星屑の軌跡

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スターダスト3

宇宙と彼方を養子にする手続きについては、例によって寿里の件の時にお世話になった頼朝の後輩だという弁護士にサポートを依頼し、漏れのないよう進めていった。尊は独身なので、例の特別養子縁組ではなく、ただの養子縁組だ。双子の戸籍から天道由仁子の名が消えることはない。

この報せを受けてあからさまに喜んだのは児相の職員さんであった。

「清田さんに押し付けるつもりはもちろんありません。ですが、ああした環境に置かれた子供にとって、清田さんのお宅が望みうる限り最良のおうちだと思うのは変わりません。経済的な問題ではありませんよ。みなさんが宇宙くんと彼方くんをお任せするのにこれ以上ない方々だからです」

職員さんは、それは清田さんのお宅に生まれ育ったお子さんたちを見れば明白です、と言って笑った。それはもちろんカズサたちのことを指してのことだっただろうが、電話を受けていたは、三兄弟、ひいては新九郎のことでもあるな、と思っていた。

その上、ユニコの地元の児相の職員さんと保健師さんがわざわざ清田家までやって来て尊とにペコペコと頭を下げていた。

「もうそれくらいに……
「いえ、まだあります。天道さんのお宅から荷物を預かってきました」
「えっ?」
「助かります、じゃあこれ荷物です、と衣装ケースが3つほど」

ふたりはそれを車に積んで神奈川までやって来てくれたようだ。今度は尊とがペコペコ頭を下げた。しかし天道家においては、本当にユニコとその子供は厄介者扱いだったようだ。

「私たちも職業柄色んなケースに遭遇します。もっと悲惨なケースも目の当たりにしてきました。そう言う意味では宇宙くんと彼方くんは平和な方だったかもしれません。でも、疎まれて育つより、信頼できる方と一緒に生活できる以上に良い結末はないでしょう。それはやっぱり嬉しいです」

だが、依然コスモの方の古杉家は彼女を引き取りに来る気配がなく、合間を縫って連絡を続けているが、のらりくらりとはぐらかされてしまうと言っていた。

「そちらも進展があればすぐにご連絡します。それまでどうぞよろしくお願いします」

半分くらいプライベートみたいなものだから……と遠慮していたふたりだったが、まあ清田家に足を踏み入れてただで帰れるはずもない。折返し車だと言うので酒は出なかったが、あれ食えこれ食えの料理攻めにあったふたりは「今日は夕飯いらない」と言いながら帰っていった。

そんな中、尊は頼朝が結婚したときのように、退院してくるとすぐにベッドを大きなものに取り替え、抜糸が済んでからはふたりを両脇に置いて休むようになった。双子もパパと一緒に寝られるのが嬉しいので、少し尊の帰りが遅くなっても、自主的にベッドで待機するほど。

さらに、本人たちが居心地悪そうになり始めるまでは同室でいい、と部屋の中の改造を始め、まずは部屋の一角に小さな机をふたつ作り付け、おもちゃや絵本をまとめて置けるようにした。その机の前の壁には、1枚写真が飾ってある。ユニコだ。

天道家が投げて寄越した衣装ケースの中には、僅かに残ったユニコの私物が紛れていた。その中に、恐らく望とアルバイトをしていた頃と思しき1枚の写真が出てきた。ひとりで写っていて、白っぽいふわふわした服を着て微笑んでいる。背景からしてテーマパークのようだ。

尊はそれを見つけると壁に飾り、双子には「ママにおはようって言おう」だとか「ママにおやすみしておいで」などと言うようになった。ふたりはもちろんよく知った母親の顔なので、素直にそれに従っている。死というものを理解しづらい年齢なので、やがてふたりは母親のことを聞かれると「天国」と即答するようになり、しかしそれは「良いところにいる」という認識になったようだった。

改めて届いた荷物を尊が片付けていると、中から自分の写真が数枚出てきた。

「元カノさんのところから持ち出したもの?」
「ピンの穴が開いてるから、そうだろうね。コルクボードにたくさん貼ってあったんだって」

ということは写真は当然望とのツーショットだったはずだが、不自然に切り取られて尊だけの写真になっていた。これを見せて宇宙と彼方に父親だと刷り込んでいたんだろう。ゴミがあるなら、とビニール袋を片手に手伝いに来たは衣装ケースの傍らにしゃがんで写真を覗き込んでいる。

しかし、双子の父親を始め、借金を背負ってしまう原因になった相手だとか、東京にいる間の友人だとか、ユニコにもそれなりに交友関係があったはずだが、それらの痕跡はまったくなかった。残っていたのは尊の写真数枚と、好きなアーティストの古いCD、使いかけの化粧品、マグカップ、シュシュ、そんな程度だった。彼女の気持ちを知る手がかりになるものは残っていない。

……、オレ、ユニコを見つけたかもしれない」

尊は自分専用の小さな机をもらって大喜びの双子を眺めながら、少し微笑んだ。

「あの子たちの母親。ただそれだけ。親戚とうまくいかなかった女の子も、東京に出てきて元カノとバイトしてた女の子も、風俗嬢も、もうどこにもいなくて、宇宙と彼方の母親という存在があるだけ。だけどそこにユニコがいるんだよ」

もう二度と喋らず、動かず、写真の中で微笑むだけの、姿形だけのユニコ。

「オレはユニコとは夫婦にはならないし彼女のことを好きとは思えないけど、オレの子供たちの母親だと思うことは出来る。例えは悪いと思うけど、子犬をもらうことになったお宅の人みたいな感じ」

最近その「子犬をもらったお宅の人」と息子が仲良しであるは思わず吹き出した。確かに、そんな感じかもしれない。ユニコが双子の母親であることは覆らないし、それをふたりの記憶の中から消してしまいたいわけじゃない。母親のことは忘れないでほしいと思う。

……いつか、話すの?」
「本人たちが望めばもちろん全て話すよ。だけどそれまでは天国のままでいい」

尊は衣装ケースの中に残ったユニコの私物を全てビニール袋の中に流し込むと、ウッドデッキのベランダに古びた衣装ケースを追い出し、そして宇宙と彼方を呼び寄せるとぎゅっと抱き締めて交互に頬にキスをする。ふたりはきゃーきゃー言ってはしゃぎ、尊も嬉しそうだ。

「彼女さんたちに全員連絡するの大変だね」
「えっ、なんで?」
「だって、いきなりふたりも養子」
「この間SNSに書いておいたから連絡は別に」
「えっ、別れなくていいの」
「半分くらい逃げていったかな?」
「残り半分はいいのか」

呆れてまた吹き出したに、尊はニヤリと笑ってみせる。

「一緒に遊びたいって子もいたし、ま、みんな『セフレでいいよ!』って言ってくれたからさ!」

はゴフッとむせて、しかし尊とその彼女ならそんなものだろうと納得して部屋を出た。後日、尊のSNSを覗いてみたら、後ろ姿の双子の写真とともに、「亡くなった友人の子を引き取ることになりました。今日からパパです」と短い文が添えられていた。

コメント欄に目を走らせると、地元の友人と思しき人々の「義妹に頭下げとけよ」とか「義妹の小遣いは継続しろ」とかいう書き込みが真っ先に目に入って、は音を立てて吹き出した。みんなよく知ってるね。実際、双子の養育費のために削られるのはの小遣いではなく尊の遊興費だ。

さらに読み進めていくと、彼女さん、元カノさんたちがそれぞれに祝福と応援の言葉を寄せていた。

血の繋がりが全てではないから、双子ちゃんと仲良くね。義妹ちゃん大変ならいつでも声かけてね。うちの子のお下がりもらってくれない? 私小学生向けの学習塾やってるから大きくなったらいつでもおいで。困ったことがあったら、何でも言いなよ――

それらを眺めながら、はつい目頭が熱くなった。自分がそんな言葉をかけられているような気がしてきてしまったからだ。それほど事情を知る人々はみなを気遣ってくれていた。

本物の尊というものは、ただひたすら父と母を独占したがり、愛されることを渇望しただけの存在だったのかもしれない。だが、にはこの友人や彼女元カノさんたちの言葉こそが尊を何より象徴するものなのではないかと思えた。

遠い日のぶーちんの言葉が蘇る。みこっちゃんはね、愛してくれる人を愛してるだけなの。あたしたちとは、愛の大きさが違うだけなの――

双子とじゃれあって目尻を下げている尊、そのあまりに幸せそうな、いっそうっとりしたような表情、それは遠い日に尊を兄として慕える妹になりたいと願ったが、何より見たかったものだった。尊がそんな表情を出せる相手がいればと願った。

それは女性ではなく、宇宙と彼方だったのである。

「想像とは違ったけど、なんか幸せそうなみこっちゃん見たら気が抜けたよ」
「だぁはなんでまたあんなに涙もろくなっちゃってんの」
「年でしょ。昨日もドラマで生き別れた親子みたいなシーン出てきて突然号泣」
「今朝なんか宇宙と彼方見ると泣くから見たくないとか言い出して」

元々清田家にはしょっちゅう来ているぶーちんだが、この夏はほぼ毎日やって来てはを手伝ってくれている。今も夫に遅れること3時間ほどでのんびりやって来て、と喋りながら餃子を包んでいる。ぶーちんは自分の家ではほとんど家事をやらないが、なぜか清田家ではやる。

ちなみに清田家の餃子は餡が少なめで小ぶり、しかも餃子の時は常備菜以外は特に用意をせずひたすら餃子だけを食べる習慣がある。なおかつ今日はぶーちんとだぁがいるので、ふたりが包んでいる餃子の数は250個。将来的には食べ盛りの男の子が5人に増える予定なので、はその頃になったら餃子は作らないと決めている。

「あんまり伝わらないと思うんだけど、みこっちゃんてものすごく優しい子なんだよね」
……最近そうだなって思ってきた」
「ほんと〜? がわかっててくれるならいいや」
「えっ?」
「だって、みこっちゃんたぶんこれ、一生結婚しないよ」

まあ、宇宙と彼方を養子にしなくても結婚はなかったと思うが、は頷く。

「別に嫁代わりになってみこっちゃんの面倒みてねって言いたいわけじゃないんだけど、宇宙と彼方のママはそのユニコちゃんだとしても、結局母親的なことをやるのはってことになると思うから。それもあと1年とか2年だけやればオッケーってわけじゃなくて、ずっと続くことだから、みこっちゃんのこと、そういう風に思ってくれてたら、あたしは安心だなあって思ってさ」

妹が生まれるまでカズサが大変なママっ子だったことを除けば、現在清田家の子供たちは尊のように親に甘えることに執着があるタイプがいない。だからこそは寿里や双子も自分の子供のように愛していかれると思うわけなのだが――

「私はさ、神奈川に戻ってくる頃には、みこっさんと家族になりたいって、思ってたから」
「ノブのお嫁ちゃんがそういう人でよかったあ、って、あたしも思ってたよ」

ぶーちんとだぁはほぼ親族みたいなものだが、このふたりの気持ちの礎はやはり親友である尊への思いだ。彼を思えばこそ清田家にも支援をするし、仲良く付き合っているし、彼を大事に思ってくれる人を大事にしたいと思う。その筆頭がということになろう。

「あたしはどーしても夢見る夢子ちゃんだから、みこっちゃんにも大好きなお嫁ちゃんが現れてほしいって思ってたけど、双子と遊んでるみこっちゃん見たら、なんかそういうのどっか行っちゃった。だぁもそれでつい泣けてくるんだと思うな。みこっちゃんが幸せなのが、嬉しくて」

もずっと願っていたのだ。

誰かに愛されたいあまり、どれだけ愛を食っても満たされない体になってしまった尊が、こんな風にすぐそばにある愛に気付いて、そして満たされる日が来ることを強く願った。尊の欲したものは、いつでもすぐそばにあったのだ。そしてそれは、きっと永遠に変わらないものであるはずだ。

尊の欲するものは、もうずっと彼を取り巻いている。

私もそのひとりだからね、みこっさん――

尊の顔に傷が残るという事故を経て、この夏の清田家異常事態は終息に向かうか――と思いきや、大人たちがすっかり忘れている大変な問題がまだひとつ残っていた。

そう、コスモである。

やたらと知能が高いのはいいけれど、反面、初日にブチ切れたり、そもそもは双子の持っていた尊の年賀状を見て逃亡計画を練るなど、どこか突拍子もなくて不安定なところがあった。なので双子が尊の養子となることは、彼女の耳には入らないようにしていた。

なぜなら、コスモこそ真に「何の関係もない他人」だったからである。

宇宙と彼方はまだ尊と関わりがあったけれど、コスモはその近所に住んでいただけの子供である。一応は養親がいて、住む家もあり、通っていた学校もある。彼女はそこに帰らなければならない。

だがそれをどう平和的に伝えたものか。

あれこれ言い訳を並べ立ててみても、結局彼女に伝わる情報は「宇宙と彼方はこの家に残るけど君は帰りなさい」になってしまうからである。そんなことのために逃亡計画を立てたわけではなかろうし、自分だけ追い返されると聞いた彼女がどうなるかと思うと、うまい言葉が見つからない。

本人は何も言わないけれど、古杉の家は一般的な分譲住宅で、そこに大叔母と、その夫と、3人で暮らしていたらしい。向こうの児相の職員さんたちの話では、普通のお宅に見えても子供がいる家には見えなかったし、老夫婦が親身になってコスモの面倒を見ているようには見えなかったそうだ。

そこでひとり過ごしていたコスモの目に、この清田家は一体どんな風に映っただろうか。

大人数で住んでいるからとはいえ、あまりに大きな、そしてリフォームからそれほど経っていないのできれいな家。子供が楽しそうに遊び、それをたくさんの大人が可愛がっている家。ご飯は朝昼晩とたくさんのお料理が出てくる。どれだけ食べてもなくならないので、好きなだけ食べられる。

その上お風呂は3つもあって、浴槽はコスモが足を伸ばして浮けるほど大きい。犬は4匹もいるし、車はたくさんあるし、庭は走ることが出来るくらい大きくて、なんとそこでバーベキューをやっている。

その家に双子は残れるが、コスモはダメ。

そんなことを知って、コスモはまた頭に血が上ってキレたりしないだろうか。まあ例えキレたところで清田家は善意の第三者、古杉家は責任を持って迎えに来るべき――というのが理屈ではあるのだが、それはそれで忍びなく思ってしまう辺りが清田家である。

それにもし、自分だけが追い返されると知ってコスモがキレたとする。それは出来れば他の子供たちの目には止まらないようにしたかった。特にカズサはコスモが苦手なので、余計な刺激を与えたくなかった。なので双子が養子になることが決まって以来、大人たちは毎晩腕組みで唸ってきた。

しかしいたずらに時間を浪費していては夏休みは終わる。

それまでになんとかしないと――