ルーザーズ&ラバーズ

Side-M 02

米松先生のお腹がキュッと締まってから数年後のこの年、神奈川最強を誇る海南大附属男子バスケット部は過去最高の成績を残して夏を終えた。予選は無敗、IHでは惜しくも優勝を逃したけれど、結果としては2位、準優勝だ。強豪校海南の看板は今まさに一番高いところに掲げられている。

だが、その喜びに沸いていた理事会は、直後にぺしゃんこに潰される羽目になった。IHから程なく開催される国体の、男子バスケット少年の部、これを選抜チームにするというのだ。いやいや待て待て、今年も海南だけで行けばいいだろう! 山王みたいに! 去年まで無敗の王者だった山王みたいに! 準優勝なんだから!

代表の構成は海南と、私立の翔陽と陵南、県立の湘北の4校からとのこと。その上、構成員中、海南は4、翔陽3、陵南2、そして湘北が5。いやいやそれもおかしいだろ、なんで3回戦負けが5人で準優勝が4人なんだ!

突っ込みどころだらけでオロオロしていた理事会だが、各校の校長を始め県の教育委員会も乗り気で、海南が最強の看板を高々と掲げ始める前以来の混成は歓迎された。ライバル校の垣根を超えて、今再び熱戦が繰り広げられる。ああ青春! スポーツって素晴らしい!

渋面の理事会をよそに、お盆休み明け頃には選抜チームの準備が開始され、夏休みの間には各校の選手にも通達が届いた。中でも今年予選で敗退してIHに行かれなかった陵南と翔陽は喜んだ。国体代表は予選があるわけじゃないし、あくまでも指導者側の選出なので、まさに棚ボタだ。

しかも、選に漏れた海南の部員に腐ってるのがひとりもいないという清々しさ。今年の国体は神奈川ドリームチーム、超強い、絶対試合面白い、楽しみだな、全部見たいな――理事会はだんだん恥ずかしくなってきた。

そんなわけで、国体初日まであまり時間のない神奈川代表たちは、新学期を待たずに海南の体育館に集められた。個々の能力はとても高い選手ばかりだが、反面、性格の方はてんでバラバラ、真面目なのからふざけたのまでずらりと勢揃い、この代表チームの主将に据えられた今年の海南主将は早くもげんなりしている。

「練習って必ず海南でやるのか?」
「今のところそうみたいだな」
「まあ、設備は一番いいからな。トレーニングジムがあるとか、お前ら贅沢だぞ」

体育館の壁際で並んでそんなことを喋っているのは、この年の海南主将・牧と、翔陽の主将・藤真である。このふたり、1年生の頃から飛び抜けて優秀なプレイヤーとして名を馳せ、以来「神奈川の双璧」などと称されてきた。だが、今年藤真の方は予選で湘北に負けるという悲劇に見舞われ、少し元気がない。

「オレはあんまり使ってないけどな」
「それも腹立つな」
「何を言っても腹立つんだろ。まだ予選のこと引きずってんのかよ」
「引きずらないわけないだろうが。別に気にしてないけど、傷跡は残る」

しかし翔陽にとっては降って湧いた全国大会である。混成でも何でもこの際構わない。まさかの敗北を喫した相手である湘北も一緒だが、それも上等だ。対戦できるかどうかはわからないけれど、冬にも全国大会の予選があるから、その時の参考にしてやる。

「夏休みの間の週末、新学期入ってからも金曜の放課後から練習とか、この中じゃオレたち一番遠いのに」
「まあそりゃしょうがない。帰りは乗り換えが少ない路線までタクシー出してもらえるんだろ」
「まったく、お前んとこの清田みたいなのがいるからまとまらないんだ」
「それは否定しない」
「あいつら仲がいいのか悪いのかどっちなんだ」
「子供だ」

海南の1年生と湘北の1年生がさっきからずーっとふざけてギャンギャン言い合っている。

……頼りにしてるぞ、監督」
……ふん、子守はやらないからな」

監督連中がどのように考えているかはわからないが、よくよく気をつけてラインナップを決めないと、いくら個々の能力が高くても使い物ならない。牧と藤真はポジションが同じな上に選抜メンバーの中でも特に上手い方に入るので、まあ被りはしないだろうと思われるけれど、それはわからない。

そんな風に雑談に興じていたふたりだったが、今回この神奈川代表を取りまとめる立場にある海南と陵南の監督が入ってきたので、壁に寄りかかっていた背を戻し、指示を待つ。

「全員揃ってるか、一番遠い翔陽、来てるか?」
「はい、来てます」

藤真の声に海南の監督が頷き、手にしたクリップボードを覗き込みながら、体育館のステージ前に歩いて行く。ということはその前に集合である。代表たちは、のろのろとその後を追い、なんとなく学校ごとに集まる。その時だった。体育館の横のドアがガラリと開き、女子の一団が現れた。

「えっ、何これ!?」

2〜30人はいるだろうか、その先頭にいた黒いTシャツの女子が、目を丸くして甲高い声を上げた。

「何だお前ら」
「何だって……ダンス部ですけど。何なんですかこれ」
「これから練習だから出て行きなさい」
「ハァ!? 今日はダンス部がここ借りてるんですけど!」
「それはない。いいから出て行きなさい」
「それはなくないです、先生こそ職員室の体育館使用予定表ちゃんと見てますか。今日第1体育館はダンス部のものです! 予約を取ったのは先月、顧問の米松先生と各部のスケジュールを確認の上申請した正当な使用許可を貰ってます! みなさんこそさっさと出て行って下さい!!!」

海南陵南の両監督を始め、この神奈川代表合同練習の初日であるこの日は、各校の先生やら県の教育委員会の職員やらが大勢やって来ている。そんな状況にも関わらず、その女子は姿勢よく海南の監督である高頭を睨むと、朗々と言い放った。全員呆気にとられて絶句。

そこへ米松先生がお腹をぼよんぼよん揺らして駆け込んできた。

「あああ、間に合わなかったか……、落ち着いて、ちょっとこっちおいで」
「先生、何なんですかこれ。何で私たちが追い出されなきゃいけないんですか」
頼む、今日は第3体育館代わりに借りたから、そっちで――
「第3!? ステージないじゃないですか!!!」
頼むから今日は勘弁してくれ! 後で先生を殴ってもいいから今は堪えてくれ!」

米松先生が必死でそのという女子の腕を引いているが、彼女は納得出来ない様子だ。だが、米松先生は何しろみんな大好きベイマックスである。はやがて頷き、米松先生の手を押し戻した。だが、腹の虫が収まらなかったらしい。振り返り際に顔を戻すと、神奈川代表たちの方を睨み、低い声で言った。

「IHだか何だか知らないけど、偉そうに。何様のつもりよ」

そして力任せにドアを閉めてしまった。体育館の中は気まずい空気が充満している。慌てた海南の顧問と監督がコソコソと話をしている間、がっくりと頭を落としてため息を付いたのは、海南の3年生である牧、そして高砂だった。自分たちだけならまだしも、他校の選手たちは何の関係もないのに。

少し離れた位置にいた藤真がふらりと寄ってくる。

「海南て、バスケ部だけ特別扱いとかされてるのか」
……まあな。あっちもちょっと特殊で」
「にしても、気の強い女だな」
「それもちょっと、事情があってな」
「海南はめんどくせえな」

藤真は鼻で笑うと、また離れていった。

もちろんその後は何事もなかったかのようにミーティングが開始されたし、そのまま第一体育館で練習が行われたし、乱入してきた女子たちについては何の説明もなかった。練習にならないほど気になるわけではなかったが、それでも選手たちの心に彼女の言葉はグサリと刺さったまま、抜けなかった。

お盆休み後の夏休み中、週末は2回。そのどちらも海南にて合同練習とのことだったが、初日のミーティングでにわかに盛り上がってしまった神奈川代表たちは、週末に限らず予定が合うなら練習を詰めていこうという話になった。正直、チームとしてのまとまりもあまり期待できないし、練習時間は多い方がいい。

そんなわけで、初日から2日後、早くも合同練習が開始された。場所は前回と同じ第1体育館。ダンス部が乱入してくることもなく、監督と海南の顧問、そして海南の部員たちが見守る中での練習だった。

そんな合同練習の3回目に当たる金曜の午後のことだった。この日は昼集合の、午後から夜までの練習となっていた。そして、各校の部員たちがどうしても見学したいと言うので、その許可が降りた初日でもあった。ぞろぞろと体育館にやってきた選手たちは、ステージの方を見てぎくりと足を止めた。

「おい、牧……
「またか……

ステージの周辺はTシャツ姿の女子でいっぱいになっていた。全員ゆっくりとストレッチをしている。そして、ぞろぞろと入ってきた神奈川代表たちには、ちらりと目を向けるだけで、何も反応は示さない。藤真に声をかけられた牧はまたため息を付いて肩を落とした。

「あのさ、この場合、悪いのって本当はどっちなんだ」
…………オレたち」
「やっぱりな」

藤真はまた鼻で笑う。少し楽しそうだ。

「この間、練習終わってから確かめに行ったんだ。ここを押さえてたのは彼女たちの方で間違いなかった」
「だけどそれをオレたちが横取りしたわけだろ。あの子たちを追い出して」
「そう。それも、一方的に」

だから牧は肩を落としてため息を付いている。彼女たちには何の非もないのだ。これまでダンス部とはまるで接点がなかったし、彼女たちが冷遇されていることはなんとなく知っていたけれど、いざその現場を目の当たりにすると思った以上に気が重かった。しかも自分たちのせいだ。

「あいつらも10月の頭に大会があるらしいんだ。そのためにステージで練習がしたいらしいんだけど」
「ここしかステージがないんだな」

言い当てられた牧はがくりと頭を落とした。

「講堂にもあるにはあるんだが……そっちはそっちで半永久的に別の部が使うような状態になってて」
「混成になるなんて誰も思ってなかったしな」
「IHから国体までは時間がないから疲れても困るし、夏は午後からになることも多くて……

海南だけで国体に出場していた例年であれば、午後からバスケット部が占領していても、午前中はたっぷりステージを使えていたはずだったのだ。だが、混成になってしまったことで予定も狂ったし、可哀想にダンス部は追い出されているというわけだ。

しかし、彼女たちはめげない。

いつかのバスケット部の主将くんの言葉を胸に抱いた米松先生の指導のもと、特別扱いのバスケット部にも一切臆せず、自分たちは劣ってなんかいない、あくまでも同じ高校生、対等である、という姿勢を崩さない。だが、そこへ顧問の先生がやってきて、また慌てた。監督が来る前に移動させておかないと、と思ったらしい。

「今日も正当な方法で使用許可を得ています。なぜ私たちが追い出されなきゃならないんですか?」
「なぜって、、国体なんだ。他の高校からも選手が来てる。時間もあんまりないんだよ」
「先生、私は私たちが追い出される理由を聞いてるんです。それは理由になりません」
「何言ってんだ、なるだろ。、わがままを言うんじゃない――
「わがまま? ここはバスケ部専用の体育館ですか? 海南はバスケ部のための高校ですか?」

とにかく早くダンス部を追い出したい顧問だったが、は一歩も引かない。

「国体だから何なんですか。私たちもその頃に大会がありますけど」
「それは地域の小さなイベントだろ、こっちは国の――
「つまり、弱小はバスケ部様に体育館を譲り渡して出て行けということですか、先、生?」

要するにそういうことだ。だが、は「先生」を強調して語気を強めた。先生が生徒差別かよという顔だ。それを遠巻きに見ていた藤真は、ここに来てフッと笑った。牧は牧でまたしょんぼりしている。

「言うなあ、あの子。海南のダンス部って弱いのか」
「いや、どうなんだろうな、よく知らないんだが……
「てことは弱いんだな」

藤真は気まずそうな牧をちらちら見つつ、けたけたと笑った。

「ダンス部は……落ちこぼれ部、なんだ」
「は?」

声を潜めて囁くように言う牧に、藤真はぎょっとして彼の方を見ると少し身を引いた。なんだよそれ。

「体操部とかチアとか、そういうとこを脱落した女子の寄せ集めなんだ」
「だからって落ちこぼれはないだろうが。お前、口が悪いな」
「オレが言い出したんじゃない。昔からそうなんだ。ダンス部、軽音、アウトドア部」

牧の顔が真剣で険しいので、藤真も少し神妙な顔つきになっている。

「その3つは全部、強い部についていけなくなって退部したり、その、場所によっては追い出されたりしたヤツが誘われることになってて、元何とか部、っていうのばかりが集まってるんだ。それを面倒見てるのがこの間の――あ、ほら来た、あの先生。あの人がその3つの落ちこぼれ部を作ったんだ」

また米松先生が飛び込んできて、とバスケット部顧問の先生の間に突っ込んでいった。

「その3つの部は、クラブとしてあんまり認められてないというか、扱いがどうしてもな」
「どうせどこかの部にいられなくなった連中の集まりだから、ってわけか」

そこへ監督の高頭もドスドスと入ってきて、ダンス部と顧問が揉めているのを見ると、彼もため息をついた。

しかし結局、高頭と顧問と米松先生が難しい顔をして話した後、そのまま練習が開始された。

ダンス部はストレッチが終わると全員ステージの上によじ登り、米松先生を交えて何やらミーティングをしている。解散する気配もないし、選手たちはなんとなく気になってしまう。まさかとは思うが、そこで音楽をガンガンかけて踊るつもりじゃないだろうな。さすがにそれでは練習にならない。

だが、彼らの心配を他所に、ステージには舞台幕が左右からスルスルと伸びてきて、ダンス部をすっかり覆い隠してしまった。これならまあ、踊っていても気にならないが――いやちょっと待て、真夏だぞ!?

その時はたまたま学年ごとに集まっていて、また藤真は牧にこそこそと話しかけた。

「オレらも暑いってのに……アレ、死ぬんじゃないか」
「だよなあ……

ただでさえ暑いのに、ステージの上で幕を締めきって踊ったらとんでもない温度になるんじゃなかろうか。体育館の中だって既に相当暑い。巨大な扇風機を入れているので代表たちはまだいいけれど、そんなもの弱小の落ちこぼれ部にはないようだし、一体そこまでしなくても、という気になる。

そこへ4校の中では海南と一番距離が近い湘北の赤木が入ってきた。

「練習、ここじゃないとダメなのか。ウチならいつでも空いてるぞ」
「それでいいはずなんだけど、まあ、大人の事情なんじゃないのか」
「だからって、あれじゃ熱中症になろうとしてるようなものじゃないか」

心配することは皆同じだ。

しかしそのまま双方は練習開始。なんとなく気になってしまっていた神奈川代表たちだったが、音楽は聞こえてこないし、たまにドンドンと跳ねるような音が聞こえるだけで、やがてそれも気にならなくなった。

その後神奈川代表たちが休憩に入ると、そのホイッスルの音を聞きつけて舞台幕の隙間から例のという女子が顔を出した。そしてまたすぐに引っ込むと、舞台幕がスルスルと開き始めた。壁際に座り込み、息も荒くスポドリなど流し込んでいた神奈川代表たちはまたびっくり。ダンス部は汗だくのよれよれになっていた。

それにしても、ダンス部だという彼女たちは、それぞれサポーターやら包帯やら湿布やら、満身創痍だ。その様子をぼんやり眺めていた代表たちの前で、ダンス部の女子たちはステージの上に並び、数人がフロアに降りると、よくわからない行動を取り始めた。フロアに降りたがくるりと振り返る。

「牧、休憩って何分?」
「え!? たぶん20分くらいだと……
「よし、それまでに終わらせよう。Aから行くね」

そう言うと、は数人とともにノートを覗き込みながらステージ上に指示を出し、ステージの上の女子たちは並び直してみたり、ステージの端から走ってみたり、大股でぴょんぴょんと飛び跳ねたりしている。それが終わると今度はメジャーで床の上を測り始めた。測ってはノートに書き込み、歩数を確かめるように歩いたり、両腕を広げて一列に並んでみたり。

「あれ、何?」
「知らん」

正直に疑問を口にした藤真だったが、牧もそのまま正直に返した。神奈川代表が休憩をしている間中、ダンス部はそういう作業を繰り返し、20分になろうかという頃になると、また舞台幕を閉じてステージに引きこもった。

そんな風にして、体育館では神奈川代表が練習中、ステージの上ではダンス部が何やらドタバタやっている、という日が何度か続いた。そんなある日のことである。妙な体育館シェア練習になって以来初めて、ステージからやたらと騒がしい音が響いてきていた。

だが音楽ではない。やっぱりドシンバタンビタンと物音がするのに合わせて、女子の悲鳴、掛け声、叱咤激励の声――とりあえず踊っているとは思えない音だった。

その上、途中で舞台幕の裾から女子がひとり、スポーン! と飛び出してきて、ステージから落下した。神奈川代表たちは当然驚いてしまい、全員足が止まったのだが、落下してきた女子は唸りながら立ち上がると、猛然と走りだしてステージによじ登り、中から顔を出したに手を取られて戻って行った。

「まったく何なんだ、気が散るじゃないか」

それを鼻息荒く憤慨したのは監督の高頭である。顧問もどうしようかと困っている。

「何度言っても聞かないんですよ。邪魔をするなと言うのに……
「こっちはお遊びとは違うんだ。同列に考えてもらっちゃ困る」

それを聞いていた藤真はカチンと来て、つい監督の方を睨んだ。だが、彼に何が出来ただろう。それに気付いた牧が目配せをし、やはり同様にそこまで言わなくても、という顔を隠そうとしなかった湘北の三井にも声をかけて制した。海南の部活動はちょっと面倒なんだ。

そんな神奈川代表たちをよそに、高頭はステージへ続くドアを開けて、ダンス部へ抗議をしに行った。数秒後、張り裂けんばかりの金切り声と色んなものが倒れたり落ちたりする音が鳴り響き、そしてドアからは高頭が転がり出てきた。代表たちは嫌な予感しかしない。

ほうほうの体で逃げ出してきた高頭の後ろから、憤怒の形相のが顔を出し、監督が落としたと思しきクリップボードを床に叩きつけて叫んだ。

「遊んでるんじゃないんです、邪魔しないで下さい! あと、2度と覗かないで下さい!!!」

ドアがピシャリと閉じると、藤真はニヤリと笑い、牧は片手で顔を覆って項垂れた。

「どう考えてもオレらが失礼だな、コレ」
「参ったな……