ルーザーズ&ラバーズ

Side-M 09

面談以来、牧と米松先生はコソコソと集まってはよく話すようになった。授業の合間、面談のない昼休み放課後、場合によっては牧が部活を終えてから。話の内容はとにかく「場所」についてだった。

「屋上、どうでしたか」
「それが、B棟なら出られるようにはなってるんだけど、柵があって貯水槽までしか行かれない」
「ホールの方もダメでした。両日とも午後は開くらしいんですが、占有するそうで」

海南の校舎は中から屋上に出られる作りになっていない。渡り廊下続きの3棟ある本校舎だが、屋上に出られるのはB棟のみで、なおかつ貯水槽以外の場所は柵が張り巡らされていて、とてもダンスが出来るスペースはない。A棟とC棟は細い外階段を5階まで登らねば入れない。発表場所には不向きだ。

校内のことは米松先生に任せた牧だが、聞ける範囲で2日間ある文化祭の各部の施設使用状況を調べ始めた。講堂が文化祭1週間前から吹奏楽部に占拠されて、部外者が迂闊に近寄ろうものなら蹴りだされるような状況なのはわかっているが、その他の場所なら空いているんじゃないかと踏んだのだ。が、甘かった。

文化祭なのだから文化部中心のはずなのだが、海南の場合「強い部優先」であることには変わりがない。そのため、細々と活動を続けているような文化部は空き教室を使用したり、ひどいと外に体育祭などで使う集会テントを張っていたりもする。

そんな状態なのでクラス展示は基本的に小規模、展示や体験型アトラクションはほぼなし、だいたい担任の「持ちネタ」状態の飲食物を出す模擬店になりがちだ。まあそれも一定数あると助かるので、毎年似たようなラインナップの食事処が出る。牧も昨年のクラスは緑茶と和菓子の和カフェをクラスの半分くらいの人数でやっていた。

それでも小ホール、第一体育館、第二体育館なら、空き時間が必ずあると思ったのだ。視聴覚教室だけは1週間前から演劇部のセットが組まれてしまうのでどうにもならないけれど、その他のところなら何とかなるんじゃないかと思ったのだが――

「ちびっこの方はもしかしたらグラウンドでひとまとめに出来るかもしれないのですが、チア部が」
「あそこは触らない方がいいよ……先生も怖くて……

チア部は5年前に就任した指導者が鬼の化身のような人で、以来余計に厳しい部になっている。厳しいだけでなく就任以来どんどん強くなるので、誰も口出しが出来ない状態であり、女子の脱落者が絶えない部である。

「踊れる場所と観客のスペースを考えると、室内はもう場所がないんですよね」
「そうなんだよ。しかもあの子たちはアクロバットをするから、天井が低いと危ないし」

海南には数年前からバスケット部専用のアリーナ建設の話があって、それが出来ていたらと牧は思うが、存在しないものを悔やんでもしょうがない。あとは屋外しか可能性はないのだが、

「もちろんグラウンドは無理だろ」
「初日午前中はサッカー部がちびっ子教室で午後は試合、2日目はバザーとフリマです」
「で、夕方から後夜祭に入っちゃうもんなあ」

10年ほど前から海南大附属高校は地域との交流にも熱心で、文化祭では強い運動部がちびっ子教室を開き、バザーをし、後夜祭では広大なグラウンドでささやかながら花火が上がる。

「テニスコートは照明があるし、初日の日没後なんかいいかなと思ったんですが……
「今年は無理だよねえ。どう考えても」

今年男子テニス部はインターハイ4位の選手を擁しており、しかもそれが運の悪いことに途轍もない美少年で、テニス部もちびっ子教室を開催するらしいのだが、どう考えてもちびっこのお母さんが殺到する展開しか見えない。ダンス部だって1時間貸してくださいで済むわけでなし、どんどん退路がなくなっていく。

……あれ? そういえば駐車場って午後は空きますよね?」
「ああ、そう。バザーの搬入車も14時には完全撤退っていう規定だから、一応ね」

バザー・フリマ自体はそれほど大規模なものではない。フリマ出店数は20前後だし、バザーも年々出品数が減っているので、地域交流の建前上、近隣からの来場者向けにやっているというだけのものだ。なので、昼頃には店じまいをし、生徒の模擬店などで食事をしてそのまま撤収、というのがここ数年のスケジュールである。

「その後は車、入りませんよね」
「そうだね。もう後夜祭に入っちゃうから」
「ダメですかね」
「砂利敷きだけど」

牧はガクリと頭を落とす。そうなのだ。海南の駐車場は大型バスが入ることが多いので、車止めのない砂利敷きのままになっており、なおかつ駐車場と隣合わせのプール、そして格闘技部棟が翌年まとめて補修工事に入ることになっているので、しばらくは砂利敷きのままだ。

砂利敷きでガタガタな場所では踊れるわけはないし、多少なりともアクロバットをやると考えると、余計に無理がある。しかも、車止めはないが、仕切りのために黄色と黒の標識ロープが張り巡らされていて、それに引っかかっても危ない。ダンスにはとことん不向きだ。

「何か敷くとか、そういうのってないんですか」
「敷くって言っても、動かない板状のものじゃないと」
「そうか、そうですよねえ……
「てかさ、場所もそうだけど、たちにいつまで黙ってるつもり?」

また牧の頭が下がる。今のところ確実に場所を用意出来ていないのでには何も話していないけれど、一週間前になって急に踊れと言われても逆に迷惑だ。文化祭は11月初旬なので、せめて1ヶ月前までには話しておかなければならない。

「確約できないのに期待を持たせるのもどうなんでしょう」
「うーん、ダンス部と言っても人それぞれだし、気持ちだけでも喜ぶ子はいると思うけど……

過度の期待をさせてしまって、結果やっぱりダメでしたでは可哀想な気がしたのだ。牧はふうとため息をつく。

「出来れば今月中に場所の可能性を見つけたいと思っていたんですが」
「今月、明日で終わっちゃうしね。君は週末から国体だし。……にだけ、話してみるとかは?」

生徒の恋愛は全力応援、たまに余計なお世話になる時もあるぞ恋バナ大好きベイマックス! な米松先生はさりげなく付け足してみる。何も「必ず文化祭のステージを約束しよう」なんて言う必要はないのだし、は部長だし、そういう計画があるということだけでも話してみては、と思った次第だ。

ついでに一緒に帰ればいいんじゃないの。駅同じなんだし、また送って帰ればいいんじゃないの、ねえ。

「あの子たちも週末に大会だし、今日も遅――
には、ダンス部には言わないでおきたいんです」

頬をぷるんぷるん揺らして身を乗り出した米松先生は驚いて傾く。えっ、何でよ!

……瀬田さんが直接関わったことを公表しなかったように、オレも名乗り出たくないです」
「いや瀬田くんはほら、僕が話を聞いてもらってただけだけど」
「施しと思われたくないし、このことを知ればダンス部はオレに感謝しなきゃと思うはずです」

牧は厳しい顔をして首を振った。とブチ撒け合いをした時の記憶が牧にこんなことを言わせているんだろうということはわかるが、それにしても。ピュアな青春ラブを期待していた米松先生はさらに傾いて牧の顔を覗き込む。それで本当にいいの?

「先生、言ったじゃないですか。他人への感情なんて身勝手なものだって」
「いやまあそうなんだけど」
「オレがやりたいからやってるだけ、それ以上のものにしたくないんです」

青春ラブを期待していたけれど、本人がそう言ってるものを強制できない。米松先生はガッカリを飲み込み、うんうんと頷く。本人がそれを望むならまあ、それでいい。それでいいけど――いやちょっと待って!

「じゃあ……ダンス部には誰が話すの!?」
「先生」
「えええええ」
「えええって何でですか、先生が奔走してステージが実現、て方が有り得る話じゃないですか」
「先生牧の気持ちを横取りするみたいで嫌だ!」
「そんなことないですって!!」
「あるよ! だってこれは牧のに対する気持ちじゃないか!」

言っちゃった。

「そ、そういうわけでは。ただのオレの願望というか、わがままみたいなもので」
「それでもあの子のためにしてあげたいっていう気持ちだろ。それを――
「重荷に感じてほしくないので」

聖人かよ。米松先生はちょっとイラッと来る。大変高潔な心意気だが、それはちょっとやりすぎじゃないかい?

「もしステージが実現しても、一切名乗り出ないつもりなのか」
「はい、もちろん。実現したらステージを見たいとは思いますけど」
「君ねえ」

先生は呆れて、組めない足を組んで背もたれに身を沈め、はちみつレモンをぐいっと飲む。

「だけどさ、だって一方的なわだかまりから抜け出すチャンスなんだよ」
「それはが望めばの話でしょう。今のところそんな気持ちはないはずです」
「もったいない気がするけどなあ」

米松先生が渋るので、牧はため息とともに苦笑いを浮かべた。

「先生、オレはとても身勝手なので、もしこの計画が失敗に終わった時にも落胆されたくないんです。成功ならそれでいいけど、余計なことして期待持たせやがって、と思われたくない。いい人にはなれないかもしれないけど、悪い人にもならないままで終わりたい」

だから協力して下さい、とでも言いたげな顔だった。牧にしては珍しい、少し甘えた目で。そういう目で来られると米松先生は弱い。バスケット部の主将でも落ちこぼれ部でも生徒はみんなかわいいのが米松先生だ。

「まあ君が後悔しないならそれでいいけど……気が変わったらちゃんと自分で言うんだよ」
「はい、ありがとうございます」

絶対そんなことにはならないって顔してんな。米松先生はそれはそれで微笑ましく思って、頬を揺らした。

文化祭での発表場所の見当すらつかないまま、牧を含めた4人の代表は国体に出場、たちも唯一参加の許された大会に出かけていった。初日に敗退はまず考えられない牧たちはともかく、ダンス部は例年通り褒められもせず評価もされず、ただ参加しただけで帰ってきた。

ともあれそれは毎年恒例のことだし、一応失敗なく演じきったので、3年生のダンス部員たちは満足そうな顔をして帰ってきた。ステージには立てなかったも肩の荷が下りたようで、表情が穏やかになってきた。大会の直後に再検査の結果が出たが、それもまず問題なしで、丸く収まろうとしていた。

それから数日後、国体でも3位という成績を残してきた牧が朝練が終わるなり職員室に駆け込んできて、面談の予約をしたいと言い出した。珍しく慌てていて、とにかく急ぎだと言う。幸いこの日は放課後が空いていたのでそう返すと、慌てつつも嬉しそうな顔で頭を下げていた。

まあ、悪い知らせじゃないようだな……。米松先生は気楽に準備室で待っていた。

そこに慌ただしいノックの音が聞こえてきて、先生はまたはちみつレモンを飲みつつ「はぁーい」と返事をした。すると、勢いよくドアが開いて、牧ではない男子生徒がふたり、転がり込んできた。それを押し出すというかほとんど蹴り込むようにして牧も入ってくると、廊下の外を確かめてピシャリとドアを閉める。

驚いた米松先生はプーさんマグを両手で持って肩を竦めた。

…………はちみつレモン、飲む?」

ふたり分追加されて、テーブルの上には3つのはちみつレモンのグラスが並んでいる。何が飛び出すのかわからない米松先生は机の引き出しから誓約書を2枚取り出し、手に持ったままくるりと振り返る。

「ええっと、確か――
「こっちが2年の神、こっちが1年の清田です」
「そうだそうだ、一応ふたりにもこれをあげようね。何か相談したいことがあったら言ってね」

ぺこりと頭を下げる神と清田は途轍もなく居心地が悪いという顔をしている。そりゃそうだろう。先輩に強制連行されて来てみたら落ちこぼれ部担当ベイマックスで、はちみつレモンと誓約書だ。机の前の米松先生の向かいに牧、その間に神と清田が挟まれて大きな体を縮めて小さくなっている。

「それで、どうしたの」
「すみません、外で話せないのでこいつらに何も教えてないんです、そこからいいですか」

神と清田もわけがわからない顔をしているが、米松先生も同じ顔になってきた。何なの一体。だが、牧がのためということは慎重に伏せつつ、文化祭での計画についてを話すので、米松先生もフォローに務めた。しかし、いきなりそんな計画を聞かされた神と清田はさらにビビっている。無理もない。

「その話をしたかったの?」
「ああいえ、それでですね、こいつらも国体に出たんですが」

そこにふたりの家族が観戦に来ていて、海南でも国体代表でも主将である牧はどちらとも挨拶をしたという。

「こっちの清田の家が工務店、神の親がアパレル関係の仕事をしているそうなんです」

牧は期待の籠もった目をキラキラさせている。

「いわゆるリップサービスの冗談かと思ったのですが、清田のご両親が」

牧の話によると、異様にざっくばらんな清田のご両親は、まず牧をいい体してるからバスケット出来なくなったらうちで働けと言い出した。清田はすごい選手なんだからアホなこと言うなと反論していたが、ふたりは聞いておらず、家を建てたくなったら言えだの何だのとまくし立てた。

そこで、ほんの出来心で牧は地域の夏祭り程度の規模の野外ステージを作るのは難しいですかと聞いてみた。

「難しくないし、作ったことがあるというんです」
……今はやってないんすけど、町内会の夏祭りでのど自慢大会があって、その舞台を」

牧がずいぶん具体的なことを聞くので、清田の父親は学校で使うんなら協力してやると言い出した。その場はまさかなと思って社交辞令的に礼を言っただけで終わらせた牧だったが、翌々日、また観戦に訪れた清田父は見積もりを持ってきた。金額的にどうというより、作るとしたらこういうものになるという資料だった。

「スンマセン、うちの親、そういうの好きで……
「見せて頂いた資料は想定よりずっと立派で、もっと簡素にしてもいいくらいのものでした」

話が進むうちに、米松先生の目もキラキラしてきた。それはすごい。で、神の方は?

「神の方はもしかしたら衣装を助けて頂けるかもしれません」

現在アパレル関係の仕事をしているのは神の父親。と言っても、事務方なのでファッションに直接関わる仕事というわけではない。だが、母親の方が元々ファッション業界の人間で、最近は輸入物の古着のリメイクで小遣い稼ぎ程度の仕事をしているという。

神の母親はまた牧に対して、いい体してるから服を作ってあげたいけど、レディースものしかやってないんだと言い、ツギハギのスカートが履きたかったら別だけどと付け加えて笑っていた。

「もちろん全員分作ってもらうとかではなくて、ノウハウを教えて頂けるんじゃないかと」
「相手が女の子なら、喜んで引き受けると思います」

だいぶ落ち着いてきた神はそう言ってはちみつレモンを傾けた。米松先生のプーさんマグの中でカランと氷が崩れる。牧の目のキラキラが伝染った米松先生は、ついでにふるふるとお腹が震えている。

「なんか……ちょっと希望が持てそうな感じになってきたね」
「先生、許可、取れませんか」

身を乗り出した牧の目に、米松先生はいつかの瀬田くんの面影を見ていた。落ちこぼれ部創設以来の奇跡的な状況、しかもそれを持ってきたのが海南随一の実績を誇るバスケット部。また米松先生のお腹がふるふると震える。これは武者震いだ。

「神と清田はいいの、それで」
「はい、大丈夫です」
「スンマセン、乗り気になってますんで」
「そうか、そうなのか……よし、やろう、先生は許可をかけあってみる」

武者震いの米松先生はプーさんマグを置いて立ち上がると、潤んだ目で3人を見下ろす。

「3人共、ありがとう、ダンス部に代わってお礼を言います。本当にありがとう」

先生は丸い体を折り曲げ、ぺこん、と頭を下げた。