星屑の軌跡

13

罠にかかった信長2

おそらく、沢嶋さんが噂を耳にしてからに連絡を寄越すまでには最低でも1日以上の時間がかかっているはずだが、ともあれそれからまた2日後、本人の預かり知らぬところで進行中だった信長の不倫疑惑は急展開を見せることになる。

昨今かつての巨大掲示板より始末が悪いかもしれない、毎度お馴染みSNSである。

地方のホテルの前で妙見さんの肩を抱く清田信長――という画像が突然現れて、ファン界隈に一瞬で拡散された。ちょうどお昼頃のことだったので、とにかく早かった。また本人は気付かないまま愛妻弁当を食べていたのだが、その間にゲス野郎にされていた。

さらに本人が午後も仕事に勤しんでいる間にゲス画像は拡散、清田家に縁が深い人々の間で最初にそれに遭遇したのは、ぶーちんだった。何も知らないぶーちんは泡を食って尊に通報、沢嶋さん同様信じられない尊はひとまず頼朝に連絡、そこからウサコ、セイラちゃんとリレーしてやっとに届いた。

だが、セイラちゃんを盾にウサコが恐る恐る話してみると、は全部承知していた。

なのでまた連絡網を逆に辿って嫁把握済みの連絡を受けたぶーちんは、慌てて飛んできた。そこでから事情を聞くと安心はしたようだったが、それでも拡散されていた画像で信長が妙見さんの肩に手を置いているのは事実なので、「今すぐしばきたい」と鼻息が荒かった。

あまり聞かせたくない話だがそうもいかなくなってきたので由香里にも説明をし、その話をしていたら新九郎とだぁが帰ってきたのでまた説明し、とにかく本人不在の清田家では不倫疑惑の話でもちきりだった。そこへ疲れて帰ってきたご本人登場。

「泣きたい」
「ほんとに潔白なんでしょうね?」
「お母さんはオレの結婚以来一体息子の何を見てたんでしょうか」

追ってエンジュも帰宅したのでリビングは尊だけいないという状況だが、全員信長が不倫をしていたなど欠片も思っていない。誰が画策したのか知らんが、設定に無理がありすぎる。

「この画像、加工されたのか?」
「いや、これはたぶん……一昨年くらいのものだと思う。地方って言ってもそう遠くない」

不自然に拡大されてぼやけている画像を見ながら、信長は目を細めた。

「で、確かにこれはオレたちが泊まったホテルだけど、この時は他にも人がいて」
「拡大されて見えないだけか?」
「そのはず。で、なんで肩に手を置いてるかと言うと、妙見さんが仕事でミスって、珍しく」

信長いわく、やけに妙見さんが落ち込んでいたので、みんなで飲みに出て彼女を励ましたのだという。なので信長が肩に手を置いているのは「ドンマイ!」という励ましの肩ポンであり、この時一緒にいたスタッフは全員同じことをしていたという。

すると、横から画像を覗き込んできたエンジュがぼそりと呟いた。

「これ、写真画像じゃなくて、動画の静止画面のスクショだったりしない?」

機械関係に疎い新九郎と由香里はポカンとしているが、信長たちは揃って「あー」と声を上げた。

「それだったらこんな風にいかにも肩を抱いてそうな一瞬だけ切り抜くのも簡単な気がする」
「ありそうだな」

しかめっ面で頷いた頼朝はしかし、どうにもこの画像には作為的なものを感じると言い出した。

「動画から切り抜いたにせよ、こんなに荒いのに左手の指輪がくっきりしすぎてる」
「不倫を想起させる演出としてはこれ以上ない瞬間だよね」
「動画からそれらしき瞬間を切り取った上でさらに加工を施したか」

信長は帰宅して初めてこの件を聞かされたので、チームは何ひとつ把握ができていないし、に情報をもたらしたのは沢嶋さんだし、ぶーちんはSNSで通りすがり的に出会っただけ。さあどうしよう。

「妙見さん大丈夫?」
「それが、連絡取れないんだよ」
「他の広報の人は?」
「今ふたり夏休み入ってて連絡取れない、もうひとりもまだ連絡取れない」

オフィシャルがこれではどんどん対応が後手に回ってしまう。だが、上層部とも連絡が取れなくて、信長はソファの背もたれに仰け反って呻いた。引退した身ながらローカル局のスポーツ番組に出ていて露出が多いというのに。ちびっこ教室にもよく出ているのに。

のみならず、彼には「家庭的で愛妻家で子煩悩」という現代における最強のアビリティがあった。個人的な知名度が県の範囲を出ないので扱い自体は大きくなかったけれど、男性の育児だとか、子供のいる女性の社会的地位の問題、またはDVなど女性や子供への暴力、そういった問題のシンポジウムなどには度々依頼を受けて参加してきた。

直近で言えばそのローカル局が地元企業とタイアップした「パパの子育て」キャンペーンでは、なんと5パターンあるポスターのうちひとつでモデルを務めた。それが、こともあろうに不倫疑惑。最悪だ。

「んふふ〜オレそのうち無職になるかもしんない〜」
「ちょ、ちょっと冗談でしょ。なんでしてもいないことで」
「エンジュ、オレもう疲れた。養って」
「人をパトラッシュみたいに言うな」

だが、この世は全てイメージと思い込みなのである。上層部とも妙見さんとも連絡が取れないままの信長は最終的に、部屋で本当に泣き出した。あまりにもむごい。つい先日も妻であるに二度目の恋をしたばかりだと言うのに、よりにもよって不倫疑惑。

しかも翌日は休日の予定だった。さあどうしよう。

ほとんど眠れないまま朝を迎えた信長は、落ち込み深夜テンションで「チームをクビになったら、ほとぼりを冷ますために1年間だけエンジュに養ってもらって、そのあと尊に借金をしてドッグカフェをやろう」というところまで飛躍してしまっていた。

すると、枕元の携帯が喚き立てた。寝床を這い出し、信長部屋のリビングスペースへ移動して確認すると、沢嶋さんだった。

「沢嶋さ〜ん」
「朝早くにすまん」
「さ〜わ〜じ〜ま〜さ〜ん、オレもうやだ〜」
「落ち着け信長、緊急。ちゃんとふたりでオフィスまで来られるか」
「はい? も、ですか」

電話の向こうはしんと静まり返っていたけれど、沢嶋さんの声は小さく、そして低く響いた。

「犯人、わかったんだ。妙見だった」

まだ子供たちももぐっすり眠っていた清田家の朝5時半に、信長の絶叫が響き渡った。

緊急事態なのでまずはぶーちんが呼ばれた。次に、四郎さんとその奥さんも呼ばれた。この家で今、を欠くということはこれだけの「穴埋め」が必要だということの裏返しでもあるのだが、まあ夏休みで子供が増員している事情もあって、とにかくまずは人手の確保が最優先だった。

誰彼構わず家の中に引っ張り込みたがる新九郎と由香里だったけれど、が嫁に来てカズサ以降孫世代が増えるに従い、その癖はほぼなくなっていた。頼朝は元々防犯の点から無闇矢鱈と他人を家の中に入れることを問題視していて、しかしこの日だけはそれが仇になった。

ともあれぶーちんと四郎さんの奥さんという応援を得て、信長とは揃ってスーツを着込み、お偉方と話をしなければならないと言うので、頼朝の車を借りてチームの事務局まで出かけていった。

信長の職場でもある事務局に到着すると、沢嶋さんの姿があった。

「沢嶋さん……!」
ちゃん、ほんとに久しぶり。急にごめん」
「なんで沢嶋さんが謝るんですか。お会いできて嬉しいです」

久々の再会なのでつい手を取り合った沢嶋さんも軽くスーツ姿だ。

「沢嶋さん、妙見さんが犯人てどういうことですか」
「正確には、妙見とその後輩が犯人ということになるけど」
「まあ、そうでないとあの画像、撮影できないですもんね……

すると事務局の応接間から監督が顔を出して、3人に入るように促した。中にはオーナーとチームの代表と協会のスタッフが待っていて、信長はもちろん、も緊張して口が乾いてきた。だが、オーナーと代表はふたりを迎えるなり申し訳なかったと言って頭を下げてきた。

特にに対して、夫に事実無根の不貞疑惑がかかってしまったことで奥様には不愉快な思いをさせたことだろう、と余計に謝罪をしてきた。そしてさらに、今回の件から犯人が妙見であるとの糸口を掴めたのはの存在があったからだとして、礼も言ってきた。

問題を起こしたとしてお叱りを受けるものだとばかり思っていた信長とはポカンとしていた。

また、画像が拡散されてしまってから24時間経たずに妙見さんまで辿り着いたのは、沢嶋さんが動いてのことだったらしい。信長とは慌てて沢嶋さんに頭を下げた。

「彼女は当然のことながら、チームの関係者は全員、沢嶋くんが清田くんの奥さんと親しいなんて知らなかったですからね。結果的にはそれが功を奏したんですよ」

彼女、とは妙見さんのことだろうか。チームの代表は少し身を乗り出してふたりに話しかける。

無理もない、沢嶋さんがと親しいということをオープンにするとなると、沢嶋さんの隠されたプロフィールをさらけ出すことにもなってしまう。それでなくともと沢嶋さんの「親しさ」というのは、結婚前ならのアパートに沢嶋さんがひとりで遊びに来ていたレベルである。

「あの……妙見さんはなんでこんなこと」
「その前に、彼女は今、家宅捜索を受けていて、逮捕の方向です」
「え!?」
「この件以外にも、盗撮や脅迫をしていたらしいんです」
「えっ、きょ、脅迫!?」

当然この件で「今突然信長がしてもいない不倫疑惑をかけられるのは怪しい」と最初に考え、を案じるあまり行動を起こしたのは沢嶋さんである。沢嶋さんに根も葉もない噂を持ってきた元チームメイトたちも、彼とが親しいなんて知らない。気軽なゴシップのつもりだったかもしれない。

一方で沢嶋さんという人は、本当の自分を隠したいあまり、公の場での「キャラクター」をがっちり作り込み、それをもう20年以上演じる上で「何についても疑われない人物」を徹底してきた。沢嶋は嘘つかない、沢嶋なら信用できる、沢嶋が言うなら本当だろう。そういう人であり続けた。

なので沢嶋さんが噂を持ってきた元チームメイトを足がかりに、ありとあらゆるつてを辿っていったら、まだ彼が現役の頃に自主退社をしてしまったスタッフへ行き着いた。彼も元選手。最初は警戒が解けなかった彼だが、信長の話を聞くと、会いたいと言ってきた。

「彼も被害者でした。妙見に金品その他を要求された上での自主退社だったそうです」
「ただし、彼は現役の頃に本当に未成年と度々猥褻行為に及んでいました」
「それまで親しかったのに、結婚した途端に嫁にバラすと脅迫されたらしくて」

出てくる話が全部エグいので、信長とはつい俯いた。だが、それが今信長に一番近いスタッフである妙見による脅迫だったと知った沢嶋さんは、そのまま代表にアポを取り、昨夜、盗聴器などの有無を調べる業者を呼んだ。代表は懐疑的だったが、大当たり。

「事務所はもちろん、彼女が入れる場所には盗聴器だけでなくて、小型カメラもありました」
……その時点で通報、警察に入ってもらったんだけど、お前の写真の件がな」
「そしたら学生時代の後輩が共犯だったことが、今朝方判明したんです」

なので早朝から沢嶋さんは信長に連絡を入れてきたというわけだ。一睡もしていないらしい。

……もちろん事情聴取はこれからだし、今我々が把握しているのは、あくまでも妙見とその後輩を知る人物の話や、捜査関係者との非公式な会話でしかないんだけど、どうやら妙見とその後輩は学生時代から共依存関係にあったようで、つい数年前までは同居もしていたらしい」

後輩の方は県内の福祉関係の施設で働いていて、そこではずっとウェブ担当も兼任していたらしく、例の画像の加工くらいなら充分可能だという話だった。そうやってふたりで組んで、他人のプライバシーを覗いては、脅迫のネタになる「後ろめたい事実」を探していたらしい。

「じゃあ、『捏造』は、今回が初めてなんですか?」
「そうなんだ。しかも個人的な脅迫ではなくて、社会的に陥れようとした」
……清田くん、妙見は『弁当がムカついた』と、言ってるらしいんだけど」

信長との顔色がサッと青くなった。弁当って、嘘だろ……

心当たりがあるかと尋ねられた信長は、もう目の前にいるのがオーナーと代表と監督であることも忘れて頭をガックリと落とし、片手で抱え込んだ。

……先日から私が夏バテ気味だったので、妻が、昼食を、弁当にしたらどうかと言って」
「自慢でもしたのかい?」
「いいえ、確かにちょっとからかわれましたけど、他の家族と一緒に詰めたものだとしか」

だが、信長はのろのろと顔を上げると、虚ろな目で空を見つめた。

……でも、弁当を持ってきたのは、その時が初めてでした。広報に転属になってから昼は毎日外食か買って済ませてました。妻はその、忙しいので、弁当を頼むという発想がなくて」

すると代表の携帯が鳴り、警察から連絡が入った。ひとまず事務所に仕掛けられていた盗聴器と隠しカメラのデータは事務所のネット回線を通じて容疑者の自宅パソコンに転送されていて、その内容の確認が終わったので今から逮捕ですという内容だったらしい。

「今後のことはまた改めて考えましょう。ひとまずチームの公式アカウントから清田くんの件は事実無根の捏造された噂であること、その犯人が逮捕されたことをアナウンスします。それから、局は君の件で問い合わせが殺到してたにも関わらず、報道を止めておいてくれたそうだよ。これで君が被害者であることが判明したので、夕方のワイドショーでそっちを報道するそうだ」

とはいえ事務局内のスタッフによる犯行なので、組織の管理体制に対する謗りは免れまい。少し疲れた顔をしているオーナーたちは、そう言うと警察に行くと言って席を外れた。監督は元々日本代表だった経験を持つ人なので、個人のSNSアカウントで事情説明をするつもりだと言って応接間を出ていった。

「何年も体鍛えてまでマスコットと乱闘してきた甲斐があったな、信長」
「あ、あの、沢嶋さんもありがとうございました。例の話、に聞きました」
「まったく、妙見のせいでオーナーと代表にまでカミングアウトする羽目になったよ」
「え!? だ、大丈夫だったんですか?」

なんでそうなる!? と飛び上がった信長とだったが、沢嶋さんはいつも通りの優しげな笑顔で首を傾げた。元はと言えば誰にも明かしたくないという人だったはずなのに。

「それが、夜中に呼び出された代表がものすごく不機嫌で、オレがあんまり騒ぐもんだからちゃんとの関係を疑われたんだ。それで、つい言っちゃった」

だが、そこで話は急カーブを描いて曲がる。

「元々外国人選手だとゲイを公表してる人もいるだろ。そういう場合の生活サポートとか、あとはお前のやってるちびっこ教室も男女混合にしたいらしくて、組織の意志としてジェンダーフリー推進の方向で考えてるらしいんだ。それに……広報、欠員が、出たろ」

うんうんと頷くばかりだった信長とは、そこで目を見開いた。まさか。

「今の職場を退職次第、オレも広報課だ。よろしくな、先輩!」
「まじですか!!!」

正直、沢嶋さんが退職するまでを考えるとキツいが、それでも彼が戻ってきてくれるのは心強い。信長とはテンションが上って事務局廊下で声を上げてはしゃぎ、ふたり揃って沢嶋さんに抱きついた。これなら「またいずれ」は遠い話ではないかもしれない。

「ええと、だからその、そのうち、彼氏も紹介させて欲しい」
「えっえっ、そんな、私たち、いいんですか」
「頼む、彼氏ですって堂々と言える人がいないんだよ。一度でいいからそういう話、したい」
「なんすか惚気すか、マジすか、そんなのいつでもオッケーすよ!」

朝っぱらから3人が廊下できゃーきゃー騒いでいる頃、監督の一報と、代表が出したチームの公式アカウントから正式に、清田信長の不倫疑惑は悪意を持って仕組まれたものであったとの発表がなされた。

それらも瞬く間に拡散されて、しかし無責任なもので、疑惑に沸いた界隈では「やっぱりね、変だと思った」という「最初から信じてなかった」人々で溢れかえることとなった。

その後、疑惑の段階で噂に取り合わずに真相を待ってくれたローカル局の報道に感謝の意味を込めて、信長とは番組のアカウントに写真付きでコメントを寄せることになった。の顔は番組のロゴマークで覆い隠されたが、ふたりで手を繋いでピースサインをしているという、信長の「家庭的・愛妻家・子煩悩」を再度強くアピールするものであった。

そして、信長が長く関わっているちびっこ教室は、沢嶋さんの参加を機に男女どちらでも参加が可能になり、7歳までは練習も混合、男子の「くん」付け、女子の「ちゃん」付けを禁じ、保護者の方に事前に許可を取った上で、全員名前を呼び捨てることになった。

これにへそを曲げたのは、カズサひとりだったという。