あなたと花に酔いて

13

結局長谷川に全てぶち撒けてきた藤真は、1時半頃になって花形家に帰ってきた。花形家には長男と薫さんだけしかいなかった。今夜は女性陣は全員と志津香のアパートにいるのだという。

「女だけで大丈夫なのか」
「ああ、例の不審者か。このところ見かけないみたいだし、もちろん送って帰ったから大丈夫」
「そんならいいけど、葉奈ちゃん大丈夫だったのか」
「この間と同じだよ、ふざけて平気平気って言ってとうとうに怒られてた」

薫さんが既に休んでいるので、藤真は花形とメルヘンなキッチンでインスタントラーメンを食べていた。飲んで帰ってきてインスタントラーメンとは最悪の組み合わせだが、春から厳しい生活になるのだし、それまでは思う存分不摂生しておくことにする。花形が冷蔵庫からビールを引っ張り出してきたので、もちろん藤真も分けてもらう。

「おふくろさん、一体なんでまた急に来たんだ。17年もほったらかしといて」
「今の旦那と事業起こして働き詰めだったそうだ」

晃代は現在、西日本に広く展開する生花店チェーンとブライダル関係の施設をいくつも経営している会社の役員をやっているのだという。葉奈と店長の元を去った時、既に現在のパートナーと仕事を始めることになっていて、そのせいでふたりは捨てられたというわけだ。

「すげえ金持ち?」
「とんでもねえ金持ち」

ご丁寧に現在のパートナーとふたり連れでやって来た晃代は、そんなわけだから葉奈、遅くなったけど迎えに来たわよ、と両手を広げたという。藤真はまた勢いよく後ろに仰け反った。この世にはこんなバカしかいないのか。

「迎えに来るつもりだったのに、遅くなったって言いたいのか?」
「本人はそう言っているらしい、けど」
「けどなんだよ、どうせ胸糞悪い話なんだろ」
「その通り。後継者がいないらしい」

目の前には花形しかいないので、藤真は遠慮せずに音を立ててゲップをした。なんてわかりやすい展開だよ。

「そりゃそうだよな、葉奈ちゃんひとり育てるのも放棄気味で仕事してたような人だ。離婚した後は今のパートナーとバリバリ働いて会社大きくして金稼いで、で、気付いたらもう簡単に子供を望めない年になっていて、後継者がないことで自分たちの立場が危うくなるのを心配してるらしい」

そこまであからさまに言いはしなかったけれど、葉奈は会話の内容からそんな意図を読み取ってきた。大学は向こうで入り直して経営を学んで後を継いで欲しいのとにっこり笑って言われてしまったらしい。

「いやいや、葉奈ちゃん小学校の先生って目標があるだろよ」
「大きな会社がいずれ自分のものになるんだから、それに比べたらそんなもの、と本気で思ってるらしい」
「ブライダルって結婚式とかそんなんだろ、幸せ産業じゃねえか。外道が!」

また航の言葉を思い出して藤真は苛々している。店長はゲスだし亜寿美は頭がオカシイと思っていたけれど、それをふたつ合わせたより強力なのが出てきて、なんだかもう自分が聖人にでもなったような錯覚を起こす。

「店長は?」
「葉奈ちゃんの判断に任せるとしか言わなかったらしい」
「ははは、ゲスはゲスだな。安定のクズっぷりだよ店長」
「一応今日のところはその話だけで帰ったらしいけど」

葉奈は話が終わるなり家を飛び出して、近くのコンビニからに連絡を寄越した。薫さんとが車で迎えに行き、花あかりでまた顔を突き合わせて話をした後、女性陣を送って帰ってきた。

「そっちはどうだったんだよ」
「んー、まだちょっとはっきりしないみたいだけど、誰が聞いてもあれは葉奈ちゃんのことが好きだよ」
「やっぱりそうか」
「なんだよ、無理強いするなとか言ってたくせに」
「昨日、お前がと航を監視してた時、オレたち話してたろ。その時思ったんだよ」

花形はビールの追加を取ってきて藤真に投げて寄越す。ふたりともだいぶ顔が赤い。

「葉奈ちゃんはもちろんだけど、あー、一志も好きなんだなって。そういう顔してた」
「顔かよ、乏しい根拠だな。だから今日のことはある程度話してきた」
「ま、いーだろ。もしこれでふたりが素直になれば、葉奈ちゃんも心強い」
「オレも心置きなく旅立っていけるってもんだ」

眠気と疲れも手伝って、ふたりは「イエーイ」と言いながら缶ビールをぶつけ合った。

「だいたい、一志はなんでも固く考え過ぎなんだよな、いーじゃねえか好きなら」
「お前が緩いだけじゃねーのか。今までの女全部片付けて来たんだろーな」
と同じこと言ってんじゃねえよ、失敬だなお前ら夫婦は」
「まだ夫婦になってねえって」
「あっ、そーか、結婚したらあいつじゃなくて花形になるのか、そんじゃオレもって呼ぶかな」
「てかお前うちの家族も基本全員名前で呼んでんだぜ」
「今更お前のこと透とか呼ぶ、うわ、いやいや無理、無理だわこれ」

ある程度長谷川の気持ちも見えてきたことだし、葉奈の言うように、店長の件も晃代の件ものらりくらりとはぐらかしたまま二十歳になってしまえばこっちのものだ。

一時はどうなることかと思ったけれど、なんだか大丈夫そうな気がしてきたふたりは気持ちよく酔っ払い、花形は自分のベッドで、藤真は薫さんが支度しておいてくれた布団でぐっすり眠った。

「透くん、起きて、大変」
「んー、〜?」

ぐっすり眠っていた花形は、の声でぼんやりと目が覚めた。酒に緩んだ体がだるい。の声と手に花形はふにゃりと微笑んで、を抱き寄せようとした。

、おはよ」
「ちょ、透くん、藤真いるから! てかそれどころじゃないんだってばー!」

藤真と言われて我に返った花形は眠い体を無理矢理捻って呻いた。は今度は藤真を起こしにかかる。

「藤真、おはよう、起きて、ちょっと大変なんだ。行かれそうなら花あかり――藤真ー!!!」

藤真も何を勘違いしたのか、の膝に頬ずりをして殴られた。

「おいこら藤真いい度胸だなお前」
「誰だお前――ああ、花形とか、なんでオレこんなとこにいるんだっけ」
「昨日長谷川くんと飲みに行って、それでこっちに泊まったんでしょ、ってふたりとも酒臭い!」

は飛び上がって窓を開け、寒がるふたりに構わず、ドアも開けて換気し始めた。その花形の部屋の前を、しょんぼりした顔の薫さんが通りかかった。薫さんは日曜だというのにスーツを着込んでいて、髪もきっちり整えられている。非常にイケメンだ。薫さんはスーツだとよりかっこいい。

「ふたりとも昨日遅かっただろうけど、急いで支度しなさい。腹減ってるなら途中で何か買うから」
「お父さん、先に行ったら? 私ふたり起こしてタクシーで行くから」
「ふぁー、何があったんだよ、今度は何だ」

淡々と焦っていると薫さんに藤真が口を挟む。花形はメガネを手に目をこすっている。

「晃代さんが葉奈ちゃん連れて帰るって言ってるの。商店街に来るって連絡があって」
……はあ? 連れて帰るって、子供じゃないんだから」
「花あかりにいるんだろ、場所知らないはずじゃないか」
「晃代さんたち、興信所使ってたの! あの不審者って調査員だったんだよ!」

の言葉に藤真と花形はぴたりと止まり、そして跳ね起きると、一斉に服を脱ぎだした。は慌てて部屋を出ると、階下に降りて薫さんに間に合いそうだと伝えた。

「じゃあ、フローリストだけじゃなくて、自宅ものアパートも花形家も花あかりも知られてるってこと?」
「たぶん。もちろん葉奈ちゃんは断ったよ。だけど居場所はわかってるのよ、って」
「他に逃げ場ないのかよ」
「そりゃ今日だけならなんとかなるかもしれないけど、それで諦めるかな」

急いで支度を済ませた藤真と花形は、と一緒に薫さんの車で花あかりに向かっている。と志津香のアパートに篭っていても仕方ないので、朝から花あかりに来て葉奈とは仕込みを手伝っていた。そこに晃代から電話がかかってきた。彼女にとって葉奈がここに残るという選択肢はないらしい。

「聞くだけ無駄かもしれないけど店長は?」
「一応知らせたけど、まだ家だったから、どうしたかな。私慌ててて…」

花形家にも電話をしようかと思っただったが、まだ朝の7時だったし、特に花形と藤真は昨日も遅かったから、寝ていて気付かなかったらマズい、とやって来てしまった。案の定全員寝ていた。

「だけど、オレたちが行って何かできるのか?」
「そうなんだけどさ、呈一さんも来てくれるって言うし、なんとなく」
「なんとなくってのがだよなあ。あっ、そうだ、オレもって呼ぼうかと思うんだけど」
「はっ? なんでも好きに呼んでくれていいけど、どうしたの急に」
「だってお前その内じゃなくなるだろ。みんな名前で呼んでるし、いいかと思って」

酒臭いからと緑茶を飲まされている藤真がさらりと言う隣で、はぶわっと顔を赤くした。

「あはは、そうだよねえ、そうか、ちゃん、うちの子になるんだもんなあ」
「ま、まだ先だもん!」
「うちの子って言うな」
「葉奈ちゃんもなあ、こんなことに振り回されるくらいならいっそうちの子になっちゃえば――
「おっ、小父さん! 駅で止めて!!!」

薫さんが正直な願望をダダ漏れさせているところに藤真が甲高い声を出した。

「なんだよ藤真、急に」
「オレ、一志呼んでくるよ。後から追いかけるから、絶対葉奈ちゃん引き止めといて」
「電話で呼び出せば?」
「それじゃあいつまたグダグダ言って来ないかもしれない。だからちょっと行ってくる」

少し回り道になるが、薫さんに駅で下ろしてもらった藤真は、やや二日酔いで重い体を奮い立たせて電車に飛び乗ると、電車の中から長谷川にさっさと駅まで出て来いと連絡を取った。

「あのー、ちょっと話が見えないんだけど、長谷川くんが来てくれるの?」
「あっ、お父さん知らなかったよね」
「ちょっと色々あるんだよ、一志と葉奈ちゃん」
「なんだよ、オレの知らないところで葉奈ちゃんも大人になっていくんだなあ」
「親父、忘れてるだろうけど自分の娘じゃないんだからな」

葉奈の件がどんどん不穏になっていくせいか、花形父子とは穏やかに笑いながら花あかりに向かった。

たちが花あかりに到着すると、まだ開店前の店内には誰もおらず、キッチンで志津香と朋恵が仕込みを続けていた。いくら晃代が襲撃してくるかもしれないとはいえ、今日は日曜だし、店を休むわけにはいかない。が仕込みの手伝いを買って出たので、葉奈はカウンターで花形父子に挟まれていた。

「どうしようか葉奈ちゃん。確かにその場凌ぎでしかないけど、どこか別の場所にいたら」
「薫さん、アタシここにいたい」
「だけどお母さん来ちゃうかもしれないんだろ」
「そうなんだけど、あの人に商店街や花形家とか、荒らされるの、耐えられないもん」
「まったく関係ないところにいたら?」
「それでも私の知らないところでみんなが嫌な思いするの、嫌だよ」

そこへカウベルの音が優しく鳴って、呈一さんがやって来た。

「また大変なことになりましたね。花形くん、手帳持ってきてるか?」
「はい、一応。万が一暴力的な手段に出られてはと思いましたので」
「って親父休みじゃないか。いいのかよ手帳なんか持ちだして」
「もちろん何かを行使するわけじゃないよ。ただこの身分が役に立てばと思ってさ」

呈一さんにも肩を叩かれた葉奈は、困った顔をして無理に笑ってみせる。

……葉奈ちゃん、自分のことで周りの人間があれこれしてくれるの、嫌なんだろ」
「そんなの嫌に決まってんじゃん、何言ってんのさ〜」
「5年前、もそうだったよ」

キッチンから聞こえてくる仕込み支度の声を聞きながら、花形は遠くを見つめるような目をした。あの頃は、周囲の人間に常に見守られ哀れまれる生活をしていた。可哀想な、健気な、どうか笑って、君が心配だから。

「葉奈ちゃんもそうだったよな。のことが心配で心配で、ひとりで翔陽までオレを蹴りに来たくらいを案じてた。店長も、清三さんも芳子さんも、商店街の人たちもみんな」

まだその頃はすら面識がなかった薫さんは身を乗り出して聞いている。

「だけど、言い方は悪いんだけど……そのせいではいつも無理矢理笑顔でいなきゃいけない、こんなに助けてもらってるのに弱音なんか吐いたらいけない、そういう思いに縛られてたんだよ。誰の前でも苦しいつらいなんて言えない、泣くこともできない、怖いのに不安なのに、それを誰にも言えなかった」

言えない。みんなが優しくしてくれるから。

「父親は指名手配、母親は意識不明、ただでさえ頼りない店長と年下の葉奈ちゃんに寄りかかってるのがつらい、いつそれが終わるのかもわからない。だから、こんな自分に関わらないでくれって、言ってた」

その頃花形家は航に朋恵まで商店街に出入りをしていて、はそれも後ろめたかった。みんなが助けてくれればくれるほど、は苦しんだ。何も出来ない自分、少しでも弱音を吐けば、みんな泡を食って心配する。

「だけどオレはそんなの嫌だった。オレだって何も出来ないけど、苦しいのとかそういうの、わけてくれって、別にいつでも笑っててくれなくたっていい、泣きたくなったら泣いてくれていいから、オレもそれに付き合うからって。葉奈ちゃん、種類は違うけど、君にもそう思ってるよ」

葉奈はまた笑顔をうまく作れなくて、眉やら唇やらを歪めた。

「言うなあ、透。それでちゃん口説いたのか」
……親父、真面目に話してるんだけど」
「オレだって真面目だよ。そういう気持ちが人の支えになるんだ。ちゃんは安心したろうな」

カウンターに両肘をついて手を組み、薫さんは満足そうに目を細めた。当時から薫さんは息子たちにたくさん恋せよと勧めてきた。次男の方は少し捻れてしまったけれど、それでも全く人を想えないよりはいい。人を好きになれないような人間がまっとうな人間になるわけがない、というのが彼の持論である。

……だからってさ、じゃあグズグズ文句言ったら、ウザいじゃん」
「まあ、この件に関しては別に気にしないけど。ひどい状態なんだし」
「まあまあ、透、言える相手と言えない相手があるよ」

薫さんはニコニコと笑顔で言うが、花形は言葉に詰まる。葉奈が完全に心を開ける相手は限られている。のことは大事に思っているし好きだけれど、に心配をされるのは何より嫌なはずだ。には愚痴を言ったり拗ねたりはしたくないだろう。父親ももちろんだめ。

やっぱりそれって、好きな人だよな――。花形は、薫さんが言うように、結果的にそれでを落としたことになる過去を思い出しながら、藤真が呼びに行っている長谷川のことを考えていた。自分とまったく同じように葉奈に接してやれとは思わないけれど、葉奈の心を解けるのはあいつだけじゃないのか――

花形がそんな思いで少し切なくなっていると、またカウベルの音が響いた。藤真か?

「やっぱりこんなところにいたのね。葉奈、いつまでわがままを言うつもりなの?」

カウンターにいた4人は血の気が引いて真っ青になった。キッチンからたちも飛び出てくる。晃代はまた見るからに高価そうな取り揃えとサロン仕上げのヘアスタイルで、花あかりのフロアに降り立った。晃代の後ろには現在のパートナーだという男性と、無表情のスーツがふたり増えていた。

「これ以上仕事に穴開けられないのよ、手を煩わせないで」

そう言い放つ晃代に、葉奈は壊れた人形のようにかくりと首を傾げて、いびつに微笑んだ。