あなたと花に酔いて

08

厳密に言うとものすごく他人だし、自分ひとりでは手に負えないとげんなりした藤真だったが、何しろ平日の真っ昼間。店長はキレてるし、藤真しか店長を抑えられる人がいない。だいたいフローリストはどうしたんだよ!

さすがに朋恵も黙っていられなくて、航の腕を掴んで花あかりのキッチンに押し込んだ。効果はなさそうだが説教している。志津香は店内の客に詫びて、ドリンクをサービスすると言って回った。その隙に藤真は暴れる店長を引きずってフローリストまで戻ってきた。

「離せよ、あのクソガキオレが見てないと思って勝手なことを」
「はいはい、でもとりあえずいい大人なんだから人の店で暴れないでね」
「お前も何なんだよ他人のくせに!」
「いやほんと、まったくだ」

店長は暴れているが、元々小柄。鍛えてもいないし、藤真が考えているより簡単に連行できた。

フローリストに戻ると、こちらもげんなりした顔の清三さんが待っていた。店長が自分の店ほったらかしてどこかへ行ってしまったので、また清三さんが店を見ていてくれたらしい。この店は清三さんがいなかったら潰れるんじゃないかという気がしてきた藤真は、まだ悪態をついている店長をバックヤードに閉じ込めた。

見れば亜寿美は怯えた表情ながらも、店長が花あかりに怒鳴りこむほどには泣いていない。こんな騒ぎになっているというのに、作業台の影のパイプ椅子に座って携帯を見たり顔を上げてキョロキョロしたりしている。

「藤真くん、君は本当に救世主だな」
「そんなこと言ってる場合ですか。店、誰か他に見られる人いないんですか」
「店番だけならオレでも大丈夫だよ。あと、透兄ちゃんにも電話しておいた」
「おお、助かります。あとどうしようかな」
「そんなに人数がいるか?」
「いえ、もういい加減店長に上からものを言えるような人がほしいんです」

藤真はかくりと頭を落とした。こんな時、岩間先生がいてくれたら。

「志津香ちゃんのほら、あの人はダメか? もう退職してるんだろ」
「それも考えました。だけど、店長が彼の話を聞くとは思えません」

そういう意味でなら、店長にはもう誰も上から物を言えない。薫さんでも近所の馴染みの店主たちでも聞きゃしないだろう。藤真はガタガタ揺れるバックヤードの引き戸を押さえながら、花形が来るまでは待つことにした。今日は金曜、明日は土曜、先週藤真のせいでとのデートが飛んだ花形だが、多分今週も潰れる。可哀想に。

清三さんと話をしていると、店の前に朋恵さんと航がやってきた。朋恵さんはの父親を成敗した時のように厳しい顔をしていて、さすがの航も逆らえなかったようだ。

「店長はどちら?」
「朋恵さんもう少し待って。まだちゃん暴れてるし、助っ人も来ないし」
「航、兄貴来るけど我慢しろよ。お前のせいでみんな迷惑してるんだからな」

兄と聞いて航はサッと顔色が変わった。だが、母もいるし、不本意ながら藤真の言うことは正しいので反抗はしなかった。朋恵にガッチリ袖を取られながらぷいとそっぽを向いている。

それから5分ほどで、まずは花形がすっ飛んできた。自転車を飛ばしてきたらしく、汗だくになっている。久しぶりの弟に少々怯んでいるようだが、何しろその弟の不始末である。花形はまず清三さんにぺこぺこと頭を下げた。それが済んだところで、藤真はバックヤードの引き戸を開ける。

「店長、朋恵さんが――
「ゆきぽん、大丈夫ー? 今日ちゃんと行かれるの?」

藤真の腕の下をするりとくぐって、亜寿美がバックヤードに飛び込んだ。瞬間的に頭に血が上った藤真と花形と清三さんだったが、しかしそのおかげで店長は少し落ち着いた。亜寿美は今日の閉店後に食事に行く約束をしているらしく、それがちゃんと守られるかどうか、心配している。

それを見ていた航がぼそりと「きめえ」と言って朋恵に腕を叩かれた。藤真たちもそれには同意なのだが、口に出すから余計な騒ぎになる。航は清三さんにも窘められている。

朋恵に袖を引かれた藤真は彼女を通して、航の隣に並んだ。店長は亜寿美のおかげで少し落ち着いたけれど、もちろんまだ怒っている。花形と清三さんがその横に控えて万が一に備えた。

さん、息子が大変失礼をいたしました。申し訳ありません」
「まったくですよ。何考えてるんですか、急に現れてあんな失礼なことを」

バックヤードであぐらをかいて腕組みの店長は、額が膝につくのではないかというくらいに体を折り曲げて頭を下げる朋恵に苦々しい口調で言い返した。亜寿美は店長の斜め後ろにちょこんと座り、同じように朋恵を見下ろしている。完全な被害者面で、藤真はまたイラッとする。

「だいたいね、初対面なんですよ。航くん何年も前から帰らないじゃないですか」
「はい、承知しています。わたくしどもの管理不行き届きです。申し訳ありません」
「いくら図体がでっかくたってね、まだ10代でしょ。子供! 世の中のことなんか何も知らない子供なんですよ!」

店長と朋恵は少し力関係がややこしい。年は店長の方が少し年上、親としては朋恵の方が3年先輩。それにしても店長は上から目線だ。親としても人間としてもはるかに先輩である清三さんが渋い顔をし始めた。

「そりゃあね、お宅はみんな図太い神経の持ち主ばかりかもしれない。僕だってこれでけっこう強いですよ。だけどね、亜寿美はそうじゃないんですよ。繊細なの。デリケートなの。わかります? お宅のお子さんたちみたいにね、雑に扱ったら壊れちゃうんですよ」

藤真がちらりと見渡すと、花形が真っ青な顔をしている。ショックだろうな。自分もどんな顔をしているかわかったもんじゃない。反対に航の方は、目を少し伏せて背けている。機嫌が悪そうだ。母親がちょっとおかしくなっている店長に頭を下げたまま上げないのはさぞ不愉快だろう。だが、航が不用意なことを言ったからだ。

「というか当人は何してるの。本人からの謝罪はないんですか」
「航――
「謝罪って……それならオレも謝ってほしいね。そこのおばさん、謝ってよ」

今度は朋恵と清三さんが真っ青になり、店長が真っ赤になる。亜寿美は自分のことだと思っていないようだ。

「お前ふざけんなよ!!!」

また店長が爆発した。花形と清三さんが慌てて取り押さえ、藤真は慌てて店のドアを閉めた。だが、直後に勢いよく開いて外に手を出し、忙しなく招いた。なんと、長谷川が来たのだ。

「一志よかった、手ェ貸してくれ。今ちょっと大変なんだ」
「お前がいるって言うから意を決して来てみたら……ここは呪われてるのか?」

清三さんに代わって長谷川も店長ホールドに回った。店長は航に向かってとりとめもないことを怒鳴り散らしている。長谷川に代わってもらった清三さんは外に出て客がやってきた時に備えている。

「航、いい加減にしなさい」
「母さん、ねーちゃんの身内だからってオレは関係ないんだけど」
「そういうことじゃないでしょう、相手が誰であれ失礼なことを言ったあなたに非があるのよ!」
「えっ、その理屈おかしくない? そしたらオレも失礼なこと言われたから、向こうにも非があるよね」

朋恵と航の間に挟まれておろおろしていた藤真は、長谷川に代われと言われてその場を離れた。長谷川は花形に目配せをすると、朋恵に近寄って肩に手をかけた。朋恵は懐かしい顔なのと状況がひどいので半泣きである。

「お前航か、久しぶり」
「おお、長谷川のにーちゃん、久しぶり」
「何言われたんだ?」
「ああ、さっきのね。――誰だか知らないけど、大きな顔しないでください、買わないならお客じゃないですよ」

全員絶句。が、店長はまた噴火。あすみんがそんなこと言うわけないと大暴れしている。だが、航はちらりと店長を見ただけで、顔色を全く変えない。

「言った言わないになってもしょうがないけど、オレが店長の彼女を貶める理由がないよ。それこそ初対面なんだし、オレもびっくりだよ。中学生の頃、この店に何かあれば手伝ったり、ねーちゃんの時も色々手を尽くしたのは誰だと思ってんだ。基本的に全部花形の人間だろうが」

頼んだ覚えはないと店長は反論しているが、航はまったく意に介さない。

「久々に帰ってきて、道すがら挨拶しようかと思って入ったら大きな顔するなと来たもんだ。いい年して……アタマ大丈夫か? 清三さんに聞いたら店長の彼女で結婚するかもって言うから、これキッツいだろうな、まだ学生残ってんのに、それを盾にされて、黙って耐えてんだろうなと思ってさ」

店長はひとり暴れているが、航の言っていることは概ね事実。亜寿美は少し口を尖らせてそっぽを向いている。

「あんたらさ、子供子供っていうけど、何だと思ってんだ? 自分の都合のいい時に子供から大人に切り替えて呼び名を変えて、自分の意に沿わないと親不孝者、若ければ全て未熟、だけど羨ましい」

航は淡々と話しているが、突然話が逸れた。何の話をしてるんだ、何が言いたいんだ。母と兄と藤真はまた少し怖くなってきた。その航の肩を長谷川が掴み、少し揺らした。

「航、気持ちはわかるけど、こんなことで事を荒立てても苛々するばかりだぞ」
「騒いだのは店長の方だよ」
「その前だよ。相手にしなかったらよかったのに。お前らしくない」
「まあ、そうかもしれないけどさ、が可哀想でさ。長谷川のにーちゃん、まだ付き合ってんの?」

本日一番の爆弾発言だった。何しろ、葉奈と長谷川が数ヶ月付き合っていたことを、店長は知らない。

「どういうことだよ! オレそんなこと知らないぞ!」
「店長落ち着いて、葉奈ちゃんが頼んだんだよ、一志はそれに応えただけだ」
「それもほんの3ヶ月くらいのことで、今はもう――

頭の血管が切れそうなほど興奮している店長に、藤真と花形は必死で声をかけた。長谷川もこれにはなんと答えたものかわからなくなって黙った。すると、航はにんまりと笑って少し首を傾げた。

「本当に都合がいいね。が大事なら目を覚ませよ。そのおばさん、のことなんか何も考えてないぜ」

状況は最悪だった。だが、航の言葉に頭に血が上ってしまった店長が眩暈を起こし、へなへなと崩れたところで長谷川が動いた。朋恵に声をかけ、航を連れて店を出て行った。そして店の外にいた清三さんに事情を話すと、清三さんは若先生を呼んでくれるという。

長谷川が色々段取りを取っている間に、バックヤードではとうとう亜寿美が口を開いていた。

「ゆきぽんしっかりして。あの人あなたの弟なの? いい加減にしないと訴えますよ」
「う、訴える?」
「こんなにゆきぽんを傷つけて、失礼なこと言って、慰謝料取りますよ? よく考えてくださいね」

亜寿美は真剣な目をしていた。それを見ていられなくて思わず逸らした藤真の目に、亜寿美の携帯のモニターが映る。そこにはSNSのタイムラインが表示されていた。この騒ぎの中、SNSやってたのか――

ちゃんの彼氏かもしれないけど、ここはちゃんのお店じゃないでしょ、ゆきぽんのお花屋さんです。関係ない人は偉そうなこと言わないで。ゆきぽんの治療費はあとで請求するから、すぐに払ってくださいね」

藤真と花形は、示し合わせたように店長にかけていた手を離した。亜寿美が怖い。もう成人しているし、充分に大人だと思っていたけれど、こんな人間は見たことがない。暴力や犯罪もそりゃあ怖いだろうけれど、亜寿美の方が怖い。こんな人間が本当にいるのかと思うと、体が冷たくなっていく。

店長の顔を撫でまわしている亜寿美が恐ろしくて、ふたりはよろよろとバックヤードを出て後退りし、そのまま店を出た。店の外では、長谷川が朋恵とあれこれ話していた。ふたりの顔色を察して清三さんが駆け寄る。

「すまなかった、本当に悪かった」
「せ、清三さんが悪いわけじゃないでしょ、何言ってるんですか」
「いいや、もっと早くちゃんにしっかり話しておくべきだったんだ。怖かったろう。後はオレが見てるから」
「藤真、花形、若先生来るまで清三さんいてくれるっていうから、ひとまず離れよう」

また店長が爆発しないとも限らないので、長谷川は清三さんに連絡先を渡し、真っ青な顔をしている藤真と花形の背中を押して、フローリストの前を離れた。何しろ花あかりを志津香ひとりに任せたままだ。5人はひとまず花あかりに向かうことにしたが、藤真と花形と朋恵はずっと下を向いてよろよろしていた。

花あかりに到着すると、岩間医院時代からそのまま使っている門扉に「本日18時閉店」の張り紙が出ていた。

「は、長谷川くん!?」
「お久しぶりです。藤真がいるって言うんで来たんですけど、なんか大変なことに……
「皆さん、本当にごめんなさい、本当に――
「志津香さん、もうやめよ、そういうの。航も余計なこと言ったけど、やっぱり亜寿美さん、あの人おかしいよ」

ティータイムの客がちらほらと残るだけの店内、藤真は小声でそう言った。それに花形と長谷川も頷く。今はもう16時半を回っていて、志津香は既に閉店準備をしているという。珍しく言葉が出ない朋恵は、キッチンの中に引っ込んでしまった。

「航くんは何で戻ってきたの? 今日はもう用はないの?」
「ええまあ。明日ちょっと用があって。別に泊まるのはホテルでもいいんで」
「そうじゃないわよ。今日はバータイムの前にお店閉めるから、よかったらご飯食べていかない?」

激昂するようなことはなかったけれど、やはり航も気分は良くないだろう。つっけんどんに答えたのだが、優しいのに妙な迫力のある志津香の言葉に、つい、といった様子で頷いた。前回のようにテーブル席に通された4人は、アルコールでもいいと言う志津香に甘えて、それぞれ好きなものをオーダーした。

しかし何しろ航が刺々しいし、もはや花形もそれには触れないし、藤真と長谷川は精神力が削られすぎてしょんぼりしていた。それから30分ほど経っただろうか。長谷川の携帯に清三さんから電話がかかってきた。テーブルを離れた長谷川は外に出て、しばし話をして戻ってきた。あまりいい話ではなかったような目つきだ。

「なんかまた嫌な話か?」
「まあ、そこそこ。さっきの、亜寿美さん? が慰謝料慰謝料ってうるさいみたい」
「慰謝料って……

清三さんによれば、飛んできてくれた若先生の見立てでは、血圧が上昇してしまってはいるが、降圧剤を使うほどじゃないし、可能なら今日はもう体を休めて、明日以降に異常が感じられるようなら受診してみたら、という話だったそうだ。店長は持病もないし、清三さんはそんなこったろうと思ったと鼻で笑った。

だが、診察が終わると、亜寿美が神妙な顔をして若先生に詰め寄ったという。異常がないはずがない、ゆきぽんにもし何かあったらどうするんですか、ちゃんと診てください、薬は? 入院は? それでいくらかかりますか?

しかしそこは若先生も老人ホームに併設されたクリニックで5年目である。できるだけ淡々と緊急を要する状態ではないこと、そんなことより安静にすること、費用はこの往診なら発生してもガソリン代くらい、今後異常が出なければそれまで、ということを説明した。のだが、亜寿美は引き下がらなかった。

慰謝料を請求するので先生診断書書いてください、ゆきぽんがひどい目にあったことをちゃんと書いてください。

これには若先生もこらえきれずに、ブハッと吹き出してしまった。訴えるのは好きにしたらいいけど、一時的な血圧上昇で取れる慰謝料より、裁判にかかる費用の方が高いよと言って笑った。そして、こんなんでも医者として一生働いていきたいから、嘘は書けない、他をあたってくれと言って帰っていった。

清三さんは若先生がいる間にあさひ屋に頭を下げに行き、旭さんに手伝ってもらって店を閉めたところだという。このところこんな騒ぎ続きなので、雑貨屋のおじいちゃんがとうとう「迷惑なんじゃないの」と言い出したそうだ。誰も店長に同情はしないけれど、フローリストは過去最大のピンチに陥っている。

「これまで商店街のみんながフローリストに好意的だったのは、と葉奈ちゃんがいたからなんだな」
「ふたりとも小さい頃からここで育ってるしな」
「そりゃそうでしょ、あの頃だって、みんなが助けたかったのは店長じゃない、ねーちゃんだよ」

ここにいる全員、当時のことを思い出してみる。全くその通り、店長は当時から割とゲスで、力になってやりたかったのはだ。そう考えると、店長はこの商店街での自分の立場を過大評価していたかもしれない。葉奈を蔑ろにして亜寿美に夢中になるのは勝手だが、商店街の人々は葉奈の味方だ。店長の株は下がる。

もちろん周囲の人々に快く思われなかったら商店街を出ていかなければならない、なんていうルールはない。けれど、の件でなかったとしても、何かあればみんなで助け合ってきた。果たしてその輪から弾かれて、それでもこの場所で商売をしていけるものだろうか。

しかも亜寿美はフローリストで一緒に働く気はないという。悲惨な結末しか見えないのは気のせいだろうか。