ルーザーズ&ラバーズ

Side-M 20 - エピローグ

「本当に大丈夫か」
「逆に何でそんなに心配してるのかわかんないんだけどね」
「かと言ってオレまで一緒にいくのはおかしいし……
「当たり前でしょそんなの!」

出かける支度をしているの周りを、牧はウロウロしては心配だの大丈夫かだのブツブツ言っている。

「しつこないもー、マックスだっているんだし、大丈夫だって」
「この場合は頼りにならないだろ」
「そう言っとくわ」

身支度を終えたはバッグを引っ掴み、鍵を手に玄関に向かう。靴を履いて姿見で髪を直すと、まだウロウロしている牧を振り返ってふうとため息をつく。手を伸ばして牧の頬に触れ、するりと撫でた後につま先立って軽くキスをすると、その頬をペチペチと叩く。

「あー心配だ心配だ」
「だったらちゃんとアポ取って来ればいいでしょ。歓迎してくれるよ」
「だけどそうしたらまた話を蒸し返されるだろ」
「そりゃしょうがない。私だって今日はたぶんその話ばっかりになるだろうし」

きりがないのでは鍵を開け、外に出る。まだ心配で仕方ないらしい牧も追いかけて外に出る。春の風がサッと吹き込み、の髪をそよがせ、牧は目を細めた。

今日からは海南ダンス部の指導者に就任するのである。

ダンスは高校生になってから始めたし、競技ダンスの方は大学生になってからだったし、5歳の頃から大会で踊ってます! という人材ではない。だが、海南ダンス部は盛り上がっている割に指導者が付かず、いつまで経っても落ちこぼれ部のイメージが拭い去れないままだった。

これは米松先生の希望でもあり、海南大で学生をやっている間に自身もそれを目指す気持ちが出てきた。海南大卒業後、は働きながらインストラクター養成講座のある夜間専門に通い、この春無事に卒業を迎えた。新学期、今日からは海南大附属高校に戻る。

ダンス部の指導の傍ら、授業でやるダンスの方の指導も受け持つそうだが、なぜか牧はそれが心配でならないと言って譲らない。もう生徒ではないのだし、ダンス部も落ちこぼれ部ではないのに。

「何かあったらすぐにマックスに言うんだぞ」
「お父さんか」

はもう真剣に相手にせずに、ちょろちょろと追いかけてくる牧を振り返らずに駐車場へと向かう。中途半端な距離と位置関係になるので、は車通勤である。それも牧は心配しているが、免許を取得したのはの方が先だし、今でも乗っている時間はの方が長い。

「今日は何時頃に帰れるかわからないから、適当にしててね」
「やっぱり送っていくよ。それで終わったら迎えに行くから」
「もー、いいからそういうの! マックスに似てきたよ最近!」

は追いすがる牧をあしらいながら車に乗り込む。現在ふたりは同棲中であり、国内のプロチームに所属している牧はオンオフが不定期で、今日も休みだ。なので余計に心配している。

じゃあねー、と気楽な声を残してはさっさと走り去る。牧の相手をしていたら遅刻してしまう。

置いていかれた牧もさっさと部屋に戻ると、すぐさま米松先生に電話をかける。

「おー、どした。何かあった?」
「今出ました」
……おお、そうか」
「先生、本当に大丈夫なんでしょうか」
「ていうか何をそんなに心配してるのさ」

米松先生の方も出勤前らしい。声が遠ざかったり近付いたりしている。

「卒業してからは気にならなかったんですけど、どうにも学校にひとりと思うと」
「だったらアポ取って放課後遊びに来ればいいじゃないの。バスケ部喜ぶよ」
と同じこと言わないでください」

彼女が心配なあまり母校訪問しに来ましたなんて吹聴されたらたまったもんじゃない。

「ちゃんと僕も見てるから大丈夫だって。いいか牧、はあの頃の自分たちと同じ境遇にある子に、君と同じ手を差し伸べられたらって気持ちで戻ってくるんだよ。君がにしてあげたことが、回りまわってまた脱落しちゃった子たちを助けるんだから、ドーンと構えててやらなきゃ」

米松先生の言うことはもっともで、牧は返事に詰まる。今でもダンス部はルーザーズと名乗っているらしい。

「てかそんなことじゃにプロポーズ出来ないよ!」
「まだそんな予定ありませんけど……
「ないの!? んもー、今の子はのんびりしてるんだからもー、先生の時なんか」
「あ、用事思い出しました。それじゃまた」
「聞きなよ!!! 連休空いてたら飲もうな!」

酒が飲める歳になったと牧は、自分たちの惚気話をせがまれるとともに、米松先生と奥様の恋愛から結婚に至るまでをしょっちゅう聞かされている。普段高校生相手では出来ない話なので、米松先生の恋バナは長いししつこいし、ふたりは若干飽きている。

は心配だが朝っぱらから米松先生の恋バナを聞きたくなかった牧は、しかし電話を切ってしまうとまた不安が募ってきて、部屋の中をウロウロしたり、海に行ってウロウロしたり、軽くトレーニングしながらウロウロしたり、とにかく延々ウロウロしていた。

「ねえねえ先生、バスケ部の部長と付き合ってたってホント?」

在校生にはが赴任してくることを米松先生が話していただろうし、それでなくともダンス部に入った生徒は壁にかかる横断幕の由来と、と牧と瀬田くんの話を必ず聞かされることになっていて、この質問は避けて通れない。も隠したいわけではないので、正直に頷く。

「ホントだよ」
「なんかマックスはすごい選手なんだって言ってるんだけど」
「すごい選手だよ。今のところ海南の夏冬最高は2位なんだけど、その時の主将だった人だから」

ダンス部員の女の子たちは興味津々である。

「先生って結婚は……
「してないよ。先月まで学校行ってたんだし」
「その時の彼氏って……
「今でも付き合ってるよ」

キャーッと歓声が上がる。噂に聞く伝説の先輩ふたりの話を本人から聞けるとあって、女子部員たちは興奮気味だ。それに、どうにもマックスの話は大袈裟に盛られている感が強くてイマイチ信用ならないから、事実関係を確かめながら本人に直接聞きたい。

「マックスが何かって言うと先生たちのこと自慢気に話すんだけどさ、ホントかなって」
「まあ、多少は大袈裟だろうけど、だいたいは本当だと思うよ」
「怪我した先生をその彼氏がお姫様抱っこで助けてくれたっていうのは?」
「だいぶ端折ってるけど、まあ本当。てかそんなことまでベラベラ喋ってんの、あの人」

呆れるの前で、部員のひとりが真っ赤な顔でどつき回されている。お姫様抱っこがどうとか言いながら、キャアキャア楽しそうだ。はピンと来て、しかし少しだけ米松先生の気持ちがわかってしまい、若干ショックを受けた。片思いしている女の子は可愛い。

「バスケ部の主将の子、好きなの?」
「早く告っちゃえって言ってるんだけど、全然進まなくて」
「なんかもうすげえゴリラーマンだから、お姫様抱っこくらい余裕だと思うんだよね」
「自信ないって言うんだけど、あんなの好きなのあんたくらいだから!」

他人には簡単に見えても、本人たちにとってはデッドオアアライブかというくらいに重大な問題だ。自分の高校3年生の2学期のことを思うと、また米松先生の気持ちがわかる。

「先生はどっちが告ったのー」
「それ自体は向こうからだけど、でも文化祭のためにずっと一緒に頑張ってたからなあ」
「先生の方も好きだったん?」
「それはもちろん。当時のダンス部なんて底辺扱いだったのに、たくさん助けてくれてね」

ああこれでは米松先生と同じになってしまう、と思いつつも、きらきらした目で話を聞きたがる生徒を前にすると、ついつい口が滑る。いやいや米松先生は自ら進んで首を突っ込む。私は聞かれたから答えてるだけ。はそう言い聞かせる。

「その頃はダンス部なんて『落ちこぼれ部』って言われてたし、バスケ部なんて近寄れないくらいだったよ」
「それなのに付き合えるんだ……
「んー、もう卒業しちゃったから言えることだけど……狭い世界の話だよ」

彼女たちには、あの頃の自分たちにはまだそれが世界のすべてなのだけれど、そこから解き放たれてしまうと何て狭い世界のことで神経をすり減らしていたんだろうと思えてくる。牧は確かに大きい人なんだろう。しかし今朝は根拠のない不安でウロチョロするだけの人だった。

「部活がどこだからとかじゃなくて、その人がどうかってことでしょ」
「彼氏さん、どういうところがよかったの?」
「うーん、付き合うまでは色々忙しかったし、どこがどうっていうより、うん、心で寄り添ってくれたからかな」

感嘆のため息には少し照れる。今思うとそんなところだ。

「それから今に至るまでは色々変わっていったけど、そういうことだと思う」
「今違うの?」
「まあそれは高校生と社会人じゃ、ね」

色々あるんですよ、色々と。卒業してからのことはあまり詳しく話す気がしなかった。彼女たちはまだ高校生なのだから、高校生の間にが体験したこと感じたことを伝えたかった。それを過ぎた時のことは、過ぎた時に話したい。ああ本当に米松先生そのものじゃないか。

たくさん話して満足したらしい女子部員を帰したは、後始末を済ませ、米松先生と少し話して校舎を出た。薄暗い海南の校舎はあの頃のままで、駐車場と格闘技棟とプールの改修工事は終わっているが、新しくしたわけじゃない。それほど印象は変わらない。

は辺りを見渡して生徒がいないことを確認すると、第一体育館の方へ向かった。体育館脇の通路は思い出の場所だ。あの頃の自分が落ちているような気がしたは、こそこそと通路に足を踏み入れる。

国体の合同練習とダンス部のステージ練習、アクロバットやり直し計算、飛んできたボール、お姫様抱っこ、横断幕の色入れ、文化祭、後夜祭、冬の選抜、牧が帰ってこない――

負け犬と恋人たちはいつもこの狭い世界でもがいてた。もう遠い話だけれど、今も鮮明な記憶となって胸を疼かせる。何であんなことに必死だったんだろうね――何を思い出してもそんな風に感じるけれど、必死だった気持ちは今でも大切な幸せの記憶だ。

思い出の場所で浸って気が済んだの背中に、聞き慣れた声が聞こえる。

驚いて飛び上がり、慌てて振り返った先に、牧がいた。

「ちょ、何やってんの!? てか何それ、走ってきたの!?」
「ごめん、どうしても気になって。走って紛らわせようとしたらこっちに向かってて」

呆れただったが、女子部員と話したことを思い出して、牧に寄り添った。

「関係者以外の無断侵入は通報も辞さないんですが」
「OBでもダメか?」
「そのジャージ姿は普通に不審者だと思う」

牧の手を引き、いつかステージが白いカーテンをはためかせていた駐車場へと向かう。

「それより大丈夫だったか?」
「大丈夫、みんないい子だったよ。バスケ部の子には明日会う」
「そ、そうか、それならいいけど……

どうにも心配性になってしまったけれど、それでも今でも牧はにとって自分を救ってくれた人である。牧にとってもは良き理解者であり、何を置いても守りたい相手である。心で寄り添い合い、それがいつまでも終わらないことを、ずっと願っている。

「じゃ、帰ろっか! 帰ってご飯食べよう!」
「おお、そうだな、話、色々聞かせてくれよ」

に手を引かれた牧はやっと気が緩んで微笑み、何を食べようか疲れてるなら食べて帰ろうかなどと言いながら車のドアに手をかけている。それを見ながら運転席に乗り込んだは、もう一度ちらりと第一体育館の方を見て、ふいにこみ上げてくる気持ちにじわりと熱くなる目をグッと抑えこむ。

あの日あなたがくれたものは今でもここにある。今も勝利と敗北の間でもがくルーザーズたちに差し伸べられる手、それはあなたがこの場所に残していってくれたものだ。私はそれを繋ぎ止めて、守っていこうと思う。

胸にルーザーズ、背中にアンディフィーテッド、私とあなたそのものをいつまでも。

END