満月の夜に革命を

03

ねえ公ちゃん、湘北にロン毛のヤンキーで三井っていうやついない? ムカつくんだけど!

はそう木暮に話そうとして、思いとどまった。木暮に話して何になるというのだ。知っていたとして、木暮が三井を教育的指導でもしてくれるわけでなし、そもそも学年すらわからない。あまり幼くは見えなかったから、同学年ではないような気がしていたが、それも定かではない。

だいたい湘北は素行不良に対して甘すぎ! 他の学校ならとっくに退学になっているようなのでも平気で置いておくんだから! だから三井みたいなのが悠々と街を闊歩してるんじゃない。いい迷惑よ! ああいうのはさっさと追い出してもっと深みに嵌らせればいいのに。そうしたら日の高いうちになんて外に出て来なくなるのに。

何の罪もないが元凶であるアナソフィアの制服を脱いだは、手にしたスカートを床に叩きつけた。

姿見に映る自分の下着姿は、たまに見るとなぜか違和感があった。制服や私服を着ていれば何も気になることはないのに、下着だけで姿見に映ると不思議な感じがする。きれいとか可愛いとかそんなことではなく、急に自分の体が艶っぽく見えては姿見から逃げる。裸よりいやらしいもののように見えた。

誰も好きになれない私の、この体に指を触れる人がいるんだろうか――

バカなことを、と部屋着に手をかけたところで、は脳裏に浮かんだ顔に驚いて体を震わせた。部屋着を取ろうと伸ばした手に、大きな手が重なる。その手を遡って顔を上げると、そこには三井の顔があった。

は部屋着を掴むと、今度は壁に叩きつけた。

なんであんなのの顔が出てくるのよ。あんなのに触られたら気持ち悪くて頭がおかしくなるに決まってる。一気に鳥肌が立ったは、ドクドクと耳に聞こえる鼓動と荒い呼吸を整え、三井の顔を打ち消そうとした。家族や木暮家、友人たちの顔を思い出す。お前なんか消えろ。は幸せなイメージで頭を満たそうとした。

だが、三井の顔はなかなか消えていってくれず、は下着姿のまま唸り続けた。

……、何かあった?」

岡崎がそう言っての顔を覗き込んできたのは、三井にナンパから助けてもらった数日後のことだった。ちょうど教室の片隅で弁当を突っついているところで、は箸を咥えたままぴたりと止まった。

「何かあった、って?」
「いや、うーん、よくわからないけど、なんかちょっといつもと違う気がして」
「そうかな。特に何も……ないけど」

そう言って肩を竦めて見せたが、岡崎は納得しない。

「なんて言ったらいいのかな、いつもより可愛いよ」
「は!? ……岡崎ちゃん、私のこと好きだったの?」
「いやそーいう意味ではなく」

岡崎は確かにきれいな顔をしているのだが、意に沿わなかったり呆れたりすると顔のパーツが線と点で出来たような表情をする。も岡崎が唐突にそんな表現をするので、他に返しようがなかった。

「好きな人出来た?」
「残念ながら」
「だよねえ。それともちょっと違うんだよな」

岡崎はずっと不審がっていたが、はまさか三井の件ではあるまいと軽く受け流した。しかし、は確かに変化していたのだ。が自分では意識していない、ある「能力」の放出が強まったのだ。岡崎はそれを肌で敏感に感じ取ってむず痒さを覚えた。

の体から放出される「何か」。それは「人を惹きつける」という天性の能力だった。おそらくこんな能力を持っていても一生役には立たないだろう。望むと望まないとに関わらず人だけが纏わりついてきて勝手なことを言うだけの、にとっては大変はた迷惑な能力だ。

岡崎がを「いつもより可愛い」と評したのは、「可愛く感じて惹きつけられている」ようだと考えたからだ。

この「能力」は老若男女の別なく効果があり、がどこでも誰にでも好かれるのはこのせいだ。今のところこの能力に耐性があるのは木暮を始めとした幼い頃からを知る者たちだ。血縁がある家族と違い、一応れっきとした他人なのだが、木暮や赤木は妹のように可愛がってくれるだけで済んでいる。

岡崎を悩ませたは、そんなに悩まれる理由がわからなくて少し苛ついていた。だから、あまりしっかりした意識を持たずに街を歩いていた。少し下を向いて早足で歩いていたのだが、やけに近い声に顔を上げると、また囲まれていた。しまった――

中間前のテスト期間なので、それに合わせてはアルバイトを休んでいる。しかし、ちょうどノートのストックがきれてしまって、とりあえず書いて覚えるタイプのは勉強にならない。寄り道は気が進まなくても、愛用のノートでなければ手が乗らないという癖のあるは街に降り立ったというわけだ。

囲まれたまま、は徐々に人気のない通りへ押しやられていく。まだ時間が早いので、無人の通りがあるわけではないのだが、誰でも素行のよろしくない風体の男子高校生の集団には関わりたくない。通報するほどには見えないし、単独の通行人ならまず助けてはくれない。はげんなりした。

「カラオケいこーよ、おごるし」
「行かないって。行きたくない」
「いいじゃん、2時間くらい、歌って帰るだけじゃん」
「歌いたくない」

はバッグを抱くようにして腕を組み、何を言われても淡々と拒否の姿勢をとっていた。

「友達も呼べよ、何人でもいいし」
「そんな友達いないから」
「別に友達じゃなくたっていーよ、アナソフィアの子呼んでよ」

ずいぶんと正直だ。その姿勢には好感を覚えるが、なんせ今回のグループは汚らしかった。制服の着こなしも髪型も不衛生な感じがして、まあまず女性には嫌悪感しか抱かれないような集団であった。その上、甘い香りの香水を大量に付けているらしく、それが体臭と混ざって大変な異臭を放っている。

は肩でため息をつく。最終奥義の出番というほどではないが、埒が明かない。まだ時間がかかるようなら、ある意味では禁じ手である「悲鳴」の出番かもしれない。悲鳴が禁じ手であるのは、騒ぎが大きくなって解放されるまで時間がかかるからだ。しかもこんな程度で悲鳴を上げて、と逆に叱られる。

だが、汚らしい顔を近付けて来ていたナンパくんはの目の前で真横に吹っ飛んでいった。

……またお前かよ!」

三井だった。

今日のナンパくんたちもさっさと逃げていった。三井は何しろ上背があるし、目つきが悪すぎる。はさほど威圧感を感じないのだが、それはの方が特殊なのだと言えるだろう。この偶然の展開が面白いは、先日までの三井に対する怒りを忘れた。笑ってしまいそうだが、そこは堪える。

「そりゃこっちの台詞だと思うんだけど……
「性懲りもなく制服でウロウロしやがって」
「学校帰りなんだから当たり前でしょ。自分だって制服のくせに」

それにしても、一体なぜこの三井はこれほどアナソフィアの制服とナンパをこれほど毛嫌いしているのだろうか。過去にアナソフィア女子に素っ気なくされたと考えるのは簡単だが、だとすれば、ナンパしている方を蹴り飛ばす理由がない。はいくら三井に睨まれても怖くないので、そんなことをぼんやりと考える。

「でもまた助かった、ありがと。この辺、よく来るの?」
「は? 何でそんなことお前に……
「三っちゃん、お待たせ〜」

また三井は連れらしき学ランに言葉を遮られた。前回の男とは違うようだ。長身の三井よりもっと大きなその学ランは、ボリュームのあるリーゼント風オールバックで、はつい凝視してしまう。なかなか見られないヘアスタイルだ。解くとどんな風になっているのか聞いてみたい。見てみたい。

「ん? 知り合いか、三っちゃん」
「違うっつってんだろ鉄男みてえなこと言うんじゃねえ」
「初耳なんじゃないの〜」

この間のアウトローくさい人は鉄男と言うのかと考えていたは、少し動揺して反論した三井についツッコミを入れた。オールバックはきょとんとしているが、三井は凶悪な表情でを睨む。やっぱりどうしても怖くないとは思う。なせだ。鉄男に睨まれたら怖いだろうに、この三井には恐怖を感じない。

はオールバックに向かってビシッと指を二本立てて見せる。

「知り合いじゃないけど、助けてもらったのはこれで2度目」
「えっ、助けた?」
「何勝手にべらべら喋ってんだコラァ!」

オールバックを突き飛ばした三井はの腕を掴んで顔を近付けて怒鳴る。が、効果がない。

「そっちにそんなつもりがなくても、私は実際助かってるんだし」
「ああ、三っちゃんまたナンパ駆除したのか」
「そうなの。助かったよ、今日のもちょっとしつこくて」
「だからお前ら何をぺらぺらと……! 徳男もいい加減にしろ!」

このもっさりオールバックは徳男。は記憶する。テツオにノリオ、それなら三井は何オ? は下らないことを想像してしまい、つい頬が緩む。さすがに笑ってしまったら殴られてしまいかねないので、ぐっと堪える。

「あ、徳男くんも湘北だ。何年?」
「オレたちは2年だよ。そっちはアナソフィアか、珍しいな」
「あらら、先輩だ。馴れ馴れしくしてごめんね」
「いやいや、気にしなくていいよそんなこと」

この徳男は存外愛想がいい。の能力に対してもまあまあ耐性がありそうだ。一方で隣の三井は怒りながら苦虫を噛み潰したような顔で歯を食いしばっている。いくら威嚇しても効かない女と自分の友人がにこやかに話していれば、それは面白くないだろう。

「じゃあ、ほんとにありがとう。私行くね」
「大丈夫かひとりで」
「うん。徳男くんもありがと。また絡まれたら今度は大声出して呼ぶから飛んできてね、三っちゃん」
「行くかバァカ! しかも三っちゃんとか言うんじゃねえ!」

もうそれしか言えない三井はそっぽを向いてしまった。は徳男に手を振り、その場を後にした。なんだかとても楽しくて、は足元が少し浮つくのを感じていた。アナソフィアの制服を着ているというのに、あんな風に普通に話してもらったことはほとんどない。怒鳴られたこともない。

アナソフィアの制服を着ていてもまったく変化なく、何の下心も持たずにに接してくれるのは木暮と赤木、それから赤木の幼馴染である青田という柔道少年だけだった。中学から女子校に進学したに、小学校以来男の子の知り合いはそれ以上増えなかったし、今年になって翔陽男子と顔を合わせはしたが、彼らも基本的に浮世絵顔タイプである。

はいわゆる「ワルい男が好き」というわけではないのだが、人当たりのよさそうな顔とご立派な肩書きで擦り寄って来られる方がよっぽど気持ち悪い。それに、木暮たちのことを思い出したところで、怖い顔と大きな体は赤木と青田で慣れているのだと気付き、つい吹き出した。

翔陽にもあんな風に話してくれる男の子がいたら、連絡先の交換でもなんでもするのになあ。

は初夏の風に髪を翻らせながら、少しだけ踊る胸を抱いて空を見上げた。

中間が終わり、またアルバイトに戻ったはきちんと私服に着替えて帰宅している。できるだけ帽子を被り眼鏡をかけ顔が目立たないようにして、自宅最寄り駅からは自転車で帰っている。今のところそれで問題はなく、木暮の手を煩わせることもなく済んでいる。

木暮の方はまた県予選を1回戦負けで終えてしまい、かける言葉がみつからない家族と家に気まずい思いをさせた。しかしそれでもインターハイ出場を諦めていないというので、は木暮と赤木を少し尊敬した。

「へえ、翔陽のバスケ部ってそんなに強いの」
「アナソフィアとは仲いいんだろ、知らないのか。名門なんだぞ」
「仲がいいって、友達じゃないんだから。バスケ部は知ってるかもしれないけど、私は別に」

日曜だが朝から練習だという木暮は家で朝食を取っていた。彼の両親は法事で昨日から出かけている。

「特に今は翔陽、スター選手がいるからアナソフィアでも人気があるかと思ってたけど」
「うん、だからそういうのにキャーキャー言う子は知ってると思うけどね」
……そうでした。はドライだよなそういうところ」
「浮世絵に興味ないもーん」

木暮はコーヒーを吹き出しかけ、なんとか堪えた。

「今日もバイトか?」
「午後からね。テスト終わったし、日曜の午後は変に忙しいから」
「そう、日曜だからな、気をつけろよ」

のアルバイト先は学校と自宅の最寄り駅のちょうど真ん中辺り。この辺では一番大きな駅で、駅のロータリーから真っ直ぐにメインストリートが伸びている。三井に2度助けてもらうことになったのも、この街である。基本的なものはここで揃ってしまうので、必要なものがあるとつい学校帰りに立ち寄ってしまう。

そんなわけだから、駅から続くメインストリート上には、子供から大人まで様々な人々がひしめき合っている。日曜ともなれば早い時間から多くの人で賑わう。用がなくてもウロウロしているようなのも、もちろん多い。など着飾ってふらふらしていたら絡んでくださいと言っているようなもの。

だがとて気持ちだけは平均的な高校生である。たまには街をふらふら見て歩きたい。は木暮にははいはいと返事をしておいて、だいぶ早めに家を出た。目立つ装いはしていない。見て歩きたいのも、服や化粧品など基本的には女の子が好むようなものばかりだからいいだろうという判断だ。

時間が早いというのもあって、は誰にも声をかけられることなく街をうろつき、すっかり満足してバイトの時間までの間に昼食を取らねばとメインストリートを歩いていた。が、駅に近付いてきたあたりでぴたりと足を止めた。2度あることは3度あるのうちだろうか。なんとそこには三井がいた。