星屑の軌跡

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ユニコの足跡3

思ったより店長とユエさんと長く話し込んでしまい、助産施設、病院、養護施設、全てをアポなしで訪ねていける時間は残っていなかった。ふたりはビジネスホテルまで移動してチェックインを済ませると、また外に出てきた。ひとりでぼんやりしていると余計に気が重くなる。

そうしてふたりは居酒屋に入った。開店したばかりで店内は閑散としている。

「でも、助産施設とか病院なんか訪ねても守秘義務があるんじゃない?」
「まあ、そうだよな」
「この中だったら養護施設が早くないかな。双子の名前を出せば」
「いなくなってるわけだしね」

店長さんとユエさんの話の中に度々出てきた「役所の人」とはおそらく地域の保健師だと思われるが、それだって守秘義務がある。もしユニコと関わる間に相談などを通じてなにかヒントがあればと思うが、警察でもないし親族でもないし、まあまず答えてはもらえないだろう。

なので尊は気になっていたことを尋ねてみた。

「ていうか、望はほんとのところ、何で来たの?」

本人の話が真実ならば、望も決してユニコとは親しかったわけではない。ユニコに対して何かとてもポジティブな感情があったわけでもない、過去の付き合いの中で残した悔いがあるようにも見えない。

望はサワーのグラスを傾けると、ぺろりと唇を舐めた。

「行きがかり上、っていうのがひとつ。今たまたま時間が自由になるから、っていうのがひとつ。久しぶりに尊と喋るのもいいなって思ったのがひとつ。それから、私、知ってる人が死んだの、これが初めてだから、人が死ぬってどういうことなんだろうって、そういう興味本位みたいな気持ちがひとつ」

ユニコを見下していたことを白状してしまった望は、もう嘘をついて建前を言う必要はないのかもしれない。彼女はそれほど親しくなかった天道由仁子という人物の死に惹かれ、ついふらふらとやって来てしまった。そんなところだろう。

身近な人間の死というと4歳の時の祖父、そして桃香が死産した子、それしか経験がない尊もまた、望が正直に吐露した「興味本位」はわからないでもない。の父親の死は身近な話だったけれど、本人と面識があったわけではない。仕事上の付き合いで葬式に行っても、遺影に写る故人に何の感情も湧かないのと同じだ。

だが、ユニコはまだ若かった。そして双子を残して旅立つという悲劇も相まって、そこそこ平穏無事に生きてきてそれが維持できている尊や望にとって、彼女の足跡を辿るということは、すぐ隣にあるのに未知である世界への探求でもあった。人が死ぬということは、どういうことなんだろう。

ユニコへの同情心とか、双子に対して心を痛めているからとか、そんな慈しみの心すらない。

尊が感じたように、ユニコは「通り過ぎていった」人に過ぎないし、双子やコスモは「然るべき場所に返さなければならない」子供たちでしかない。

ユニコによって尊が父親だと思い込まされている双子は、最初から彼を「パパ」と呼んだ。だが、尊はそれには返事をしなかった。そして彼らと面と向かって話す時は自分のことを「みこ」と呼んだ。初対面からそろそろ2週間、双子は尊を「パパ」とは呼ばなくなってきた。尊が返事をしないからだ。

当然の話だ。オレは父親じゃない。

そもそもが尊は子供好きだし、幼い子供の「パパ」と呼ぶ声にはどうしても心が痛むし、コスモと違って双子は穏やかで素直な子なので、つい可愛いと思ってしまってはそれを否定し続けている。それを肯定してしまったら、オレは親と暮らせない子供を全員引き取って育てなきゃならなくなる。

……望は、店長さんたちの話聞いて、どう思った?」
「なんか、意外性もなくて、ああ、バカな上に運が悪かったんだなって」
「正直だね」
「故人を悪く言うなんて、って? 嘘ついて褒めてもユニコは生き返らないよ」

こういう人だから尊と付き合っていられたわけだが、しかし、本人が言うほど望は無感動でもないように見える。サワーはグイグイ飲むし、表情も暗い。望はグラスをテーブルに落とすと、ショートボブの髪を乱暴にかき回した。

「なのに、なんでこんなに重いんだろう。ユニコなんか、ただの他人なのに」

翌日、若干疲れと酔いの名残があるふたりは駅前のファストフードで朝食を済ませると、まずは児童養護施設に行ってみた。少々年季の入った作りの施設で、その中で暮らす人々の生活が外から覗き込めないように背を丸めているような、そんな佇まいだった。

「ご用の方はこちらからどうぞ」という注意書きの横にあるインターホンを鳴らし、望がざっくりと事情を説明したら、慌てふためいた様子の、ふたりと同世代くらいの女性が出てきた。

「あの、どういうことでしょうか」
「ですから、宇宙くんと彼方くんが、コスモと名乗る女の子と一緒に神奈川まで」
「あ、無事ですよ。うちでちゃんとお預かりしてます。地域の児相にもちゃんと……
「いえそうでなくて、あの子たち、ご親戚の方に引き取られたんですよ!?」
「は!?」

オロオロしている職員さんの言葉に、尊と望はひっくり返った声を上げた。何だって!?

慌てた職員さんに施設内の応接室に通されたふたりは、そこで20分ほど待った。職員さんが件の保健師さんと地域の児相の職員を呼ぶというので、話を大きくするつもりのなかったふたりであるが、大人しく待っている。なんか色々面倒そうなことになり始めたぞ……

そこに保健師さんと児相の職員さんが慌ただしく駆け込んできて、追って施設の職員さんもなだれ込んできた。全員汗だくである。尊と望は自分たちが把握している事情を説明し、尊はに連絡を入れてビデオ通話に宇宙と彼方を映してもらって証拠とした。アマナたちと遊んでいて楽しそうだ。

「ほ、ほんとに宇宙くんと彼方くんだ……
「ご親戚が、いらっしゃったんですか?」
「見つかったのは春頃のことです。お母さんが育った家があるはずなので、それを探して」

風俗店の店長さんがやってくれたのは、双子をこの施設に預けるところまで。そこからはノータッチだった。父親も見つからなかったし、そもそも店長さんもユエさんも、いわばただの同僚だ。それ以上のことは請け負えるはずもない。

その後、ユニコが預けられて育てられたという親戚の家が見つかった。なのでそこにかけあい、宇宙と彼方は初夏の頃には引き取られていったのだという。

「そうですか、安心しました。だったらそのお宅へ……
「ふたりはいつ頃現れたとおっしゃいました?」
「えっ? ですから今月の頭に」
「だけど警察の方に捜索願が出されてなかった、ということですか?」
「え、ええ、そう聞いていますけど」

保健師さんと児相の職員さんは表情が固い。それを見て初めて尊と望も気付いた。3歳かそこらの幼い子供ふたり、もう2週間近くも行方不明になってて、捜索願も出していないというんだろうか。

「というかなぜそちらのお宅だったのですか」
「それがですね、天道さんが、なぜかふたりに僕を父親だと教えこんでいて」
「だけどその女の子が連れてきたんですよね?」
「その女の子も僕のことを父親だと言い張っていて」
「本当にあなたの子ではないんですか?」
……DNA鑑定の結果ならありますよ。私は一切関係ありません」

話が不穏な方向に走るので焦ってしまうのは無理もないけれど、今回の場合尊も望も、基本的には善意の第三者でしかない。清田家など何の縁もない3人の子供をずっと面倒見ている。それに対して問い詰めるように身を乗り出した保健師さんに、尊は声を落として言い返した。

「し、失礼しました。ちょっと混乱していて」
「お気持ちはわかります。子供たちが現れた時の我々もそうでした」
「も、申し訳ありません。ご協力頂きましてありがとうございます。それでは奥様は――
「私たちは友人です。夫婦ではありません」
「ああっ、ごめんなさい!」

保健師さんと児相の職員さんは大いに焦っている。気持ちはわかるが落ち着け。尊はまた最初から説明を繰り返し、昨日はユニコの働いていた風俗店から事情を聞いてきたと明かした。

「皆さん守秘義務があるでしょうから、僕たちに全部説明しろとは申しませんが、こちらも子供たちを預かっている手前、今後どうするのかということも含めてご相談できませんか。ご親戚がいらっしゃるなら引き取りに来て頂いて、あとはお任せでも構いません」

あえて突き放すような言い方をしてみた尊だったが、案の定、職員さんたちは顔を見合わせて肩を落とした。ごく幼い子供が行方知れずになっているのに放置、あるいは子供だけで遠くへ行くことを知っていても見て見ぬふりをしている、それは大変な問題のはずだ。

「少し、お時間を頂けませんか」
「そのご親戚の方にお話をなさるのですか」
「え、ええ、はい、そのように考えています」
「僕が同行することは出来ますか?」

3人は驚いて顔を上げた。いや、同行してどうするんだ。お任せでもいいんじゃないのか。

……正直申し上げます。双子の母親とは面識があるという程ではありません。二度ほど会ったことがあるだけです。だけど彼女はなぜか僕を父親だとふたりに信じ込ませた。僕だけが心の拠り所だったわけではなく、僕以外の男性との間に子供も授かっているくらいですし、それ以前にも恋愛関係にあった男性がいたという話も聞きました。だけど、なぜ僕だったのか、なぜ彼女は僕を父親だと言ったのか、それを知りたいんです」

人好きのしそうな柔和な顔の保健師さんはそれを聞くと少し微笑んで身を乗り出した。

「失礼になったらごめんなさい、こんなおばさんの私から見てもあなたは絵本から飛び出してきた王子様みたいに見えますよ。関わりがなかったからこそ、あなたのような方がパートナーだったら、と空想したのではないですか?」

旅の恥はかき捨て、という気持ちもどこかにあった。尊は首を振る。

「僕はポリアモリーです。1対1ではなく、同時に複数のパートナーを持つ主義です。そのことを彼女は知っているはずです。そして、それを嫌悪していたはずです。でなければ、僕は彼女とお付き合いをしていたかもしれません。彼女にとって僕は理想の王子様ではなかったはずです」

尊の話を聞いていた3人の表情がカチリと凍ったように止まった。そういう主義があることはもちろん承知していようが、それをこんな堂々と宣言する人には中々出会わなかっただろう。すると、柔和な笑顔だった保健師さんが一転、肩を落として疲労の滲む表情になった。

……私には、確かに守秘義務があります。ですから、天道さんのご相談に乗っていた時のことをお話するわけにはいきません。なのでこれは、決して短くない時間の中で彼女と接した私の、想像です。想像ですが、彼女があなたの主義を嫌悪していたとするなら、なおさらもう二度と関わり合うことのない、姿形だけのあなたが、ぴったりだったのではないかしら」

ユニコの脳内に広がる無限の世界、彼女の夢の中にいる尊はポリではなく、彼女と宇宙と彼方だけを愛する、美しくて優しい完璧な王子様――だったのかもしれない。現実の尊は気に入らないけれど、触れられもしない存在なら、あるいは。この嘘が尊にバレることは100パーセントない、そう思って。

「とりあえず、ふたりを引き取ったはずの親戚のお宅にはこちらから連絡をして事情を伺います。もしお宅にお邪魔するようなことがあって、その際に先方のご都合がよろしければ、こちらから改めてご連絡差し上げます。それでいかがですか」

だが、それが1ヶ月後では困る。尊と望は、今日は近くに宿を取るから急いで欲しいと念を押して施設を出た。遠くに蝉の声が聞こえる路上、尊は背中に望の手のひらを感じて顔を上げた。

「慰めた方がいい?」
……どうだろうな。今は何を言われても浮上しない気もする」
「そりゃそうだよね。あんたなんか顔だけって言われたみたいなもんだし」
「とどめ刺すようなこと言わないでくれる?」
「私はあんたのその弱音を吐けるところ、好きだったけどね」
「過去形じゃん」

だが、尊はこれまで想像してきたどんな可能性より、保健師さんの言う「姿形だけのあなた」が腑に落ちていた。望とのデートに乱入してきた時の、あの不機嫌そうな顔、睨んでくる瞳。どうしてこの人は私だけのものにならないの。だけど、喋らない動かない触れられない存在なら。

もう二度と会うこともない姿形だけの王子様、我が子の父親と思うだけなら罪にもならない。ユエさんが言っていたように、いつしかユニコの脳内ではそれが真実にすり替わっていったかもしれない。

……望ってオレの写真持ってた?」
「あったと思うよ。あんただけじゃなくて、コルクボードにたくさん貼り付けてたから」
「なくなってない?」
「なくなってても、気付かなかったと思う。持っていったかもしれないね」

双子は初めて会った尊が両腕を広げて「おいで」と言った時、何の迷いもなく近寄ってきてそのまま抱き締められた。「パパ」と呟き、怖がる様子も嫌がる様子もなかった。写真か何かを見せられていた可能性はゼロではない。それはまさに、「姿形だけ」の尊だ。

ふたりはそのままのろのろと駅前まで戻ると昼食を取り、またファストフード店まで戻ってぼんやりしていた。すると、児相の職員さんから電話がかかってきた。双子を引き取ったはずのお宅と連絡がついたのと、同行してきても構わないと言うので、明日の朝イチにまた施設まで来てくれという。

「私は待ってようか? 無関係と言えばそうだし」
……いや、一緒に行こう」
「尊、言い方間違えてるよ」

厳しい言い方をした望はしかし、腕を組んで優しく微笑んだ。

……一緒に、来て。一緒にいて」

尊は片手で自分の頭を抱えて呻いた。

「何これ、海外に行ってテンション上がっちゃったの?」

その日の夜、尊はホテルの一室で望のへその脇にあるタトゥーに指を滑らせていた。そこには鮮やかな色あいの蝶が羽を広げていて、細かな英字で縁取られていた。

「フォー……エバー、ああ、男に入れろって言われたの」
「結婚、するつもりだった」
「勉強しに行ったんじゃなかったの」
「その師匠だよ」

尊に跨った望はしなやかな肢体をくねらせながら吐き出すように言った。元々インテリア関係の仕事をしていた望だが、中でもクロスに魅せられ、内装の勉強を志して留学していた。そこで実際に内装業に従事していた際、師匠と恋愛関係にあったという。

「日本人は甘い台詞に慣れてないからね」
「プロポーズされて、指輪ももらって、家族にも会った」
「だったら何。死んだ?」
……ある意味ではそうかもしれない」

上半身を倒した望の乳房が揺れ、尊はそれをそっと両手で受け止める。

「季節のいい時に式を挙げようって、夏まで待とうって、それまで、半年、その間に、浮気されて、しかも相手、妊娠してて、幼馴染だった、歩いて3分位のとこに住んでた、親も掌返し、日本のご両親のところに帰った方がいいわとか、抜かしやがって」

言いながら望は尊の腕を強く掴み、力任せに腰を落としている。

「帰ったら帰ったで、何しに行ったんだ、勉強してくるはずじゃなかったのか、これだから女はって、そんなこと私が一番良く分かってんの。もう何万回も自分の中の女を呪った。今も呪ってる。尊の体、久しぶりで気持ちいい、それが気持ち悪い」

ファストフード店で時間を潰したふたりはまた飲みに行った。2杯ほど飲んだだけで店を出てホテルに帰ってきた。自分の部屋に戻ろうとした望を引き止めたのは尊の方だった。けれど、薄暗い部屋で望を抱き寄せると、望の方から激しくキスをしてきて、そのままベッドに倒れ込んだ。

日中の汗もそのまま、ぽいぽいと服を脱ぎ捨てた望は尊の服も剥ぎ取り、自分のペースでどんどん進めていった。尊はそれを、ぼんやりした顔で受け止めていた。

……ねえ尊、中に出す?」
「望と結婚する気はないよ」
「私もあんたはいらない。でもあんたの子供なら育ててもいい」

尊は荒い息遣いの望の頬に指を伸ばして、下睫毛をなぞった。これは汗だろうか、涙だろうか。

「尊が誰かひとりのものにならないことはわかってる。だからあんたはいらない。欲しいとも思わない。だけど、生まれた子供があんたに似たら、きっといい子だろうなって、そんな気がする」

ますます激しく動く望の頬を撫でてやりながら、尊は言った。

「オレに似てもいい子にはならないよ。清田の家でなければ、オレはこんな人間に育たなかった」

オレは姿形だけの、王子様でしかない。中身はうつろで、誰のものにもならなくて、たくさんの女の子が通り過ぎていく、それだけの存在なんだよ。オレの中の空洞が埋まることなんかない。からっぽなまま、誰かの空洞を埋めることもないまま、消えていくだけなんだよ。

絶頂に達して倒れ込んできた望を抱き締めた尊は、何も言わずに彼女の髪を撫でた。

オレはお前の子供なんか、欲しくないんだよ。そういうのは、どこか他の誰かとやってくれ。

でも、どうしてだろう、望に幸せになってほしいと、強く思った。