ルーザーズ&ラバーズ

Side-M 17

冬の選抜神奈川県予選一次トーナメント、夏のインターハイ予選と同じく海南はシードである。だけでなく、昨年の成績があるので、本戦に進めばそちらもシードである。とりあえずのところ、初戦は問題なし。海南に当たってしまった高校は不運だが、致し方ない。

それが終わると二次トーナメントに突入する。一次で勝ち進んだ8校が最終的に1校に絞られる。こちらも初戦は特に問題なし。さくさくと勝つ。というか予選一次や二次の1戦目あたりは牧はフル出場しないという余裕っぷり。

そして二次予選トーナメント、準決勝戦からが本番である。

「海南・翔陽・陵南・湘北……今年はこの勢力図が変わらないんだねえ」
「でも去年までは湘北なんてこんなところまで来られなかったんでしょ」
「そうだね。ここ2・3年は牧藤真時代と言われてたらしいから」

ダンス部勢揃いで観戦に赴いたのは一次予選の最初の試合だ。牧どころか清田や神もちょこっと出ただけで、それでも海南は大差で勝利してしまい、ガッチリ応援する気になっていたダンス部は気抜けして帰ってきた。話には聞いてたけど、うちのバスケ部ってあんなに強いの……牧超こわい……

特に人懐っこくてイジりやすいキャラだった1年生の清田が2・3年生の中に混じって戦っている様はある意味ではショックでもあった。こりゃ私たち落ちこぼれ部とか言われるわけだ……と変な納得をしてしまった。

そうして二次予選、もう海南のバスケット部がどういうものなのかわかってしまったダンス部は来ていない。ナナコを誘ってみたが、興味がないという。なので、は米松先生と来ている。同行者が欲しかっただけだが、牧の応援に行きたいけどひとりでは恥ずかしいと言ったら即、食いついた。ちょろい。

「ねえねえ、あのふたりの呼び名、知ってる?」
「呼び名……牧と藤真くんの? ううん知らない」
「『神奈川の双璧』。ちょっとかっこいいよね」

は米松先生の言葉を聞きながら、アリーナを見下ろした。準決勝戦の対戦校は陵南。今年はインターハイ予選で対戦しているし、国体でも陵南の選手とは共闘しているが、3年生全員残留の海南と違い、陵南は主力の3年生が全員引退しているという。

両校の選手が続々とベンチ入りしてくる。は陵南の選手たちの中に、体育館で気さくに話しかけてきた男子がいるのを見つけた。背番号は4、つまりキャプテンだ。あの子、主将だったんだ――

「あの4番の子、仙道くんって言うんだって。2年生なんだけど、上手いって言ってた」
「牧が?」
「うん。予選始まってからあんまり会ってないんだけど、色々教えてもらった」

一応国体の合同練習で翔陽・陵南・湘北の主たる選手は見ているだろうから、と牧は簡単に各校の選手たちが、チームが一体どんなバスケットをするのかということを教えてくれた。きっとあいつらと対戦することになるだろうから。牧はそう言って笑っていた。

「上手いから嫌なやつだって、笑ってた。絶対へし折ってやるって、楽しそうだった」
、目尻が下がってるよ」
…………うん、そういう話してる時の牧、かっこよかった」

夏からこっち、何かというとすぐに不貞腐れるがさらっと言うので、米松先生は思わずジュースを吹き出しそうになった。恋バナは大好物だし惚気大歓迎だけれど、いきなり来られると驚く。

「これで試合見るの2度目なんだけど、こうして遠くから牧を見てるのは、すごく好き。かっこいいなあって思う。だけど、間近で見ると途端に一歩下がらなきゃって気がしちゃうんだよね」

米松先生はの膝に置かれた手をポンポンと叩くと、少し距離を縮めて囁く。

「だけど楽しそうに話してる牧と一緒にいたいなって思うんでしょ」
……うん」
「大丈夫、それが全てだよ! その気持ちの前に理屈なんかいらないんだからね」

米松先生のお腹が勢いよくぼよんと波打つ。は場内に響き渡る試合開始のアナウンスを聞きながら、ふにゃりと笑った。そう、気付けばいつも牧が近くで支え助けてくれていて、それが「好き」に変わったのは自然なことだった。それは理屈ではない。

そしては思い出す。あの日、強い衝撃とともに激しく嘔吐した自分の体を強く抱き締めてくれていた牧の腕を。絶望で泣くしか出来なかった自分を抱え上げシャワー室まで運んでくれて、ずっと気遣う言葉をかけてくれた牧の声を。きっとあの時から何かが始まっていたんだろう。

私は牧に何をしてやれるだろう。牧を支え助けることが出来るだろうか。

割れんばかりの歓声の中で、は胸の前で手を組み、牧を目で追った。その手の中には、米松先生と一緒に同じ言葉を書き殴ってある。Undefeated、牧にはその言葉がよく似合うから。

全国2位まで上り詰めたメンバーが全員の海南に対して、陵南は1・2年生だけという構成。それが勝敗を決めたかどうかはわからないが、競った試合ながら海南は無事に勝利した。ホッと胸を撫で下ろしたと米松先生は、そのまま第二試合だというので、つい席を立たずにアリーナを眺めていた。

「こっちは……翔陽と湘北か。あ、藤真くんだ。相変わらずかっこいいね、先生には負けるけど」
「あれっ? 湘北って確かすごく大きい人いなかった? 国体練習の時見た気がするんだけど」
「引退しちゃったんじゃないの」
「だけど藤真くんはいる……さっきの試合と同じことになっちゃうんじゃないの」

の予感は的中、翔陽は大差で勝った。途中策を弄して湘北の選手に退場を出させるなど、まさに勝つためなら何でもやるというような試合だった。藤真もまたが脳震盪で吐いた時に助けてくれた人物である。は久々に見る彼をつい目で追っていた。牧に3年間一度も勝てなかった人だ。

が病院に搬送された後にね、藤真くん言ってたんだよ。あの子はオレだ、って」
「牧に聞いた。頭、怪我したことあったんだって」
「今年はインターハイも逃しちゃったし、に自分を重ねてたのかもしれないね」

言葉にはしなかったけれど、はその気持ちがよくわかった。彼はこうして県内トップクラスのチームにいるけれど、ずっと負け続けてきたという点ではと同じだ。牧の話では頭の怪我は対戦相手の腕に当たったものだと言うし、自分の失態ではないのに勝負の機会を奪われたのも同じだ。

は勝ったというのに厳しい顔をしたままの藤真がアリーナから出て行くのを見送ってから、席を立った。

翌日が神奈川県予選最終日で、海南対翔陽、つまり牧対藤真である。だが、はこれを見に行かなかった。試合を見るのは好きでも、牧の勝利を願う気持ちはそれほど持っていなかったし、その牧に藤真が勝っても負けても自分に重ねてしまう気がしたし、試合中ずっとそれを見ていられる気がしなかったからだ。

牧には家が揉めているから行かれなくなったと連絡をした。揉めているなど真っ赤な嘘だ。むしろナナコが部屋から出てきて以来、家は順調に再建の道を歩み始めている。はいつかのように部屋でダラダラ過ごしていたが、昼頃になって牧から連絡が来た。

トロフィーを写した画像が添付されていた。海南は勝ったのである。そして、藤真は負けた。

ぐさりと胸に刃物が刺さったような気がした。牧は確かに好きな人だ。付き合い始めてからというもの、以前にも増して好きだと思うようになった。しかし、藤真がまた負けてしまったということを思うと、牧のこととは関係なく心が痛んだ。自分は文化祭でステージを踏めたけれど、藤真にはもう後がない。

しかし、そんな気持ちは牧に知られたくなかった。自分の心の奥深くにしまっておきたい感情だった。

は勝利を祝うメッセージを送ると、ベッドに突っ伏して呻いた。だからと言って藤真の勝利を願う気持ちがあるわけじゃない。というより、どこが勝とうがにとってはどうでもいいことだ。バスケット部員だから牧が好きなわけじゃない。それと同じで、誰が勝っても負けてもそれはどうでもいい。

だが、2年生のインターハイは事故による怪我で潰れ、3年生のインターハイも想定外の対戦相手に敗北して失い、結果として3年間一度も牧に勝てないまま高校バスケットを終えなければならない藤真の気持ちは痛いほどわかる。もう勝負することが出来ないのだ。リベンジの機会は二度と巡ってこない。

そういう風に藤真にシンクロする気持ちがある以上は、牧の勝利を素直に喜んでやれる気がしなかった。

幸い、直後に期末の海南はテストが終わるとテスト休みに入り、1年間の集大成である冬の選抜を控えたバスケット部は朝から晩まで延々練習している。と牧がのんびり会っている暇はなかった。せめてテスト中は一緒に帰っていたけれど、それもカフェに寄って勉強してみたりで、深刻な話にはならなかった。

そうしてテスト休みの間に本戦が開始される。会場が遠くないので、海南はトーナメント中はバスで通う。試合日程を確認したは、出来るだけ見に行くけれど、声をかけたりはしないからと連絡をしておいた。牧からは、絶対優勝するし、そこで引退だから冬休みは一緒にいようと返って来た。

昨年の海南の順位は3位。準決勝で負け、3位決定戦で勝利した。それが今年のインターハイでは2位に繰り上げることが出来た。もう目指すものは1位、優勝しかない。トーナメントを順調に勝ち進む海南の試合を見ながら、しかしはずっと不安が取れなくて、海南が勝利するたびに落ち込む日々を過ごしていた。

Undefeated、無敗、そんなことは本当に起こるんだろうか?

不安による疲労と寒さであまり顔色がよくないだったが、それでも冬の選抜本戦は全て通った。海南が負けないので観戦をやめる理由もなかったし、何しろ内部進学組の2学期末、基本的にはみんな暇だ。

県予選の段階では海南の生徒の観戦も多かったけれど、さすがに本戦ともなると、部員の家族や本当に親しい人だけになっていて、学期末で忙しい米松先生も都合がつきづらく、とうとうはひとりで観るようになった。

毎日勝ち続けた海南は準決勝にて辛勝、から見ても厳しい戦いだった試合を経て、夏と同じく決勝まで駒を進めた。だが、夏と違うのは、対戦相手。夏に湘北に倒された高校だとかいう話で、が聞いた限りでは、これはこれで牧が一度も勝てていない相手だそうだが、それを湘北が倒したとかよくわからない世界だ。

そんな事前情報に不安を煽られていたは、クリスマスムード一色の渋谷に降り立ち、ここ数日通いつめた会場へと足を向けた。最初はビビりまくっていた広い会場も、慣れればなんてことはない。コートが見やすい席の見当も付いているし、早めに席を取って時間を持て余してもいいように、暇つぶし道具も持参している。

出来るだけ今日が決勝なのだということは考えないようにしていた。今日が牧の高校生活最後の試合だと思うと、また気持ちが落ち込む気がしたからだ。なのでわざと軽やかに歩いて行く。そんなの背後から聞き覚えのある声がして、はビタッと足を止め、勢いよく振り返った。

「やっぱりさんだ。久しぶり」

藤真だった。

「ひ、久しぶり――
「頭の方はどう? 国体の時に問題ないらしいって聞いてたけど、心配してたんだ」
「それはもう全然、後遺症もないし、再検査も平気だった」
「そうか、よかった。てか試合観に来たの? えーと、海南てちょっとややこしいんじゃなかったか?」

私服だと顔の造作の良さが際立つ藤真は、遠慮気味に聞いてきた。だが、会場のロビーで簡単に話して済む内容でもなくて、行きがかり上ふたりはそのまま観客席に向かった。藤真はひとりで見に来たというし、一応知り合いだし、ふたりで並んで見ていても、おそらく牧からは見えないだろうし。

時間が早いので観戦にちょうどいい席を確保できたは、藤真がおごってくれたココアを啜りながら退院後のことをとりあえずざっくりと話して聞かせた。なんていうか、青春してました。

「え!? 付き合ってんの!?」
「ちょ、そんな大声出さないでよ……!」
「す、すまん。けど……だいぶ目の敵にしてたのに、変わるもんだな」
「色々あったんだよ……

しかし藤真はやけに穏やかな表情をしていて、はある程度話し終えると、恐る恐る予選の話を振ってみた。ビビるだったが、藤真の表情は変わらない。

「まあ、確かにまた負けたよ。オレの高校バスケットは牧にことごとく潰されて終わった」
「大丈夫だった?」
「そりゃ悔しくないわけはないよ。だけど、よく考えたらさ、オレまだバスケ続けるんだよな」

何を当たり前のことを言ってるんだ、という顔をしたに藤真はつい吹き出す。

「ええと、瀬田さんて知ってるか。海南OBなんだけど」
「それはもちろん……アウトドア部にBMX寄付してくれた人だし」
「おお、やっぱりそういう人なんだなあの人。実はオレ、今度瀬田さんの後輩になるんだ」
……ああ、大学ってこと? ああそっか、そういう意味ね」

藤真もコーヒーを啜りつつ、仙道のことを話していた牧のような、楽しそうな顔をしている。

「瀬田さん今度大学に戻ってくるらしくて、県予選の後に話をしたんだよな。海南に負けっぱなしだったことも知ってて、海南OBなのにさ、今度こそ牧に勝とうって言ってくれてさ。ああ、まだ終わらないんだよなって思って」

はその言葉にこの数日ずっと取れなかった不安がはらはらと剥がれ落ちていくのを感じた。そうか、終わらないのか。もちろん牧も大学に進学してバスケットを続けるだろう。勝ったり負けたりしながら、ずっと続いていくんだろう。今ここで最後だの後がないだのと騒ぐけれど、道は続いていくのだ。

はやっと体の真ん中に温みが戻るのを感じた。海南の象徴バスケット部の主将と落ちこぼれ部という立場も、そう遠くない間に終わってしまうのだ。けれど、それが過ぎても牧と一緒にいたいと思う。バスケット部と落ちこぼれ部ではなくなり、違う何かになっても、一緒にいたい。

さんだってそうだろ。高校卒業したら死んじゃうわけでなし。ダンス続けないのか」
「ダンスが目的で入部したわけじゃなかったからなあ」
「海南大進学だったよな。やりたいこととかないの」
「うーん、実はちょっと競技ダンスに興味が出てきて」
「いやそれ結局踊るんじゃん」

呆れた藤真はまた吹き出し、しかし何かツボに入ってしまったらしく、いいじゃないか牧にもやらせろ、試合は見に行くと言って笑っていた。そしてそのままふたりは決勝戦を観戦、はフルで翔陽の監督の解説付きという贅沢なひと時を過ごし、牧の高校生最後の試合を見届けた。

藤真のわかりやすい解説のおかげで試合の見方も選手たちの印象もががらりと変わってしまったはしかし、少し疲れて会場を出た。海南は負けてしまったのである。藤真も一緒に出てきたが、帰る路線が違うので、会場の外で別れることになった。

「これでやっと引退か。時間が出来てよかったな」
「ま、まあね……でもどう接してやればいいものか」
「負けたから?」

藤真の言葉にだいぶ気持ちが晴れたけれど、それでも勝負の行方に不安はあったし、いざ敗北してみると、怖くて牧の顔を見られなかった。夏に続いて優勝に手が届かなかったので、あの清田でさえしゃがみこんでがっくりと肩を落としていた。

これでもう引退だし、冬休みは一緒にいようと言ってくれたけれど、その牧にどんな言葉をかけてやればいいのか、さっぱりわからなかった。彼はこの敗北をどう受け止めているんだろう。無敗の言葉を贈ったけれど、それが傷になったりはしなかっただろうか。

不安そうに頷くに、藤真はにっこりと笑ってみせた。

「らしくないなあ。そんなの、さんの出番、てところだろ」
「どういう意味よ……
「負けた時の気持ちなんて、よくわかってるだろ。さん以上に今の牧の気持ちをわかるやつなんている?」
「だけど私は勝ったことなんてないんだよ。勝ち続けてきた人の負けなんて……
「負けは負けだと思うけど。どんな負け方したって、悔しいものは悔しい」

グズるに、藤真はカラカラと笑い、背中をポーンと叩く。

「一度も負けないなんて、ありえないんだよ。誰だってどこかで必ず負ける。だけど、さっきも言ったけど、まだこれからも続いていくんだから。牧が折れてもさんが折れても、そのたびに支えてやればいいんじゃないのか」

牧が折れてもが折れても――また藤真の言葉に不安が取れたは、ぎこちなく笑った。この人も変な人だな、こんなかっこいい顔してるのにまるっきりバスケバカって感じで、冷静に解説してくれたけどなんとなくうずうずしてて、熱いのか冷たいのか。そういえば助けてもらった時も――

はがばりと顔を上げて藤真に詰め寄った。何をボーッとしてるんだ!

「藤真くん!!!」
「うわ、何!」
「頭打った時、助けてくれてありがとう! ずっと言う機会がなくてごめん! 今日会えてよかった」

それなのにココアおごってもらっちゃってどうしよう! が必死な顔をしてるので、藤真は身を引きつつ、やがて優しげに相好を崩すと、くつくつ笑いながらの頭を撫で、そして自分の前髪をかき上げた。こめかみに髪が生えていない箇所があり、まだ縫い目が残っている。

「翔陽なのにいいのか、そんなこと言って」
「あ、ええと、それもごめん。だけどもうそういうのは――
「牧に取ってもらった?」

ぶわっと顔を赤くするに藤真はまた笑い、首を傾げた。

さんも乗り越えられてよかった。まるで自分自身を見てるみたいだったから、ホッとしたよ」
……今度は勝てるといいね」
「まあ見てなよ、今に吠え面かかしてやるから」

ぐいっと突き出された拳にも拳を突き返す。

「じゃあな! 牧が落ち込むようなら目一杯甘やかしてやりな」
「あま、甘やかすって……
「あのね、男ってのは甘えたい生き物なの。例えあんなんでもね」

また真っ赤になって狼狽えるを置いて藤真は去って行った。