星屑の軌跡

28

告白5

新たにコハルという家族を迎えた清田家だったが、ということは、セイラちゃんとの別れである。数ヶ月に渡り居候していた彼女はその戦闘力の高さゆえ主にに日本残留を熱望されていたが、声をかけてもらっている病院があるとかで、クリスマスを待たずに欧州に旅立つこととなった。

「ユリイはまず言葉だろうな。幸い度胸はあるから家庭教師も付けて日本語禁止にしてみる」

その後、学力如何によっては飛び級させようと考えているらしい。頼朝の後輩の弁護士に手伝ってもらって無事に養子縁組を済ませたので、現在ユリイは正式にセイラちゃんの娘だ。ユリイ本人は早くも海外生活に浮かれており、カズサいわく、早速学校でそれを自慢して嫌われているとのこと。

「でも宇宙飛行士ってコミュニケーション能力が重要なんじゃないの」
「それを嫌でも知るようになるだろうし、そこで思考が転換できないようならそこまでだよ」
「そしたら宇宙飛行士になれないじゃん」
「結果はいいんだよ。目標から逃げないことさえ守れればそれでいい」

セイラちゃんはこのところユリイが眠ると部屋を出てウサコのところへやって来て、コハルをずっと抱いている。たくさんおっぱいを飲んでコロコロと太ってきたコハルはウサコに似た丸い顔をしていて、セイラちゃんはその額に何度もキスをしている。

この日は旅立つセイラちゃんに餞別を渡そうとが来ていた。餞別なんかいらない、そんなものくれるくらいならスナック菓子を送ってくれと言い張るセイラちゃんだったが、ウサコに説き伏せられて渋々受け取ってくれたところだ。

……出産なんか何度も立ち会ってきたけど、コハルは特別だったな」
「ウサコの子だから?」
「それもあるけど、ユリイの母親のことを嫌でも考えさせられた」

女同士で話したいこともあるだろ、と頼朝が部屋を出ているので、セイラちゃんのその言葉に沈黙が流れる。紅茶を入れてくれたウサコの手も止まる。

「あの子の母親はさぞかし無念だったろうと思うよ。毛呂さんが父親の方に接触してくれたんだけど、子供が生まれてたなんてこと10年経ってから知らされても困るって一蹴されたらしくてさ。だけどユリイを妊娠したことを彼が知っていたかどうか、もうそれを確かめる術はないからな」

毛呂さんは清田家が度々世話になる頼朝の後輩の弁護士である。彼が調査の上接触をしてくれたのだが、ユリイの父親は遠方のとある大学の教授職にあり、とっくに還暦を過ぎていたそうだ。最近孫が生まれたとかで、10年もの間知らなかったことを突然持ち出されても困る、母親のこともろくに記憶がないから認知はしない、引き取り手があるならお好きにどうぞ、で片付いた。

「本当に知らなかったということも充分考えられる。そしたらユリイの母親は、父親にはユリイのことを知らせずにふたりで生きていくつもりだったんだろうと思うんだよ。こんな、コハルみたいな赤ちゃんを授かって、可愛くて、しかもとびきり頭のいい子で、たぶん宇宙飛行士になりたいってユリイの夢は、そのままおっかさんの夢でもあったんじゃないかと思って」

ユリイとふたり、夢に向かって頑張ろう! なんていうことを言ったかもしれない。母親との具体的な思い出については語りたがらないユリイだが、その関係は愛情に溢れたものだったようだ。だから余計に進学や宇宙飛行士という夢にこだわったんだろう。

「ウサコとしかいないから言うけど、私やっぱり別にユリイのことは可愛いとか、大事にしてやりたいって、思えないんだよ。コハルの方がよっぽど可愛い。可愛くて愛しい。ユリイも私に対しては同じだと思うけど、そういう気持ちは全然ない」

とウサコは何度も頷く。セイラちゃんの本音はよくわかる。子供が全て可愛いなんてことは、半分真実で半分絵空事だ。存在としての可愛さ大事さと、自然な感情の発露とは理屈が違う。しかもユリイは精神面での幼さはあるものの、母が生き返らないことは十二分に理解していて、その上で夢を掴みたいという強い意志を持つ、ほとんど青年だ。庇護欲を掻き立てられる弱者としての子供ではない。

「けど、あの子のおっかさんが手放さざるを得なかった夢を捨てるのはどうにも忍びなくて。だから私はユリイが不憫で引き取るんじゃなくて、あの子のおっかさんの気持ちを残したいだけなのかもしれなくて、コハルが生まれてくるのを見てたら、余計にそんな気がしてきて」

例えばセイラちゃんの感情が「同情」だったのだとしたら、それはユリイに向けられたものではなくて、ユリイの母親に対して向けられたものだった。可愛がっていた娘を残して先立たなければならなかった同世代の女性の無念を思うと、彼女が娘と抱いた夢という存在を消してしまいたくなかった。ユリイという彼女の夢を引き継ぎ、守っていきたいと思った。

セイラちゃんはコハルの耳のあたりの匂いをスンスンと嗅ぐと、ニヤリと笑う。

「でももしユリイに子供が生まれたら、私ものすごく可愛がる気がする」
「ユリイもそのくらいの関係の方がちょうどいいんじゃない?」
「自分のお母さんはひとりだけだって言ってたもんね」

しかしセイラちゃんはそう言うけれど、セイラちゃんとユリイは棒体型にずけずけと物を言うところがそっくりで、遠目には本当の母子に見えてしまう。文句を言えば10倍になって返ってくる母、嘘つきで小賢しい娘、全ての親子がベタベタと仲良しなわけでもなし、似た者同士、いい距離感なのでは……は思っている。

尊と双子はお互いに欠けていた愛情を与え合える関係で、どちらもお互いが大好き、という感情に落ち着いたけれど、こちらは何しろセイラちゃんとユリイである。どちらも充分に地球外生命体なのだからして、型にはまった関係ではむしろ破綻も早かろう。最初から壊れ気味なくらいでちょうどいい。

の傍らで、聞きたくてずっと我慢していたんだろう、ウサコがおずおずと口を開く。

……また日本に帰る予定はあるの?」

それまでもずっと海外に行ったきり、ほとんど帰ってこなかったセイラちゃんである。コハルの出産というトピックに自身の充電期間が重ならなければ、セイラちゃんも帰国しようとは思わなかった。

……ユリイは、別の夢が出てこない限り、アメリカの大学に行かせたいと思ってる。だからもし帰ってくるとしたら、それが決まってからかな。飛び級で入れたとしても、まあそうだな、せめて18までは一緒にいようかと思ってる。だからコハル、次に会うときは8歳だな。大きくなっとけよ」

ユリイは現在10歳。セイラちゃんは、少なくともあと8年は帰らない。ウサコは少し肩を落としたが、やがて頷いて緩く微笑んだ。

「ねえセイラちゃん、おばあちゃんになったら日本に戻っておいでよ」
「そうだなあ。年取ると故郷の味が恋しくなるかも知れないし」
「それまで……お互い元気でいようね」

遠い約束にセイラちゃんは頷き、珍しく鼻を鳴らした。

セイラちゃんとユリイが旅立つその日、頑張って他人行儀な態度を保ってきた新九郎が我慢の限界を超えてべそべそ泣き出し、ユリイの手を取って「おじちゃんたちはいつでもここにいるから、遊びに来なさい」と言い出し、カズサが苦虫を噛み潰したような顔になっていた。

無粋な尊が頑ななカズサを指して「実はユリイのこと好きなんじゃないの〜」などとニヤニヤしていたが、彼は小学校でユリイと同居していることをからかわれて、幼稚園の時からの「彼女」であったララ姫ちゃんに振られたので、ユリイとは二度と会いたくないと公言している。

一方20年以上ぶりの再会であったウサコは涙の別れで、本当は空港まで送りに行きたいけどとしつこく繰り返していた。セイラちゃんは送っていこうかという頼朝の申し出を断り、ユリイとふたりで公共交通機関を使って行くと決めていた。いわく、それが旅立ちというものだから、と。

セイラちゃんが居候している間に増えたものや、急ぎ必要でない衣服など、多少の荷物は後で配送することになっているため、ふたりは普段履きのジーンズ、パーカー、ジャンパーに履き古したスニーカー、そしてバックパックという出で立ちだ。

「そんじゃ、長いこと大変お世話になりました。突然押しかけたにも関わらず、家族のように迎え入れてくれて本当に楽しかったです。新九郎さん由香里さん、実家よりよっぽど心休まる場所でした。ありがとう。おばあちゃん、お体お大事に、ヨシちゃんにもよろしくね」

セイラちゃんはそうやってひとりひとりに握手やハグとともに挨拶をしていき、最後にウサコのところにやって来るとまずは頼朝に抱かれたコハルの頬にキスをして、そしてウサコをぎゅっと抱き締めた。ウサコは既に涙目である。

「ウサコまたね」
「うん。またね。お菓子送るね」
「毎日コハルの写真も動画も送って」
「送る送る。セイラちゃんも送って」
「私の写真なんかいらないだろー!」

そうして目を真っ赤にしたウサコを残し、セイラちゃんは清田家の門を出る。ふたりは徒歩でバス停まで行き、電車を乗り継いで空港まで行く。ユリイには大人たちのような感慨はなさそうだった。彼女にはもう海外へ行って勉強しまくり、宇宙飛行士になるのだという夢しか、見えていない。

そのふたりのよく似た後姿に、ついは声をかけた。

「いってらっしゃい!」

は遠い日にこの家を離れて旅立っていかねばならなかったときのことを思い出していた。玄関に立ち、大声で泣き喚いてしまいそうな自分を奮い立たせながら「行ってきます」と声を張り上げた。それを思い出して、旅立つふたりにそう言いたくなった。

気をつけていってらっしゃい。私たちはいつでもここにいるから。

振り返ったセイラちゃんはにんまりと笑い、きょとんとしているユリイに囁くと、ビシッと気をつけをし、せーの、と音頭を取ってからふたりで声を揃えて「行ってきます!」と言った。

それを合図に清田家全員が犬4匹の吠え声に乗せて「いってらっしゃい、気をつけてね」の合唱と手を振り、ふたりを送り出した。まだ赤ん坊であるコハルも入れれば総勢16人、お向かいの梶原さんはその声に驚いて窓を開け、「出征かと思った」とのちに笑った。

こうしてこの年の清田家を大いに振り回したセイラちゃんとユリイは旅立っていった。

それぞれが家に戻る中、最期まで名残惜しそうにしていたウサコに付き合っていた頼朝は、最後尾にいたを呼び止めた。それに気付いた信長も玄関ドアに寄りかかっている。

「何、どした?」
「これで元通り……てことにはならんと思うんだよ」
「結果的に予定よりふたり増員したしね」
「その辺は尊とも話ついてると思うけど、コハルも世話になるわけだから」

頼朝はきょとんとしてるに向かって手を差し出す。

「由香里が言うように、会社はオレが責任持って守っていくから、には家の中のことを任せたい。任せたいっていうのもひとりに押し付けるという意味じゃなくて、を信頼して妻と子を託す、という意味でだ。改めて、よろしく頼む」

の背後では信長がニヤリと笑い、頼朝の傍らではウサコが嬉しそうに目を細めた。

「うん。大人9人、子供7人の生活は私が責任持って預かります。全員が元気に暮らしていけるように、頑張ろうね。セイラちゃんたちがいつでも遊びに来られるような家にしておこう」

は頼朝の手をしっかり握り返すと、勢いよく振った。

「もう人は増えないと思うけど、こればっかりはわからんからな」
「うん、私もその辺は全然信用してない」
「長い戦いになると思うけど、よろしく」
「こちらこそよろしく!」

そうやって4人がほのぼのとしていると、新九郎が慌ただしく玄関から出てきた。

「おっ、お前ら何やってんの。コハル寒いだろ、早く入んなさい」
「親父こそどうした」
「今月入ってから隠し鍵場所変えるの忘れちゃってさ」
……なあもうそれやめないか?」

清田家の隠し鍵は外壁の内側のカラータイルに振られた番号が12ヶ月に対応しており、毎月新九郎が中身の鍵を移し替えていた。実際これがあったことで頼朝は命拾いしたわけだが、ウサコの叔父さんのような例にまた巻き込まれないとも限らない。ホームセキュリティは導入したけれど、鍵が置いてあったら全部台無しだ。頼朝は何度も突っついたのだが、なぜか新九郎はこれを譲らない。

ウサコの叔父さんの件で肝を冷やした信長も声をかけてみた。

「親父、昼間女子供しかいない時に万が一って考えるとオレも怖いよ」

基本的に事務所には頼朝がいるので、清田家がまったくの女子供だけになるケースというのはほぼないわけだが、幼い子供が一気に4人も増えたので、その父親である信長や頼朝はずっとこの隠し鍵をやめたがっていた。すると今月のカラータイルに手をかけていた新九郎もひょいと肩を落とした。

「うーん、それはそうなんだけど」
「ていうか何でそんなに隠し鍵にこだわってんだよ」
「オレの子供の頃のトラウマ」
「はい?」

コハルが冷えてはマズい、とウサコが家の中に戻ったので、と信長と頼朝が新九郎を囲んでいた。息子と嫁に囲まれたじいじは、やっと顔が均一な色になってきていて、ヒゲがなくなって以来少し若く見えるようになっていた。孫が7人いるおじいちゃんだが、孫と同化傾向にあり、ちょっと少年ぽい。

「オレも物心ついた時には家の中に人がたくさんいて、学校から帰ってくると玄関ドアも縁側もみんな開けっ放しになってて、ただいまーって言いながらランドセル放り投げてそのまま遊びに行ってた」

現在は一応身内だけの清田家だが、新九郎が幼い頃から親方が亡くなるまで、この家は他人で溢れかえっていた。そのためもあって増築が繰り返され、縦長と言うか横長と言うか、とにかく長方形の清田家となった。新九郎少年のガキ大将時代は想像に難くない。

「だけど一度、実際はほんの2時間くらいだったんだけど、この家が無人になったことがあるんだ。うちで預かってた東北出身の職人の兄ちゃんが屋根から落ちてな。幸い植木の上に落ちたんで、ケツに小枝が刺さっただけで済んだんだけど、ひとり遠くから働きに出てた兄ちゃんだったから、女将が病院に行くしかなくて、オレが学校から帰ってきたらこの家がしんと静まり返ってたんだ」

いくら下宿や居候がたくさんいたと言っても、日中はみんな働いているから女将だけしかいないわけだが、それでも近所の奥さんが来てるとか、出入りの酒屋さんが来てるとか、とにかく新九郎にとって自宅はいつでも誰かがいるものでしかなかった。

「ドアは開かない、縁側もぴったり閉まってる、お勝手の裏口も開かない、車も1台もない、お父ちゃんとお母ちゃんがいて当たり前の家が、まるで死んだように見えて、それはもう怖くて怖くて、もしかして自分の家族ってのは幻で、オレはなんか妖怪かなんかにずっと化かされてたんじゃないかって」

またこの時不幸にも2歳年下の弟正二郎は学校に居残って鉄棒の練習に励んでいた。だから誰も帰ってこない。現在のように携帯電話があるわけでもないし、この時女将は慌てて出ていったので、玄関に張り紙をしておくとか、そんなこともせずに病院に飛んでいってしまった。

新九郎はひとり自宅の庭で血の気が引いて腰を抜かした。そしてほうほうの体で自宅を這い出ると、子供の足ではずいぶん遠くにある交番まで走った。交番に駆け込み、真っ青な顔で家族が消えてしまったと訴えた。のちに親方のげんこつが落ちたのは言うまでもない。人騒がせなことをしおってからに、交番に行く前に梶原さんに聞くとか出来ただろうが! そういう時代だ。

「だから隠し鍵を作りたかったのか」
「いつでもあるものが一瞬でも消えてしまって、パニックになるほど怖かったからな」
「その気持ちはわからないでもないけど……

ただ当時はこの家に事務所のスペースはなく、増築されるまでは居間の片隅の机と棚が事務所だった。それに事務員さんを雇っていたわけでもなく、親方と女将が全部管理していた。だから女将が外出してしまうとこの家は無人になってしまう。

「でも今はほぼ100パーセント事務所に誰かいるだろ」
「オレが出かけてても四郎さんがいるしな」

新九郎の気持ちはわかるけれど、玄関の鍵が外に置いてあるというリスクはどうしても容認できない。信長と頼朝はそれを改めて押してみた。新九郎の方もそれがわからないわけではないので、カズサが小学生になったことだし、順次「もし家に誰もいなかったら」という特殊なケースへの対処法を決め、子供たちに教えていこうという話になった。

鍵を片付けてくれるんだな、と念を押す頼朝に、新九郎は少しだけ寂しそうな顔をして頷いた。

……帰ってきた時に、家に誰かがいるということは、本当に幸せなことなんだよな」

新九郎が子供の頃にも、親が共働きで不在、首から家の鍵をペンダントのようにぶら下げた「鍵っ子」はいたという。新九郎の目には、鍵っ子たちは学校を出ると寂しそうな顔をしているように見えたという。だからそんな子らを引っ張って広場で遊び、家に連れ帰ってきては女将におやつをせがんでいた。

「オレの悪い癖はそんな頃から始まってたんだよ」
「でも私はそのおかげでここにお嫁に来たじゃん」
「エンジュと寿里もそうだし」
「セイラちゃんが長逗留出来たのも、まあそのうちだよな」

新九郎が少し寂しそうな顔をしたので思わず3人はフォローに回ってしまった。だが、途端に新九郎の目がきらきらと輝き出したので、慌てた頼朝がすかさず口を挟んだ。

「だ、だからってもううちは限界だからな! これ以上やったらが家出するぞ」

新九郎はそれに呵呵と笑いつつ、ひょいと肩をすくめてみせた。

「そりゃ困るな。女将がいなかったらこの家は息もできない」

信長がちらりと隣に目を落とすと、は真っ赤な顔をしてニヤニヤしてしまうのを我慢していた。