星屑の軌跡

18

ユニコの足跡4

昨夜、空虚な気持ちを誤魔化すように求めあった尊と望はしかし、ぐっすり眠って一夜明けるとだいぶスッキリしてしまい、また元の友人関係に戻っていた。この日は駅前のコーヒーショップで朝食を済ませて、また養護施設に向かう。

養護施設では児相の職員さんが車で待っていて、職員さんはふたりに増えていた。

「行方不明になっているのを放置していたわけではないそうです」
「どういう意味ですか?」
「ご近所のお友達の家にお世話になってるものだとばかり、思っていたそうです」

だとしてももう2週間近く、そんな長期間幼い子供を他人の家に預けっぱなしで一度も様子を窺わずにいられるものだろうか。尊はまたちょっと背中を重く感じていた。

「ご親戚というのは、天道さんの血縁の方なんですよね?」
「天道さんの父方の親戚です。天道さんのご両親はどちらも亡くなられています」

職員さんは、昔と違って「天涯孤独」だとか「みなしご」というのは現代では中々起こりにくいと説明してくれた。だが、ユニコの母方の方はとにかく人が少なくて生きている人間にはたどり着けず、父方を探してようやく見つけたのが今回のお宅だという。

「じゃあ天道さんもそのお宅で育ったんですか?」
……そういうことに、なるかと」

これ以上は守秘義務に抵触するから言いたくない。そんな口ぶりだった。尊と望は黙り、車窓を眺めていた。真夏の白っぽい日差しが目に痛い。

養護施設から1時間ほどで到着したのは、ただひたすら一軒家が並ぶ住宅街だった。降り立ってぐるりと一回転しても民家以外は何も目に入らない、そんなところだった。少し離れたパーキングに車を停めて歩き、天道という表札のかかる家に到着した。

白っぽい壁は雨によるシミが屋根から垂れていて、鉢と物置があるだけの小さな庭、玄関には掃除用具が立てかけてあり、割と年式の新しい軽自動車と、電動アシストの自転車が置かれている。3歳の子供がふたりもいる家にしては、遊び道具や三輪車など、そういったものは目に入らない。

中から出てきたのは、瓜実顔の色白の女性で、年の頃は50代後半から60代くらいだろうか。薄紫色のTシャツに白のタックパンツ、という出で立ちで、化粧はしていないように見えたが、手の爪は健康的な淡いオレンジ色に染まっていた。

女性は開口一番、尊に「大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と言ったが、頭は下げなかったし、仏頂面のままだった。儀礼的に言っただけのようだ。

リビングに通された一行にお茶も出さない女性は明らかに「迷惑だ」という顔を隠しもしないで、ため息を付いた。リビングにも、3歳児が遊ぶ玩具などは影も形もなかった。

「近所に、仲のいい女の子がいるんです」
「女の子?」
「古杉さんというお宅の、小学生の女の子で」

尊と望は顔を見合わせた。小学生の女の子、コスギ。コスモのことじゃないのか。

「夏休みの間、その子のお宅へお泊まりに行くと言うので、お願いしました」
……でも今、神奈川の私の自宅におります」
「それは私どもは知りません。古杉さんの方でお尋ねください」

児相の職員さんがその古杉という家の場所を尋ねている間に、尊はつい呟いた。

……こちらは、ユニコさんが育った、お宅なのですか」

すると女性はまたため息を付いて頷いた。

「あの子の親が死んでから、高校を卒業するまでこの家にいました」
……その後はお付き合いはなかったのですか」
「自分の意志で出ていきましたから。戻るつもりもなかったでしょう」

児相の職員さんは不安げな顔でそのやり取りを見ていたが、尊は思い切って聞いてみた。

「ユニコさんとの関係は、良くなかったのですか」
「ちょ、清田さ――
「ええ、そうですね。良くありませんでした」

慌てて尊を止めようとした職員さんだったが、女性はこともなげに言い放った。

「良い関係なわけがありません。あの子は主人と息子をたらしこもうとしたんですから」

古杉という家は天道家から歩いても5分程度の場所にある、似たような作りの家だった。だが、天道家で勝手に質問をし、余計な情報を聞き出してしまった尊と望は車で待つように言われて、パーキングに戻った。エアコンをかけて後部座席に座り、水を流し込む。

「ま、ご主人の方はどうだろうね。息子はあるかもしれないけど」
「ユニコも、あの家族は好きじゃなかったんだろうな」
「だから東京に出てきたんだろうしね。バイトしてる時、楽しそうだったよ」

住宅街だと言うのに、蝉の声がひっきりなしに聞こえてくる。尊は車の窓にもたれると、天道家の女性のように、思い切りため息をついた。

「あんな家に双子を返すの、嫌になったんじゃない?」
「そんなこと言ってたら清田家は何百人もの子供を養育しなきゃならなくなる」
「まあそうね。なんだっけ、弟のお嫁ちゃんが頑張ってるんだっけ?」
……そう。ずっと、頑張ってる」

の顔が浮かんできたら、また止まらなくなってきた。家族、オレの家族。そこにはぶーやだぁもいて、馴染みのおじさんたちがしょっちゅう顔を出して、ご近所さんとも親しくて――清田家にはいつでも笑顔と由香里の怒鳴り声と犬の吠え声があった。

その由香里の怒鳴り声が最近、の怒鳴り声に代わってきたけど――

「思い出し笑いキモい」
「家に帰りたくなってきたよ」

尊が正直になっていると、児相の職員さんが戻ってきた。

「おそらく清田さんの仰る『コスモ』ちゃんで間違いなさそうです」
「古杉柚莉依(ゆりい)ちゃんという、小学4年生の子がいるようです」
「よ……4年生!?」

どんなに少なく見積もっても5年生くらいだと思っていた。でなければ、幼く見える中学生だということもあり得るんじゃないか。頼朝あたりはそんなことを推理していたが、まさかの4年生。誕生日によってはまだ9歳。カズサと3歳しか変わらない。

……ユリイちゃんも、親戚に預けられていた子でした」
「えっ?」
「こちらはシングルマザーのお母さんを亡くして、大叔母の方の家に」

そして天道家同様、夏休みの間近所のお友達の家に寝泊まりするということになっていた。

「コスモの仕業だな」
「もし清田さんの仰る通りユリイちゃんがひとりで計画したことなら、ずいぶん聡明な子ですね」

ふた家族の言い分をまとめ合わせると、普段から仲が良くてよく一緒に遊んでいたユリイと双子は、夏休みの間を「向こうの家」で過ごすことになり、どちらの保護者も「滞在費」をユリイに預けた。そして荷物を作り、全てユリイに任せて送り出した。歩いて5分の距離の家のつもりだった。

「それが、ユリイちゃんの主導で特急を乗り継いで神奈川まで行っちゃった、と」
「駅にはどなたがお迎えに行ったんですか?」
「行ってません。玄関先に突然現れたんです」
「じゃあその年賀状を頼りにお宅まで見つけたことになりますね」

それを小学4年生の女の子が。3歳の男の子をふたりも連れて。

セイラちゃんはしきりにコスモは頭のいい子だと言っていたけれど、それだけではない。度胸も慎重さも計画性も演技力もある。尊はコスモのどこか白々しい話し方を思い出して、背筋が震えた。

「でも、じゃあ子供たちの身元はこれで確認できたということになりますよね?」

望がそう言いながら首を伸ばすと、児相の職員さんは揃って俯いた。今度は何だよ。

「それが、どちらも子供がしばらくいないつもりだったので予定が入っているとかで……
「予定、ってそんな、保護者が子供を迎えに来るのに予定もなにもないでしょう」
「それに古杉さんの方は保護者の方がかなり高齢で」
「天道さんの方もご主人が戻らないことには何も出来ないと」

職員さんの口ぶりだとコスモも持て余されているのかもしれない。そうなると子供たちは清田家滞在を延長するしかないではないか。そんな空気になったので職員さんは俯いているし、尊と望は遠慮なくため息をついた。ボランティアにもほどがあるぞ。

「こちらでもなるべく早くそれぞれの家に帰れるよう働きかけますので……
「ユリイちゃんの方は学校もあるでしょうし、早めにお願いします」

そうでないと清田家――いや、がパンクする。

最寄り駅まで送ってもらった尊と望はがっくりと肩を落としたままホームに入った。夏の熱風が舞い上がり、望のショートボブの髪を跳ね上げる。ふたりともこのまま帰宅するつもりだった。疲れた。

「なんか、来てよかった、って気がしないね」
「楽しいこと、何もなかったしな」
「何か得るものがあるんじゃないか、なんて期待はしてなかったんだけど」

望は髪を整え、そして、ふんと鼻で笑った。

「逆に色んなものを削り取られた気がする。楽しいことして、埋め合わせしないと」
……このあと、どうするの」
「それはまだ未定、そしてあんたには関係ない」

それもそうだ。尊も鼻で笑い、何度も頷いた。

「尊」
「なに?」
「気は済んだ?」
……たぶん」
「そんなら、いいけど」

明確な答えは見つかっていない。ユニコが何を考え、何を思い、なぜ宇宙と彼方に「清田尊という人が父親」だなどと吹き込んだのか、それはわからずじまいだ。彼女を知る人の話も、ただ重いだけで、何の感慨もない。ユニコに対して特別な感情はない。それは変わらない。

砂浜に残るユニコという足跡を、その上を踏みつけながら歩いていたら、突然足跡が途切れていた――そんな3日間だった気がしてならない。振り返っても、踏みつけてきた足跡は波にさらわれて消えようとしている。ユニコという影がどんどん薄くなっていく。

電車の到着を報せるサインが点灯する。望はそれを見上げ、尊の手をきゅっと握り締めた。

「尊、元気でね」

気持ちが疲れ果てた尊はしかし、当然ひとりでいても心が休まらないので、自宅に戻るとだぁを呼び出した。頼朝にはもう1日頼むと頭を下げて部屋に引きこもり、だぁにグズグズ愚痴をこぼして聞いてもらい、そして最終的にはアマナと寿里に両側から「よしよし」をしてもらっていた。

コスモと双子の件で児相から連絡が来たのは3日後のことで、ほとほと困り果てた声の職員さんは、どちらも夏休みいっぱいは迎えに行かれないと言って聞かないと、今にも泣き出しそうな声だった。

尊は「どちらも子供を持て余してるんですね?」と遠慮せず聞いたが、それには当然はっきりとした返事はなく、しかしあくまでも清田家は善意の第三者、これ以上負担をお願いすることも出来ないので、何とかしてショートステイが可能な施設を探しますと返ってきたが――

「いいよ。乗りかかった船だし」
……ごめんなさい」
「みこっさんが悪いわけじゃないでしょ。よくよくこの家はそういう問題を招くんだね」

に報告すると、彼女はしかし怒りも茶化しもせずに了承してくれた。そしてユニコの件をざっくりと聞くと、やはり大きなため息をついて「重いね」と言った。そして少し俯いてから、付け加えた。

「みこっさん、彼女は、ユニコさんは、見つけられた?」

尊は目を丸くして身を引いた。オレ、ユニコを探しに行ってたんだっけ……

……ううん、最初から、彼女を探してるつもり、なかったし」
……そうだったね」
「どこにも、いなかったと思う」

それなりにユニコと関わりのある人物に話を聞いてきたつもりだったけれど、ユニコという人については手がかりらしきものもなく、尊もそれを追い求めていたわけでもなく、余計にユニコという女性の存在を希薄に感じてきた。本当にそんな人、存在したんだろうか。

「みこっさん、すぐには無理だけど、忘れていこうね」

の手がそっと尊の腕を撫でる。望の激しい愛撫よりもはるかに、安心できる温かさだった。

家族がいるから、オレはユニコにならなくて済んでる。改めて、そう思った。