星屑の軌跡

16

ユニコの足跡2

「借金てのは、あの子が借りたんじゃなくて、あの子の男が作ったもんだよ」

1時間後、駅前のファミリーレストランで尊と望は風俗店の店長と向かい合っていた。半白頭の店長さんは、肝臓が悪いのかなと疑ってしまいそうな顔色にごつい腕時計というわかりやすいアイテムの割に、姿勢がよく身なりも清潔で、優しげな喋り方をする人だった。

聞けばオーナーではなく、雇われ店長のようだ。

「それは会社に勤めていた当時に作ったもの、ということですか」
「そう。相手の男が誰だったかとか、そういうことは聞いてないけど」
「それで会社を辞めて店長さんのお店で働いてたんですか?」
「いや、最初はこっちが副業だったんだ。それがバレてクビ。バイト禁止だったらしい」

社会保障なんかを考えると確かにその方が自然だろうが、店長さんはくすりと笑う。

「笑っちゃったよ、なんでバレたと思う? 同じ会社の人が客で来たんだ。それでバレた。下らないよね。いくら規則だからってさ、ウチで働いてるのはダメで、客として女の子に遊んでもらうのはOKなんだよ。その客、家庭があったらしいけど、そっちはお咎めなし」

尊は胃の底がじわりと焼けるのを感じていた。気持ち悪い。家に帰りたい。

「その後はここだけで仕事をしてたんですか」
「そう。元々他人の借金だし、自己破産して、借金はチャラになったけど、そのまま」
「退社と自己破産してから妊娠するまでは……
「えーと、そんなに遠い話じゃないぞ。身軽になった途端に身重とかふざけたこと言ってたから」

一応宇宙と彼方の年齢を逆算すれば、いつ頃のことだったかは分かるはずだが、その頃にユニコが何をしていたか、という点についてはこの店長さんの記憶に頼るしかない。

「父親は……わからないんですよね」
「オレも色々聞いて回ったんだけど、わからなくてね」
「当時は相手の話とか、出なかったんですか」
「そりゃ当時はただの店の女の子と店長だもん。彼氏の子妊娠しちゃったってのは聞いたけど」

そりゃそうか。尊はちょっと視線を逸らして深く息を吸う。意識的に気を散らさないと滅入ってしまいそうだ。には心配ないと安請け合いをしたけれど、無性に家族に会いたかった。清田家のリビングで甥姪たちを抱っこして、と母の料理を食べ、ユニコのことなんか忘れたくなった。

「まあ、お店の子がデキちゃうってのはたまにあることだけど、ルナちゃ……あー、ええとユニコちゃん、はしばらく妊娠気付かなくて、つわりとかもなかったみたいで、気付いたらなんかお腹だけポコッと膨らんでくるもんだから、お店の子が病院連れてって、それで判明したんだけど、たぶんそのあとひと月もしないうちに彼氏が行方不明になったとかで」

また何だかよく聞くような話だ。ユニコは店では「ルナ」と名乗っていたらしい。ルナと言えばいくつかの言語で月のことだ。ユニコはよっぽど宇宙をイメージさせることが好きだったらしい。

「そうなったら……働けませんよね?」
「そうだね。ある程度服で隠せてるうちは良かったんだけど、双子でしょ」
「辞めなかったんですか」
「辞めるも何も、元々バイトだし、ちょっと産むまで休むね、って」
「あの、実家とか、そういうのは」
「ないない。少なくともオレたちは聞いてないし、亡くなった時も見つからなかった」

だから宇宙と彼方は施設にいたわけなのだが、尊だけでなく望も険しい顔になってきた。

「双子の出産なんて、ひとりで大丈夫だったんですか?」
「ええとね、助産施設っていうのがあって、最終的にはそこに」
「どこだかわかりますか?」
「えーとちょっと離れてたはずだけど……それまではお店の子が色々助けてたかな」

店長さんが携帯を操作している間に、尊と望はちらりと目を見交わした。よく聞くような話だけど、エグいね。ふたりともそんな顔をしていた。そりゃあ幸せで胸が一杯になるような話が飛び出してくるとは思っていなかったけれど、もうこの世にいない人の足跡を辿るのがこんなに重いものだったなんて。

「お店休んでから復帰するまでの間のことは、オレよりお店の子の方が詳しいよ」
「ご紹介頂けますか」
「うん、今連絡するからちょっと待ってね」

店長さんは携帯で「お店の子」に連絡を取ってくれたのだが、その時も優しげで、まるで彼女たちのお兄さんやお父さんのような口ぶりだった。なので慕われているのだろうか、出産前後のユニコを知っているという女性が来てくれることになった。

30分ほどして、ぶーちんを思わせるおっとりした金髪の女性が現れて、店長さんの隣に腰を掛けると、派手な爪をした手でスリムな煙草を取り出し、薔薇色の口紅のついた唇で煙を吐き出した。

「えー、ルナの元カレぇ? えー、違うの?」
「お忙しいところ申し訳ありません」
「別に忙しくないけどー。で、なんだっけ、ルナが子供産んだ時の話だっけ?」

尊はまだこういう「夜の商売の女性」というものに対して耐性があるけれど、望はそもそも大学から専門的な職に就き、その後さらに夢の実現のために海外留学していたような人である。またこの店長さんが呼び出してくれた「ユエさん」が迫力のある女性なので、おっかなびっくりだ。

「あたしは堕ろした方がいいんじゃないのって言ったんだけど、なんかドリーム入っちゃっててさ。父親にはとっくに逃げられてるし親もいないってのに、どうやって双子の子育てなんかすんだよ、って何度も説教したんだけど、なんかうっとりしながら子供の名前とか考えててさ」

ユエさんは煙草の煙とともに吐き出すように言う。それでも彼女はユニコの出産に寄り添っていたらしい。情に厚いのか厚くないのかよくわからない。

「それでなんか役所の人とかが色々教えてくれてさ、一応産んだあとは働ける店があるってことで、施設に入れてくれて、その間は生活保護だったかな。双子だったから生まれた時はちっこくてさ、しばらくケースに入ってたから、あの子の方が先に退院したんじゃなかったかな。これからどーすんのよ、双子抱えてこの子たちが大きくなるまでこの仕事続けていくつもり? って何度も言ったんだけどね」

ユニコは双子が預けられる月齢になるまで仕事仲間の女性たちから支援を受けつつ過ごし、また店に戻ったという。だが、その影でユニコに病が襲いかかっていた。

「脳腫瘍だっけー」
「そう言ってたね」
……手術なんかは」
「ていうかその前に、気付かなかったんだよね。頭にデキものデキてるって」
「倒れた時にはもう手の施しようがなかったとかで、治療費もないし、子供はいるし」
「一応入院はしたんだけどねー」
「誰が子供預かってたんだっけ?」
「それはなんか役所の人とかじゃなかった? うちらは預かってないよ」
「その病院が少し遠くて、亡くなったのもそこだったよね」
「ぐーぜんだけど、生まれた町だったはずだよ〜」

舌っ足らずなユエさんの後を引き取るようにして、店長さんは付け加える。

「最後はほとんど意識がなくて、朦朧とした状態が長く続いて、それで亡くなったって話だよ。それがせめてもの救いと言えば、そうかな。あれは誰だったのかな、なんか役所の人っぽい人から連絡来てさ、家族はいないし子供はいるし、何か心当たりないですかって」

お人好しなんだろうか、店長さんはユニコの携帯を漁って方々に尋ねてまわり、友人であれば訃報を伝え、しかし数日経っても親類縁者に行き当たらなかったので、店長とこのユエさんたちお店の従業員数人で荼毘に付した。つまり、望のバイト仲間にそれを知らせてきたのはこの店長さんだったわけだ。

「けどオレたちが出来るのはそこまで。市内にある無縁墓地に埋葬されてるよ」

するとユエさんが身を乗り出して声を潜めた。

「あたし、実はあいつが双子の父親なんじゃないかって疑ってる男知ってるんだけどさ、これでも色んな男見てきたあたしから見ても、顔はめちゃくちゃいいけど中身はゴミクズみたいなやつだからさ、もしそいつだったとしたら、あれが父親だなんて知らない方が幸せだよ」

父親の顔がいいというのは頷ける。ユニコはくっきりはっきりした濃いめ美人、というよりは、平坦で淡白ないわゆる「弥生顔」な女性だった。その割に宇宙と彼方は目鼻立ちがはっきりしていて、睫毛が長く、女の子のような顔をしている。尊もそういう系統の顔だ。好みだったのかもしれない。

……実は、ユニコさんが、子供たちに僕を父親だと教え込ませていたらしくて」
「へえー。あたしはそういうの聞いてないけど、あの子はあるかもねえ、そういうの」
「心当たり、ありますか」
「思い込みが激しいっていうのかなあ、あれって。妄想が現実になっちゃうの」

揃って首を傾げた尊と望だったが、ユエさんも首を傾げている。

「例えばあ、あたしが服を貸したげるとするでしょ。ルナがこの服超かわいい、気に入ったっていうから貸すんだけど、しばらくすると、なんでか自分で買ったことになってんの」

ユエさんの横で店長の頭がカクリと落ちる。よくあることだったのだろうか。

「ふざけんな返せって言うんだけど、なんかね、もうその時にはあの子の頭の中では『この服は自分が気に入って買ったもの』になっちゃってて、あたしの服だったこと、あたしから借りたことを忘れてるんだよね。で、あたしがあの子の服を奪おうとしてるって話になっちゃうの」

宇宙と彼方に尊を父親だと言い聞かせたのは、そういう病的な虚言癖から来るものだったのだろうか。少なくとも双子の父親と関係があった時には尊が自分の恋人だとは思っていなかっただろうに、どこでそんなことを言い出すようになったのか。

「どうもねえ、あの子親戚の家で育ったらしいんだよね。だけどたぶんよ、たぶんだけど、そこでいい思いしなかったんじゃないかな。それで本当の自分はこんなんじゃないって思い込んでた気がする。最初店で働き始めたときなんか、しばらく東京の話ばっかりだったもん。東京のカフェだかなんだかでバイトしてたから何だっつーの、ってよく思ってた」

その東京のカフェが望と一緒にアルバイトしていた店である。

「ねえ、なんで東京のそのカフェやめたの?」
「ええと、私の方が先に就職してしまったので……
「ふーん、でもま、今時東京でバイトだけで暮らしていけるもん? 厳しくない?」

ユエさんの読みは遠からずだ。アルバイトだけで東京に住みおしゃれな服を着ておしゃれな街のおしゃれな家に住むのは相当厳しい。

「でもね、そういう風に思い込み激しい子だから、逆に幸せそうなところあったよ」
「えっ、どういう……
「自分の置かれてる状況が見えてないっていうのかな。ふつーそんなんキレたくなるじゃん」
「双子の父親に逃げられて、身寄りもないってことですか」
「そう。でもなんかあの子はずっとキラキラしてたんだよね〜」

店長さんも頷く。風俗店で働き始めた頃のユニコは、そういう人物になっていたらしい。

……オレの目から見ると、少し自分に酔ってたようなところがあったね」
「あー、そういう感じー」
「何か、彼女の中で『誰かを演じてる』みたいなのが、見え隠れしてた」

その中に、尊がいたんだろうか。ユニコの頭の中には、尊という双子の父親が存在したのだろうか。

「ていうかそっちの話ほとんど聞いてないんだけど、何、双子どうかしたの?」
「今、うちにいるんです」
「なんでよ? 神奈川だっけ? なんでまたそんなところに」
……それを、探したくて」

ユエさんはしかめっ面で鼻から煙を垂れ流していたが、また身を乗り出すと尊をひたと見つめた。

「あんた、いい男だね。しかも、そんな顔してあんまり女泣かせてないでしょ。何もしなくても女を幸せにしちゃうタイプなんじゃない? だけど、ルナみたいなのは無理だったでしょ。ルナはあんたみたいなの好きだろうけど、それはしょうがない。わかる。あんたは悪くないよ」

そして、ユエさんはゆったりと微笑んだ。

「そんなの無理って思うかもだけど、気にしないで。もう、終わったことだから」

ユニコが双子を産み落とした助産施設、入院していたという病院、そして双子が預けられたという養護施設。その3つの所在地を聞き出して、尊と望は店長さんたちと別れた。

……もう帰る?」
「でも、双子のいた施設には行かなきゃ。コスモのこと、何も分かってないし」

望が肩を落として弱音を吐いたのも無理はない。どこかで聞いたような話だが、その中心にいるユニコ、望は記憶が鮮明だろうし、尊はその子供である宇宙と彼方の顔が浮かんで仕方ない。それはやけに重くて、背中にぺたっと張り付いてしまって剥がれない。

「一緒にバイトしてた時も、あんな感じの子だった?」
「ごめん、そこまで親しくなかった」
「じゃあ普通の子に見えてた?」
「普通の子っていうか、ええとその、うーん」

望は肩を落として歩きながら、しかしハーッと強く息を吐くと、顔を上げた。

「うん、いかにも東京に憧れて無計画に地方から出てきてバイトしてる子だなって、思ってた。私はその頃学生で将来のために学びながら小遣い稼ぎにバイトしてて、こいつ人生ナメてんのかなって、思ってたよ。バカにしてた。それは認める。対等に思われたくない、自分の方が上だと思ってたよ」

隠しても仕方ない。そんな口ぶりだった。尊はつい望の頭を撫でると、手を繋いだ。

「別にブサイクってわけじゃないし、色白で肌きれいでエロい感じのある子だったし、うまく男が引っかかればいいけどね〜なんて思ってたけど、どうだったのかな。だけど仕事紹介されて地元近くに戻ったってことは、いい相手、いなかったんだろうね。あんたみたいな」

望は笑っているが、目と眉は下がりっぱなしだ。同じ女性ではもっとしんどいだろうなと尊は考えつつ、しかし例えば自分のようなユニコにとって完璧な相手がいたのだとしても、ユニコの「目的」を満たすことは出来なかったんじゃないだろうかと、思った。

彼女の目的は、彼女が本当の自分の姿だと夢見たものは、所詮彼女の頭の中にしかないもので、それらがひとつ残らず現実となって現れでもしない限り、満たされることはなかったんじゃないだろうか。

尊はこの時初めて、ユニコに親近感らしきものを覚えた。

決して満たされることのない欲求、自分の頭の中にしかない世界、それとはかけ離れた現実。

求めれば求めるほど理想は肥大して、ひとつ願いが叶えばそれでよかったはずなのに、気付いたら全知全能の神にでもならなければ満足できなくなっている。現実はそれに比例するように、汚く、意地悪で、何もかも思い通りに行かない。

だけど、オレには家族がいたから。だからユニコにならなくて済んでる。

望と手を繋いで歩きながら、尊は心だけで自宅に舞い戻った。

尻尾を振って犬たちが飛びついてくる。リビングに入ると家族が揃っていて「おかえり」と声をかけてくれる。可愛い甥っ子姪っ子、父がいて、兄がいて、ウサコがいる。弟が後ろから顔を出す。キッチンでは母とエンジュとが料理を作っている。

そこにさえいれば、満たされない心を抱えていても生きていかれる。そんな気がしていた。

だからそれは、「固定のパートナー」なんかより、よっぽど大事にしたいものだった。

原初の「目的」、尊は今それに還ろうとしていた。