飲み会に行かねばならない都合上、新九郎は早めに帰ってきて風呂に飛び込むと、そのまますぐに出ていった。その間双子はまだ寝ていたし、急いでいたのでセイラちゃんが見慣れない女の子と差し向かいになっていることは気にもしなかった。
そんな中、最初に帰宅してきたのは信長とエンジュだった。職場ではほぼ責任者であるエンジュは信長から連絡をもらうと、都合をつけて早めに退勤してきた。そしてとウサコからザッと話を聞くと、子供たちを連れて外食してくるという。
わけのわからん年上の女の子が現れて不機嫌MAXだったカズサはこれで少し浮上し、ショッピングモールの中の有料プレイルームで遊んでくるからどんなに早くても20時過ぎまで帰らないと言うので、はまたホッとして肩を落とした。
チャイルドシート・ジュニアシートの都合上車1台では出かけられない信長とエンジュが2台で慌ただしく出かけていくと、入れ替わるようにして尊が帰ってきた。
リビングにはウサコがいて、由香里は双子と部屋にいて、ダイニングでは頼朝を手伝わせてが夕食の準備をしているところだった。一旦顔を出したのち、着替えのために尊が部屋に戻っている間に、寝起きの由香里と双子も出てきた。
「尊……」
「大丈夫だよゆかりん。驚かせてごめんね」
「あっ、お父――」
「宇宙、彼方、おいで、はじめまして。みこだよ」
満面の笑みで立ち上がろうとしたコスモだったけれど、尊はそれには反応せず、由香里の足元にいた宇宙と彼方を両手を広げて呼び寄せ、ふたりまとめてぎゅっと抱き締めた。宇宙と彼方が小さな声で「パパ」と呟いた声が聞こえたけれど、尊はそれには何も応えなかった。
「尊、どういうことだ」
「この子たちの母親、わかったよ。元カノの、友達。会ったことはある」
「それじゃあやっぱり……」
「うん。今年のはじめに亡くなってる。お母さん、ユニコ、天道由仁子だね?」
尊に笑いかけられた宇宙と彼方は揃って小さく頷いた。
「……だけど、彼女はこの双子しか産んでない」
優しげな顔で双子を撫でつつ、尊はそう言って立ち上がり、ダイニングできらきらした微笑みを顔に貼り付けているコスモをひたと見つめた。全員の視線がそれを追ってコスモに集中する。
「天道さんの死後、この子たちは身寄りがなくて児童養護施設にいたはずだ。君は誰だ」
尊が珍しく怖い顔をしていた。は一度だけしか見たことがない、彼があまり良い感情を抱いていない時の顔。それは母親である由香里も滅多に見ることがないものだった。リビングの空気がピンと張り詰め、コスモの微笑みが少しだけ歪んだ。
「わっ、私も由仁子の子供です! お父さんはあなただって――」
「だから、天道さんはこの双子しか産んでない。君はどこから来たんだ」
「どこって、違います、私とふたりはずっと一緒で、お母さんが亡くなったからお父さんの」
「僕は君のお父さんでもこの子たちのお父さんでもないよ」
「でもお母さんがそう言ったんです」
「いくら天道さんがそう言ったとしても、検査をして調べればわかるんだよ」
「えっ!?」
それまで徹底して楽しそうな笑顔を纏っていたコスモは一転、顔を歪めて息を飲んだ。見たところ彼女は小学校5年生くらい、というところ。DNA鑑定というものを知らなかったのかもしれない。尊の言葉に竦んでしまっている。
「この子たちを使って、この家に入り込もうとしたんじゃないのか」
「どういう……」
「正直に言いなさい。君はどこの誰で、なぜこの子たちを連れてここに来たんだ」
決して大きな声ではなく、尊は落ち着いた優しげな、しかし微笑みもせずにそう言った。コスモは口元をいびつに歪めていたが、突然息を大きく吸い込むと、大声で叫んだ。
「私は、私は清田尊の子供、です! だから、ここに、住むの!!!」
「元カノの学生時代の友達で、たぶん会ったのは2回くらい。もちろんふたりきりじゃなくて、元カノとか、他にも何人か友達がいるときだった。だからほとんど喋ってないはずだし、正直、顔は覚えてない。大人しくて静かな感じ、ってイメージがあるくらい」
尊はだらりとソファに腰掛けて新九郎の缶チューハイを飲んでいた。ブチギレてしまったコスモはセイラちゃんが引きずって間借りしている部屋に連れていき、びっくりして泣き出してしまった双子は由香里と頼朝とウサコが歩いてコンビニへ連れて行った。
というわけで、げんなりしている尊の話を聞いているのはとぶーちんである。
「だけどあの子たちに『お父さんは清田尊だ』って言ったのは、ユニコさんなんでしょ」
「だろうね」
「……みこっちゃん、勘違いさせた?」
「オレは何もしてないよ。向こうが勝手に勘違いしたんじゃないの」
尊は実に面白くなさそうだ。
「天道さんにとってオレは、最初から『友達の彼氏』だったんだよ。だけどたぶん、オレのこと好きになったんだと思う。それで、友達にどんな人か、尋ねて、ポリだって知ったんじゃないのかな」
面白くないのでざっくりとしか話さない尊に、ぶーちんがビシッと指を指した。
「みこっちゃん、ちゃんと言いな。そうじゃないでしょ」
「そうじゃないって何」
「顔は覚えてなくても他に覚えてることあるって顔してる」
「……んもー」
ソファに仰け反った尊はチューハイをあおると、髪をかきむしった。
「2度目に会った時、その時は天道さんの友達である元カノと、デートだったんだよ。そしたら、待ち合わせ場所にいたんだ、彼女。それで偶然だねって言い出して、何の遠慮もなくデートに混ざってきたんだ。その日もほとんど話さなかったけど、やけに凝視されたり、自分から混ざってきたくせにずっと不機嫌そうで、ああこれは、この子モノアモリーで、オレと付き合いたいけどポリが許せなくて、友達が平気な顔してオレの彼女やってんのが悔しいんだなと」
正直なところを聞いたとぶーちんもソファに仰け反った。めんどくせえ。
「だから、オレは何もしてない。そーいう子無理だし」
「じゃあなんでこの家を知ってたの」
「たぶん、年賀状」
「はあ!?」
なんでそんなのと年賀状のやり取りしてんだこのバカ! という顔でぶーちんが突っ込んだが、尊はフラフラと手を振っている。違うと言いたいらしい。
「天道さんに関しては、何件か心当たりを聞いて回ってるうちに思い出して元カノに連絡を取ったらビンゴだったわけなんだけど、そこで言われたんだ。別れた後の話だったし、忙しくて言えなくてごめん、実は尊から来た年賀状が1枚、ないの、って」
元カノさんは新たな夢を得て留学する決意を固めたところで尊と別れ、その後アパートを引き払って実家に戻る際、心機一転たくさん私物を処分したのだという。その時に年賀状は全て目を通して、連絡先を捨ててはならない人をピックアップしていたのだが、尊と付き合っていた間に2枚届いたはずの年賀状が1枚しかないことに気付いた。
それでなくともデートに乱入された記憶が鮮明にあった彼女は、アパートに遊びに来たユニコがくすねていったのだとピンと来た。だが自分は引っ越しと留学が迫っていて暇ではなかったし、どちらにしても束縛体質のユニコと尊ではうまくいくはずがないのだし、と考えて、放置した。
「急いでたからその子とはそこまでしか話が出来てないんだけど、だからさっきコスモが言ったっていう、天道さんが持ってた『メモ』って、たぶん年賀状じゃないかな。その元カノは仕事関係で知り合った子だったから、それもあって年賀状出してたんだよ」
まだ不確定要素が多いながらも事情の輪郭は見えてきた。が、問題は天道さんがどんな人だったかではなく、今後のコスモと宇宙と彼方である。特にコスモは依然正体不明、この家に住むのだと思いこんでしまっているようだし、しかし現状彼女を引き取る義務はこの家にはないし、もしかしたら宇宙と彼方と違い、ちゃんと保護者がいるかもしれない。
「コスモの方はまったく手がかりなしだよ。どうすんのあれ〜」
「他人事みたいに言わないでくれる? みこっさんがやらなきゃいけないことでしょ」
「宇宙と彼方だけならともかく、コスモはオレ無関係じゃん」
「ふたりとも、清田家揃って巻き込まれてんの。観念して片付けないと3人とも引き取る羽目になるよ」
ぶーちんに突っ込まれたと尊は揃って背中を丸めて唸った。
だだでさえ新九郎が「うちの子にならんか」と言い出しかねないというのに、話は双子の方の事情が少しわかっただけで終わろうとしている。解決策はないし、とりあえずは明日の児相の訪問を待つしかない。それ如何では明日中にも片付くかもしれないが、なんとなくそんな予感はしない。
だが、その日の夜遅く、飲み会から帰ってきた新九郎は意外にも「引き取らない」と言い出した。
「うちには既にウサコのお腹の子も含めたら5人も子供がいるんだ。寿里の時は実の親であるエンジュが自分で育てたい、子供と一緒にいたいという強い意志があったから援助出来ただけで、今回は事情が違う。ボランティアにも限界はあるし、我々はうちの子供たちを優先して考える義務がある」
ずいぶん冷静な意見が出てきたので、リビングに集まっていた大人たちは目を丸くした。
コスモはセイラちゃんが寝かしつけて来た。カズサとアマナと寿里も疲れてダウン。双子もウトウトし始めたので由香里が寝かしつけてきた。ぶーちんがいるのでだぁもやって来て、一通り尊の話を聞き、セイラちゃんが予測も含めたコスモの状態を話し終えたところだ。
「というか児相はなんで明日なんだ」
「人手がないのと、緊急性がないのと、寿里の時にお世話になった人だったから、清田さんちなら、と」
「清田家そんなんばっかりだね〜」
ぶーちんのニヤニヤ笑いに清田家一同の肩が落ちる。そういえばヨミを保護した時も動物病院のスタッフの皆さんに「どうせこの子は清田さんちが飼うことになると思う」と言われたものだった。
「まさか引き取りませんか、なんて勧めてきたりはしないと思うけど……」
「尊、その天道さんから双子がいた保護施設だけでも辿れないか」
「それはなんとかやってみるよ」
特にもうすぐ子供が生まれる頼朝は身元不明の子供たちに対して警戒心が強い。モンスター化はセイラちゃんのおかげもあって軟化してきたけれど、それでも子供は安定した環境で育てたいと思うのは親であれば当然のことだ。不用意にトラブルは抱え込みたくない。
一方、自身も子供を抱えて世話になっている身であるエンジュはほとんど口を挟まず、自分たちは良くて他の子はダメという端的な結論に萎縮してしまっているようだ。
しかし全員概ね新九郎の意見には賛成で、とにかく以前のように積極的に引き取る姿勢は見せない、というのがこの清田家の結論となった。
翌日、朝早くからセイラちゃんはコスモを連れて出かけた。前日にブチ切れてしまったことで不安定になっていたし、児相の職員が現れたらまた恐慌をきたすのではないかと懸念したからだ。具体的な話もせずに出かけてしまったが、遊びに連れて行くわけではないらしい。
なので、清田家は安心して児相の職員さんを迎えたのだが――
「昨日の今日ですから、手がかりがなくて。今ちょっと一時預かりも目一杯でして」
「ですよね……」
「あと、そろそろ職員が順次夏季休暇に入るので……」
「それを忘れてました……」
応対をした清田家代表のと頼朝はしょんぼりと肩を落とした。双子がどうやら児童養護施設にいたらしいという情報は尊が帰宅してから判明したことで、職員の方には今話したばかり。双子の子供が行方不明になっているという話はとりあえず今朝の段階ではどこからも聞かされていないというし、3人の手がかりを伝えても、もちろんすぐに身元がわかるわけがない。
「ですが、その宇宙くんと彼方くんに関してはお心当たりを当たってくださるんですね?」
「はい、その亡くなったお母様のご友人とは連絡が取れるみたいなので、そこには」
「問題は女の子の方でして」
「双子のいた場所がわかれば何かわかるかもしれませんね」
「ええと、それがわかるまでは……」
「お願い、出来ませんか……?」
職員の方は苦笑いだったが、と頼朝も苦笑いだ。
寿里をエンジュごと引き取ることになった時にも相談をした職員さんなので、この広い清田家には安定した収入があり、子煩悩な大人で溢れていることは知られている。昨今大変厳しい現場である児相の疲れた顔の職員さんに「うちは無関係だからさっさと連れてってくれ」とは言えなかった。
「で、結局こうなる」
リビングの片隅で腕を組んでガックリと項垂れたのは頼朝だ。セイラちゃんとコスモが不在だが、そのコスモがいないので元気に暴れているカズサ、少し慣れてきたアマナと寿里が宇宙と彼方と遊び始め、最近伝い歩きが始まったツグミを犬とウサコが追いかけている。保育園かここは。
「ユニコさんのことはみこっさんが夏休みに入らないとどうにもならないし……」
「すぐに双子の元いた場所がわかればいいけどお〜」
「だいたい、元々日中の人手はうちも足りてないじゃないか」
「そこはあたしが手伝います〜」
項垂れるばかりの頼朝の両側で笑うしかないのはとぶーちんだ。頼朝も自宅と繋がった事務所にいるというだけで、暇なわけではない。なので日中のこの保育園状態を世話するのはと由香里とウサコしかいない。ぶーちんも手伝ってくれると言うが、どう考えても足りない。
「まあでも、一番の難物をセイラちゃんが引き受けてくれてるから、まだよしとするか」
「じゃ、とりあえず3人の滞在の準備と、今日の昼と夜の支度、始めますか」
のげんなりした声に、頼朝とぶーちんも力なく「うぇーい」と応えた。
そういうわけで、この夏、清田家は一時的に大人10人に子供7人、人間だけで総勢17人という異常事態を迎えるのである。しかもこれは寝泊まりしている人数というだけの話なので、手伝ってくれるぶーちんや四郎さんや、仕事終わりで顔を出しては一緒に手伝ってついでに食事もしていくだぁあたりも含めると、20人に手が届くという大惨事だった。
初夏に由香里のあとを継いだばかりのはしかし、この夏を乗り切ったことで完全に「私はやれる」と確信し、以後順調に「3代目女将」の道を歩んでいくことになる。この大惨事は、その最初の関門にして最大の難関であった。
そんな真夏の清田家に、お盆休みが迫ってきていた。