カサンドラのとなりに

14

叔父さんは頼朝による「締め出し」にカッとなり、解体工をやっていた時のことを思い出して、ガラスドアを無理矢理外したらしい。頼朝のノロウイルス騒ぎの時はセキュリティを入れていないことが幸いしたが、今度はそれが災いした。叔父さんが立てかけておいたドアは倒れて粉々。

ついでにドアが倒れたのは叔父さんが侵入に成功してから数分後のことで、普段頼朝とウサコが仕事をしているデスク周辺は荒らされ放題。しかし当然叔父さんが簡単に見つけられるような場所に頼朝が現金を隠しておくわけもなく、彼は小銭1枚手に入れられなかった。

警察に連行された叔父さんはすっかり新九郎にビビってしまい、大人しく取り調べに応じているという。ただし、工具や武器となるものを携帯していた上に、既に前科2犯だそうなので、おそらく懲役は免れまい、とのことだ。

結果として全体的な被害額はドアなどの損壊で数十万といったところ。それよりも子供たちの記憶に恐怖が植え付けられてしまい、カズサはもちろん、アマナも寿里も、そして数ヶ月ほどはですらも、ガラスの割れる音を聞くと過剰に怖がるようになってしまった。

警察の現場検証だの被害届の手続きの確認だの、その日は深夜まで清田工務店の事務所には煌々と明かりが灯っていた。お向かいの梶原さんはまたビビってしまい、リフォームの時にちゃんとお祓いしなかったんじゃないの、とガタガタ震えていた。何しろ粉々に砕け散ったガラスドアのインパクトは強い。

その上、日付が変わる直前になってカメラをぶら下げた記者らしき人物が出現、写真を取るとまたすっ飛んで帰った。すると翌日、地元紙にて「元チーム所属の選手の実家に強盗」という見出し付きで報道されることになった――とローカル局の報道からスポーツ担当を経由してチームに連絡が届いた。おいちょっと待て、実家じゃない、本人今も住んでる! チームの方も大急ぎで対応に追われた。

複雑な事件ではないとは言え、容疑者が被害を受けた会社の従業員の親族ということでウサコは当然事情聴取、頼朝も新九郎も事情聴取、ウサコの母と祖母も事情聴取、最終的にはバイオレットも数日営業ができず、清田工務店に至っては事務方が丸々5日間もストップしてしまう事態になった。

もうウサコに朗らかな笑顔を取り繕う気力は残されていなかった。

事情聴取などが済み、現場検証が終わると、ドアを直してもいいですよと警察が連絡をくれた。なので頼朝とと由香里は2日がかりで事務所を片付け、新九郎はすぐにドアを新しいものに取り替え、セキュリティも入れ、目につくところに防犯カメラも取り付けた。

そうして事務所が片付いた日の午後、やっと解放されたウサコが覚束ない足取りでやって来た。

無表情で生気のない目、青白い顔、手まで真っ白だった。眼窩には青黒いクマが浮き出て、唇も色を失っていた。そして、リビングに通されるなり、床に額を擦りつけるようにして土下座した。

「この度は、本当に、申し訳ありませんでした」
「ちょ、ちょっとやめて、ウサコ何やってるの!」
「バカなことしないで! なんで、もう、あんたがこんなこと!」

慌てて彼女を引き起こしたのはと由香里だ。この日は平日だったし、頼朝以外は全員通常通り仕事で、信長は休日の予定だったが報道の件で呼び出されて不在、という状況。リビングにはと由香里と頼朝、そして子供たちしかいなかった。

「ウサコが悪いわけじゃないでしょ!?」
「そうよ、どっちかって言ったらあんたも被害者じゃない!」

と由香里は涙目である。ウサコの腕を引いてソファに座らせると、代わる代わる抱き締めたり撫でたりして、ウサコは悪くないと繰り返した。そして頼朝もその傍らにやって来るとウサコの手を取り、叔父さんを煽ってしまって申し訳ないと頭を下げた。

だが、目を赤く染めたウサコは何も答えず、バッグの中から退職願を取り出した。

「冗談じゃないわよ、こんなもの受け取らないからね。辞めてどうするの。何の意味もないわよ」
「北見さん、申し訳ないけどこんなものうちは受理しないよ」
……辞めさせて、ください」
「バカなこと言わないでウサコ、辞める必要ないから!」
「お願い、します。辞めさせて、ください」

まるで叱られている子供のような、か細くて震えた、ともすれば滑稽にも聞こえる声でウサコは訴えた。あまり大きく口を開いてしまったら泣き声が溢れ出てきてしまいそうで、少しすぼめた形でしか話せない。退職願を掴んだ手はプルプルと震えていて、爪がやはり真っ白だった。

「私が、ここで働いている限り、こういうことが、続くんです」
「叔父さんは逮捕されたのよ。すぐに戻ってくることもないし、こんなこと二度と起こらないから」
「叔父だけじゃ、ありません、私の母と祖母も、ここにはお金があるって、思ってます」
「お母さんとお祖母さんじゃドアは壊せないでしょ、そんなこともうないから」
「全部、私がここにいるのが、悪いんです」
「やめてウサコ、そういうの、全部違うから」

ウサコの頭の中は、早く清田工務店を辞めて関わりを断たねばならないということでいっぱいになっている。たちの言うように辞めたところで何の意味もないことはどこかで分かっているだろうが、こうするしか方法がない、誰でもそこにたどり着くだろう。

頼朝はウサコがそういう考えに囚われて、また、こんなひどい状況から一刻も早く逃げ出したい気持ちも抱えて頑なになっているのがわかった。問題を解決するには、その原因となるものを排除しなければならない。切り捨てて、壊して、取り除かなければならない。

しかし、頼朝はウサコを切り捨てるつもりは毛頭なかった。

、母さん、ちょっといいか」
「えっ?」
「北見さん、ちょっと一緒に来てくれますか」

頼朝は丸っこい字で書かれた退職願をテーブルの上に置くと、ウサコを事務所に促した。

「ちょっと、そっちは――
「いいから、ふたりは何か飲み物でも頼むよ」

また頼朝が頭ごなしに何か言うのではないかと心配した由香里だったが、何やらピンと来たがそれを止め、ウサコの背中を押してくれた。頼朝は音を立てないように事務所へ続くドアを開き、自分が先に入ってから手招きをした。

「あ、あの……
「ふたりともちょっとうるさかったね」

ウサコが事務所に入ると頼朝はドアを閉めてしまった。事務所は片付けが終わったばかりでロールスクリーンが降りている。そのため薄暗く、普段ウサコが仕事をしている時とは違う場所のように見えた。

「まだちょっとゴミなんかは捨てきれてないけど、片付いてるでしょ」
「あの、頼朝さん」
「ドアも入れ替えたし、やっとセキュリティも入れたし、防犯カメラも付けたんだよ」

頼朝は戸惑うウサコの背を押して事務所の真ん中あたりに連れて行く。

「幸い……というのも変なんだけど、北見さんのデスクしかひっくり返されなかったんだ。だから、本当に大事なものとかは全部無事です。そもそも現金をその辺の机に入れておくなんてこともないしね。だから、実際の被害はドアくらいなもので、誰も怪我とかはしてないです」

ウサコのデスクと言っても、彼女はその中に大したものは入れてなかった。引き出しのひとつなど、ミスプリントが詰まっていただけ。机の上に置きっぱなしになっていたマグカップも転がり落ちたけれど、そもそも床が絨毯敷きなので割れなかった。

「確かにあの人は北見さんの叔父さんだし、そのきっかけを最初まで遡れば北見さんがここでアルバイト始めたことだったかもしれない。だけど、どうだろう、叔父さんが、オレはこの家から金をもらって当然じゃないか――なんてことを考え始めたのはどうしてだと思う?」

頼朝は淡々と語って聞かせると、ここで初めて少し笑った。ウサコが気付いた顔をしたからである。

「そう、オレだね。オレがあんなこと言ったから、叔父さんは我慢できなくなっちゃったんだよ」

金を無心し続けている姪っ子が玉の輿に乗ると思い込んだ叔父さんにとって、清田家から大金が入ることは「当然の権利」と思ったんだろう。結婚で繋がりが出来たらそれだけで家族。たくさん持ってるんだからちょっとくらい分けてくれたってバチは当たらない。むしろウサコを可愛がってきた優しい叔父さんに感謝を込めて援助をしなきゃ。叔父さん孝行。おそらくそんなところだ。

「事件の翌日、オレや社長は仕事どころじゃなくて、それで空いた時間にこの間のことを話しました。久しぶりに親父に怒られたよ。なぜもっと早く言わなかった。北見さんのプライベートなこととはいえ、この家が大層な金持ちだと思い込んでる情緒不安定な人がいて、もう何度も尋ねてきていたなんてことを、なぜ黙ってた。おかげでうちの家族も、北見さんも怖い思いをしたんだと怒られました」

頼朝が新九郎に怒られたのは、いつ以来だっただろうか。彼は小学校に上る前にはすっかり理屈っぽい子に育ってしまったので、いたずらもしなければ、部屋を散らかすこともなく、弟をいじめたりもしない。頼朝はそういう意味では「いい子」だったので、叱られることが殆どなかったのである。

むしろ頼朝を叱りつけてきたのは由香里だ。あまりに理屈っぽい上に何かと言うと上からツッコミなので、石頭同士よく喧嘩をしてきた。だが、新九郎は滅多なことでは頼朝を叱る理由がなかった。

……信長にも怒られた。頼朝のせいじゃないけど、これがと子供しかいない時だったらと思うと怖くてしょうがない、いつでもからかうようなことを言ってきたのも悪かったけど、それでも話してほしかったって。それは謝ったよ。オレも同じこと考えて血の気が引いたから」

だが、信長は信長で、弟はどっちも気軽に相談できない相手だったと思うとエンジュに嫌味を言われたので、それを反省し、謝ってきた。頼朝自身はせめてには話すべきだったと後悔していた。日中この家を預かっている立場であり、ウサコとも親しく、また頼朝が何を言っても弟たちのようにふざけたりはしなかったはずだ。

「どうですか。北見さんだけのせいじゃないでしょ。色んなことが重なったんです」
……それはそうかもしれませんが」
「もちろん、北見さんがもうここで仕事を続けていかれないと思うなら、話は別です」

清田家の中にウサコが深く入り込むことになったのは、ウサコのせいじゃない。そこはと由香里だ。こんな家に関わったばかりにトラブルを招いた、と思うなら、それは辞めた方がいい。

「それは気を遣ったりしないで正直に――
「それはありません、そういうことじゃないです」

またウサコが涙目になったので、頼朝はデスクの椅子を引いてきて座らせ、自分も腰を下ろした。

「昨日、母と祖母と大喧嘩をしました。どうしても話が通じないんです」
「叔父さんと同じようなことを考えてる?」
「はい。叔父やお客さんとの話の中で、妄想が膨らんでしまってて」

自分のことなんか、と遠慮する余裕もなかった。ウサコは母と祖母が抱いている夢を洗いざらい話し、それが誤解なんだと反論すると親不孝者だと罵られたことをブチ撒けた。

母子3代で協力して頑張って生きてきたのに、ひとりだけ幸せになれればそれでいいのか。あんたはまだこんな若くて将来もあるくせに、苦労してきた母や祖母に感謝するという気持ちはないのか。自分たちはもう楽になっていい年のはずだ。余裕を持って余生を楽しむ権利がないとでも言うのか。

それも結局オレのせいだね、と頼朝は笑いつつ、努めて気楽に語りかける。

「だけど、北見さんがひとりでお母さんとお祖母さんを背負い込むのは負担が大き過ぎるよ」
「でも、誰にでも言われます。あなたが最後まで面倒見るんだよって」
「確かにごきょうだいがいないから、理屈としてはそうなるけど」
「店のお客さんだけじゃなくて、同世代からも普通に言われます」
「ああいうのって世代関係ないよな」

自分にも覚えがあるなと思いつつ、頼朝はカマをかけてみる。

「でも、北見さんがご家族を大事にしてて、面倒見たいと思うことは、否定されるべきじゃないよね」
「そんなことは思ってないです」

案の定、即答が返ってきた。

「北見さん、本当は独立したいんじゃない? 自分の将来のためにも――
「私に将来なんか、ないです」

出てきたな――頼朝はこれを待ち構えていた。尊の話がヒントになって、頼朝は時折ウサコの向こうに暗い影を見るようになっていた。というか、あの生活環境で闇が生まれないはずがないのである。

しかしそうは言ってもウサコはアルバイト、頼朝は上司、親しげに送って帰ったりしていても、所詮は一定の境界線を守るべき仕事上の関係に過ぎず、そんな闇がウサコの中にあったとしても、さらけ出す必要はない。ただ、もうその境界線は事務所のドアのように壊れてしまったから。

そして、大晦日の夜のウサコに報いるためにも。

「ふたりの話では、母方は長寿の家系なんだそうです。祖母の母親は98歳まで生きて、死ぬ前日まで畑仕事してたと言います。母も私も、そっちの家系にそっくりな体、体質をしてるそうです。だから、祖母や母が長生きをしたらしただけ、私はそれを面倒見なくちゃならない」

確かにウサコは肥満体だが、健康診断では悪いところは出てこないという話だった。いるんだよな、不健康そうに見えて病気しない人って――と頼朝は考える。きっとあの酒とツマミで生きてる風な母親と祖母も、深刻な病はないんだろう。だからそれが説得力になってしまっているんだろう。

「それは、不安だよな」
「小学生の頃、将来の夢という話になるのが苦手でした。店を手伝えと言われて育ったので」
……だけど、一旦は就職したんじゃなかった?」
……しました。もしかしたら家を出られるかもと淡い期待をしました」

以来15年、ウサコは未だにあの家にいる。

「そんなに甘い世界じゃなかったです。体も壊しました。私に、将来はありませんでした」

それは想像に難くない。ウサコが蜘蛛の糸に縋ろうとすれば、彼女を取り巻く全ては彼女を引きずり降ろそうとしてまとわりついてきただろう。それらを足で滅多打ちに蹴りつけ、なんとか自分だけお釈迦様のところへ行こうとしなかったのは、怠けていたからじゃない。ウサコが優しかったからだ。

「叔父さんにも、タカられてたしね」
「私が逆らえないのをいいことに、一時はかなりの額を――
「えっ、ちょっと待って、逆らえないって何」

ウサコが話すに任せて、あまりこちらからは深追いしないように……と気を付けていたのだが、つい口が滑った。叔父さんは確かに最低のタカり野郎だが、なぜそれに逆らえない。

だが、ウサコも自分の言ったことに気付いて真っ青になった。

その青い顔が、怯えた目が、無駄に高性能の頼朝の頭を動かしてしまった。

……北見さん、もしかして叔父さんに何かされてたんじゃ」

その瞬間、ウサコは勢いよく立ち上がろうとしてよろけた。頼朝は慌ててその両手を掴み、震えている彼女を椅子に戻すと、すぐに手を離した。

「ごめん、北見さんごめん、そんなつもりなかった、本当にごめん」
「ち、違います、頼朝さんは何も、なにも……
「酷いことを言いました。何も考えずに、こんなこと、本当にすみません」
「そうじゃありません、いいんです、もういいんです」
「何言ってるんだ、よくないだろ!」

つい勢いで怒鳴ってしまった。頼朝は椅子の肘掛けにうずくまって頭を掻き毟った。

「脅されてた……んですね、金を渡さなければ、言いふらすって」
「最初はそうだったんですが……ちょっと、違います」
「え?」
「何年か前、本当にお金がなかったので、ヘソを曲げた叔父が、お客さんに言ったことがありました」
「でもそんなことしたら叔父さんの方が」
「私が色目を使ったことにされて、叔父さんは気味悪がったことに、なってました」

絶句。頼朝は頭が真っ白になった。

「逆だと言おうとしました。だけど誰も信じてくれなかった。そうやって嘘をついて叔父さんを貶めるなんて性根の腐った女だと言われました。お前みたいな醜い女、触ってもらえるだけでも有り難いと思えと、そういうことになって、その時に、色々諦めた気がします。そういえば就職してすぐに電車で痴漢にあった時も、それは勘違いだって、北見は痴漢されないでしょと同僚の女の子に笑われたのを、思い出しました。それに、叔父にいたずらをされたのは、小学生の時で、まったく意味がわからず、黙って言うことを聞いていたら叔父さんはとても喜ぶんだと言われて、一生懸命やらねばと、思っていたんです。それは叔父も知っています。そこは、事実なんです……

ウサコが小学生ということは、当時の叔父さんは現在の頼朝より少し年上というくらいのはずだ。頼朝は吐き気がしてきた。一体人間どうしたらそんなむごいことが出来るんだ。

「中学生くらいになってやっと意味がわかった時は、血の気が引きました。これは大変なことをしてしまったと思ったけど、もう取り返しがつかない。でも黙っていればバレないかもしれないと思い直して、いたずらと言っても、本当の意味で深刻なことではなかったので、真面目に生きて結婚でもしてしまえば、何とかなると思ったのですが、それもそんな甘い話では、なかったんですよね。どうやら自分は結婚できないらしいと気付いたのは就職した後でしたが、その時、私に将来というものはないんだと気付きました。あの家から逃げたところで、叔父からは逃げられない、母や祖母の生活が困難になったら、結局私がやらなきゃならない、頑張ったところで、何も変わらないんだと思うようになりました」

そうやってウサコはたくさんの「自分」をひとつひとつ、諦めてきた。頼朝の元カノあたりはそれを「怠ける言い訳」と言うだろう。本気で今の生活から抜け出したかったらやっているはず。だから、本気を出していないだけ。やる気の問題。本人が悪い。自業自得。

一体、味方になってくれる人がひとりもいない女の子が、どうやったらそんな気力を維持できると言うんだろうか。頼朝は母親の生い立ちを思い出していた。彼女も父親に振り回されて育った人で、凄まじい負けず嫌いだが、それでも夫に出会うまで人生を半分くらい諦めていた。

こうした閉塞的な環境に落ち込むことの問題は、まず最初にそれを打破しようという当人の気力を削ぐところにある。本当に嫌なら何とかしてるはず、というのとはそこがまず異なる。

そして当人の気力が目に見えて失われていくのを、身近な人間はとても敏感に感じ取る。逆らう気力をなくしたことは、上から押さえつける人間にとっては都合がいい。それを維持しようとする。

そんな悪循環を断ち切るのには、第三者の手が1番手っ取り早いのである。

頼朝はウサコの手を掴もうとして思いとどまり、その手でウサコの椅子の肘掛けを掴んだ。

「北見さん、やっぱりうちにおいで。家を出ましょう」
「で、でも、私」
「帰りたかったらいつでも帰れます。引き止めません。だけど、1回出ましょう」

まずは出てみることだ。後のことはそれから考えればいい。

「うちにはあなたを傷つける人はいません。ただちょっとうるさいだけです」

もうこれしか方法がないと頼朝も必死だった。なのでついそんなことがポロッと口をついて出たわけだが、ウサコは突然フハッと吹き出した。そう、清田家はうるさい。ウサコの吹き出した声に頼朝は顔を上げ、一緒になって少し笑った。

「やって、みませんか?」
……はい、お願いします」

そうしてウサコは体を折り曲げて深々と頭を下げた。

頼朝はそのウサコの体を抱き締めたいと思った。ウサコの中に、遠い日にはアマナのように幼い女の子だったであろう影が見えて、それごと抱き締めたいと思った。けれど、彼もまた過去にたったひとり付き合った女がいただけ、しかもトラウマ化している。そんな勇気はなかった。

だから、そっとその頭を撫でた。