あなたと花に酔いて

12

商店街南ゲートを出ると、いくつかの商業ビルに囲まれた駅前ロータリーが広がっている。件のレディースクリニックもそのビル群の中に入っていて、「商店街大捕物事件」の際に育太兄貴が走って報せにきた交番もロータリーに面している。藤真はそのロータリーの柵に寄りかかって長谷川を待っていた。

長谷川の場合、商店街からは時間がかかってもいいなら歩いても帰れる場所に自宅がある。5年前は自転車だったり電車だったり、状況によって使い分けていた。

なので藤真は遠慮なく呼び出したというわけだ。藤真の方は電車がなくなればアウトだが、その辺は花あかりを出る前に花形に言っておいた。もし間に合わなかったら花形家に泊まりたいからよろしく。というかもうと志津香のアパートでもいいから、とにかくよろしく、と。

薫さんの話では、10年ほど前までは駅前に居酒屋が乱立していて、どこも毎晩盛況していたし、その内数軒は明け方まで営業していたらしいが、現在一番遅くまでやっている店は閉店1時、ラストオーダー24時。藤真は24時間営業しているファストフードの方がいいんじゃないかという気がしてきたが、とりあえず酒がほしい。

「強引なやつだなほんとに……
「状況考えろ。強引にもなるよ」

長谷川の方もあまり簡単な話ではないことをわかっているので、自転車で来た。きちんと駐輪スペースに自転車を押し込んだ長谷川は、腰に手を当てて仁王立ちの藤真を見てため息をついた。

「オレはあの頃も今も一番他人だし、無関係だし、花形にも無理しなくていいって言われたけど乗りかかった船だし、オレなりに葉奈ちゃんやたちが心配だし、半年で帰ってくる花形と違って、ここにはもう戻らないかもしれないからな。おせっかいでも出来る限りのことはしていきたいんだよ」

それが藤真の行動原理だ。幸い自分の家は平和だし、気がかりを残して行きたくない。

「そういう監督だったよな、お前。ドライでいなきゃいけない、だけどそうやって色んなこと気にかけてた」
「一度気になるとおさまりつかないんだよな」

懐かしい感覚に長谷川が解れたので、藤真は彼の背中を押して一番遅くまで営業している居酒屋に入った。土曜の夜で混雑してはいたが、すぐに席に通される余裕があった。このところビールばかり飲んでいて母親に臭いと嫌がられた藤真は、大人しくサワーを頼む。

「だけど藤真、さっきの話だけでこんなとこまで呼び出したわけじゃないんだろ。また何かあったのか」
「お前も鼻が利くなあ。でもそれはお前の気持ち次第によっては教えるわけにはいかない」
「いやお前ももう噛んでるんだろ、なんでオレだけ」
「鼻は利くのになんでそれがわからないんだよ。葉奈ちゃんの負担になるからだろ」

藤真は言葉を選ばない。長谷川は目を逸らし、テーブルに肘をついた。

「わからないって、どういうことだよ。自分の感情の正体がわからないって言うのか?」
「そう。それは好きなんだって言われればそんな気もするし、同情だって言われてもそんな気がするし」
「ていうか旭さんはちゃんと好きだって自覚があったんだろ? 好きはそれと同じだろ」
「どうもそれとは違う気がするんだよ」

藤真の頭上にクエスチョンマークがボコボコ飛び出てきた。意味わかんねえ。

「高3の時はどうだったんだよ、例の期間限定とか言う。あの頃はまだ旭さん好きだったんだろ」
……藤真、誰にも言わないでくれるか」
「お、おう、わかった」
「花形にもにもだぞ。言わないでいられるか」
「オレがそんなペラペラと喋るような人間だとでも」
「花形とに関してはあんまり信用出来ない」
……わかった。墓場まで持ってく」

確かに花形とには喋ってしまいそうだと自分でも思ったが、そのふたりと長谷川を一括りに考えたくなかった。もうチームメイトではないから、それぞれが独立した友達であるはずだ。花形ともとも。その思いを改めた藤真は拳を突き出して約束した。

「確かに葉奈ちゃんに卒業まででいいから付き合ってくれって言われた時は、なんでオレなんかがいいんだろうと思いつつ、一度断ってるわけだし、むしろそれが可哀想で受け入れたようなものだったよ。同情って言うより哀れみの方が近い。今にして思えば、そんなの失礼な話だけどな」

その上、葉奈はまだ子供だという意識も強くて、どうせお互い卒業したら離れてしまうのだし、3ヶ月くらい恋人の真似事でもしていれば熱も冷めるかもしれない、そうすればきちんと割り切って翔陽に行かれるかもしれない、そんな風に考えていた。

だから、付き合い始めた当初、長谷川はまだ旭さんのことが好きだったし、葉奈に対しては特別な感情を持っていなかったことになる。付き合うと言っても、出来ることはたかが知れている。

「葉奈ちゃん確か推薦で翔陽行ったよな。受験なかったんだし、時間はあったんじゃないのか」
「オレはあったけど、向こうは中学だから変わらないよ。店長には隠してたし、土日に会うくらいしか」

会ったとしても方や中学生で予算は乏しいし、遊びに行くにしても範囲が限られる。

「まあその、確かに簡単に手を出せるような年でもなかったしなあ」
「出すつもりもなかったよ。中学生にそんなこと、とんでもないって」
「っても数ヶ月で高校生、16になれば女の子は結婚もできる。変な話だけどな」
「まあそうなんだけど、まだその頃は背も今ほど高くなかったし、子供にしか見えなかった」

葉奈の身長が急に伸び始めたのは高校に入ってからだ。周囲の女の子たちの身長が止まり始める頃になって、葉奈はすくすくと伸びてきた。そして高校3年間で合わせて15センチ伸びた。

長谷川は言葉を切り、サワーを飲みながら目を落とした。言おうか言うまいか、迷っているように見える。

「一志、詳しいことは別に……
「いや、いいんだ、すまん。だけど、いざ付き合うってことになったら、それが変わり始めて」
「それって?」
……葉奈ちゃんが子供に見えていたこと」

勘のいい藤真の背筋にピンと張り詰めるような緊張が走る。少し生々しい話か。

「あの頃、葉奈ちゃんなんて小学生くらいに思ってなかったか。だけど、付き合いだしたら、ちょっと小さいだけの普通の女の子だっていう気がしてきて、不思議なことに、そう思い始めてからは旭さんのことがどんどん気にならなくなってきて、旭さんを好きだっていう気持ちがサーッと薄れていったんだ」

それこそ天秤にかけるわけではないが、同情で受け入れただけの葉奈と一緒にいることで、旭さんへの恋心が急激に消えていった。もちろん藤真と花形に言ったように、子供も旦那もいない旭さんが抱きついてくれば正気でいられないだろうけれど、日常の中で旭さんを想う気持ちが消えていった。

「それって……
「自分ではそう思わなかったけど、葉奈ちゃんを好きになり始めていたんだろうと思う」

失恋の特効薬は新しい恋。大雑把に言えばそれと同じだ。

「話折ったらすまん、好きなら好きでよかったじゃないか。何か問題あったのか」
……付き合ってる間に、3回だけキスしたんだ」

クリスマス、カウントダウン、バレンタイン。それぞれの日に1回ずつ。全て葉奈がねだった。

「ん? ホワイトデーは?」
「会えなかったんだ。オレも引っ越しの準備とかあったし、実は3月はほとんど会ってなかった」
「まあ、そうだよな。オレらもほとんど顔合わせてなかったもんな」
「それでも1度目はまだよかったんだ。そんなに気にならなかった」

クリスマス、が花形と会っていたので、店長は店番から解放してくれなかった。店が閉店して、店長が飲みに行ってから少しだけ会った。プレゼントを交換して、自宅まで送ってもらった葉奈はダメ元でチューして下さいと頼んだ。長谷川はあまりよく考えずにOKした。

「また余計なこと言ってすまん、とんでもねえ身長差だったんじゃ……
「マンションのエントランスの花壇に登ってやっと」
「だよなあ……

キスした後、葉奈はいつもの様子ではなくて、真っ赤になって俯いていた。長谷川はそれをやんわりと抱き締めてやって、ぽんぽんと頭を撫でた。この時は本当に「子供にチューしてあげた」くらいにしか思っていなかった。だが、それはカウントダウンの夜に一変する。ふたりは横浜まで出かけていった。

「それってオレと花形が商店街で餅つき要員として招集されてた時じゃないか。なんだよもう」
「葉奈ちゃんは中学の友達と最後だからって嘘ついて、オレは家族と過ごすって嘘ついた」
「嘘つき! 餅つき大変だったんだぞ!」

また商店街で年越しをし、翌朝さんざん餅をつかされた藤真はサワーを飲み干してグラスを叩きつけた。

「あんまり近くでは見られなかったけど、花火があって、カウントダウンでキスしたんだ。寒かったからずっとくっついてたし、葉奈ちゃんはかわいいカッコしてて、つまりその、この子としたいって、思っちゃったんだ」

苦しそうに顔をしかめた長谷川は、藤真の後を追うようにサワーを飲み干した。長谷川がまた少し考えているようなので、藤真はオーダーベルを鳴らしてふたり分のアルコールを追加した。なんだかちっとも酔った気がしない。オーダーが届くまでは藤真も何も話さなかった。

サワーのおかわりが届くと、藤真はぐいっとグラスを傾けて頬杖をついた。

「それ、普通のことじゃないか?」
「それが葉奈ちゃんじゃなかったらな」
「なんであいつにはそう思ったらダメなんだ」
「したいって思った瞬間、と店長の顔が出てきた」

藤真は思わず呻いた。お前なんでそんなに繊細なんだよ。花形なんかそんなこと一切考えてなかったぞ、たぶん。

「おそらく、バレンタインの時は葉奈ちゃんもそのつもりでいたと思うんだ。店長いなかったし」
「えっ、だったらいいじゃないかそれでも」
「無理だよ。できるわけない」
「なんで」
「もうすぐ終わるとはいえ、中学生だったんだ。のはとこで、店長の娘だったんだ」

どうしてもそのことが頭を離れなくて、キスだけで逃げた。葉奈もそれに感づいて、そこからふたりは会う機会が減った。3月に入り、と花形が出来るだけ時間を作っていたせいもあって、葉奈は店番から離れられなかったし、長谷川も引っ越しの準備に忙しかった。

「それで、そのまま別れた」
「ちょっと待て、じゃあ最終的にはお前も好きだったんじゃないか。別れる必要あったか?」
「葉奈ちゃんに対してそんなこと考えてるのに耐えられなかった」
「話戻して悪いんだけど、旭さんにはそういうの、思わなかったのか?」
「思ってた」
「旭さんはいいけど葉奈ちゃんはダメだったのか?」

お通しの枝豆を指先で摘んだだけで、食べようともしない長谷川は黙って頷いた。おかしいと反論するつもりはなかったけれど、藤真は長谷川の感情があまりに自分とかけ離れているので、気持ちで寄り添ってやれなくてもどかしい。それが誰であれ、好きな女に欲情して何が悪いってんだ。

「まあそれはいいじゃないか、過ぎたことだし。問題は今だろ」
「今っていうか、だからその頃から『好き』っていうことがよくわからなくなって」
「ええとそれはつまり、本当に好きなのか、ただやりたいだけなのか、わからなくなった、と」
「そう」
「アホかお前」

つい言ってしまった。藤真は言ってから少し後悔したが、まあもういいだろう。どうせ墓場まで持って行くのだ。

「だってそうだろ、この間も言ったけど、もし今、子供も兄貴もいない旭さんが誰もいない部屋で抱きついてきたら逆らえないと思うって。それはたぶん葉奈ちゃんも同じだよ。それって、本当に好きなんて思ってないだろ。そんなの、ただセックス出来る相手だってだけだ」

ぽいと枝豆を放り出して、長谷川はサワーグラスを傾けた。

「それ、なんか違くないか?」
「どうして」
「だってさ、ええと例えばにもそう思うわけじゃないだろ、極端な話で言えば――
「出来るよ」
「はい?」
が花形の彼女じゃなくて、がどうしてもって言ってきたら、オレは出来ると思う」

藤真のぽかんと開けた口から枝豆が転がり落ちる。

「オレ、おかしいのかもな。でも、志津香さんでも、朋恵さんでも、やれって言われたら出来ると思う」
「い、言われたら、だろ。別に自分から進んでそんなこと考えてるわけじゃ」
「そりゃそうだよ。だけど、出来るって時点で同列なんじゃないかと思うんだ」
「いや、違うだろ、違うよそれ。自分からしたいって思うのが好きってことだろ、可能不可能の話じゃない」

藤真は中身のなくなった枝豆の殻を長谷川に投げつけた。

「てか、そのやれって言われたら出来ると思うってのも男がそういう生き物だからだろ。だけどみんなそれはルール違反だって、彼女なり嫁なりが大事なら間違わないようにって自分を律してるだけだ。あと、志津香さんと朋恵さんでもイケるかもってのはお前がセーフゾーン広すぎなだけだ」

17の時に30代の旭さんを好きになってしまっただけのことはある、というところだ。

「それだけじゃないよ。今に限って言えば葉奈ちゃんがものすごく窮地に追い込まれてるから、力になってやりたいとは思うんだ。だけどそれも、や他の誰かが困ってたら力になってやりたいと思うのと何が違うんだろうって」

また「何が違うんだ」かよ。藤真は航の顔が脳裏に浮かんでうんざりした。

「出来ることがあれば力になりたい。笑ってて欲しい。オレなんかじゃなくて、誰か他に――
「それやめろって言ってんだろ」
「でも、そうなればオレも全部忘れられる気がするんだ」
「忘れる必要ないだろうが! それ、葉奈ちゃんが好きだっていう事実から逃げてるだけじゃないのか」

藤真理論ではどうしてもそこにたどり着く。あれこれ理由を並べてはいるが、結局のところ、葉奈に対する興味は正当なものではないとして自分で自分を否定しているだけ。のはとこだの店長の娘だのというのは言い訳のうちという気もする。都合のいい逃避理由だ。

……ってあれ? お前ほら、高1の時の、なんだっけ」
「お前ほんとによく覚えてるな」
「いや、だって友達だったから」
……そうか、そうだったな」

翔陽1年目の秋、バスケット部期待の新人だった藤真、そして当時はその他大勢のひとりだった長谷川、ふたりには彼女がいた。ふたりの彼女たちは、友達同士だった。夏にインターハイがあることは知っていても、冬にも大きな大会があることを知らなかった彼女たちは夏休みが明ければ時間に余裕ができると思っていたらしい。

そうして部活ばっかりやっていた藤真も長谷川も、だいたい1ヶ月くらいで別れた。

「あの子のことまだ引きずってんのか」
「引きずってるわけじゃない。あれは間違いだったんだよ」
「んじゃトラウマになってんのか」
「そういうことなのかな」

付き合いだして1ヶ月くらいが経つ頃、暗くなった帰り道を彼女と歩いていた長谷川は、いい感じになったと思ってキスしようとした。それを拒否されたのだ。そして、その数日後には別れを切り出された。理由は彼氏らしいこともろくに出来ないくせに、手だけ出そうなんて図々しい、というものだった。

その頃藤真はバスケットより優先してくれないというありがちな理由で振られていた。ちなみに花形にもこの頃彼女がいたが、やはり1ヶ月ほどでうまくいかなくなって別れている。こちらは成績にギャップがありすぎて齟齬が生まれたらしい。藤真が思い返しても、軽い感じの女の子だった気がする。

「それこそあんなのと同列に考えてるなら、お前、そっちの方がおかしいぞ。昨日聞いたんだけど、花形と、最長でどれだけ会わなかったと思う。4ヶ月だぞ4ヶ月! も就活中だったらしいけど、その間花形なんか何も出来なくて、だけど平気で付き合ってるじゃないか。あいつらもう5年目だぞ」

と花形の場合は家族同士の距離が近いせいもあっただろうが、それでも花形が捨てられるだの、またその逆も充分あり得た。が就活を頑張っている間に何も支えになってやれなかった花形だけど、そんなことでいちいち気に病んでいられない。

「なあ、最初に戻るけど、好きじゃないならそれでいいんだって。お前の理屈だのトラウマだのもどうでもいい。ただ、葉奈ちゃんを好きなのかどうか、それだけだろ、今必要な答えは。それが同情なのか本当に好きなのかがわからないって言うけど、カウントダウンの時、抱きたいって思ったんだろ。自分から、葉奈ちゃんに対して。それが好きじゃなくてなんなんだよ。高1の時のあの子はお前のこと好きじゃなかったんだろ。バスケ部の彼氏欲しかっただけだ。だけど葉奈ちゃんは違うだろ、お前のこと、本当に好きだっただろ、それくらいわかるだろ」

藤真は枝豆の中身を指で押し出しては皿に投げつけている。

「なあ、もう好きでいいじゃん。オレがお前だったら、それは間違いなく好きだよ。花形に無理強いするような真似するなよって言われたけど、なんとも思ってないのになんとかしてやれよって言ってるわけじゃないし、何の根拠もないのに言ってるわけでもないだろ」

長谷川は藤真がすっ飛ばした枝豆を拾っては皿に戻しつつ、ため息をついた。

「オレが葉奈ちゃんを好きだったとしたら、どうなるんだろう」
「いい加減にしろよもう。葉奈ちゃんが喜ぶ、笑う、幸せになる、それだけだ!」

驚いて顔を上げた長谷川の顔面に藤真の投げた枝豆が直撃した。

「それこそお前が望んでることだろ! いいか、今大変なことになってるからよく聞けよ、このバカ!」