ルーザーズ&ラバーズ

Side-M 03

監督の高頭が余計なことをしてしまった翌日は、午後からの練習になっていた。ただ、どうにもチームとしてのまとまりがない神奈川代表なので、この頃になると早めに集合して喋ったりプレイについて意見交換をしたり、と選抜チームに対してだいぶ積極的になってきていた。

この日もほとんどの代表が早めに集合していて、体育館の壁際でぼそぼそと喋っていた。そこへダンス部がぞろぞろとやってきたものだから、スッと喋り声が消える。ダンス部の女子たちはまるで気にせず、わいわいとステージの方へ向かうが、それを牧が追いかけた。

、ちょっといいか」
「はい? 何だ、牧か。どうしたの」
「色々すまない。昨日のことも、その――

牧に呼び止められたは、肩にタオルを引っ掛けたまま振り返ると、きょとんとした顔で牧を見上げた。こうしていると、監督や顧問相手に真っ向から怒鳴り返すような子には見えない。本当に「普通な感じ」の女の子で、ただ手足のサポーターや包帯が痛々しいというだけ。

「なんで牧が謝るの? 覗いてきたのは監督でしょ」
「の、覗きって」
「幕を閉めてるでしょ。君らが使ってるような扇風機もないし、とんでもなく暑いんだよね」

そりゃそうだ、という顔をした牧に、彼女はニヘッと笑う。笑うと頬が丸くなって可愛らしい。

「だから、えーと『薄着で冷却中』だったんだよね。どうせ女しかいないしさ」
「マジか……すまん、ほんとに」
「だから、覗いたの牧じゃなくない?」
「それはそうだけど、大丈夫なのか、そんなに暑いところで」
「ちゃんと対策は取ってるよ。水分取るだけとかそういうのもない。マックスが気遣ってくれるしね」

思いがけず心配の声を聞いたと思ったか、柔らかく微笑む。昨日の憤怒の形相が嘘のように優しい笑顔だった。ステージの方から彼女を「ー」と呼ぶ声がして、それにも穏やかな声で返事をしている。彼女の名は、海南落ちこぼれダンス部の、今年の部長である。

「てかそのマックスいつもどこにいるんだ。体育館のこと、少し相談したかったんだけど」
「いいよそんなこと気を使わなくて。オカシイのは監督と顧問と理事会、PTAでしょ」
「まあそうなんだけど」
「マックスはだいたい軽音にいるよ。あとは今ちょっと重症患者がいるから、外に出てたりもする」

がさらりと言うので、牧はつい黙ってしまった。マックスが外に出る重症患者ということは、つまり部活でうまくいかなくなってしまって、不登校状態にある生徒がいるということだ。はまたニヘッと笑う。

「牧がそんな顔してどうすんの。どうせ代表のキャプテンなんでしょ」
「ああ、まあな……
「なんでこう歴代のバスケ部キャップってのは真面目なのばっかりなんだろうね」

まあ、逆に言えばチャラチャラしているようでは海南のトップなど務まらないということではあるのだが。楽しそうに笑うの声に、牧は何とも言えなくなってしまって、後頭部をボリボリと掻いた。するとそこへ、人懐っこそうな笑顔で代表がひとり近寄ってきた。陵南の仙道だ。

「ダンス部なのに踊らないんですか」
「踊りの練習は別のところでやってるよ。ステージじゃないと出来ないことがあるからさ」

それに誘われたか、藤真もやって来た。

「ダンスってそんなに怪我するの?」
「うーん、うちはちょっと特殊というか。サポーターは怪我しないように付けてたりもするから」
「昨日ステージから落下してきたから驚いたよ」
「あはは、汗で滑ってね……

は苦笑いだ。あまりはっきりと言えないようだが、つまり彼らの興味は、音楽もかけない、何やらドタバタ暴れてる怪我だらけの彼女たちの「ダンス」とは一体どんな状態になっているのか、ということだった。かと言って、見てみたいから踊ってみてよ、なんて気軽に言える相手という気がしない。

が、それは牧と藤真であって、仙道は違う。

「特殊なダンスなんですか」
「いやそーいうわけでも」
「よくわかんないすね」
「そんな長い歴史でもないけど、うちは伝統的にちょっと他と違うから」
「どんな風に違うの? 見てみたいなー」

しかしまあこうするすると相手の懐に入っていくものだ……と牧と藤真は感心した。よくよく自分の後輩に気をつけるように言っておかないと、来年この人たらしが主将になったチームは怖い。しかしそれはそれとして、ふたりも興味があるので止めない。

「見てみたいって、そっちも練習でしょ」
「自主的に早く来てるだけで、まだ時間になってないから大丈夫」
「見ても面白くないんじゃないかなあ……
「そんなことないと思うよ〜。あ、ごめん、でもオレそういうの初めて見るからアレだけど!」

そしてもう敬語ですらない。は3年生、仙道は2年生だが、まるで友達だ。は口元に手を当てて少し考えた後、ちらりと牧を見上げた。

「確かに幕を開けて通しで練習したいっていうのもあるんだけど……
「元々ダンス部が押さえてたんだろ、ここ」
「うん、そうなんだけど、ほら、ダンス部だからさ、観客が怖いということもあって」

は事情を知る牧にぼそぼそと言う。ダンス部にいるということは、元は運動部にいた女子であることがほとんどだ。付いていかれなかったり、戦力外通告を食らったり、派閥から弾き出されていられなくなったり――理由は様々だが、とにかく「脱落者」には間違いない。

「牧、ちょっと来てくれる?」

は返事を待たずに踵を返すと、ステージに続くドアの方へ歩いて行く。牧もそれを追った。

「ダンス部なのに客が怖い?」
「あちこちの部にいられなくなったヤツの寄せ集めらしいぞ」
「彼女たちが?」

藤真が仙道に事情を話してやっていると、ちらほらと他の代表選手たちも集まってきた。何やってんの?

「落ちこぼれ、ねえ」
「人ごととは思えないか?」

その中にいた湘北の三井はブランクが長いせいか、妙に難しい顔をしている。そのブランクの間に何があったのかを同じく翔陽代表の長谷川から聞いて知っている藤真にそう突っ込まれると、彼はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。そこへ牧がひとり戻って来る。話が終わったらしい。

「どうでした〜?」
「あんまりステージに近寄らないでくれないかって」
「それは別にいいけど、そんなんで大会出られるのか」
「当日は会場が暗いから怖くないんだと」

彼らがいる場所は既にステージから程よく離れた場所なので、動かないでくれという。そこに牧がいればそれを追い越して前に出ようというのはいないだろうけれど、もしもの時は頼むという話になったようだ。ダンス部の方でも話がついたのか、舞台幕がスルスルと開いていく。

踊っているところを見せてもらうはずだが、たちはやはり何かステージ上の位置ばかり気にしていて、それが身体表現であるダンスと結びつかない。

やがて準備が終わったらしいは、牧の方へちらりと視線を投げると、少しだけ手を上げた。そのままでよろしく、そんな感じだ。牧も軽く頷くだけで返す。この頃になると、彼らの周りに代表たちが集まってきては、藤真や仙道から説明を受け、ささやかな興味とともにステージを見上げていた。

ステージの上に満身創痍の女子が10人ほど。もいる。それぞれが配置につき、呼吸を整える。

……ダンスってよく、笑顔で! って言わないか?」
「試合前みたいな顔してんな」

湘北の現キャプテンである宮城が首を傾げると、その隣にいた三井もつられて傾く。たちはまるで笑顔なし、切羽詰まっている風でもないが、余裕も感じられない。緊張というより、妙な緊迫感がステージの上から流れ落ちてきている。一体これから何が始まるというんだ。確か、ダンスのはずだけど。

こちらはこちらで妙なドキドキワクワクでそわそわしている神奈川代表たちが見守る中、たちはポーズを取り、ぴたりと止まる。そして始まる音楽、最初からテンポの早い曲だった。

リズムに合わせてたちは流暢に踊る。流れるように音に忠実に――しかし、

「なんか、フツーだな」
「てか、ユルい」

そんな感想が早くもこぼれる。音楽はサビに向かって盛り上がっていくが、たちは淡々と踊っている。可もなく不可もなく、そんなダンスとしか言い様がない。それはつまり、遊んでるわけじゃないと怒鳴り返すほどの出来ではないな――という印象に他ならない。代表たちが揃ってそう考えた、その時だった。

サビに突入した途端、たちは全員、一斉に宙を舞った。

「うおお、マジか!」
「すげえ!」

つい大声を上げたのは海南の1年の清田、そして湘北1年桜木のやかましいコンビだ。他の代表たちは、言葉が出ない。たちはそれまでの平凡なダンスから一転、これは踊りじゃなくてアクロバットじゃないのかと言わんばかりのアクションを繰り広げ、その隙間に激しいダンスを挟んでいく。

バク転バク宙はもちろん、放り投げられる子もいれば、ステージの上を滑る子もいて、あの幕の裾から飛び出してきたのはこれを練習していたのかと全員納得した。

呆気にとられた代表たち、彼らより少しだけ高いステージでたちは踊り終えた。しかし呆気にとられていても、彼らはダンス部に喝采を送りたい気になっていた。いやあ、いいもの見させてもらったよ。しかし、音楽が止むなり、ステージ上のダンス部女子たちは厳しい顔で一斉に声を荒らげた。

「何だこれ、全然ダメじゃん!」
「やっぱり助走距離足りないよ」
「着地の時の場所が狭すぎる」
「少し詰め過ぎじゃないかな」
「スライディングやっぱり落ちそう」
「高く上がりすぎて音と合わなかった」

どうやら彼女たちにとっては、全く納得のできない出来だったらしい。とてもそんな風に見えなかった代表たちは、しばしその勢いに押されていたが、やがてパラパラと拍手が始まり、たちがそれに気付いて居住まいを正し頭を下げると、惜しみない拍手と歓声を送った。

全然だめじゃないぞ! かっこいいぞ、ダンス部!

出来には満足していないたちだったようだが、代表たちからの拍手に初めて笑顔を見せた。

その日の午後、練習を終えたダンス部が体育館のドアのあたりでノートを覗き込みながらあれこれと話し合っていると、休憩に入った代表たちがまたフラフラと近寄ってきた。さっきステージを見せてもらった後すぐに監督がやって来てしまい、ろくに話もできないまま幕が閉じられてしまったからだ。

「すごかったじゃないか。なんだよアレ」
「おー、牧。いやいや、全然合わなかったんだよ。計算やりなおさないと」

牧の声にダンス部が顔を上げると、ノートと電卓が現れた。はやれやれという顔で苦笑いだ。

「踊ったり飛んだり計算したり、忙しいな」
「全部自分たちで考えてるからねー」
「先輩、かっこよかったっすよー」

海南の生徒として後輩である清田も人懐っこい顔で寄ってきて、の隣にしゃがみこんだ。

「そう? ありがとう。本番までにもっといいのにしないとねー」
「いつなんすか、大会」
「10月入ってすぐ。だからこっちもあんまり時間なくてさ」

そこへふらりと藤真もやって来た。首にタオルを引っ掛け、ペットボトルを片手に清田の隣に並んでしゃがむ。

「すごい迫力だったな。あんな近くでバク転見たの初めてかもしれない」
「藤真さん、バク転ならオレも出来ますけど」
「マジか。オレは出来ないな……
「へー、清田くんアクロバット出来るの。時間あったらダンス部おいでよ」

そんな風に楽しく話していたのだし、何もおかしなことを言うつもりではなかったし、それがおかしなことになるなど想像もできないので、藤真はその整った顔に優しい笑顔でにこやかに言ってしまった。

「うちにもダンス部あるけど、ずいぶん違うもんだな。こんなに迫力ないよ」
「へえ、どこ高?」
「翔陽」

藤真がそう言った瞬間、たちはぴたりと手を止め、直後に全員ザッと立ち上がった。それがまるで増殖した人造人間のように揃っていたので、並んでしゃがんでいた藤真と清田も飛び上がった。たちの方がもちろん背が小さいけれど、迫力は負けてない。彼女たちは途端に怖い顔になって藤真を睨んだ。

「翔陽……?」
「そ、そうだけど、何か――
「牧、何でここに翔陽なんかがいるの。敵でしょ。何仲良くしてんの?」
「お、おい

慌てて間に入ってきた牧だったが、はちらりと目を向けただけで、藤真をきつい目で睨んでいる。

「ダンス部? 私たちは負け組の落ちこぼれ部、翔陽なんかと一緒にしないで」

そして、そう言い放つと、また全員揃って背を向け、体育館を出て行ってしまった。後には顔面蒼白の藤真と、呆然とした代表たちが残された。一体何が起こったのかわからない。一体ダンス部はどこまで地雷だらけなんだ。

そこへひょっこりと海南2年の神が顔を出した。

「あのー、ご説明、しましょうか?」
「説明って、どういう意味だ」
「ダンス部が翔陽を毛嫌いしてる理由です」

ぺたりとしゃがみこんだ藤真の隣に神も腰を下ろし、そこに集まっていた代表たちもなんとなくそれに倣った。

「確か藤真さんたちのひとつ先輩に、アイドルがいませんでしたか」
「そういや何か一時騒ぎになってたな」

藤真がまだ顔面蒼白になっているので、代わりに同じ翔陽の花形が答える。

「その人が翔陽のダンス部出身で、さっきの先輩たちはそれに負けてるんです」
「負けた……大会とかの話か?」
「そうです。たぶん牧さんたちが1年の時だと思うんですけど」

神は膝の上で手を組み、背後にいた牧を振り返る。それなら神はまだ中3の頃の話だ。

「ああ、オレはアウトドア部の元バスケ部員から聞いたんですけど……

顔を戻した神は、最近名が知れるようになってきたアイドルグループの名を挙げた。

「最近やたらと名前を聞きますよね。さっきのステージと比べてどうですか?」
「どうって……全然別物だろ」
「大会でぶつかったらどうなると思います?」
「あの子たちの方が勝つと……思うよな」
「でも負けたんです。優勝は翔陽、中でも一番可愛かった子がそのままスカウトされて、デビュー」

なんとなく話が見えてきたが、全員神の話を黙って聞いている。落ちこぼれ部と思うと少々キツい話のようだ。

「審査員にそういう目的の人がいたって話ですけど、なぜかウチのダンス部はボロカスに酷評されて帰ってきたそうで……。その上、ええとその、外見的な理由なんだからしょうがないと、当時の翔陽のダンス部の誰だかにも言われたとかで、それ以来目の敵にしてるみたいですね」

神が又聞きした話が事実なら、とんだダンス大会だ。顔をしかめた牧が首を伸ばす。

「なんでそんな大会に出てるんだ。やめればいいのに」
「それが……唯一参加が認められているのがその大会だけなんだそうです」
「なんでだ」
「参加費が無料なんです」

全員絶句。

「落ちこぼれ部、予算少ないんですよね、ほんとに」

神ももう、苦笑いするしかなかった。