始まっていなかったが、じいやが目眩を起こしたので中断、じいやは客間に閉じ込められ教授は医者を呼びに行き、クラヴィアはアポロン音楽団の仲間たちに話をつけてくると外出し、居間には信長とアリスだけが残された。

「それにしても、殿下はすっかり大人の男性になられましたね」
「そ、そうですか?」
「ここにも書いてあります。殿下がいつでも守り慈しんで下さるので平穏に暮らしていると」

物は言いようだなと信長は苦笑いだ。地下の稽古場で何ヶ月もシャオと大喧嘩しながら芝居を作っていたのが平穏かどうかは怪しい気がする。アリスは信長が預かってきた手紙を呼んで目を潤ませている。そういう姉上も以前とは比べ物にならないほど顔色がよく、健康そうに見える。

は一座の仲間たちと一緒に芝居を作ってるんですよ」
「私も見たかったです。きっと楽しいお芝居なんでしょうね」
「楽しいのもありますが、この夏に上演した作品は壮大な物語で多くの人を勇気づけ、涙を誘いました」
……がそんな物語を」
「驚きますよ、も素晴らしい女性に成長しています」
「あら、それは殿下がたくさん可愛がっておられるからでしょう」

姉上の容赦ない一言に信長はお茶を吹き出した。どうしてこの姉ちゃんはいつも……

「私もこの3年というもの、お医者様の指導で体を鍛え、奉仕活動にも励んできました。も私も、身分を持たない流浪の身で暗中模索の日々だったと思いますが、それだけ掴み取ったものも多いと思います。殿下から見ていかがですか、はまだ迷っておりますか」

信長は静かに首を振った。はもう自分を取り戻し、迷いの森から一歩を踏み出したばかりだ。

……叶うなら、を妃にと望んでいるのですが」
には伝えたのですか」
「はい。私が王家の世継ぎであることも了承した上で、それを望んでくれています」

姉上はにっこりと微笑み、胸の前で手を組んだ。以前より体力がついたようだが、仕草は変わらない。

「でしたら何も問題はありませんね。どうか妹をよろしくお願いいたします」
「それがその……実は法的な問題が片付いてなくて」
「法的?」
の母親が故郷で平民下りをしてしまったんです」
「そんな……

身分があやふやなのはアリスも同じだが、教授がいる以上は聖都での暮らしは問題がない。あるいはも信長が君主の世継ぎでさえなければ身分の問題など考えずに済んだかもしれなかったが、ふたりの結婚については打開策が見えないまま3年が過ぎている。

「それは困りましたね。それではは移民や難民と同じではないですか」
「オレや王妃が個人的に警護や支援をしているだけで、長期滞在の旅行者みたいなものなんです」
「それで殿下と結婚は確かに……

ふたりがすっかり肩を落として俯いていると、医者を呼びに行っていた教授が戻ってきた。

「じいやさんはもう大丈夫だそうですよ。頭に血が上ったのでくらりと来たようです」
「彼は過去のことを話したがらないので私も事情を知らず……手間を掛けました」
「いいえ、とんでもない。むしろ良い偶然がありましたよ。聖都にご家族がおられるそうです」
「えっ、家族?」

また信長とアリスはきょとんと教授を見上げていた。家族ってどういうこと?

「今日はアリスがいつも奉仕活動をしている協会の医師に来てもらったのですが、その方と話しているうちにお母様と妹さんが尼でいらっしゃると仰られましてね。そうしたらその医師の方がふたりを知っていると。アリス、聖励会は知ってますね。あそこにもう何年も前からいらっしゃるとかで」

アリスはその「良い偶然」に顔を綻ばせているが、信長はしかめっ面だ。

聖都に母親と妹がいるなんて聞いたことないし、なんならも知らないんじゃないだろうか。というかじいやの父親は諜報部にいたのだし、だとしたらその妻と娘が聖都で尼になっているのはかなり不自然なことだ。夫と息子がどちらも王家に仕える身なら、普通はそこそこ裕福な生活が出来ていたはずだ。よほど信仰に傾倒したとしても、大陸きっての大都市に住む母子が出家をするとすれば、「訳あり」を考えるのが一般的だろう。

本人の意志とは関係なく聖都の尼僧院に隠れ潜んでいる、と考える方が自然だ。

――なので、ぜひ皆様のご滞在中におふたりをお招きくださいと申しまして」
「ではみんなで食事が出来るように準備しましょうね」
「殿下、そのくらいの時間を取るのは構いませんでしょうか」
「えっ!? ああ、そうだな、そのくらいなら」

まだ話は宙ぶらりんになっているが、アポロン音楽団は協力してくれると言うし、一度の食事くらいなら客人が混ざるのは問題ない。それにじいやの家族というものにもちょっと興味がある。信長が頷くと、どこか似た面差しのアリスと教授は早速どんなもてなしをするかで盛り上がっている。

「教授も星国の出身でしたね」
「ええ、私の姉がアリスの母親でして」
「でも姉上は聖都に教授がいることを知らなかったんですか」
「そうなんです。母も亡いし、叔父の消息を知る人が銀国にはいなかったんです」

じいやも言っていたが、アリスは王宮内ではとことん孤独だった。なので余計にピアノに没頭していたわけだが、それならもっと早く銀国を出て聖都に来てしまえばよかったのに、と思えてならない。だが、教授はちょっと目を丸くして背筋を伸ばした。

「いいえ、私の消息を知る人なら銀国にたくさんいますよ」
「えっ、そうなんですか」
「そのはずですよ。それに、私が聖都で落ち着くまでには時間がかかりましたから」

この教授の話もなんだか内容が見えにくい。信長はちょっと飽きてきた。姉上が近い親族とめぐり会い、以前より健康になって暮らしているのは何よりだが、そういえばオレなんでここにいるんだっけ……と思考が麻痺してきた。

まあでも、アリスなど地下牢から救い出された時は無残な顔色でヨロヨロ歩きの状態だったが、笑うと口元がそっくりな叔父さんとの生活は幸せなんじゃないだろうか。寒い聖都よりは暖かいカイナンの方がいいのでは、オレが引き取ろうかなどと考えていた信長だったが、家族がいるなら心配ない。

何しろ教授は聖都では貴族階級、養女にでもなれば今後の生活は安泰――――

「それだ!!!!!!」
「えっ、干した魚のシチューですか!?」

じいやの家族を招いた時の食事の話で盛り上がっていたアリスと教授は、干した魚のシチューは聖都でもっとも一般的な伝統食だが厳しい修行に励む信徒たちの食べていた質素倹約のための料理なので美味しくない……という話をしていたところだった。殿下それが食べたいんですか!?

「シチュー? 何言ってんだ、違うよ」
「はあ、ですよね。やはり南部の料理にしましょうか」
「そうじゃなくて、教授!」

首をかしげるアリスと教授に向かって信長は身を乗り出し、目を輝かせて笑った。

「どうかを養女にして頂けませんか、そうしたら全て解決です!!!」

カイナンの法では王族は平民とは結婚出来ない。ということは、平民じゃなければいいのである。

「姉上、教授が受け入れてくだされば、は私の妃です!」