ルーザーズ&ラバーズ

Side-M 10

牧と米松先生が一番の難所と考えていた学校側からの許可だが、これは意外にもあっさりと下りた。場所が誰も使わない時間帯の駐車場であったことと、2日めの午後から後夜祭の時間帯にかけて、というゴールデンタイムを完全に過ぎていることが要因だったと思われる。

何せこのステージに関して言えば、見ず知らずの来場者を無作為に呼び込んで見てもらうことが目的ではない。まずはステージがあること、そこで踊れること、それが第一。観客はもしかしたらほとんどいないかもしれない。しかし部員の家族や友達、軽音楽部アウトドア部を全部合わせれば寂しくない程度には集まってくれるはずだ。

というところで新たに1番の問題として浮上してきたのが、予算である。

清田の父親は、廃材や再利用可能な材料を利用するし、とにかく値が張るのは人件費だから、そこは女の子でも手伝いなさいという前提で相当安く見積もってくれた。だがそれでも6桁を出ている。規模を考えると当然なのだが、何しろ予算が3部合わせて年間5万の落ちこぼれ部である。そんなものとっくに消えている。

また、神の母親の方も女の子のステージ衣装と聞いて喜んだし、簡単に作れる可愛いデザインを考えておいてあげると快く引き受けてくれたけれど、そこまでだ。ハギレなら都合つけてくれるというが、リメイクで作るなら元になる服が必要になる。それを用意するのは当然ダンス部の方だ。

しかしそれを牧と米松先生だけでコソコソ話していても埒が明かない。

10月に入り、文化祭当日まで一応1ヶ月以上あるこの日、とうとうに話をすることになったのだが――

「ちょっと待て、じゃあ神と清田の件はどうやって説明するの」
「オレに話を聞いて先生が取り付けてくれたとでも言ってください」
「何か苦しいよそれ!」
「苦しくないです! 先生のお腹の方がよっぽど苦しそうです!」
「アッ、面白いこと言ったつもりか!? 海南の主将とあろうものが、そんなチキンでどうするんだ!」

いきなりダンス部全員に言うと大騒ぎになるだろうから、まずは部長のだけ呼び出して話そうということになったわけだが、牧は同席したくないと言って譲らなかった。好きとかそういうことはともかく、牧が助けてくれているのだということはも知るべきと考える米松先生は牧の腕を掴んで離さない。

「清田の親父さん言ってたろ、バスケ部も手伝えって。そしたらどっちみち協力することになるじゃないか」
「それはいいじゃないですか、清田の家族なんだからその関係でバスケ部が、ってことになります」
「なあもう失敗しないよ、ダンス部の子たちにステージ踏ませてあげられるよ、大丈夫だって!」
「それは心配してません、だけどオレは表に立ちたくないんです!」

牧は筋力もあるが、さすがに米松先生は重い。必死で逃げようとしているが、離してもらえない。

「よしわかった、じゃあこうしよう、あそこ入ってろ」
……そこで盗み聞きしてろっていうんですか」
「バカ言え、君はそれを聞く権利があるんだから、盗み聞きになるわけないだろ」

米松先生は社会科準備室の片隅にあるパーテーションを指差した。特に利用していないものなので、埃がついたまま物に埋もれている。その向こうに隠れていろというわけだ。

「本当は君の口からに話して欲しいし、がどう思うのかも君には聞いてもらいたいんだ」
「先生が間に入ってくれればそれでいいじゃないですか」
「君のことはともかく、先生はたちのことは自分の家族のように接してきた」

米松先生の声のトーンが落ちたので、牧は逃げるのをやめて振り返る。

「あの子たちは集団の中から急に弾かれてしまって、成長するチャンスも奪われて、人によっては友達付き合いや家族関係にまで響いて、だけどそれでも頑張って学校来てる。自画自賛するみたいだけど、あの子たちと共にあろうとしたのは、僕だけなんだよ。あの子たちに手を差し伸べたのは僕しかいなかったんだ」

かつては瀬田くんも協力してくれたし、校長も脱落者救済活動には個人的に賛同しているけれど、実際に落ちこぼれ部の世話を焼いているのは米松先生ひとりである。

「そりゃ、のことだから恥ずかしがって照れ隠しに冷たいことを言い出すかもしれない。だけどあの子は家庭の事情も複雑だし、あんな事故もあったし、君の気持ちを知ったらすごく喜ぶと思うんだ。僕だけじゃなくて、目をかけてくれる人が他にもいた、って、そう思えると思うんだよ」

これは米松先生の本音だ。ナナコのことも考えると、今年の3年生落ちこぼれ部の中でもは特につらい状況にあった。だからこそ、例え好物の恋バナにならなかったとしても、牧の正直な気持ちを聞かせてやりたかったのだ。君を案じて手を差し伸べてくれる人は他にもいるんだ、そう知らしめてやりたかった。

だが、牧は首を振って眉を下げた。

「お願いです先生、離して下さい」
のためでもダメか?」
……それは、が決めることだから」

牧はそう言ったきり沈黙した。だが、先生はパーテーションの向こうに椅子を設えて、そこに牧を押し込む。

「もちろん僕は約束を守るから、君が言い出しっぺだなんてことは言わない。君とたまたま話した時に神と清田とも話をして、そこから僕が思いついた計画だって言う。だけど、そこでよく聞いててごらん。の気持ちを、あの子の本音を。君は言い出しっぺとしてそれを聞くべきだ」

普段のもちもちふわふわ優しい米松先生ではなかった。そんな先生の低い声に、さすがの牧も頷くのが精一杯で、大人しくパーテーションの向こうに小さくなった。もう少しでに指定した時間になる。米松先生ははちみつレモンを用意し、ゆっくりと椅子に身を沈めた。

指定の時間通りにやって来たは、だいぶ緩んだ顔をしていた。自分はステージに立てなかったけれど、大会は終わったし、検査結果も問題なかったし、今は同じように肩の荷が下りたダンス部3年生とのんびり過ごしているからだ。

「どしたの、ナナコの話?」
「えっ、いや違うけど、ナナコなんかあった?」
「特に変化ないけど、この間ライヴハウス一緒に行ったー!」
「えっ、ホントに!?」

心に傷を負い、引きこもってしまったの姉・ナナコであるが、先日の頭が再検査でも無事と分かった後、一緒にライヴ見に行かないかと誘ってみたら、部屋から出てきたというのだ。文化祭のことを話さなければならないのだが、何しろ今一番の重症患者の話なので、米松先生は声が裏返った。

「やっぱ音楽好きなんだね、あの人。楽しそうだった」
「そっか……そうだよね、ナナコもそこは変わらないんだもんな……

何か納得するところがあったようだが、取り敢えず今日はそんな話をするために呼んだのではない。米松先生ははちみつレモンを一口飲むと姿勢を正し、に向き合った。

、再検査、問題なかったんだよね」
「うん。ヘッドスピンとかは出来るだけ避けてねって言われたけど。もうそんなチャンスないのにねー」

薄手のカーディガンを羽織っているは、はちみつレモンを飲みながらへらへらと笑う。そう言いつつも、は穏やかな笑顔だ。部長として大会を終えることが出来て、なりに乗り越えたところなんだろう。しかし、彼女のダンス部はそれで終わらないのだ。

「それならよかった。、文化祭でステージ、出来るかもしれないよ」

ガシャン、と音がして、液体の飛び散る音が社会科準備室に響き渡る。は手にしていたはちみつレモンのグラスを取り落とした。しかし米松先生はそれには構わず、話を続ける。

「詳しいことはこれから話すけども、2日めの午後から後夜祭にかけて、駐車場なら使っていいっていう許可が下りた。あんな砂利敷きだけど、ステージや衣装作りに協力してくれるという保護者の方が現れたんだ。まだ予算関係とか厳しいところはあるんだけど、先生は実現できると思ってる」

米松先生は椅子をゴロゴロと移動させると、の手を取って、しっかりと握り締めた。

「全部自分たちでやらなきゃいけない。協力してくれる人には最大の感謝を持ち続けなきゃならない。たくさんの困難や納得出来ないこともあると思う。だけど、ステージに立てるぞ。今から1ヶ月、頑張れるか?」

一瞬の沈黙、そしては声を上げて泣き出した。

はアクロバット出来ないぞ。それに、今度は人に見てもらうためのダンスしなきゃならない」
「いい、それでもいい、先生、先生……!」
「衣装を助けてくださる方は可愛い服を考えてくれるそうだよ。それも受け入れられるな?」
「先生、本当に? 夢じゃなくて? やっぱりダメでしたとか、私だけダメだったとか言わない?」

涙で声が震えるは、何度も頷き、喘ぐように問いかけながら米松先生の手を締め上げた。

「先生、私、本当にもう一回踊れるの……!?」

は米松先生の手に縋って嗚咽を漏らしている。無理もない。もうすっかりチャンスが消えて諦めも出来て、発表の場への執着がほぼなくなったところに降って湧いた好機である。

「よし、じゃあ少し詳しい話をしよう。部長、最後の大仕事だから、しっかり聞いてくれよ」

は泣きながらエヘッと笑う。それを確かめた米松先生は、牧と打ち合わせ済みの事の経緯を説明する。

「清田くんは知ってる。バク転できるとか言ってた子だ」
「だから恐らくバスケ部に協力してもらうことになると思う。それも受け入れられるな?」
「もちろん……てかそれ逆に向こうに迷惑なんじゃないの。文化祭の後に予選でしょ」

もう一度ステージに立てるという希望の前には確執もへったくれもあったもんじゃない。は当然だというように頷いたけれど、直後に首を引っ込めてぼそぼそと付け加えた。自分たちは落ちこぼれ部で見下されているという刷り込みがどうしても抜けないのだ。

「いんや、この件で牧も交えて一度話をさせてもらったけど、快諾してくれたよ」
「まあ、牧はそう言うかもしれないけど」
「あれ、牧なら平気?」
「いやえーと、ていうか、本人がそんなようなこと言ってたから」

は言いづらそうに口ごもるが、米松先生はしれっと続ける。

「へえ、牧と話したの?」
……この間、何でか一緒に帰ることになって、家まで送ってもらって」
「大会前は遅かったからなあ。よかったじゃん。あ、そうか、は寮に近いんだよな」
「その時、何か色々、落ちこぼれ部のこととかいっぱい聞かれて、同じ目線になりたいとか何とか……

まだモゴモゴ言っているだが、米松先生は追及の手を緩めない。牧、聞いてるか。

「うわ、瀬田くんみたいなこと言ってるなあ。じゃあ牧にはもうわだかまりはないの?」
「ないというか、よくわかんないんだけど、なんでそんなこと思うんだろうって」
「同じ目線になりたいと思ったこと?」
「海南でバスケ部の主将なのに、なんで私たちのことなんか気になるんだろうって」

揃えた膝に両手を置いたは顔を伏せ、まだぼそぼそと話している。

……最初はそれも見下されてる感じがしたんだけど、あいつ、裏が見えないっていうか、すごい突飛なことも言い出すんだけど、あれっ、この人全部本気なのかもって。アウトドア部のこと気になるのも、ついでに落ちこぼれ部どうなってんのとか、マジで知りたいのかって思ったら、怒る気も失せちゃって」

つまり、海南バスケット部の主将である牧が純粋に落ちこぼれ部に対して興味を見せたので、は毒気を抜かれてしまったわけだ。それにそもそも、の中に蓄積していた毒は落ちこぼれ部を貶して楽しむような連中から注ぎ込まれたものだ。牧から毒が放たれたわけではない。

米松先生はそういう牧の気持ちが直接本人から伝わることを望んだのだが、本人が頑なに拒否するので間に入らなきゃならなくなってしまった。にしても牧にしても、嬉しいことに違いないのに。ああもう、これだから真面目な高校生は面倒くさいね。

「おそらくバスケ部の子たちにも手伝ってもらうことになるよ。喧嘩、しないね?」
「うん、しない。そんなことしてる暇があったら練習する」
……お礼、言えるね?」

過去のことを省みて恭順な態度を見せろと言いたいわけじゃない。それはもわかる。優しく微笑んだ米松先生に、もにっこりと微笑んでみせる。のこんな可愛らしい笑顔は久しぶりだった。

「全部終わったら、ちゃんと言う。自分で言うから、先生は黙っててね」
「そりゃもちろん。だけど先生、青春の友情話も大好物だからあとで教えてね」
「先生、ありがとう、本当にありがとう、私死ななくてよかった、生きててよかった!」

牧、聞いてるか。お前の気持ちが、そういう心がこれだけのことを成すんだ。

米松先生は、しかし予算がまだクリア出来ていないことの説明をしてを解放した。はさっそくダンス部3年に知らせてくると言ってはしゃいでいた。社会科準備室を飛び出ていったの足音が遠ざかると、米松先生はよっこいしょと立ち上がり、パーテーションの向こうを覗きこんだ。

パーテーションの向こう、牧は椅子に座ったまま俯いていた。

「ちゃんと聞こえてたか?」
……はい」
「わかったろ、の気持ち、感じたことも」

牧は頷き、そして立ち上がりながらしきりと前髪をかき回す。

「自分を思って力を貸してくれたのが牧だってこと、に知って欲しい、これは僕の願い」
「そんなこと……知らなくても」
「生きててよかったなんて気持ちになれたこと、それをくれた相手も知らないままなのは、寂しいと思うけどね」

米松先生は牧の背を押してドアの方へと連れて行く。は教室の方へ帰っただろう。それは右。牧はこれから部活で部室に行く。それは左。すぐにここを出てもすれ違うことはあるまい。米松先生はバチンと牧の背中を叩き、わざと弾んだ声を上げる。

「憤りも喜びも、ぶつけられる相手がいればこそ、なんだよ」

準備室を出た牧は少し振り返ってペコリと頭を下げ、去っていった。耳が、真っ赤だった。

2分後、米松先生はの零したはちみつレモンを掃除しながら、床の上をゴロゴロ転がって悶え苦しんだ。

さて、とにかく問題は金である。

清田の父親によるステージの予算、そして神の母が立ててくれた衣装の予算、ここだけでも合わせて30万を出た。しかしこれさえクリアになったら、もう何も問題はないのである。奮起したはまず部員を全員集め、強制はしないけれど、自分たちでも少し出そうと提案した。ダンス部は3学年合わせて32人。

海南は私立だし、部活目当てで進学してきたような生徒も多い。経済的に困窮していて小遣いゼロです、という生徒はまずいない。既にお小遣いが底をついているというのでないなら、まずは衣装の土台は全部自分たちで用意しよう、リメイクも自分たちでやろうという話にまとまった。

特に3年生は降って湧いたチャンスに興奮気味で、その夜帰宅すると、ほぼ全員が親に頭を下げて小遣いを前借りしたいと言い出した。驚いた親が事情を聞くと、部活で落ちこぼれて隅っこで一塊になっていたような娘が発表の場を手に入れたと言い出した。そんなわけで、殆どの親が衣装の土台を請け負ってくれることになった。

予算がないことは神の母親も承知していたので、ファストファッションで揃えられるように考えてくれて、ゼロから作るよりは相当安く済んだ。その上半数近い部員の母親が衣装のリメイクはやってあげるから練習頑張れと言ってくれたそうで、衣装に取られる時間も浮いた。

それがへ説明が行った翌日の話。

その報告を受けた米松先生は、そんな状況ですと校長に報告した。すると、長年黙っているだけだった校長は我慢の限界を突破したのか、校長室に米松先生を引きずり込むと、財布から万札を引っ張りだしてお腹に押し付けた。金額にして5万。米松先生は仰天してぼよんと飛び上がったが、校長はもう何も言ってくれなかった。

その5万にビビってしまった米松先生も奥さんに土下座して2万出した。善意は伝染する。

部員たちが全員小遣いをはたいたことを知ると、軽音とアウトドアからも部費の余りを供出すると申し出があった。さらに小遣いを全部つぎ込んだことを知った部員の親からもそれぞれ援助が出た。そして、こっそり米松先生が漏らしたことで牧からバスケット部に話が伝わると、まずは監督から見舞金の名目で少し出た。

それを合図と思ったかどうか、今度はバスケ部員がひとり500円出し合って米松先生に押し付けてきた。言い出しっぺは神だったそうだ。先生は普通に号泣。牧はまた渋い顔をしていたが、これは隠せないので、いずれに報告しなければならない。

しかしそれでもまだ足りなかった。清田の父親は材料費のみで引き受けてくれたので、これ以上は値引きできない状態。というところで牧と米松先生が頭を抱えていると、思わぬところから援助が入った。かつて落ちこぼれ部の創設に関わった、あの瀬田くんである。

米松先生から話を聞いて力になりたいと思ったけれど、自分には出来ることがなさそうなので、これで彼女たちにお化粧品でも……と真面目くさった顔で金を差し出してきた。米松先生はまた号泣。ごめん、化粧品じゃなくてステージになる! と言いながら泣く米松先生と牧は膝につきそうなほど頭を下げた。

瀬田くんからの寄付が大きかったので、結果として予算は軽々クリア。会計係の米松先生は毎日のように涙と鼻水でグチャグチャになっていた。

そんな騒ぎの中、ダンス部は黙々と練習を開始した。