ルーザーズ&ラバーズ

Side-M 15

軽音部のステージ計3曲は、選曲がハードロックでポカンとする部員家族と、ツッコミしか出てこない海南生という状況であった。とにかく何より海南生の総ツッコミを食らったのは米松先生である。

彼は何くわぬ顔をしてドラムセットの中に収まり、ピッチピチのTシャツにカーゴパンツでキメ顔をしていた。

「なんかウザい!!!」

普段はふわふわもちもちお腹が可愛い癒しのベイマックスなのだが、今日に限ってはそれがドヤ顔でドラムスティックをくるくる回しているので、ステージ袖のダンス部員は嫌そうな顔を隠しもしなかった。そして、やけに通りのいい声でカウントを入れると、巨体を揺らしながら激しくドラムを叩きだした。これがどう見ても素人のそれではなくて、またツッコミの嵐。

「いやマジ意味わかんねえんだけど……先輩、知ってた?」
「知るわけないでしょこんなの、最近よく行方不明になると思ったらこんなことしてたのか」

さらにツッコミは続く。確か合唱部の姫だったはずのナナコはギターを弾きながら歌い出したのだが、これがとんでもないデス声。確かに上手いのだが、上手いのだが……! という状態。ナギの方もヒョロ長い体で前傾姿勢のギタープレイがモノマネのようで、しかし妙に絵になるので、やっぱりツッコミしか出てこない。

しかし、最初の衝撃が過ぎると、米松先生のドラムプレイはなんだかとてもかっこよく見えてくる。体が大きいので迫力があるし、ガリガリに痩せているナナコとナギの後ろにいると、ステージが締まる。見慣れないベイマックスの勇姿にツッコミしか出てこなかった海南生たちも、じわじわと楽しくなってきた。

3曲目に至っては、調子に乗った米松先生が観客席に向かってスティックを放り投げ、勢いに飲まれていた女子生徒がそれを取り合い、観客席の方もノリノリになってきた。まだダンス部員の家族はポカンとしていたが、軽音のステージはマックスコールとともに大歓声の中に幕を下ろした。

……まあ、緊張は飛んでったね」
「先輩、オレ振り付けも飛んだかも」
「それは思い出しとけ」

ツッコミどころ満載のステージが終わるとダンス部の出番だが、自分たちのステージが控えていることなど忘れてツッコミまくっていたので、ダンス部はものすごくリラックスしていた。そこへ気持ちよく汗をかいてツヤツヤした顔の米松先生が戻ってきた。

「今度は君たちが楽しんでおいで!」
「先生ほんとに楽しそうだったね……
「だろ。だから君たちも目一杯気持ちよくなって楽しんでくるんだよ。さあ、行ってらっしゃい!」

冒頭は少し逃してしまうけれど、何しろ汗だくなので急いで着替えてくると言って米松先生は消えた。ダンス部計32人は米松先生の言葉に送られてステージへ出て行く。大会選抜はステージ上に、その他の部員は花道に。こちらも思った以上の規模なので、観客のざわめきが高まっていく。

それをステージ脇で見ていた牧の隣にナナコがやってきた。

「お、お疲れ様です、すごかったですね……
Undefeatedって君のこと?」

挨拶も挟まずに言うナナコに、牧はむせ返った。いきなりそれかよ。

「はあ、まあ、そう言ってもらいました……
「うちの妹、意地っ張りだからさ」
「はあ」
「少し強引なくらいの方がいいと思うよ」
「何の話ですかそれ……

これからステージが始まるというのに、と牧は呆れた。だが、ナナコは真っ黒に縁取られた目で見上げる。

「妹をよろしくって話。私も込みで、助けてくれてありがとね」

またポカンとした牧を置いて、ナナコは立ち去る。その後姿を呆然と見送っていた牧の背後で、重低音が鳴り響いてくる。ダンス部3年生の、の、ラストステージだ。

米松先生オン・ステージでほどよく体が温まった観客は1曲目から沸き上がる。たちも適度にアクロバットを挟みつつ、観客が一緒になって踊れる演出を中心に考えたので、花道の部員との相性もいい。ダンス部員たちはずっと笑顔だ。笑いながら観客と一緒になりながら全身で楽しんでいる。

これまで決まった活動場所も与えられず、常に練習場所を転々としてこそこそと活動を続けてきたダンス部、それは誰の目にも「落ちこぼれ部」であった。けれど今、彼女たちは揃いのTシャツに身を包み、楽しくて楽しくてしょうがないという表情で飛んだり跳ねたりしている。

牧、着替えて戻ってきた米松先生、そして彼女たちの家族はその光景を真剣な目で見つめていた。

伸び悩んで、ついていかれなくなって、派閥の中で爪弾きにされて、てっぺんを目指していたはずなのに、気付いたら脱落者の烙印を押されていた。それだけで不当な扱いを受けたこともある。だけどどうだろう、彼女たちはどんな部のどんな優秀な選手よりも楽しんでいる。全身でこの時を楽しんでいる。

そうして5曲目、Undefeated

途中から清田が乱入してくると、会場はまた一気に盛り上がる。振り付けが飛んでいたらしい清田も一緒に踊っているうちに思い出してきて、ステージから花道までを駆け抜ける。そして終盤ではダンス部アクロバットチームと共にバク転の花を咲かせ、拍手喝采を浴びた。

曲が終わると、ちゃっかりステージ上でダンス部と一緒に手を繋いで頭を下げる清田は、手を振り投げキッスをし、すっかりスター気分だ。テンションが上った彼は隣にいたを抱き上げ、競技ダンスのリフトよろしく回転、そのまま袖に転がり込むとナナコと神に蹴られた。

牧の目の前で何やってんだ、と本人がいるので言えないナナコと神に清田が威圧されていると、観客席の方から声が上がった。まさかのアンコールである。部員たちの友人や家族だろう、やナナコ、清田の名を呼ぶ声もする。だが、そんなもの用意してない。

「先生どうしよう、やるの?」
「うーん、同じことやってもなあ。こっちも用意がないし……
たち、テキトーに踊れる?」
「アドリブってこと?」
「そう。先生、夢、叶えてあげるよ。練習曲、やろっか」

とナナコと共に顔を突き合わせていた米松先生はその言葉に目を剥いた。

とりあえず何か軽音がやってくれるらしいから、その間にアドリブで踊ろう――それだけの情報でダンス部員たちはステージに戻った。米松先生も再びドラムセットの中に収まる。ダンス部員がいるのでナナコとナギはステージの後ろの方に陣取り、何やら相談している。

アンコールがあるらしい上にまたマックス・オン・ステージなので観客は既に縦ノリだ。

「あー、アンコールありがと。だけどもうこれ以上用意がないので、米松先生の思い出の曲で、古臭いのをやります。これを演るのがマックスの夢だったらしいから、みんな、ノッてあげてねー」

ナナコのMCと共に米松先生がスティックを高々と掲げる。感無量という顔だ。その姿はなぜか妙に神々しく、頼りない照明に米松先生のテカテカのおでこが光る。ダンス部もナナコのMCを受けてステージに散らばる。

ナナコのMCの通り、少々古臭い雰囲気の曲が始まり、ナナコの声が響き渡る。それに合わせてダンス部員たちは好きなように踊っていく。総勢32人、以外は全員どこかの部の脱落者である。彼女たちは元いた部でやっていたことを挟んでステージを通り過ぎて行く。

体操、チア、テニス、サッカー、米松先生のドラムに乗せて、彼女たちは笑顔で過去を振り返る。中にはバレエを挟んだり、仲のよい者同士で息のあったステップをする子もいる。途中でまた清田も引っ張りだされ、アクロバットチームと一緒にバク転をされられたし、終いにはステージを飛び降りて花道で観客を煽り始めた。

そうして終盤、いよいよヒートアップする米松先生を背に、ダンス部員たちに引っ張り出されたハンドマイクのナナコがステージのど真ん中にいたと並ぶ。ナナコのデス声にが揺れ、背中合わせの姉と妹はナナコのシャウトに弾け飛んだ。袖のバスケット部員たちもずっとジャンプしている。

すっかり日の落ちた11月の空の下、牧の一言から始まったステージは盛況のうちにフィナーレを迎えた。

ダンス部のステージが終わると、部員の家族はそのまま帰っていく。海南生たちはまだ後夜祭があるので、ステージの興奮を抱えたままグラウンドに移動していく。その中でダンス部員たちは一旦楽屋の道場に戻って、着替える。何しろ滴るほど汗をかいているので、その状態で男子諸君の近くに立ちたくない。

「機材の撤収は先生たちがとりあえずやります。それ以外の細かいものは一旦袖にひとまとめにして、みんなはちゃんと後夜祭行きなさい。片付けは明日出来るんだから、余計なことしないでちゃんと楽しんでくるんだよ」

ドラムセットを組んでくれたりしていた米松先生のお友達だとか言うやけにロックくさいおじさんたちを残して、バスケット部員は道場へ向かう。海南の後夜祭といえば広いグラウンドで花火が上がる。米松先生はそれをちゃんと楽しんでおいで、と繰り返し言っていた。

それはダンス部も耳にタコが出来るくらい聞かされていたので、着替えを終えて出てくると、道場にしっかり鍵を閉めて靴も履き替えていた。まだ興奮がおさまらないけれど、みんなで花火を見ていれば落ち着いてくるだろう。

「あ、みんなお疲れ様。今日は本当にどうもありがとう!」

バスケット部員たちに向かってが頭を下げると、ダンス部員たちもそれに倣う。

「まあその、色々お礼もしたいけど、それはまた改めてということで、後夜祭、行こうか」
「よっしゃ行きましょー! また踊るぜー!」

花火が上がるまでのグラウンドはEDMの海である。駆け出す清田の後ろを1年のダンス部員たちが追いかけていった。それを微笑ましく眺めつつ歩き出した一行だったが、は制服の襟元をぐいっと掴まれて「ぐえっ」と変な声を出した。振り返ると、ナナコが段ボール箱を抱えている。

「ちょ、どしたの」
「あたしグラウンドでも歌うことになった」

確かにグラウンドでは毎年音楽系の部がゲリラ的にパフォーマンスをしているけれど……

「だからこれ、教室に置いてきて」
「何これ」
「缶バッジの余りとブーツとアクセサリー」

ダンボールの中からつま先が尖った金属で覆われたブーツがはみ出している。なんで私が!? という顔をしていただったが、ナナコは返事も待たずにナギを連れて去っていく。その後ろでは、牧が神に横断幕を押し付けられていた。つまりこれも「わざと」だ。

「じゃあ牧さんついでにこれもお願いします。オレ、3年の教室はちょっとアレなんで」

そうして気の利く後輩と姉の策略により、と牧はどうでもいい荷物を手に置いていかれた。

「せっかくみんなで楽しく終わろうとしてたのに、何なのあいつら」
、オレ走って行ってくるから、グラウンド行ってていいよ」
「バカ言わないでよ、うちの教室C棟の一番奥だよ」

とナナコの教室は校舎の最上階の端っこにある。ここからは一番遠い。

「じゃあさっさと行って来ようか〜」

の覇気のない声に、牧はついに気付いた。もしかしてこれ、お膳立てられたのか? 神に手渡された横断幕には海南の色で「Losers」の文字が浮かび上がっている。疲れも手伝ってとぼとぼ歩くを追いかけながら、牧は心の中で何度もふたつの言葉を繰り返した。

Losers、そしてUndefeated。まるで紙一重の自分たちのようだったから。

「おおー、ここから見るときれいだねー!」

最上階の教室からはグラウンドがよく見える。数年前まではキャンプファイアがあったらしいが、そこに爆竹を投げ込んだ生徒が出たため、現在は中止されている。その代わりに美術部監修のキャンドルが無数に並べられていて、女子生徒には非常に受けがいい。

ナナコの荷物と横断幕を置いたは、窓辺に駆け寄って歓声を上げた。

……ナナコ、ほんとに歌ってるし」
「え、どこ?」
「あっちあっち、テニスコートの方」

この教室からだとかなり小さいが、ナナコとナギがアコギを抱えて何やら歌っている。その周りにはダンス部とバスケット部と思しき人垣ができている。しかし牧は目をこすったりまばたきを繰り返すばかりで返事がない。は初めて一緒に下校した時のことを思い出す。ゼロ距離人間なのかと思ってたけど、目が悪かったのか!

「目、悪いの?」
「最近ちょっとな」
「バスケ大丈夫なの、それ。コンタクト?」
「バスケは平気。授業の時だけメガネ」

そう言うなりはゴフッと吹き出した。

「何だよ」
「いや、ちょっとメガネってイメージじゃなかったから、ごめん、つい」

黒々と日焼けしているし髪色も明るいしバスケット部だし、メガネかけてお勉強というイメージのなかったは顔を背けて肩を震わせている。ふたりは窓辺に並んでいるが少しばかり離れていて、その空間がお互い気まずいのだが、中々きっかけがない。

けれど、牧はこの「お膳立て」に気付いているし、ナナコの言葉もあるし、横断幕のルーザーズの文字を思い出すと、負けて元々という気もしてくる。というかむしろこの機会を逃したらもう後がない気がした。ここで逃げたら、2度と向き合えない気がする。とも、自分の気持ちとも。

グラウンドでうごめく人の波を見下ろしながら、牧は口を開いた。

「どうだった、ラストステージ」
「うん……なんだか夢中で、実は今もあんまり現実感がない」
「アンコール、ナナコ先輩も一緒でよかったな」
「マックスのドラムもそうだし、寝ぼけて夢見てたんじゃないのかってくらい記憶があやふや」

は窓の桟に手をついて、また笑った。夢中になっていたらステージはあっという間に終わってしまった。

「楽しかったか?」
「それはもう。むしろ文化祭でステージ立てるってことになってから、毎日超楽しかった」
「終わったら泣くって言ってたのに、ずっと笑ってたもんな」
「いやほんと、あの時は泣きたくなってたんだけどね……マックスのせいだな」

牧も一緒になって笑った。米松先生かアンコールのおかげか、ダンス部にも軽音部にも湿っぽい涙はなかった。バスケット部もやりきった顔をしていたし、それは観客も同じだ。みんな目一杯ステージを楽しんで帰った。

は笑顔を引っ込めて少し俯き、スッと息を吸い込む。

…………あのさ、牧が言い出しっぺって、あれ、本当?」
「本当」
「どういうこと?」
「そのままだよ。マックスに、文化祭でダンス部に何かさせてあげられないかって言った」
「なんでそんなこと……

牧も静かに息を吸い込む。言わないままでいたかったけれど、「無敗」のメッセージがそれを打ち壊した。

、大会出られなかっただろ」
「そうだけど……
「完成形、見たかったし。楽しそうに踊ってるも見たかったし」

の視線を感じたけれど、牧はグラウンドの方を向いたまま続ける。

「頭打って……吐いちゃった時、、泣いてただろ。その声が耳から離れなかった。ただ一生懸命練習してただけなのに、飛んできたボールで全部が台無しになって、その上あんなことになって、それで終わらなきゃいけないのかと思ったら、居ても立ってもいられなくて」

もうここまで言ってしまったら後戻りはできない。牧はの方を向いて覚悟を決める。

のために、文化祭で何かできないかって、そう思って」
……バ、バスケ部なのに、ダンス部の――
「バスケ部は関係ない。オレの個人的な願望で、正直、ダンス部のことも何も考えてなかった」

が所属しているのがダンス部だっただけの話だ。あくまでも牧の目的はだった。

に喜んでもらいたかっただけ」
「な、なん……そんな……
「好きだから」

はびくりと体を震わせて、恐る恐る顔を上げる。泣き出しそうな頬が赤く染まっていた。

「不純な動機ですまん」
「そんな、そんなこと、ほ、本当に?」
「本当。さっきからずっと『これチャンスだよな』って思ってるくらいには本当」

そう言って苦笑いの牧に、は飛びついた。ややあって牧の方も優しく抱き返す。お互い言いはしないけれど、が吐いてしまった時のことを思い出していた。あの時もこうして牧はを抱き締めていた。はその腕の中で泣いていた。

……Undefeated、嬉しかった」
「感謝とかそういうの、どう表したらいいかわからなくて、あれは、私だけだけど、牧のために踊ろうって」

その言葉がくすぐったかった牧は、近くにあったの耳にそっと唇を寄せた。は「ひゃっ」と薄っぺらい悲鳴を上げて飛び上がる。いよいよ顔は真っ赤、黒目は少し震えている。

「不純な動機だし、バスケ部だし、うまくいかないって言われそうだな」
「そ、そんなのやってみなきゃわかんないよ」
「だったら、試して、みないか」

今にも額が触れそうなほどの距離では頷いた。その瞬間、グラウンドから花火が駆け上がり、海南の空に爆発した。驚いて窓の方を向いたの頬に手を添えて戻すと、牧はそのまま静かに唇を重ねた。

真っ暗な教室の窓辺、窓の外に踊る花火、影はひとつに溶け合って長く伸びていた。