星屑の軌跡

6

真夏の恋2

翌朝、一番最初に目覚めたのはカズサだった。とことん疲れてぐっすり眠り、すっきりと目覚めた。すると部屋の中は真っ暗で、頭上の方にほんの少しだけ細く明かりが差し込んでいて、しかもなんだか目の細かい網に囲まれていた。カズサの中のビビりが騒ぎ出す。

冷や汗が出そうになりながら首を捻ると、すぐに父親の顔が目に入った。そこでやっと安堵したカズサは何回か深呼吸すると、ずりずりと布団を這い出て、父親の腕の中に潜り込んだ。

普段寝ている父の腕の中というのは、母の定位置である。幼い頃からずっと、確かに寝るまでは父と母の間にいたはずなのに、翌朝目が覚めるとふたりは移動していて、並んで寝ていた。それが「お父さんとお母さんは並んで一緒に寝たいんだな」と気付いたのは幼稚園に入った頃だっただろうか。

父や母にくっついて眠りたいという気持ちは今でもあるのだが、しかし何しろ妹と弟がいるし、弟なんか赤ちゃんだし、それを押しのけてまで通したい欲求ではなかった。だが今は父を独り占めしていいのである。他にはブンじいしかいないのだから。

隣の布団にもぞもぞと潜り込んだカズサは、すぐに父の長い腕に抱きすくめられた。久しぶりの感触、落ち着く匂い。それがちょっと嬉しくなったカズサはにんまりと笑い、父の腕に抱きついた。だが、父はそれで薄っすらと目覚め、か細い声で言った。

……?」
「オレだよ!!!」

後年カズサはこの時のことを父をイジるかっこうのネタとして存分に利用していくわけだが、ともかく寝ぼけて母の名を呼んだ父の頬をカズサはバチンと叩いた。その音で目が覚めたブンじいも、話を聞くと腹を抱えて笑った。お父さんは布団にくるまってジタバタしている。

まあそんなことがあったわけだが、ともあれ3人は起き出して身支度をし、朝食を作り、その片付けもして、畳んだ布団を背に縁側に並んで座っていた。

「今日は何すんの。夜ご飯何?」
「昼間は何でもいいぞ。泳ぎたければ沢があるし、虫捕りでもいいし。夜ご飯は窯焼きピザ」
「窯焼きピザ!? そんなの作れるんすか」
「オレたちで作るんだよ」

古民家の宿をやろうとしていたらしいブンじいのいとこは釜炊き風呂や石窯を自分で作っていたのだが、それらの出来が良いので調子に乗ってしまい、屋根の修繕を自分でやろうとして滑落、足を悪くしてこの家を出ていった。なので調理場だけは出来ているのだ。

ブンじいはあれこれと提案をしてくれたが、当のカズサはどれがいいのかわからない状態で、結局は信長がカズサに確認を取りつつ、虫捕りも沢遊びも少しずつやってみることにした。

実はビビりだというのに異様な負けず嫌いのカズサなので、新たな挑戦から逃げるのは癪に障るけれど、未体験の領域に自ら飛び込む勇気が中々出てこないのである。勇気云々以前に未体験のものが目の前にあると何も考えずに飛び込むタイプだった父は、そういうカズサのことをもう少し知りたかった。

「お父さんはちっちゃい頃に虫捕りしたの?」
「じいじたちとキャンプ行った時はやったよ。あんまり捕まえられなかったけど」
「なんで?」
「ちっちゃかったし、その時は頼朝と尊の方が背が高くて足も速かったから」

それでも兄たちの走る速度にガッチリ食らいついて離れず、兄たちがどんどん先に行ってしまうことにもヘソを曲げてぐずったりしなかった。なので信長がミニバスに興味を示した時、新九郎は二つ返事で許可してくれたし、何かと言うと「お前の足があれば何でも出来る」と言ってくれた。

そういう自分の過去と比べると、やはりカズサはビビりだし、忍耐力もないし、さすがに初孫初甥で甘やかされてしまった感は拭えない。というのも、少なくとも信長と、そして由香里は過剰に甘やかしたりはしなかったのだが、新九郎と尊が、そして清田家に訪れる「長男イコール跡継ぎ」という思考の人々が全て台無しにしてしまった。

それを無理に叩き直したいわけではなかったのだが、ことバスケットに関しては、父は大先輩である。彼がもしこのままバスケットを続けていくのであれば、技術的なことよりも、競技と向き合う心の方を支えていきたかった。今日をその一歩に出来たら。

まずは虫捕りに行こう、とブンじいに連れられて山に分け入った信長とカズサは、都会育ちとまではいかないけれど、住宅街育ち、山もそう遠くないけれど、海の方が馴染みがある。なので御年80をとっくに過ぎてサクサクと進んでいくブンじいに追いつくのがやっと。

「ありゃりゃ、そうか、由香里さんも都会育ちのお嬢さんだからなあ」
もあんまり得意じゃないんですよね」

虫捕りに来たはいいが、持って帰るのは現実的でないことを信長が思い出した。由香里は虫であればそれがなんであれ大嫌い。はそこまでではないけれど、触ったりするのは苦手。同様に住宅街育ちの頼朝たちも、目を輝かせるほどには好きではないという程度。実は信長とカズサもそんなところだ。

「まあでも虫は捕らなくたっていいさ。探して眺めて見るだけだって面白いぞ」
「ほんとにカブトムシなんかいるの……?」
「いるいる。探してご覧」

まだカズサはおっかなびっくりだ。

だが、子供の頃に「遊ぶ」といえばこうして里山で駆け回るのが当たり前だったブンじいはどんどん山に分け入り、カブトムシが好む木の特徴をカズサに教えている。それを見ながら信長は子供の頃に来たキャンプを思い出していた。一緒になって遊んだけれど、新九郎も住宅街育ち、ブンじいほど詳しくはなかったな。じゃあなんであんなにたくさん虫が捕れたんだろう?

それがキャンプに出かけて昆虫採集をするのだと知って事前に図書館で徹底的に下調べをしてきた頼朝の情報だったことを、彼は知らない。頼朝はこの時新九郎とふたり、深夜に「誰にも内緒の男同士の話」をしたので、のちのち「あれはオレのおかげなんだぞ」と威張ることも忘れてしまった。

信長がそんな過去の記憶でぼんやりしている間に、カズサはまず小さなクワガタを見つけて歓声を上げた。小さくても初めて自分で見つけた虫である。

「こりゃノコギリクワガタだな。ここ見てごらん、ノコギリみたいになってるだろ」
「のこぎり?」
……信長くん、おじいちゃんの商売道具だろう」
……すんません」

わざと家業から引き離しているわけではないのだが、本人が興味を示さないので誰も何も教えていない。もしカズサがおじいちゃんのお仕事は? と聞かれたら「社長」と答えるはずだ。それはそれでちょっとどうなんだろう……と思った信長はまた顔がカッと熱くなった。

しかしカズサは上機嫌だ。こうなるとビビりの虫はどこかに隠れてしばらく出てこなくなる。もう自分の腰丈ほどもある藪も斜面も怖くない。逆に信長が襟首を掴んでセーブするほど興奮し始めた。

これはあれだな、調子が悪くても、シュート1本決まったらしばらく止まらなくなるタイプ。

信長はこれまでに対戦してきた数多の選手の顔を思い出しつつ、しかしそういうやつは相性が悪くて苦手だったので、ちょっとげんなりした。

それから1時間ほどの間にカズサはカブトムシも見つけ、信長の背が高いことが功を奏して、ミンミンゼミもゲット。それに気を良くしたお父さんがテンション上がってクロアゲハ、そしてとても珍しいというハグロトンボを捕まえた。

「こりゃあいいもの捕まえたな。これは神様の使いって言われてんだぞ」
「すごくきれいなトンボですね」
「カズサくん、ハグロトンボに出会うといいことがあるって言われてるんだよ。よかったな」
「いいことって何!?」
「ははは、そりゃ神様しか知らんよ」

どれも新幹線で持って帰るのは現実的ではないし、小さなかごに押し込めるのをカズサが嫌がったので結局全部写真に収めた上で放したけれど、それでも上々の成果に本人は有頂天だ。まだ腹も減らないと言うので、そのまま少し離れた沢に向かった。

「昔は夏になるとここいらの子供たちが岩の上から飛び込んで度胸試しをしたもんだけど」
「子供が少なくなっちゃったんですか」
「いんや、飛び込みを禁止する親が増えたんだ。実際、事故もあったとかでな」

そうしていつしか沢にやって来るのは深夜によからぬ遊びをしたい若者だけになってしまった、とブンじいは笑っている。信長も少し覚えがある。小学生の頃は一番近い海に飛び込みスポットがあって、地元っ子が昼間に飛び込んでは遊んでいた。だが、ある時東京から来た大学生が酔って飛び込み、そのまま流されて帰ってこなかった。以来、その場所自体が立入禁止になった。

しかし、これから向かう沢は、深入りしなければ浅くて緩やかな流れの清流だという。もう少し下流に行くと釣りをする人が多くて、美味しい川魚が獲れるんだとブンじいは自慢げだ。それを直火で焼いて日本酒のアテにすると最高と言われると信長の喉も鳴った。

「魚いるの!?」
「この辺はどうかな、ほら、浅いだろ。カズサくんの脛くらいしかない」
「でも下流の方にいくといるんですよね?」
……あっちの奥は深いんだ。行くなよ、場所によったら君でも足がつかない」

ブンじいは声を潜めて対岸の崖の裾を指した。確かに透明度の高い清流だというのに、対岸の方だけ濃い緑色をしていて、流れが早い。そりゃあ魚は浅瀬よりあっちに行くよな。

「カズサ、この辺りだけだぞ。色の濃いところは深いから、絶対近寄るなよ」
「深かったら泳げるんじゃないの? オレ25メートルプール泳げるよ」
「プールは透明だし、こんなに早く流れてないだろ」
「えー。オレ平気だって」
「ダメ。溺れたら死んじゃうから、それだけはダメだぞ」

だが川遊びなどしたことがないカズサはまたキャーッと甲高い歓声を上げている。川の水は冷たくて、山歩きで火照った足に気持ちいい。信長も靴を脱いでざぶざぶと入っていく。よく晴れた青空の下、川で遊ぶ我が子。またとないシャッターチャンスではないか。に見せなければ。

だが、携帯構えてしゃがんでいるだけの父が面白くないカズサはそっとカメラの前を離れ、助走をつけて体当たり。カズサの身長は120センチちょい。父はそれより70センチ近く高いわけだが、尻を濡らさないようにつま先立ちでしゃがんでいたので、簡単に転倒、派手に水飛沫を上げた。

「ちょ、こら!!! け、携帯! 壊れたらどうすんだ! お母さんに殺される!」
「写真なんかいらないじゃん! 遊ぼうよ!」
「ヒッヒッヒ、信長くんもが怖いのかい」
「なんといいますか、今うちで一番偉いのがでして」
「なんと、出世したもんだなあ」

びしょ濡れになってヨタヨタと川から上がってきた信長にタオルを差し出しつつ、ブンじいは楽しそうに笑った。慌ててタオルで水を拭ったが、携帯は無事の模様。生活防水機能はあったはずだが、それでもまだ機種変して半年、これで壊したらに角が生え、大事な腕時計が何本か処分されてしまう。

「それじゃあ由香里さんはお役御免かな?」
「はい。自分から一線を退きたいと言い出しまして、跡継ぎにはを指名すると」
「うんうん、由香里さんも大変な時間を過ごされてきたろうから、いい頃合いじゃないか」
……そう思いますか」
……思うよ、うちは少し、遅すぎたから」

突如とその母親が同居するなどの事情もあったけれど、現在入院中のおばあちゃんが由香里のように解放されるきっかけはなかったに違いない。そうして卒婚を選択する頃には、彼女はすっかり足を悪くしていた。こんな里山も彼女はもう登れない。

ブンじいは足元にあった石をポイと川に放り込むと、少しだけ遠い目をした。

「こういうことって、なんで後で気付くんだろうなあ」
……後悔、してるんですか?」
「どうだろうな」

川の流れる涼し気な音にふたりはちょっとだけしんみりした――が、突然勢いよく顔を上げた。カズサの声が聞こえない。さっきまでキャーキャー言っていたのに。慌てて辺りを見回すも、姿がない。

「えっ、か、カズサ……?」
……あっ、信長くん、あそこ!」

ブンじいの声に信長が顔を巡らせると、カズサは少し離れた場所にある岩場のてっぺんで下を覗き込んでいた。下は見るからに深そうで、しかも上から見ている分には流れのない淀みに見える。

「え、ま、まさか」
「信長くん、ああいうところは、底の方の流れが早いんだ。見た目ほど安全じゃない」

信長はそれを聞くなり壊したらに怒られるであろう携帯を放り出して走り出した。靴も履いてなかったし濡れてしまったTシャツも脱いでいてハーフパンツ1枚だったけれど、それでもずっと誰よりも早かった足で、あらん限りの速さで駆けた。

そして岩場によじ登りながら、カズサに向かって怒鳴った。

「カズサ、やめろ! 危ないから!」
「えー、大丈夫だよ。ここの下、流れてないから」
「そう見えるけど、底の方はすごく早い流れがあるんだよ!」
……流れてないもん」

カズサが不満げな顔をして首を突き出した。面白くないらしい。

「カズサ、戻っておいで」
「オレ、出来るもん」
「それは疑ってないよ。カズサは出来る。だけど危ないんだ。カズサ、死んじゃうかもしれない」

言いながら信長は自分の言葉に血の気が引いて、掴んでいた岩から手を滑らせた。こんな強い恐怖は生まれて初めてだった。今まで生きてきて、こんな怖い思いをしたことはなかった。汗がボタボタと滴り、手が震える。どうしよう、カズサを失ったら、どうしよう。

……お父さんも子供の頃海で飛び込みやったって、言ってたじゃん」
「あれはこんなに高いところじゃないし、流れてなかったんだよ……!」
……お父さんも、お母さんみたく、何でもダメって言うんだ」
「か、カズサ……?」

やっと岩場の上に登りきった信長だが、恐怖で手足が震えてしまって、しかもカズサがじりじりと後退するので、素早く動けない。恐る恐る手を伸ばしたが、とても届かない。

「オレ、出来るのに。アマナみたいに女じゃないし、ツグミみたいな赤ちゃんでもないのに」
「そうだな、カズサは男でお兄ちゃんだ。だから、危ないことと大丈夫なことの――
「怖いのはお父さんでしょ! オレ、怖くなんかないもん!!!」

振り返り、足元を蹴って飛び上がるカズサがスローモーションに見えた。

「カズサ!!!」

瞬間、手足の震えも恐怖も全て忘れた。

信長はまた駆け出し、カズサの落ちていった淀みに向かって真っ逆さまに飛び降りた。

それを遠巻きに見ていて、心臓が何度も止まりそうになったのはブンじいである。彼にとって信長は孫婿、カズサは曾孫。自分が上の世代であることは間違いがないので、気持ちの上では今この場の責任者は自分、という意識がある。

これでふたりともただでは済まなかったら、に、そして由香里と新九郎になんと詫びればいいんだろう。いや、詫びて済む話じゃない。ふたりが上がってこなかったら、自分も飛び込むしかないかもしれない。そんな風にしか考えられなかった。

そしてカズサが飛び込み、それを追って信長も飛び込んだ時は、息をするのも忘れた。

沢で遊ぶか、なんて言わなきゃよかった。今時の若い親は何かと言うと危ない危ない、だったらどうして昔の子は死ななかったんだ。事故なんか見た試しがなかった。事故が起きるようになったのは本当に最近になってからだ。それはつまり、場所が危険だからじゃない。最近の子が軟弱だからだ。そんな風に思うばかりで、まさか自分の孫婿と曾孫がそんな危険に直面するなんて、考えたこともなかった。

目の前が霞み、の顔がぐるぐると渦巻く。

神奈川に帰りたい一心で必死に働きながら勉強に精を出し、高校生の時に願った夢の通りに清田家の嫁になった。そうして愛する夫との間に子供を授かり、由香里の後を継ぎ、幸せに暮らしているというのに。それをオレが壊した。あの子の一番大事なものを、オレが奪ってしまう。

ヨタヨタと淀みに近付いていったブンじいは、ふたりが飛び込んだ淀みがすぐに元の流れに戻っていくのを見ながら、やがて河原に膝をついた。信長もカズサも、海の近くで育った。海は慣れている。だが、海の怖さと川の怖さは種類が違う。

すると、途轍もない恐怖に絶望していたブンじいの目の前で、信長の顔が川から浮かび上がってきた。

「信長くん!!!」

ブンじいは弾かれたように飛び出して、出来る限りの速さで駆け出した。

何とか淀みから浮かび上がってきた信長はカズサを抱いたまま流れに沿って移動し、這うようにして浅瀬に乗り上げると、泣き叫ぶカズサを抱えて河原に戻り、そして力尽きてその場に倒れた。裸の胸が大きく上下し、ぜいぜい言っている。

「信長くん、大丈夫か」
「すみま、せ……
「怪我はないか、カズサくんも、無事か?」

信長は力なく頷いた。カズサは河原にぺたりと座り込んで大泣きしている。ブンじいは横たわる信長の体を検め、次にカズサの手足を確かめた。どこにも傷はないし、折れてもいないようだ。人の手が触れて安心したのか、カズサはすぐに鼻でグズグズ言うだけになった。

すると、ブンじいはそのまま平手でカズサを張り倒した。信長が飛び起きる。

「おっ、おじいちゃん!?」
「すまん信長くん。カズサ、なぜお父さんの言うことを聞かなかった!」

カズサは生まれてこの方由香里にお尻を叩かれたことがあるだけなので、痛いとか怖いとかよりも、びっくりしてポカンとしている。今一体何が起こった。

「お父さんは、色の濃いところには近付いたらいかんと言ったんじゃなかったか。なぜそれを守れない。あんな高いところから飛び降りようなんて、なぜ思った。お父さんは戻れと止めたはずだ。なぜそれも聞かなかった! お父さんがいなかったら、お前は死んでいたんだぞ!」

ブンじいは歳を重ねるごとに縮んでいて、最近では身長もくらいしかなく、ただ突っ立って喋っているくらいなら威圧感はないに等しい。特に男性と言えば背の高いのばかり見て育っているカズサは、ブンじいに対して「怖い大人」というイメージがなかった。

だがそのブンじいが新九郎よりも怖い声で叱責している。カズサの顔色が青くなっていく。

「お、オレ、出来る、もん」
「出来たけど、お父さんがいなかったらそのまま流されて死んでた」
「オレ、オレ、怖くないもん」
「あそこから飛び込んだら強い男だって言えると思ったのか? ふざけるんじゃない!」

ブンじいの声にカズサは竦み上がり、また涙目になり始めた。図星だったらしい。

「本当に強い男っていうのは、怖がってることを知られても平気な人のことを言うんだ! 怖がってビビってることをバカにされても、そこから逃げない、本当に強い男っていうのは、怖がってる自分から逃げないんだ。そういうのを強いと言うんだ! 高いところから飛び込めるからオレは強いんだなんて思ってるようなのは、強くない! お父さんとお母さんを泣かせるような男が、強いわけないだろう!」

そう言われたカズサは、まさかという顔で、父親の方を見た。お父さんは、泣いているように見えた。

……信長くん、オレがカズサくんを殴ったと、に言ってくれ」
……いえ、オレがやったと言います」
「それはダメだ。君はと足並みを揃えて一生懸命子育てしてるんだ」

だが、自身も危険なことをしでかしては新九郎からさんざん鉄拳制裁を食らって育った信長は、このブンじいの平手打ち一発を、世にいう理不尽で無意味な体罰や虐待と一緒にしたくなかった。

「いいえ、おじいちゃんがやらなかったら、オレがやってた」

信長は体を起こして膝をつくと、そう言って少しだけ嗚咽を漏らした。自分が言いたくて、しかしうまく言葉にできなかったことは全部ブンじいが言ってくれた。すると涙目でビビりまくっていたカズサは河原を這いずって来て父に飛びついた。

泣きながらごめんなさいを連呼するカズサを強く抱き締めた信長は、また手が震え出した。そして、安堵にこみ上げるものを飲み込みながら、遠い日に父を亡くしたを思い出していた。

誰かを、家族を失うかもしれないということは、こんなに怖いことだったのか。