ルーザーズ&ラバーズ

Side-M 14

文化祭2日目、朝から昇降口周辺はざわつく人々で溢れかえっていた。初日に発表が終わった吹奏楽部のポスターがなくなったと思ったら、最近何やらコソコソと活動しているらしいダンス部のポスターが堂々と貼られている。しかも、米松先生が「誰も見てない」と言った右下に注目が集まっている。

バスケ部が協力って……確かダンス部って「落ちこぼれ部」だったよな? 予選も近いのに、何やってんだ?

……まあそれは予想してたことだし」
「という割に逃げてくるの早かったっすね」

ダンス部が本日楽屋として使う柔道部の道場である。朝練もないのでのんびり登校してきた牧は、昇降口という生徒全員の目につく場所にポスターが貼られていたせいで早々に質問攻めに遭い、HRが終わるとさっさと逃げてきた。ダンス部の方も同じ状態らしいが、まだお着替えが始まらないので、臨時避難所になっている。

「ていうか……お前は何でそれ着てるんだ」
「スペシャルゲストだからっす」

畳の上であぐらをかいている牧の正面でウンコ座りになっているのは清田だ。彼はなぜかダンス部とお揃いのTシャツを着ている。例の「KainanUniv-DanceTeam」という文字がプリントされたTシャツだ。ダンス部の女子が着ることを想定しているので白地にピンク文字だが、彼の場合表情が豊かで子供っぽいので違和感がない。

「スペシャルゲスト?」
「あれ、聞いてませんでしたか。オレ、ステージに出るんです」
……は?」
「国体の練習の時にうっかりバク転出来るとか言ったことを覚えてたらしくてですね」

最初は渋っていた清田だが、ダンス部アクロバットチームと練習をしてみたら思った以上に難しく、つい悔しくなって頑張ってしまった。単なる賑やかしの予定だった清田の乱入は予定曲の後半全てに変更され、彼はTシャツまで与えられるに至ったというわけだ。

清田はTシャツの裾を掴んでビッと広げてみせる。

「これもらったの、オレだけなんすよ!」
「お、おう……そうか」
「羨ましいですか?」
「何でだ」
「こーいうのあると、チームって感じ、しませんか」

さらりと清田は言うが、ほんの数カ月前までは天と地ほどの格差を持っていたバスケット部とダンス部である。それが混ざり合い、チームなどと言えるまでになった。まだ1年生の清田にはわからない感覚かもしれないが、牧は改めて昨夜米松先生が言っていたことの意味を重く感じた。

ウィナーズとルーザーズの間にある深くて底が見えない溝、そこに橋がかけられないなんて誰が言ったんだ。

いつかの瀬田くん、そして牧。ウィナーズのてっぺんにいるふたりは、向こう岸にいるルーザーズの世界を見てみたかった。向こう側にいる人々と同じ目線で話をしてみたかった。それは何年もの時を経て、ようやく実現しようとしていた。海南大附属高校の広大な敷地内の駐車場の片隅で、ささやかな架け橋が渡されようとしている。

清田はどうせ出るならそのボサボサ頭何とかしろとダンス部の女子に捕まり、何だかんだと文句を言いつつも楽しそうに髪をいじくられている。そこへまたバスケット部員が避難してきた。一体、誰がどこの部なのかなんて、よくわからなくなってきた。牧はそれを眺めながら静かに微笑む。

のためと思っていたけれど、本当はこんな景色を見たかったのかもしれない――

グラウンドで行われていたバザーとフリマが予定より早く終了すると、それを聞きつけたバスケット部員がどこからともなくわらわらと湧いて出て、駐車場の誘導を始めた。何なら搬出手伝いますからご用命ください!

そんなこんなでバザーとフリマのために開放されていた駐車場は、昼過ぎにはすっかり車がなくなり、それを待ち構えていた親方とバスケット部員がステージの移動を開始した。今日も牧は外されていたし、ダンス部もステージ本体の運搬には手を出さないよう親方に申し付けられて、細々したパーツなどを運んでいた。

「って何これいつの間に。る、ルーザー……ズ?」
「ぴったりでしょ」

横断幕に気付いた清田が首を傾げていると、その背後からハスキーな声が聞こえてきた。ナナコだ。清田は何も考えずにひょいと振り返ると、驚いて飛び退き、近くにいたの後ろに隠れるようにしてステージに逃げた。ギョロ目貞子のナナコは、黒髪のアヴリル・ラヴィーンになっていた。

「ナナコ先輩、なんか別人みたいですね」
「化粧しただけなんだけどね。はい、牧にもこれあげる」
「何ですかこれ」

ナナコは牧に缶バッジを手渡す。バッジにはやはりルーザーズと書かれていて、ナナコはそれをバスケット部員に問答無用で渡し、その場で付けろと言い添えていく。

「ちょ、バスケ部にルーザーズはちょっと縁起悪いんじゃ……
「でも先輩、オレたちだって夏と国体でそれぞれ負けてきてますよ」
「だけどまだ冬の大会が残ってるでしょ」

は釈然としないようだが、牧と清田は大人しくバッジを付ける。

「ほらほら先輩、これでオレたちも仲間!」
「えーこれでもし負けたら私たちのせいになるじゃん」
「そんなこと言わしときゃいいじゃないすか」

オンオフの切り替えを心がけていると牧は、前夜のことなど何もなかったかのように自然に振舞っている。その間でニヤニヤしながらTシャツの裾のバッジを眺めていた清田が顔を上げてはしゃいだ声を出した。

「おっ、だいぶ出来てきましたね。親父のやつ何を一緒にはしゃいでんだか……

その声にと牧が振り返ると、殺風景な砂利敷きの駐車場がすっかり野外ステージに作り替えられていた。思わずふたりとも感嘆の声を上げる。

ステージ自体はそれほど巨大なものではない。清田が言っていたように、町内会ののど自慢大会で使われるようなステージをほんの少しだけ広げた程度だ。だが、これでは唯一出場が許された大会に出るために選抜された10人前後のダンス部員しか踊れない。それじゃ可哀想だと思った親方は一計を案じ、舞台は外に広がった。

メインのステージは1メートルほどの高さがあるが、その目の前にT字に通路が敷かれた。こちらはほんの数センチの土台に板を敷いただけの花道である。そのT字の縦線の両側が観客席。杭を打ち、元々駐車場で使われていたプラスチックのチェーンを差し渡せば、立派なオールスタンディングのフロアが出来上がり。

そんなわけで、大会に出た選抜メンバー以外の1年生2年生の部員も全員踊れることになったのである。

「うおー、なんかちょっとテンション上がってきた」
「清田くん、ダンス部と掛け持ちする?」
「それもいいかもと思ってることは否定しねーっす」
「おいおい、ずいぶん余裕だな」
「てか牧さん、どこで見るんすか? 今から場所取りしときます?」

清田はまたさも当たり前というような顔で言ったが、牧は静かに首を振った。

「バスケ部はあくまでも裏方。ダンス部の家族とか友達が優先。観客席で見るなら後ろの方だろ」
……裏方なら、袖にいなよ」

は牧と清田両方を見てからそう言った。ステージは骨組みとカーテンだけなので、袖からでもよく見える。

「ま、こんなバッジ付けてるわけですしね」
……一番近くで見ててよ」
「りょーかいっす」

はおどけて清田に言ったけれど、それは取りも直さず牧への言葉だった。清田もそれをわかっていて、に向かって笑顔でサムズアップをしてみせた。ルーザーズの晴れ舞台まで、あと少し。

ポスターに記されたダンス部のステージの開始時間は16時。一応来客は17時には敷地内から退去しなければならないのだが、校長の取り計らいにより、ダンス部員の家族に限り、残ってもよいことになった。この日のために衣装作りを請け負ってくれた部員の母親たちも娘の晴れ舞台を見ようと集まってきていた。

そこに部員の友人とバスケット部が集まるくらいのささやかなステージと考えていた牧と米松先生だが、16時が近付くにつれて、顔色が悪くなってきた。想定以上の生徒が押し寄せてきていたからだ。

というのも、後夜祭まではしばらく時間があるし、この文化祭2日目は午前中でほとんどの発表・公演が終了するため、片付けなどが終わっているなら暇な時間帯なのである。だからダンス部のステージも許可が下りたわけだが、ポスター効果か、思った以上に客が多い。

「これ、バスケ部の子は完全に入れないね」
「あー、先生、は袖にいて欲しいと」
「えっ、そんなこと言ってた? そうか、それがいいかもしれないね。君たちは客じゃなくて、スタッフだもの」

というかステージを見るならもうそれしか方法がない。米松先生は満足そうに息を吐きつつ、牧の背を押してステージから離れる。この大量に押し寄せている生徒たちの中の一体誰がダンス部や軽音やアウトドア部をバカにしてきただろう。けれど誰も彼も楽しそうで、そんな生徒など始めからいなかったように見える。

「牧、この景色をよく見ておきなさい。君が、君の気持ちが作り上げたものだよ」

どうしても表に出たくない牧だったけれど、喧騒の中に米松先生の言葉を聞いて、静かに頷いた。

……のためと思って始めたことでした」
「それが海南の特殊な部活事情すらも変えてしまったかもしれない。君がしたのはそういうことなんだよ」
……少し、嬉しいです」
「そうだね。僕も嬉しい。今日は君も楽しんでいけよ」
「はい」

今でものためという気持ちは変わっていない。あの日、腕の中で泣いていたを何とかステージに立たせてやりたくて、落ちこぼれだの勝ち負けだの関係ない場所で彼女の3年間をぶつけられる場所を作りたかった。どうやらそれは最高の形で実現するようだし、それが何より嬉しかった。

ステージに立てることが決まって以来、は毎日いきいきと練習をしていた。楽しそうだった。ボールひとつで最後の勝負が消えたと涙を流していたはもういなかった。そういう彼女をすぐ近くて見られて、そして支えて来られたことが、無性に嬉しかった。

米松先生の友人だとか言う人がナナコたち軽音部の機材セッティングをしてくれているので、牧はひとりそれを眺めながら感慨に浸っていた。もう客は目一杯入っているし、ステージの方も問題なさそうだ。ナナコとお揃いのTシャツを着たナギがものすごい猫背でギターを鳴らしている。

その時、牧はパチンと背中を叩かれて飛び上がった。清田だった。

「うわ、何だお前か。お前ステージ出るんだろ、こんなところで何やって――
「はい、もう袖に行きます。牧さん、先輩たち呼んできてもらえませんか」
「ああ、そうか、もう準備しておいた方がいいよな」

この日に限らず、牧は怪我をしてはならぬと部員たちから作業をやらせてもらえないことが多かった。なので、こういった怪我しようがない役目は本人も進んで引き受けてきた。この時も牧は清田にそう言われると、何も考えずに頷いて道場の方へ歩いて行った。

が、牧がわざわざ呼び出しに行かなくても、進行状況は常に確認を取っているから、ダンス部もすっかり準備が整っているはずだし、要するに、これは「わざと」である。

牧が道場に向かったことを確認すると、清田は取って返してステージ袖の奥まったところにいた神に報告をする。牧さん呼び出しに行かせたからもうオッケーすよ! 軽音部のステージはほんの3曲なので、すぐに終わってしまう。そのため、ダンス部のスタンバイが確認できてから開演、ということになる。

「じゃあもうそろそろだね。ていうかマックスどこ行ったんだろ」
「道場の方にいるんじゃないんすか?」
「そうかな……。さすがに邪魔しないと思うんだけど」

というところの、道場である。お着替えとおめかしがあるので、2時間前から男子立入禁止になっている。牧は足早に入り口までやってくると、少し力を入れてノックをした。ドアが分厚いので聞こえないと困るからだ。すると、ノックが終わらないうちにドアが勢い良く開き、32人のダンス部が一斉に現れた。

唯一出場が許された大会では、衣装が悪いだの可愛くないだのと審査員や出場者にケチを付けられて悔しい思いをしてきたダンス部だったけれど、どうだろう、32人の少女たちはお揃いのTシャツに身を包み、頬をピンク色に染め、それぞれに似合ったヘアスタイルをして、幸せそうな顔をしていた。みんな可愛い。

「おお、支度、終わったか? そろそろ――
「牧、ちょっと入って」

に促されて、牧は一歩足を進めた。その背後でドアが閉まる。ちょっと怖い。

「み、みんな可愛くなったじゃないか。もういいのか」
「牧、終わった後は全員揃わないと思うから、今、言うね」
「えっ?」

を真ん中に置いたダンス部員が全員牧を見上げている。やっぱり怖い。すると、彼女たちは萎縮している牧に向かって、一斉に頭を下げた。道場の中がしんと静まり返り、牧は少しだけ意識が遠のく気がした。一体何が起こってるんだ――

……もちろんバスケ部のみんなに感謝してる。だけど、一番最初に牧に言いたかった。ありがとう」

がそう言うと、後を追って全員が「ありがとうございました」と続けた。

……オレは、何も」
「何も? 本当に?」

ダンス部員たちは、「わかってるよ」とでも言いたげな顔をしていた。そして、ぞろぞろと道場を出て行く。11月の夕暮れは早く、外は薄暗くなり始めている。そして、どうしたものかとぼんやりしていた牧と、だけが残された。またドアが閉まる。

「牧、あともうひとつだけ。これは私から」

は手の中に持っていた紙を差し出した。

「えっ、これって、ええと何て言うんだったか」
「セットリスト」
「ああ、そうそう。曲順だ」
「それの最後、見て」
……アン、アンディフィ」
「アンディフィーテッド」

Undefeated。清田が出るとか言う最後の曲のはずだ。

「私がそれやりたいって言って、ゴリ押しで入れてもらったの」
「そ、そうか」
「感謝の印に、牧に、捧げます」

の静かな声に、牧はセットリストに落としていた顔を跳ね上げた。

「だから、見てて。あと、意味は、自分で調べて」
……
「あーダメ、泣きそう。終わったら泣こうと思ってたのに。だからもう行くね。行ってきます!」

は鼻をくすんと鳴らすと、ガッツポーズをして、牧の横をすり抜けていった。道場に取り残された牧は、しばし呆然とした後、急いで携帯を取り出し、Undefeatedの意味を調べ始め、その答えに行き着くと、よろよろと道場の壁に手をついた。頬が熱い、ドキドキする。

Undefeated――意味は、「無敗」。

一方その頃、ステージ袖でスタンバイが出来たダンス部員と、牧にお礼が言いたいという彼女たちに気を利かせてやっていたバスケット部員たちは、あんぐりと口を開けて仰天していた。驚きすぎて言葉も出ない。出てくるのはか細い悲鳴くらいなものだった。

そこに追いついた牧も、後輩たちの顔がおかしいのでその視線を追い、やっぱり同じ顔になった。

「何やってんだよ、あれ!!!」

清田の悲鳴とともに、ステージに光が差す。

ステージの後方、ナナコとナギの背後でドラムセットに収まっていたのは、米松先生だった。