満月の夜に革命を

15

はバイト代をはたいて浴衣を新調していた。白地に菖蒲柄の、最近では少し地味なデザインだが、の場合は中身が少々目立つ仕様なので、少し地味な方が映える。あまり派手に揃えると相殺されてしまう。値段も少々張ったが、は満足している。

三井にも浴衣を着てもらいたいと考えていただが、もちろん却下された。理由は恥ずかしいから。地元の祭りなので誰に会うかわからないからだ。それに、浴衣まで買う予算はないという現実的な理由もついた。甚兵衛でもいいとは考えていたのだが、予算がないのではどうしようもない。

にこやかに話してはいたが、は三井が相当な覚悟で夏祭りに行くと言っているのをわかっていた。プライドが高く、からかわれるのが大嫌い。そんな三井が自分を連れて夏祭りに行って、部活関係にしろグレてた頃の知り合いにしろ、顔を合わせてしまった時に、誰も彼もが挨拶だけで済むとは思えない。

特に部活関係。木暮にはなんとか話せたが、木暮が吹聴でもしない限り、赤木も知らないということになる。

「寿くん、無理しないで、ダメだと思ったらマスターのとこ行こうね」
「いいっつってんだろお前もしつこいな」

その割には顔が険しい。は笑わないように頑張る。ただでさえ浴衣で現れたを目にした時の三井の顔は滑稽で、は吹き出してしまいそうになるのを必死で我慢した。既に少し腹筋が痛い。ただ三井が気に入ってくれたならそれでいいので、は本日の目的を半分くらい達成した。

誰に会うかわからないこの夏祭りの人混みの中を、手を繋いで歩いてくれている。はそれが嬉しくて仕方ない。ロダンからの帰り道を並んで歩くだけだった1年前が遠い。

しかしそれはそれとして、数万人規模の地元の大きな夏祭りで、知り合いにぶつからないわけがない。

「ああ、クソ……いきなりかよ」
「どうしたの?」

繋いだ手が硬くなる。見上げると、三井は恥ずかしいのか怒っているのか悔しいのかわからない顔をしている。

「あれ、三井じゃないか」
「よう……目立つなお前ら」

は驚愕に目を剥いている。三井に声をかけてきた集団は、の感覚で言うと赤木レベルの身長が4人ということになる。翔陽バスケット部の皆様である。

、翔陽」
「え!? あ、そう」
「藤真、アナソフィア」
「はあ!?」

と翔陽くんたちは一斉に変な声を上げる。特ににとっては、公式の交流制度があるにも関わらず、翔陽にこんな巨大な人間がたくさんいるとは知らなかったので、ビビっている。一方の翔陽くんたちも湘北のはずの三井が連れているのがあのアナソフィア女子だということがよくわからない。ああ、もしかして――

「妹?」
「ちげーよ! どういう意味だ!」
……君、本当にアナソフィア?」
「花形、オレこの子見たことあるわ」

花形と呼ばれた巨大なメガネが真剣に心配そうな顔をして覗き込んでくるので、はたまらず吹き出した。が、三井に藤真と呼ばれていた小奇麗な顔をしたのが不穏なことを言い出す。知ってるわけがないとは考えたが、その直後に昨年の文化祭の記憶が蘇る。しまった!

「ほら、あれ、ガガ!」
「ああ、後夜祭の――
「それは忘れて!!」

は思わず手にしていた団扇で藤真と花形を叩いた。急にが暴れだしたので、三井は慌てて引き寄せると肩を叩いて宥める。藤真と花形はニヤニヤしているし、は後悔先に立たずといった表情だ。

「おい、どうした――
「後で話すからとりあえずその話はやめて!」
「三井、知ってるか? 彼女、アナソフィアでもトップクラスの人気があるんだぞ」
「そんなことな――
「それが三井とはねえ」

は焦りながらも徐々に状況が読めてきた。もちろんこの巨大な集団は翔陽バスケット部だが、つまりこれが絶大な人気を誇る現3年生で、今年湘北に撃破されてしまったということか。お前らが言うなとは思うが、三井がにやりと嬉しそうに笑ったので、とりあえず黙っておく。だが藤真は喋る。

「まあ、アナソフィアでも特に人気がある子っていうのはだいたい趣味が変なんだよな」
「どーいう意味ですかそれ」
「今年の球技大会かな、うちの1年が『30歳若い』って言われて振られてねえ」

岡崎だ。は手で顔を覆って俯く。それは本当に申し訳ないことを。

「もうひとり、バスケ部じゃないけど、そいつは細すぎるって言われてさ。水泳部の逆三エースなのに」
「すいません失礼を……どっちも友人です」

今度は緒方か。はなぜか頭をぺこぺこと下げた。

「んで、頂点にいる君がこれだもんなあ」
「これって何だ! 指差すな! お前言いたい放題じゃねえか」
「いいじゃないか言わせろよ。インターハイに行かれて可愛い彼女もいて、贅沢っていうんだそういうのは」
「ふん、当然の結果だ」

静かなる火花が散りそうな内容だが、三井も藤真も楽しそうだ。は繋いでいる手に力を込める。

「じゃーな」
「おう、冬の選抜予選、覚悟しとけよ。ギタギタにしてやるからな」

翔陽くんたちが通り過ぎてしまうと、三井はがっくりと肩を落として息を吐いた。

「私は変な趣味してないと思うんだけどなあ」
「さっきのはアレか、例の青田に紹介したっていう」
「そう。30歳若いの方も友達。こっちはおじ様じゃないとダメな子――って寿くん、噂をすれば!」

はぴょんぴょん飛び跳ねながら、三井の腕にしがみついた。前方からやってくるカップルには手を振り、三井はまた変に青くなる。青田と緒方がふたりで歩いていたのだ。

「え、なに、もう付き合ってんの、あいつら」
「ううん、まだだと思う。だけど緒方がデートしてくれるなんて、龍っちゃん合格なんだよ! きゃー!」
「お前楽しそうだな……

向こうもこちらに気付いた。紺地に白抜きの藤柄の浴衣の緒方が青田の腕を引いている。と緒方は楽しそうだが、三井と青田はそれはもう気まずい。

ー! 来てたの! ねえもしかして」
「そうそう、これが噂の寿くん」
「噂!?」
「アナソフィアの至宝、を泣かしたともっぱらの噂ですが」

三井はがっくりと肩を落として膝に手を突いた。

「まあまあ、いいんだってそんなことは〜。龍っちゃん、よかったねえ、デートしてもらえて」
「してもらえて、ってお前な」

は緒方を引っ張って離れ、こそこそと耳打ちをする。

「どうなの、龍っちゃん、いい感じなの? 悪い人じゃないでしょ」
「うん、可愛いね。優しいよ」
「可愛い……! 緒方さすがすぎ」

一方残された男子ふたりは割と深刻な顔である。

「青田、精神が真っ二つに割れたような顔してんぞ」
「まあ実際そんな感じだ」
「相手のスペックが高いと色々つらいよな」
「しかもオレは正直うしろめたい」
「いいんじゃねえの、別に付き合ってたわけじゃねえんだし」

青田は赤木の妹にずっと片思いしていたが、とりあえず脈はない。しかも兄の赤木の方と幼馴染状態であるから、そっちのガードも厳しい。さらにそんなところに現れた緒方はこの通りモデル体型の美人さんである。夏祭り行きませんかと言われて断れなかった上にちょっと楽しいのは仕方あるまい。

「キレーな子じゃん。こんなチャンスもう2度とないぞ」
「お前が言うか。あとそんなことはわかってる。だから困ってんだろうが」

話が終わったらしいと緒方が戻ってきて、ふたりはそれぞれの相手の腕にぺたりと寄り添った。三井はともかく青田はおろおろしている。じゃあまたね、というところだが、2組のカップルは突然黄色い声に包まれた。

ー! 緒方も一緒か! てかお前らずるいぞほんとにいい!」
「ふたりともいつの間に!」
はわかるけど緒方って男平気だったの!?」

岡崎とダンス部の皆様計十数名である。確かメイン会場でダンスバトルイベントがあったはずなので、それに挑んできたのかもしれない。全員ラフなTシャツ姿なのに化粧が濃い。三井と青田はもう表情がない。

三井と青田は、翔陽男子でもないのに大量のアナソフィア女子に取り囲まれるという貴重な体験をしている。が、ダンス部のお嬢さんたちは少々毛色が違う。基本的に演劇部とダンス部はアナソフィアにおける変な個体発生の温床であり、その次期部長が緒方と岡崎なので、この場がカオスなのは仕方あるまい。

さんざんいじられたところでやっと解放してもらった三井はぐったりと疲れていた。しかしこれがきっかけでの彼氏が偏差値高くないらしいけどかっこよかった、とアナソフィア中に知れ渡ることになる。さらに緒方の彼氏かもしれない青田が衝撃的だったらしく、新学期からしばらくはその話題で盛り上がることになる。

「よかったねえ、寿くんかっこいいって!」
「それ喜ぶところか?」
「喜ぶところじゃないの? 私は嬉しいけど。やっぱり学校がどことかそんなの関係ないんだよ」

いい加減三井が可哀想になってきたので、は祭りのメイン会場を離れて花火が見えそうなところへ移動している。だが、花火が見えそうなところは必ず人がいる。これならHeaven'sDoorへ行った方がよかったかもしれないとふたりは後悔したが、もう間に合わない。

それでもなんとか花火が見られそうな場所を探してうろうろしたふたりは、最初の1発が打ち上がる直前になって場所を確保した。精神的に疲れて恥ずかしがる気力もない三井は、にぺったりとくっつかれると黙って抱き返した。そもそも夏祭りの花火、周りはカップルだらけである。

「疲れた?」
「人疲れ。なんか翔陽とか青田とか、その辺が疲れた」
「花火見たら帰ろうか」
「まだ早いだろ。別に体は疲れてないよ」
「じゃあマスターのところ行こうか?」
「それもなあ」

そんなことを話していると、最初の1発が夜空を駆け上り、一瞬の静寂の後に爆発した。は三井の腕の中で身を捩って空を見上げる。1年前、ピアノを弾くマスターに乗せられて歌った夜を思い出す。あの頃は手を繋ぐくらいしか出来なかった。夜空で輝く大輪の花は、手を触れもせずに並んで見ただけだった。

三井も歌うを思い出していた。すっかり暮れた空の下、遠くに浮かぶ月がの髪飾りのようだった。マスターに煽られて一生懸命歌っているの髪が風に浮き上がり、その体を抱き上げて誰もいないところに連れ去ってしまいたかった。

「寿くん」
「何」
「今度こそ寿くんの話、聞きたい」

は三井の腕に頬を摺り寄せた。髪形が変わろうと表情があろうとなかろうと、あの頃と同じ腕だ。

「そういやそうだったな。本当に長いぞ、話」
「何日かかってもいいから、ちゃんと全部聞かせて」
……わかった」

もう声が聞こえないほどに打ちあがる花火を見上げるの髪に、三井はそっと頬を寄せた。の匂いがする。1年前、木暮から隠れようとしてつい抱き締めてしまった時のままの、柔らかくて暖かくて、そして心が疼く甘い香りだった。

に全てを話す。それはいい。だが、木暮の時同様場所がない。またHeaven'sDoorというわけにはいかない。なぜなら本当に時間がかかるから。見せたいものもあるし、あまり人のいる場所でしたい話でもない。夏祭りの日の夜から翌日丸1日かかって悩んだ三井は、決断した。

を家に呼ぶ。

当然家族がいる自宅にだ。特に今はお盆休みなので日中でも両親が揃っている。だが、背に腹は替えられないし、こんな時こそのアナソフィア女子という肩書きがものを言うし、一応やましいことはしていない。三井は早速に連絡して、翌日迎えに行くことにした。

で話を聞きたいと思ってはいたが、まさか家に来いと言われるとは思わなくて完全にビビっている。しかも親がいないから来いではなくて、親がいるけど来いと来たもんだ。はまたクローゼットをひっくり返して服選びに頭を悩ませる羽目になった。もういっそ制服で行きたい。

そして当日。

「制服の方がよかったかもしれねえな」
「あ、やっぱり?」
「話が早いよな……説得力ハンパねえし」

三井によれば、彼がグレていたことで両親は少々攻撃的になったのだという。芯からグレているわけではなくて、ただ捻くれているだけだったことをよくわかっていて、持て余してはいたものの、三井の憎悪には屈服しないことを選んだ。幸い息子は家庭内では暴れたりしなかったので、戦う道を選んだ。

「だからちょっと乱暴に感じるかも」
「それは気にしないけど……大丈夫かな」

は不安がるが、三井は問題ないと踏んでいる。息子は一度堕落してしまったのだし、髪を切ってバスケット部に復帰しただけでも安堵しているのだ。そこにアナソフィアという絶対的なブランドを背負った彼女が出来たとなれば、心配するより安心するのではないか――きっとそう考えると息子さんは思っている。

そしてを連れて三井は自宅の玄関ドアを開ける。

「ただいまー」
「あっ、ちょっとあんたどこ行ってたのよ何も言わないで出かけてまったく話ができないじゃな――

シャープな顔立ちの母親がまくし立てながらリビングから飛び出してきた所で固まった。少し三井に似ている。玄関に見慣れた仏頂面の息子以外の人間がいるので、三井母の思考は一瞬完全に停止した。しかもなんだかどエラく可愛い女の子だ。何事?

「彼女」
「は、はじめまして」

渋い顔をしている息子の隣で、可愛い女の子がぺこりと頭を下げる。そしてお母さんは覚醒する。

「彼女ー!? ちょ、あんた、こんな可愛い子たぶらかして! あなた騙されてるわよ!」
「どういう意味だよ! たぶらかすって何だ!」
「だいたいあんたあんなグレてて女の子に好かれるわけないでしょうがァ!」

お母さん強い。三井の頭を平手でぴしゃりとやると、に申し訳なさそうに手を伸ばした。

「何も変なことされてない?」
「いい加減にしろよ!」
「あ、あのっ、私、寿くんには何度も危険なところを助けて頂いて」
「危険な目に合わされたの!?」
「ちゃんと聞けよ! ビビってんだろうが!」

三井は母親を押し返して靴を脱ぎ、にも上がらせた。「おじゃまします」と再度頭を下げたに、三井の母親はまだ心配そうな顔をし、の腕をそっと引いて、息子から遠ざけようとしている。お母さんひどい。

「あなた、ええと――
といいます」
ちゃんは湘北の子かしら? 同い年?」

そしてとうとう伝家の宝刀が引き抜かれる。

「いえ、聖アナソフィア女子の、2年生です」

かすかにニヤついている三井の横で、お母さんは絶叫した。

「アナソフィアぁー!?」

お母さんはショックのあまりよろける。とっさにが伸ばした手を掴み、未確認生物を目撃してしまったかのような目をしてを見つめている。無理もない。アナソフィアはこのお母さんが生まれる前からお姫様養成所のようなものだったのだから。世が世ならリアルプリンセスご降臨というところだ。

数分後、ダイニングで混乱と戦っている三井母と、三井とは差し向かいになっていた。

「話はわかった。木暮くんは私も知ってるし、寿になんかされたわけじゃないのも信じましょ」
「あのなあ」
「だけどちゃん、本当に何か困ったことになったら言うのよ」
「だ、大丈夫です、寿くん優しいです」
「嘘ぉ!? あんた優しいの!?」
「悪いか!!」

お母さん容赦ない。しかしそれも仕方あるまい、息子がグレて以来、家に来るのは徳男のようなのばかり。それが急に可憐なアナソフィア美少女を連れてきたとなれば多少の混乱は避けられない。だが、息子の悪堕ちと更生を乗り越えてきた母は強い。ニタリと笑うとの手を取った。

「アナソフィアってことは頭、いいのよね? テストの前だけでいいから寿の勉強みてやってくれないかしら〜」
「何猫なで声出してんだよ、こいつ2年だって言ってただろうが!」
「あんたより出来るわよ! この間の期末だって赤点4つでインターハイ行かれないところだったじゃないの!」
「赤点4つ!?」
「そうなのよ聞いてよちゃん、湘北は校則で赤点4つ以上あるとインターハイ行っちゃダメだったのよ」

三井母とは手を取り合ったまま、蔑むような目を三井に向ける。赤点4つはつい目を逸らす。

……わかりました、夏休みの宿題と2学期の中間期末、任せてください」
「ほんとー!?」
「おいバカ、何言ってんだ!」
……バカは赤点取った寿くんでしょ」
「いやー助かるわ! なんか立ち直ったはいいけどバスケばっかりで勉強ちっともしないんだもの」

三井母はにこにこ顔でキッチンへ行き、お茶やらお菓子やらを用意してくれている。これで三井の部屋へ移動できそうだ。それにしても三井母は強い。これで安心だのいつでも来いだのと上機嫌だ。

「あ、そうそう、あんたが黙って出て行くから言えなかったんだけど、お母さんたち17時の新幹線だからね」
「新幹線?」
「この間っから言ってるでしょうがほんとにもう、私の伯母の7回忌だって」
「そうだっけか」

三井はぼんやりしているが、はサッと血の気が引いた。今夜ご両親いないの!? まさかもしかしてどうしよう、下着大丈夫だっけ!? こっそり青くなっているを他所に、三井母は弾丸トークだ。

「部屋は冷やしてあるんでしょうね。掃除したの? 遅くなるならちゃんになんかおいしいもの食べさせてあげなさいよ。ああほらこの間表の通りに新しく出来た店があったでしょ、あそこならきれいだしいいんじゃないの。お金置いていくから」
「叔父さんにもらったのがあるからいいよ」
「何でもいいから適当にしないでよ。あとちゃんと家まで送るのよ。玄関までよ!」
「わかったって、しつこいな」

三井母は息子にお茶のペットボトルとグラスを、にはお菓子を渡してダイニングから追い立てた。どうやらこれからすぐにでも宿題に取り掛かるとでも思ってるようだ。階段を上がり、三井は奥の部屋のドアを開く。はひとり緊張と戦っていた。