ルーザーズ&ラバーズ

Side-M 13

文化祭の前日から2日目までの計3日間は、授業がなくなる。また、文化祭の発表に関係のない部活動は一切停止、これはいかに予選を控えたバスケット部でも同じである。稀に文化祭をサボって練習に励むようなのもいるけれど、一応校内行事なので全員この間は練習を休む。

ダンス部は初日の夜にステージの最終確認なので、前日はまだ練習をしていた。だが、ここまで来ると練習をしてもしても完成形には程遠く感じてくる。時間が迫っているから焦りも出るし、疲労も感じやすくなる。これには少し覚えのあるバスケット部が米松先生に許可を取った上でストップを出した。

ステージの床部分だけでバタバタ練習していたたちのところに、牧がやってきて声をかける。

「今日は少し早めに終わらせた方がいいんじゃないか」
……でも、どうしても納得出来ないんだよ」
「それはたぶん、実はまだ1ヶ月あるってことになっても同じだと思うぞ」

要するに気のせいだ。修正点はいくらでも見つかるだろうが、きりがない。本番を好きなだけ延長できるならともかく、日時は決まっているのだ。重箱の隅を突付き続けても疲れるだけで、それが当日に響く方がよろしくない。これはテストではないのだから。はため息とともに肩を落とす。

「明日は16時まで練習できないけど、その間は他の準備の確認があるし、19時を過ぎたらステージを確認しなきゃならないし、当日も朝からずっと忙しいんだから、今から少し体を休めておかないと当日にヘバるぞ」

練習を詰めるのはいいけれど、そういうハードワークにダンス部は慣れていない。常にギチギチに練習しているバスケット部でも試合前日は少し早めに切り上げてゆっくり休む。不慣れなのに気力だけで限界を越えようとすると、一番大事な本番中に緊張の糸が切れてしまうかもしれない。そうなったら全てが台無しだ。

「ここ1ヶ月、練習量が異常に増えただろ。気力でもってるんだろうけど、そういうのが一番危ないんだ。とりあえずもう止めて、少し走ろう。オレたちも一緒に走るから」

そんなことを言いながら牧が制服のジャケットを脱ぐけれど、ダンス部は話が繋がらなくて全員首を傾げた。

「いきなり動くのを止めるってのもよくないんだ。チンタラでいいから少し走って、それからストレッチ。帰りはゆっくり帰って、ちゃんと食事を取って、あと必ず風呂に入ること。シャワーだけとか絶対ダメだからな。その後寝る前には部屋を暗くして腹式呼吸。これでかなり疲れが取れるはずだ」

呆然としているダンス部に向かって、牧はまだ食事はクエン酸を含むものを取れ、味噌と玉ネギもいいなどと言っている。牧の後ろではバスケット部員が顔を背けて笑いをこらえている。部長、落ち着いて。

「甘いものが欲しくなるだろうけど、それは終わってから……って何だよその顔」
「いやあ、改めてバスケ部の主将なんだなあと思って」

は若干苦笑いである。牧もやっと気付いて気まずい顔をしたけれど、彼の言っていることは間違っていないので、ダンス部はバスケット部員に付き添われて、彼らの言う「チンタラ」ランニングに出た。

「いやこれどこがチンタラなの!!! あんたらと一緒にしないで!!!」
「え!? マジか! おーい、スピード落とせー!」

気力があるせいで一応元気なダンス部員だが、さすがにバスケット部員たちの足とは同じようにいかない。が即音を上げたので、ランニングの速度は「かなりチンタラ」まで落ちた。だが、こうしてダラダラと走っていると、余計なお喋りも出来る。おかげでダンス部は気持ちの方も緩んできた。

「なんか、不思議な光景だね」
……そうだな」

後方で並んで走っていたと牧は、先を行くダンス部とバスケット部の集団を眺めながら、呟いた。方や全国2位、方や落ちこぼれの負け犬。それがわいわいと楽しそうに一緒に走っている。

「なんであんなに卑屈になってたんだか、もうよくわかんない」
「そういう扱いを受けてきたんだから、しょうがないんじゃないか」
「だけど、牧たちにされたわけじゃなかった。それは別の人たちだったのに」

走りながら、は少し牧との距離を縮め、拳を掲げた。

「牧、助けてくれて、ありがとう」

そして牧の肩に拳を当てると、スピードを上げて離れていった。

お礼を言わなきゃいけないんだろうか、そんなこと言いたくない、強豪校海南の象徴バスケット部のトップである牧になんて、どうしてお礼を言わなきゃいけないの。そんな思いに押し潰されそうになっていたは、今、心から牧に感謝をしていた。脳震盪だけじゃない、全てのことから助けてくれた。

義務感からじゃない、それはの本心からの「ありがとう」だった。

牧はにんまりと緩んでしまいそうな頬を叩くと、を追いかけてスピードを上げた。

さて、バスケット部の言う「軽く一周」でダンス部はへとへと、しかし部長はそのまま全員にストレッチをさせた。普段からやっているバスケット部員にお手本をやらせて、どんどん緩んでいくダンス部に仕上げを施してくれた。

「よし、もういいだろう。みんな眠そうな顔してるけど、帰り気をつけろよ」
「いやほんと、帰る気力もなくなってきた」
「楽屋に泊まりたい」

楽屋は柔道部に借りているので畳敷きである。今すぐひっくり返りたい衝動に駆られるが、牧はまたダンス部を追い立てて全員外に出させた。だけでなく、バスケット部で分担して全員送って帰った。ダンス部員たちは見るも無残なよろよろ状態だったからだ。

とまあ、こんなことをしていたので双方の1年2年からもいわゆる「文化祭カップル」が誕生してしまうわけだが、それはまた別の話だ。ひとまず落ちこぼれ部と貶され続けてきたダンス部は、とうとう文化祭を迎えるに至ったのである。2日目の本番まで、あと少し。

初日は夕方まで練習が出来ないダンス部だが、衣装の確認やら軽音との打ち合わせやらで暇ではなかった。だが、前日の牧の指導のお陰で疲れも残っていないし、焦りと不安もない。米松先生は慌ただしく走り回っていたけれど、たちは楽屋で化粧の練習をしていた。

その頃バスケット部は第一体育館でちびっ子バスケット教室の真っ最中。対象年齢は10歳以下なので部長は若干怖がられてしまい、男の子が清田に、女の子が神に集中していた。いくら全国トップレベルの選手でも、顔や発せられるオーラだけはいかんともしがたい。

それも終わりクラス展示の方なども手伝い、16時を過ぎたらダンス部は練習再開である。発表などは全て終わっているし、飲食店も初日分は完売していることがほとんどなので、客もいない。敷地内の片隅で練習していても、目につくことはほとんどない。

その練習が一応最終である。18時頃に親方が到着次第、ほぼ全てのステージを組み上げてしまうからだ。あとは当日の午後に移動させ、しっかり固定すればいい。その時も親方が来てくれるというので、これも心配ない。

牧のお陰で程よい緊張と期待を維持できているダンス部は、締めの練習を終えると、親方を待ってステージの最終仕上げに取りかかった。バスケット部も一緒である。

全て組み上げると重量が増すので、予選を控えた身であるバスケット部はとにかく慎重に作業をし、しかし部員たちの総意で牧は作業から外されたり、米松先生がかえって邪魔になったりと、和気藹々と準備ができた。

ステージはそれほど高さのあるものではなくて、地面からは1メートルほどしか離れていない。親方の草案では背面にちゃんと壁があり、両サイドにも出入りを隠す衝立がついていたのだが、それらはなくても構わないということで、費用節約のために削られた。

そのため、骨組みがむき出しの無骨なデザインになったけれど、ダンス部員たちのアイデアで背後には薄い布を垂らし、風で翻るようにした。これが思いの外美しかったので両サイドにも採用されて、たちのステージは真っ白なカーテンが風に踊る幻想的なものになった。

そこに突然口を出してきたのがナナコである。ステージ上は背面に一段高い段差があり、音響機材を置くことになっているのだが、そこに横断幕をかけたいと言い出した。そういうことはもっと早く言え!

「あとは枠の中塗るだけだからいいでしょ、そのくらい。時間かからないよ」
……でも自分でやらないんでしょ」
「あたしはバカ兄貴が明日来られないようにこれから接待だもん。よろしくね」

ナナコが用意してきた横断幕には既に薄っすらと枠線が引かれていて、確かにあとは着色するだけだ。表面がビニール加工された布なので、ステージに使うつもりで用意されていたペンキが使える。しかし、

「それを何でこんなタイミングで言うかな」
……手伝うよ」

ステージの準備が終わってしまったので、今日は早く帰ってしっかり休もう! とほぼ全員帰ってしまった後だった。最終確認と米松先生待ちで残っていたと牧は、横断幕を手にがっくりと項垂れた。そりゃあまだ時間はそれほど遅くはないけれど、もう少し早く言ってくれればみんなで片付けられたのに。

ふたりは横断幕をステージの上に広げ、ペンキを運ぶ。ナナコの用意した横断幕は紫。文字は真っ黄色でという注文だった。海南の色だ。ステージは真っ白なので、映えるには映えるが、設置してみた具合によっては、軽音の演目の間だけで剥がそうと考えていた。

「ナナコ先輩っていつもあんな感じなのか」
「うん、あれは元から。また兄貴がそれを全部いうこと聞くから、あれだけは絶対治らない」

と牧は両端から黙々とペンキを塗っていく。何が書かれているのか、全容はまだ見えないけれど、そんなことよりさっさと早く終わらせて帰りたい。やがてふたりは喋るのも止めて、一心不乱にペンキ塗りに没頭していった。ちょっとはみ出しても気にしない! 線がガタついても気にしない!

根が生真面目な部長ふたりは秋風に吹かれながらペンキを塗り続け、米松先生がやって来る前に終わらせてしまった。近くで見ると雑な仕上がりだが、遠目で見ればわからない。このまま一晩干しておけば明日の軽音のステージには充分間に合うだろう。

「風で飛んだりしても困るから、引っ掛けておくか」
「てか何て書いてあるんだろう。近くに寄りすぎて文字に見えなかった」

ふたりは横断幕をズルズルと引きずり、段差に打ってあるボルトに紐で固定した。そのまま後ずさり、横断幕に書かれた文字を見てみる。が左から英単語を読み上げていく。

Kainan University HighSchool Dance and Rock Team……Losers

ルーザーズ。がそう言うのと同時に風が吹き上がり、横断幕を、の髪を、スカートを揺らした。

……前だったら、こんなの頭にきてたと思う」
「そうだろうな」
「変なの。今はちょっといいじゃん、て感じがする」
「いいじゃんどころか、かっこいいと思うよ」
「負け犬でもかっこいいと思う?」

見上げる、見下ろす牧、秋風がふたりの間を吹き抜けていく。

……思うよ」
「じゃあ負け犬でもいいかな」

柔らかく微笑むの手を、牧はまたいつかのようにすくい上げる。も今度はそっと握り返し、繋いだ手をたよりに距離を縮める。指が絡まり合い、涼やかな風が吹き抜けるだけのふたりきりのステージ、いつしかと牧は正面に向き合い、ひたと見つめ合った。

「牧……ひとつ聞いてもいい? どうして――
「いやー! 遅くなってごめぇん! 校長に捕まっちゃってさ〜! あれっ、牧ひとり?」

格闘技棟の角から米松先生が現れた時、ステージの上には牧がひとり、腕組みでガックリと頭を落としていた。お腹が邪魔でステージに飛び乗れない先生は、上手からのそのそと登ってくる。すると、ステージの背面の方からがひょこっと顔を出した。彼女は驚くあまり、スライディングでステージから落ちたのである。

「遅いよ!!! どんだけ待ったと思ってんの!!!」
「ごめんて〜! てかこれ何!? かっこいいじゃん!」
「ナナコ先輩がこれをかけたいと言うので」
「ペンキ塗りを私たちが押し付けられたってわけよ」
「カイナンユニバー……おお、かっこいいねえ! えっ、何ふたりで塗ってたの? あらら」

横断幕を見た米松先生はお腹を揺らして目をキラキラさせている。しかもそれをと牧がふたりで塗っていただなんて、余計に嬉しくなっちゃうじゃん、という顔だ。

「うん、そうだよ、かっこいいじゃんか、ルーザーズ! 自分たちで言ってやればいいんだ」
「もう落ちこぼれ部なんて言わせずに済みますね」
「おお、いいこと言うじゃないか〜! その通りだよ、そんな部、始めからどこにもないってのにな」

ステージに這い上がってきたと牧の間に入り、米松先生はふたりの肩をがっしりと掴む。

「もう何年も前の話になるけど、瀬田くんが助けてくれて最初に軽音が出来た。それから何年かして、また瀬田くんのアイデアでダンス部とアウトドア部が出来た。先生はそれを保つので精一杯で、部員の子たちを本当の意味で助けてあげられたかどうかなんて、今でもよくわからない」

と牧に両側から見つめられている米松先生は、切ない思い出話をしてなお目が輝いている。

「だけど、にはつらい試練だったけど、こうして牧とがウィナーズとルーザーズの距離を縮めてくれた。そんなものの間にあった壁を打ち壊してくれた。外ではどうだか知らないけど、こうやって学校の中にいる時は、何も変わらない普通の高校生、そういう風になれたよね」

米松先生は少し興奮気味だ。不運な事故がきっかけとはいえ、自分ひとりで成し得なかったことは生徒たちが自分たちで引き寄せて掴み取ってくれた。嬉しさと誇らしさでますますお腹が震える。

も偉かった、牧も偉かった。僕はふたりを誇りに思うよ!」
……そういうのはステージが終わってからにしてよ」
「あと、オレたちだけじゃないですよ」

と牧に背中を叩かれた米松先生はエヘヘと笑ってお腹を撫でる。

「そうそう、それでね、明日のことなんだけど、少し早めに駐車場が開くかもしれないから」
「じゃあ車がなくなり次第、ステージを移動させましょうか」
「あとこれね」

米松先生は背中に差していた筒を引っ張りだすと、スルスルと開く。ポスターだ。

「これを見せたくて待っててもらったんだ。明日目立つところに貼るからね」
「うわ、かっこいい! ……って何で今日から貼れないの」
「それはほら、吹奏楽部のポスターがあったから!」

そうは言ってもこの部活縦社会は変わらない。と牧はガクリと頭を落としたが、まあいい。女の子が踊るシルエットに「ダンス部」の文字が踊る。そして目を凝らすと、右下に小さく「協力:男子バスケットボール部」と書かれている。米松先生はものすごいドヤ顔だ。

「そんなことわざわざ書かなくてもいいじゃないですか」
「別に入ってたって何の問題もないだろー。誰もこんなところ見てないよ」
「ていうかそんなにコソコソしなくたって、バスケ部が手伝ってくれてるのなんてもうみんな知ってるじゃん」
「それはそうだけど……
「牧はなんかやたらと影に隠れたがるよねえ」
「自分が言い出しっぺのくせにねえ」

言っちゃった。

「先生!!!!!!」
「あっ、やっべ!」

米松先生は狼狽える牧と呆然とするの間で満足そうにポスターをくるくると巻き直す。つい口が滑ったようだが、特に反省はしていない模様。この米松先生、深刻な話であれば岩のように固く口を閉ざして絶対に漏らさないが、「そこまでじゃない」ことであれば割と簡単に口が滑る。

「まあまあ、もういいじゃないの。バスケ部もダンス部も関係ないんだし。よしよし、それじゃ今日はもう帰りなさいね。はちゃんと体休めて明日に備えること。夜更かししたらダメだよ! じゃあほら、電気落とすよ!」

と牧の背中をぐいぐい押した米松先生は作業用に持ち込まれていた照明を落とし、ふたりを追い立てて駐車場を出る。少し歩けば第一体育館だ。いつかがダンス部の部員たちとノートを広げて計算をやり直していたドアがすぐ近くにある。

やたらとうきうきしている米松先生が去ってしまうと、どうしていいかわからないと牧だけが取り残された。

……ええと、その、さっきのは、すまん、つまりその」

どうにか取り繕いたい牧だったが、違うと言っても信用して貰えそうにない。うまく言葉に出来ない牧は、意を決してまたの手をそっと取ろうとした。だが、は牧の指が触れるなり、ぴょんと飛び上がって慌てた。

、その――
「あああ明日、明日もよろろしくね! きを、気をちゅけて帰ってね! ま、またね!!」

は噛みまくり狼狽えまくりで両手をバタバタと振り回し、そう言うと牧を置いて猛ダッシュで走り去ってしまった。冷たい秋風が吹き抜け、牧の火照った頬を冷やす。暗くてあまりはっきりとは確認できなかったけれど、は赤い顔をしていた。この第一体育館で怒鳴り散らしていたとは思えないほど、照れていた。

牧は自分でもそんな顔をしているんだろうと思いつつ、しばし時間を置いてからゆっくり歩き出した。

は一生懸命走って帰っているだろうから、追いつくことのないように、ゆっくり帰ろう。明日、バスケット部はステージセッティングくらいしかしないけれど、疲れないように早めに休もう。

そして、明日はダンス部の晴れ舞台を見届けよう。のラストステージを見届けよう。