あなたと花に酔いて

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清三さんからの連絡が入ったのは、約1時間後。朋恵が願った通りに、晃代は騒いだりせずに帰っていったという。それでも清三さんは自分の漬物店からちらちらと見ていただけなので、店内で何が起こっていたのかはわからない。ただ、ともかく、騒ぎに発展することはなかったので、花あかりの4人はホッと胸を撫で下ろした。

「それにしても藤真くんはすごいわ……バスケ出来なくなったらいつでも来てね」
「それって従業員てことですか」
「うん、バイト」
「バイトって!」

志津香も落ち着いたので、藤真とはカウンターで賄いランチをもらっていた。

開店当初、店構えのせいで高級店だと思われてしまった花あかりは閑古鳥が鳴いていた。それが商店街を利用する女性の癒やしスポットになったのは、若先生が商店街を去る決定打となった駅前のレディースクリニックがきっかけだった。高級店でも関係ないクリニックの医師がランチにたまたまやって来たことから始まる。

内装がきれい、食事はもちろん美味しい、商店街アーケードから少し離れているので静か、価格帯は商店街平均値、そして何より志津香と朋恵が可愛い。普段から女性まみれのクリニックにいても通いたいと思わせる魅力を持っていた。それがまずレディースクリニックに口コミで広がった。

そこからは早かった。スタッフ全員女性で原則として女性しか診療を受けていないクリニックの待ち合いなどで話が広がり、高そうに見えたけどそんなこともなかった、ティータイムのケーキおいしかった、バータイムの店内の雰囲気がヤバい、と花あかりは口コミだけで客が来るようになった。

そんなわけで、花あかりはその95%が女性客という店になった。そこに藤真がいたら。

「結局いくつもらったの」
「全部捨てたよ!」
「捨てちゃったの!? もったいない……
「人ごとだと思って無責任なこと言うんじゃない」

ランチタイムの間に、藤真は女性客から連絡先を貰いまくっていた。が、葉奈のことなどで気持ちが落ち着かない上に、もうすぐ引っ越していくのに、そんなものは無用の長物だった。藤真は誰に対してもご連絡出来ませんと断ったが、無理矢理押し付けられた連絡先のメモは全て握り潰してゴミ箱に捨てた。

「でも変な話だよね、一番モテる藤真が彼女いないんだから」
「あのねさん、いました。いましたけど別れただけです」
「ああ、プロになる前に全部精算したの」
「人聞きの悪いこと言わないでもらえますか。しかも大勢と適当に付き合ってたみたいな言い方」

そのやりとりを見ていた志津香は思わず吹き出した。

「藤真くんて見た目から来るイメージよりずっと地味なのよね」
「よく言われます」
「なのに派手な女の子と付き合っちゃうんでしょ」
「そんなつもりないんだけどな。まあ、見る目がないのは認める」

だが、結果的にはそういうことでうまくいかなくなって破局する。

「だけどなんかここ1週間位で目一杯勉強になったよ。なりすぎた」
「反面教師だよね」
「このまま何事もないままで引っ越せればいいんだけど」

だが、問題は既に悪い方向へと走り出していた。藤真とが花あかりを出て花形家へ行こうかと歩き出した時のことだった。の携帯に花形から電話がかかってきた。

「あ、透くんだ」
「おお、ナイスタイミング」
「はーい。今花あかり出たところ――はい?」

携帯を耳にあてているの顔色がどんどん悪くなっていく。

「どうした、また何かあったのか」
「あったって言うか――どうしよう、このこと話したらまたお母さんショック受けるかな」
「だから、何があったんだよ」
「晃代さん、葉奈ちゃんのお母さん、葉奈ちゃんのこと、引き取りたいって――

藤真はぐらりと傾いて、少し震えているの腕を取ると大きく息を吐いて項垂れた。

「この間の蓮見さんの話じゃないけど、あれでも店長は親だからね。僕たちは逆らえないんだよ」
「それはそうですけど」

葉奈は父親である店長に、母親のことで話があるから家に帰りなさいと呼び戻された。今日もフローリストは18時で閉店することになったらしい。そして現在17時、花形家のリビングである。為す術もなく葉奈を帰すことになってしまった花形は渋りきった顔をしていたが、さすがに薫さんはそんな様子は見せない。

動揺しているを送るついでに藤真もやって来た。とりあえず志津香と朋恵には報告していない。

「もし、もし店長が葉奈ちゃんを手放すって言ったらどうなるの」
「親権がお母さんに移る」
「そしたらどうなるの」
「それはそのお母さん次第じゃないかな」
「そんなにすぐ親権て移るものなの」

薫さんとの話しぶりはすっかり親子のようで、藤真はそれが少しくすぐったい。が、そんなことでキュンキュン来ている場合じゃない。何しろ引き取りたいと言ったって、葉奈も今年二十歳になるし、そうしたら親権云々という話ではなくなる。

「一応家庭裁判所に申し立てをしなきゃならないんだけど、問題がなければすぐにでも移るよ」
「もうすぐ成人する19の子でもそんなことしなきゃいけないんですか」
「まあ、一応ね。個人的には家裁でその点をチクチク突っつかれるんじゃないかと思うけど」
「そしたら許可がおりないとか?」
「どうだろうね。何しろ葉奈ちゃんの意志がどっちに転んでも微妙だから」

そう、葉奈は何も言わないままだったらしいが、どう考えても店長も嫌だ母親も嫌だという状況だ。

「でも、そういうことなら、二十歳になるまでは父親のところがいいですと言えば」
「もちろんそれでいいけど、僕はお母さんにかなりの勝算があるんじゃないかと思ってるんだよね」
「どうして?」
「葉奈ちゃんと店長がおかしくなってることなんて知らないはずでしょ。なのにそんなこと言い出すくらいだから、何かお母さんの方にどうしても葉奈ちゃんを取り戻したい事情があって、かつ、それが絶対に可能だという要素がなければ、こんなに時間が経ってから戻ってこないと思うんだ」

そうでなければただのバカだ。だが志津香の話では、わがままとおねだりの上手さは亜寿美並みだが、気の強さと頭の回転速度は亜寿美どころではないようだ。は志津香に聞いた晃代の話を繰り返した。

「小父さん、例えば、ですけど、葉奈ちゃんが家出をして行方をくらましたらどうなりますか」
「その間に二十歳を過ぎれば店長にもお母さんにも、もうどうしようもない」
「それってダメなんですかね。つまり、その――
「藤真、学校はどうするんだよ。その間の生活はどうするんだ」
「例えばの話だよ。そんなに怖い顔するな」
「藤真くんの言いたいことはわかるよ。僕だって本当はそうしたい」

薫さんの本音だったろう。だけでなく葉奈も可愛い薫さんは、出来ることなら自分の娘にしてしまいたいと思っていたに違いない。だが、薫さんは顔をしかめて腕を組み、唸るように吐き出した。

「これは僕の勝手な想像だけど、お母さん、法的手段に出てもいいくらいの状態にあるんじゃないかな」
「どういうことですか」
「うん、つまりね、僕たちが葉奈ちゃんを家出させて匿ったとしよう。それを親が訴えたとしたら?」
「本人が嫌だって言ってるんだし、無理矢理じゃないのに勝てるんですか」
「いや、そうじゃない。そんなことをしたら裁判沙汰にするぞと僕たちを牽制できる状態なんじゃないかな」

伝わりは悪いが勘のいい藤真が仰け反った。

「それって脅しじゃないですか、葉奈ちゃんに、お前が大人しく従わずに周囲の人間の手を借りて勝手なことをしたら、裁判沙汰にして協力者を訴えてやるからな――

もちろんそうと決まったわけじゃない。だが、薫さんが考えているのはそういうことだ。いくら葉奈を助けたくても、そんな事態は避けなければならない。それをかなぐり捨てて葉奈を匿ったりしようものなら、もう二度と航は帰ってこないだろう。

例えばこれが真実だったとしたら、もちろん葉奈は自分の大事な人たちのために母親に従うだろう。

、葉奈ちゃん、話が終わったら外に出られると思うか?」
「店長は止めないんじゃないかな。お母さんがどう出るかだと思う」
「でも一応連絡しておいたらどうだ。小父さん、朋恵さんたちはどうしますか」
「まあ、話さないわけにはいかないだろう。呈一さんにも連絡しておこうか。また花あかりだな」

と薫さんが連絡をとっているので、花形は仰け反ったままの藤真のつま先を蹴った。

「無理しなくていいんだぞ。お前がいなくても誰も悪く思ったりしない」
「そういうことじゃない。途中で投げ出すのはオレも嫌だ」
「それならいいけど、なんか嫌な顔してるから」
「ちょっとな、航の気持ちがわかったような気がして。それがなんか嫌になった」

あんたらさ、子供子供っていうけど、何だと思ってんだ?

これだけ聞いたら中学生かよと鼻で笑われそうな言葉だ。だが今、藤真は心の底から同じことを思って怒りに苛まれていた。航の言葉なんて、不貞腐れた中学生よりたちの悪いわがままで、もうすぐ二十歳になるっていうのにそこにどっぷりと浸かってる。そんなやつの気持ちなんてわかりたくなかった。

昨夜、航は藤真随伴に文句を言いつつ、に5年前好きだったんだよと言い出した。だが、も旭さんのように礼などは言わずに、ただ「知ってたよ」と言った。とはいえ、の場合は自分で気付いたのではなくて、父親の件が落ち着いてから花形たちに教えてもらったのではあるが。

航が何を期待していたのかはわからない。だが、彼は家を出た経緯を話し出した。藤真に言った内容とは少し違っていた。航は、自分と兄の何が違うのか、わからなかったという。外見や年齢なんてものは、来ている服が異なるくらいの些細なものだとして、航はなぜは自分ではなく兄を選んだのかわからなかったと言った。

そんなことが始まりとなって家を出ることを考えだした航に、薫さんは辛抱強く語りかけた。お前と兄は全く別の人間で、何もかもが違う。その上、は兄弟を天秤にかけて兄を選択したわけじゃない、弟の方に好かれてるなんて知らなかったんだと繰り返し言って聞かせた。

そういうことが知りたいんじゃない、そうじゃない。兄には彼女がいて、部活でも活躍してて、勉強もできて、いい仲間もいて、だけどそれが自分にはひとつもないのは一体どういうわけだ。何もかもが違うのは構わないが、だとすれば自分にはそれらのものが一生手に入らないっていうのか。

薫さんはもちろんそんなことはないと言い続けたが、航の心は固く閉ざされてしまって、何者をも通さないほどになっていた。そして航は、なんで父親は次男の自分より長男の彼女を庇ってるんだ、と思った。

そこで我慢が出来なくなった藤真が口を挟み、ゴチャゴチャと言い合いのようになり、結果、航はに今では好きだとは思ってない、もし兄と一緒になったらちゃんと姉と呼ぶからねと言い残して花あかりを飛び出して行った。後を追おうとした藤真の腕を引いたは、か細い声で言った。

「もしあの頃航くんに告白されてても、私は透くんを選んだと思う」

これも旭さんと同じだ。旭さんは育太兄貴を選び、決めた。も花形がいいという選択をしたのだ。

藤真の解釈で言えば、つまり航はを兄に取られた上、親までのことを庇って自分を諭しにかかってきたのが面白くなかった。誰がどう見ても薫さんと朋恵は自分たちの子供を愛していたし、手をかけ目をかけ、大事にしていた。だが、ふたりはも葉奈も可愛がっている。それが航には理解できなかったようだ。

友人の弟を悪く思いたくなかったけれど、とんだクソッタレの甘ったれ、そんな風に藤真は思った。なのに、航の言葉が浮かんできて、本当に何だと思ってんだよと思ってしまった自分が少し嫌になったというわけだ。数日前、花すっからかん事件の時にもそう思ったことはきれいに忘れている。

「よし、じゃあそろそろ出ようか。ご飯食べてから行こう」

藤真は勢いよく立ち上がって気持ちを切り替える。引っ越すまでになんとかならないものかな――

花あかり閉店後、バータイムを黙ってやり過ごした4人に葉奈の件を聞かされて、志津香はまた真っ青な顔をして落ち込んだ。朋恵もげんなりしている。呈一さんも難しい顔をしているし、いよいよ他人である彼らが出来ることがなくなりつつあった。すると、藤真の携帯が鳴り出した。

「一志だ。どうしたんだろう」
「藤真、わざわざ話さなくていいんだぞ。無理強いするようなことはやめろよ」
「言われなくてもしないよ、そんなこと」

着信に応じつつ、藤真は店を出た。岩間医院時代からそのまま使っている門扉を入ってすぐにガーデンチェアがあるので、そこに腰を下ろす。花あかりの前の通りはもうほとんど人が通らない。

「どうした、何かあったか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど、少し心配になって」
……葉奈ちゃんのことか?」
「ああ。昨日の今日だけど、大丈夫かなと……思って」

藤真は迷った。正直にぶち撒けてしまいたい。だけど、全て話してしまったら、花形に釘を差されたように無理強いをするようなことを言ってしまうかもしれない。葉奈も今日のことを長谷川に知られるのは望まないかもしれない。

「なあ一志、もう一度聞くけど、お前本当はどう思ってるんだよ」
「どうって、だから――
「信じる信じないとかじゃなくて、葉奈ちゃんがどうとかじゃなくて、お前の気持ちだよ」

藤真の声は優しかったが、長谷川は黙る。

「オレたちだって、何も好きでもないのにくっつけようとか、そんなこと思ってないよ。お前が葉奈ちゃんに対して何の思いもないならそれでいいんだって。オレがと葉奈ちゃんに対して恋愛感情がないのと同じ、それでいいんだよ。だから、そうならそうと言ってくれないか」

それならもう関わらなくていい。気になるなら報告はするし、どうしても力になってやりたいなら、葉奈に直接関わらないような形で出来ることを一緒に探したっていい。藤真の言葉に、長谷川はスッと息を吸い込んで、静かに話し出した。

「わからないんだよ。これが、好きなのか、同情なのか」
「え?」
「自分が葉奈ちゃんに対して抱いている感情がなんなのか、本当にわからないんだ」

藤真は少し考えてからガーデンチェアを立ち上がり、ちらりと花あかりの店内を振り返った。

「一志、それがなんなのか、知りたいと思ってるのか。それとも――
「知りたいとは思うよ。だけど、知ったところでどうなるわけでも」
「そういうのはもういい。オレもこんなグチャグチャの状態でここを出て行きたくない」
「そうかもしれないけど、お前には関係ないだろ。オレ自身の問題だ」
「うるせえなもう、どいつもこいつも! 全部関係あるんだよ! お前今から出てこい! いいな!」

藤真は一方的に通話を切り、花あかりの店内に戻ると、花形を外に引っ張り出して、簡単に説明をした。

「オレは駅前の居酒屋で話してくる。お前はどうする?」
「お前に任せる。オレは、と一緒にいるよ」
……ああ、そうだな。お前の役目はそれだ。じゃあ行ってくるわ」

藤真を見送った花形は店内に戻ると、藤真はちょっと用があって帰った旨を報告し、席に戻ると、親たちの話を聞いていたの手を取った。の手は少し冷たくて、だけどぎゅっと握り返してくる。

「一志と話しに行った」
「どうしたの、長谷川くん」
「葉奈ちゃんのこと心配してる。だけど、あいつも自分がどう思ってるのかわからないみたいなんだ」

花形はちらりとに目を落として、少し笑った。

「藤真には偉そうなこと言ったけど、オレ、一志も葉奈ちゃんが好きだったらいいなって思ってる」

花形だけじゃない、藤真もも志津香も朋恵も、みんなそう思ってる。