カサンドラのとなりに

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「だからビールは余ってもどうせ親父が飲むんだし、もうみんなだいぶ飲んでるからそこまで――えっ、まだ来てない!? だってあそこ全員揃ったら10人以上……わかった、じゃあそれはひとり5くらいで、うん、そう。チューハイはもういつものにする。いいよ別に、3日4日で腐るわけじゃないんだし、次のバーベキューくらいまでならもつだろ。OK、じゃあ出来るだけ急いで帰るから」

助手席の頼朝はからの連絡に呆れた声を出していた。予想外に来客が多く、またみんな12月の屋外だと言うのに缶ビール缶チューハイをガブガブ飲む。さみぃ〜などと言いつつ豚汁やおでんを食べてはまた飲む。ビールもチューハイも残り一箱だから急いでくれという連絡だった。

入れ代わり立ち代わり沢山の人が来るから、と大量に用意していたはずなのだ。それなのに、タダ酒タダ飯で加速した客たちがものすごいスピードで酒を飲むので、早くも殲滅されようとしている。

……でも安全運転で行ってください、って大丈夫そうだな」
「むしろトロくてすみません」

運転席のウサコは緊張でガチガチになっている。何しろ隣に頼朝、車は由香里のタウンカー。鮮やかなブルーのボディに傷一つ付けたらと思うと気が気じゃない。それに、隣におわすのは次期社長である。自分ひとりなら最悪事故って死んでも構わないけれど、頼朝はそうはいかない。

頼朝の妨害もあって、従業員にしては清田家の中に深く入り込んでいないウサコであるが、それでもあの清田家を土台で支えているのは新九郎と頼朝の仕事なのだということはすぐにわかる。

信長も尊もエンジュもちゃんと働いているし、に言わせれば一番高収入なのは尊だそうだが、それでも新九郎と頼朝による工務店がなければ、あの家は保っていられないはずだとウサコは思っている。なので、言われるまでもなく安全運転です。

法定速度前後厳守で走行する車、それは多くの場合、「ノロノロ運転」と見られる。今も真後ろを走る軽ワゴンが車間距離をギリギリまで詰めて煽ってくるが、ウサコはそれどころではない。

やがて真後ろの軽ワゴンは車の途切れた対向車線に猛スピードではみ出すと、サイドミラーを掠めるようにして追い抜き、後輪がブレるほどの加速で走り去っていった。いやもうどんどん追い抜いていってください、私はこれ以上スピード出ません。

「危ないなあ、頭おかしいんじゃないのか。北見さん、ああいうのに乗らないでね」
「ももも、もちろんです」

清田家は駅からも少し距離があるし、立地としてはモロに住宅街なので、生活に関わる買い物は車で出るのが基本だ。歩いていかれるのはコンビニと飲食店くらい。それはそこそこ近所住まいであるウサコも同様なので、言われなくても駅方面に向かって走る。

その最寄り駅から伸びるメインストリートの端っこにディスカウントストアがあり、清田家の酒はだいたいここで仕入れている。大量に必要な時は注文も快く受け付けてくれるので重宝している。

「ていうか助かったけど、北見さん乾杯の時飲まなかったの?」
「はい。お酒のふりをしてましたけど、烏龍茶です」
「弱いんだっけ? アレルギーとかあった?」
「いえ、アレルギーじゃないんですが、ちょっと苦手で……

緊張で頬が強張っているが、ウサコは苦笑いだ。頼朝はそれを聞いておやっと内心首を傾げた。あんなどぎついスナックを毎日のように手伝っていて酒が苦手とは。

……もしかして普段あんまり運転しない?」
「毎日は、はい、してません。母と祖母の通院の送り迎えで必要だったので」
「ああ、そういう」

頼朝が由香里と「バイオレット」に足を踏み入れてしまった時も、ウサコの母と祖母は彼女を顎で使っていた。歩けないわけでもあるまいに、運転手をさせられていたらしい。だが、頼朝は今度は本当に首を傾げた。送り迎えって言うけど――

「でも北見さんうちでバイト始めてもう1年以上だよね?」
「はい、過ぎました」
「それじゃあ送り迎え出来ないんじゃないの」
「はい。なので春頃に車は処分しました」
「じゃあご家族は」
「今のところ月に1度くらいですから、バスやタクシーになりました」

ウサコは、清田工務店でアルバイトを始める前は自宅に近い飲食店のアルバイトだった。営業時間は23時まで。清田工務店と違い、土日の出勤が求められる業種だ。なのでシフト次第で運転手でも何でも出来たのだろうが、現在は月曜から金曜の勤務である。休みを取らない限り、病院には行かれない。

「じゃあまあ、運転自体はかなり久しぶりなわけだ」
「す、すみません」
「いや、大丈夫。オレもまさかこんなにハイペースでなくなると思ってなかったから」

と信長の結婚式の時は4日間の酒宴で計20万にも上る酒をバラ撒いた清田家だったが、そんな規模の飲み会がしょっちゅうあるわけもなく、酒の手配をしたと由香里と頼朝は完全に予測を外した。だって12月に外で飲むのに冷たいのがバカ売れするとは思わないじゃん!

特に今回はリフォーム中の騒音でご迷惑をおかけしました、の意味も込めて、近所の方にも声をかけている。そもそも清田さんちはリフォームしてなくてもうるさいからね〜と桜の大木を有するお向かいの梶原さんは大変よい関係にあるが、それは新九郎の父の代から梶原家は3割引という特別制度があるからだ。なので、梶原さんちもご夫婦で訪れている。

今日はそういうケースが多いので、そのため普段より女性が多く、は温かいお茶やホットワインも用意していたのだが、ぶーちんも含め来客の女性たちは男性同様ビールや缶チューハイをガバガバ飲んでいる。女は酒に弱いなど、認識が甘かった。

それに、そもそもの清田家の女性であるおばあちゃん由香里も酒好き。お茶やホットワインなど飲まない。子供用にお茶は残してあるが、ホットワインは早々にキッチンへと引っ込められてしまった。おそらく夜になったら渋々由香里ととエンジュが飲むか、不在だった信長が押し付けられるに違いない。本日北関東に遠征である信長は遅くまで帰れない。

「途中で足りなくなるなとわかっていれば飲まなかった。そこはオレのミス」
「だけどあの量のお酒がこのスピードでなくなるとは……
「まあ思わないよな。そこは仕方ない」
「間に合いますかね……
「間に合わないだろうな。あと一箱ずつって言ってたから」

頼朝はまた珍しくニタリと笑った。おそらく缶ビールと缶チューハイが底をついたら新九郎用の焼酎や日本酒を開けることになるはずだ。新九郎と由香里は「なくなったらそこまで」ではなく「買ってくるから待ってて、それまでこれでも飲んでてよ!」という主義である。

ふたりとも「今日は金使って人をもてなす」と決めた以上はとことんやるのである。

「どのくらい買うんですか?」
がまだオバデン来てないって言うから……かなりいると思う」

オバデンは、大庭電気さんのあだ名だ。社長が新九郎世代で昔馴染み、今回のリフォームでは電気関係もすっかり取り替えたので、かなり長い期間工事に入ってもらっていた。なので従業員総出の12人ほどがやって来る予定。全員男性、社長以下割と若い世代も多め。

「さっきはひとり当たり5本の計算と思ったけど……オバデンてやたらとでっかいやつが多いんだよな」
「社長さんが小柄な方だからですかね」
「ありそうだな。一番若いのなんか信長くらいあるし、脚立いらない時もあるし」

リフォームの件もあってこのところ事務所に顔を出す機会の多かったオバデンの社長さんはウサコもよく知っている。かなり小柄で丸い体型のかわいいおっさんだが、その部下は頼朝の言うように187センチの信長と似たような長身が揃っている。

それがタダ酒と聞いて350ml缶が5本では足りないような気がしてきた。頼朝はスマホに指を走らせて、電卓を叩いている。ビールもチューハイも余ったら次に持ち越せるし、新九郎の好きな銘柄にしておけばいずれ消える。余るより足りない方が困る。

一転、頼朝はしかめっ面である。なぜなら、酒が足りなくなるのには来客のハイペースとは別に、もうひとつ理由があるからだ。それは「オバデンの若いの」のような、今回のリフォームに関わった技術者が家族や恋人同伴でやって来ていることだ。

大規模リフォームにご尽力頂きましてありがとうございました、という名目の打ち上げ代わりでもあるため、例えばオバデンのような会社にはもちろん従業員の皆様でお越し下さいと伝えてある。実際に作業に入っていないのもいるだろうけれど、そこは構わない。

だが、そこの家族恋人は無関係のはずだ……というのが頼朝の意見だ。

ご近所の皆様はもちろん家族全員でおいで下さい、である。ぶーちんのような、技術者がそもそも家族ぐるみの付き合いである場合も当然であろう。今日は遠慮するミエさんもご夫婦で招いているし、そういう事情があるならともかく、今回限りの技術者の家族恋人は違うだろう。

おそらく新九郎の招待に尾ヒレがついて、タダ酒タダ飯で誰でも来ていいっていうから、家族や恋人を連れてくれば? という間違った情報が広まってしまったものと考えられるが、そこは遠慮するのが良識ある社会人の判断じゃないのか? 慈善活動の炊き出しじゃあるまいに。

若い技術者が多いことは分かっていたので、と由香里はバーベキュー用の肉や野菜とは別に、朝から大量の唐揚げを用意したり、もう自宅ではまかないきれないので馴染みの和菓子屋におにぎりを頼んだりとそれなりに準備はしていた。が、それらもあらかたなくなっている。

頼朝のやることなので、新九郎が声をかける技術者の人数、由香里が声をかけるご近所、全て数え上げて、それでも10人分ほど多めに考えて計算したのである。それが昼を待たずに底をつくのは人数が超過しているとしか考えられない。

例えばウサコの母親と祖母が本日のバーベキューに呼んでもいないのにやって来るようなものだ。

台所を預かる上に接客までしなければならないと由香里は目が回りそうだし、本当に無関係のはずのエンジュまで来客の相手をして回り、子供たちは途中から全員ひとまとめにされてお祖母ちゃんの部屋に入れられていた。そこまでの混乱を招く人数じゃなかったはずだ。

どこの世界に見ず知らずの他人を家に招いてタダ飯食わせる人間がいるんだよ! ちょっと考えれば分かるだろうが! 頼朝は電卓を叩きながら苛ついてきた。しかしもう後の祭りだ。この異常事態についての反省会は後でたっぷりやってやる。親父のやつ、覚悟しとけよ。

一方ウサコはイライラした頼朝にビクつきながらも安全運転を守り、清田家お馴染みのディスカウントストアにやって来た。日曜の午前中なので買い物客も多いし、頼朝は一応店長を呼び出してどのくらいまでなら買い占めて良いかを尋ねた上で、「午後から行きます」勢に備えて缶ビールと缶チューハイをほぼ買い占めた。月曜の午後イチが入荷なのでどちらも5箱ずつ残してくれればOKだという。

由香里はラゲッジスペースがそこそこあるタウンカーを選んでいるけれど、それでもこの大量の酒はちゃんと入るだろうか……と心配しつつ、ウサコは缶チューハイの箱を持ち上げた。買い物客用の台車に積んで会計せねばならない。すると、

「何やってんの。やめなさい」
「えっ?」

頼朝はまだ不機嫌そうな顔で刺々しい声を出した。やめなさいって何が。

「重いのはオレが持つから北見さんはペットボトルのジュース見繕ってきて」

ウサコはきょとんとした顔で立ち尽くした。缶チューハイの箱ひとつくらいなら重くないけど……

「もしかしたらまた呼んでもいない子供が押しかけてくるかもしれないし、そうだな……

言いながら頼朝はウサコの持っていた缶チューハイの箱を奪い取って台車に積み上げる。そして炭酸の入っていないジュースの1.5〜2リットルペットボトルを10本取ってきてくれと言う。モタモタしているとまたどやされるので、ウサコは短く返事をしてカートを取りに行った。

頼朝さんは厳しくて怖いんだけど、ああいう風にたまに紳士的なことをするんだよな〜。さすが社長とゆかりんに育てられただけのことはあるよね。尊くんもちょっと極端だし、信長くんもそういうところあるし、やっぱりお父さんがお母さんを大事にしてると自然と影響を受けるものなのかな。

重いものは持たなくていい、なんて言われたのは、生まれて初めてだった。

というか重いものは、持てる。何しろスナックを手伝って20年以上、子供の頃からビール瓶をいかに効率よく運ぶかという工夫の毎日だった。缶チューハイ24本入りの箱くらい持ち上げられる。さすがにそれを持って走れと言うのは無理だが、重すぎて落としちゃ〜う! なんていうやわな腕ではない。

しかし頼朝さんはよくわかんないな。バイト始めた頃は明らかに「あっ、これ一瞬で嫌われたな」って感触があったのに、手を怪我するなとか重いものを持つなとか、まあその辺はやっぱり社長がああいう人だから、無意識なのかもしれないな。

ウサコはカートを引っ張ってジュースのコーナーへと急ぎ、ペットボトルをカゴに並べていく。頼朝は10本でいいと言ったけれど、本日庭にひしめいている人数を思い返すと、目の前の10本では足りない気がしてくる。しかし車に積めるかどうかという問題もあるので、ひとまず指示通りでいい。

台車に山と積まれた缶ビール缶チューハイ、そしてジュース10本の会計を済ませ、ふたりは車に向かう。やっぱり頼朝は全部自分で積み込み、ウサコには後部座席を片付けてくれだとか、そんなことを刺々しい言葉で指示していた。

天井まで箱を積み上げ、心なしか後ろに傾いているような気がしてしまうタウンカーで家路を急ぐ。また安全運転厳守。きっともう新九郎の酒が次々に犠牲になっているに違いない。

清田家に戻ると、頼朝の読みどおり子供がかなり増えていた。頼朝はまず尊やだぁ、エンジュを呼びに行き、酒の積み下ろしを急いだ。だが、そこへぐったりした顔のがやって来て、申し訳なさそうな顔でぼそぼそと言った。

「もう肉も野菜もないの……
……酒より肉を消費しそうな客が増えてるみたいだからな」
「どこで話が変わっちゃったんだかね〜。梶原さんがお菓子恵んでくれたよ」

頼朝とと尊は揃って肩を落とした。近所の家と本当に親しい人以外は、リフォームに関わった技術者のみを招待したはずだ。それがなんで町内会の夏祭りみたいな状態になってるんだ。

……北見さん、悪いんだけど」
「大丈夫です、このまま回りますか?」
、大まかでいいから肉野菜どのくらい必要なのかまとめて」

頷くの隣で、尊は両手で顔を覆っていた。新たな自分の部屋はウッドデッキで囲まれているのだが、その真新しいウッドデッキが食べ零しや飲み物の染みで変色している。全て天然素材なので油性の染みは落ちにくい。泣きそう。

一方はメモに必要な食材を書き込みながら、ウサコに顔を寄せた。

「お兄ちゃんとふたりで大丈夫? なんなら代行呼んでもいいんだし――
「えっ、大丈夫だよ。何も……というか、私本当に運転してるだけで」
「本当?」
「ていうか……頼朝さん優しいよ」
「はあ?」

は目を丸くして肩をすくめたが、ウサコにとってはそれが真実だ。

「だってほら、さっきの缶の箱だって、私ひとつも運んでないし」
「いやまあ、そういうのは確かにアレだけど……なんか失礼なこと言うとかない?」
「あはは、私そういうの慣れてるから、失礼かどうかもわかんなかったりするし」

朗らかに笑ったウサコだったが、は余計に怖い顔をした。

「ウサコ、そういうのよくないと思う」
「えっ」
「ウサコが悪いわけじゃないけど、流していいことと悪いことがあるよ」

しかしウサコは言葉に詰まった。頼朝は本当にが言うほど失礼な物言いはしないのだ。ただ少し口調は刺々しいし、ちょっと考えればわかりそうなことが出来ないと「バカなの?」とでも言いたげなため息をつくこともある。けれど、受け流せないほどのことは言わない気がする。

受け流せないほど失礼なことは、これまでにもたくさん言われてきた。それに比べたら、頼朝などかわいい方だ。ウサコはそう考えるが、で義兄の頑なな性格を案じているのである。それがわかるので、ウサコは頷いて礼を言う。

「ありがとう。もし頼朝さんのことで困ったら、ちゃんに最初に言うから」
……絶対だよ」
「うん。本当につらいと思ったら、相談するね」

はやっと怖い顔を解いてくれたけれど、ウサコは作り笑顔を保っていた。

ちゃん、私が「本当につらいと思う」って、相当なことだよ。

大丈夫、頼朝さんはそこまでする人じゃないよ。

、北見さん、まだ?」
「はい、今行きます! じゃあ行ってきま〜す」
「気をつけてね」

少し心配そうなを残して、ウサコはまた車に向かった。今度は肉と野菜である。場合によっては肉は数件回らねばならないかもしれない。その間ずっと頼朝とふたりきりということをは案じているのだろうが、ウサコは何も不安に思っていなかった。

大丈夫、頼朝さんはプライド高いから、本当にひどいことは出来ないよ。直前で怖気づくから。

それにね、ちゃん。本当にひどいことをする人って、楽しそうなの。ニコニコしながら近寄ってくる人の方が怖いの。頼朝さんみたいにしかめっ面なら、まだ大丈夫。

そういう人は、安全なの。