満月の夜に革命を

13

木暮に見に来いと言われていた湘北対翔陽戦だが、は観戦するのを諦めた。こんな事態になって初めてアナソフィア内での翔陽バスケット部事情を覗いてみたら、とんでもないことになっていたからだ。どうやら現3年生が絶大な人気を誇っているらしく、私服で潜り込むアナソフィア女子が大勢いるとのことだ。

そんなところで、ただでさえアナソフィアでは顔の知られたが湘北応援などしようものなら、後でどんなことになるかわからなくて怖い。は一応まだ2年生なのだし、あまり軽率な行動はしたくなかった。

三井はもちろん木暮にもそのことは正直に話し、は翔陽戦の日はロダンで過ごしていた。

、あんたなんか最近顔変わったわね」
「えっ、そう? きれいになった?」
「ふん、それならそういうことでもいいわよ」

三井が自分から話すというので、アナさんにもとりあえずは内緒である。しかしさすがにアナさんは何かを感づいているようで、は冷や汗をかく思いだ。とはいえ、この調子で行くと、もしインターハイに行かれたらそれが終わるまで全て保留ということになりそうだ。

アナソフィアの運動部が弱いせいもあって、インターハイなどいつどこで行われて何をするのかすらわからないだが、不思議と焦りは感じなかったし、結局湘北がインターハイに行かれなくても、何も変わらないと思っている。公ちゃんはちょっと可哀想な気もするけどね――というくらいだ。

そうしてロダンを出たは、また飛び上がった。三井がいたからだ。

「ど、どうしたの急に! 今日試合だったんじゃなかったの」
「試合だったよ。でももう夜だしさすがにこんな時間まで練習とかしないだろ、普通」

普通と言われてもにはその普通がわからない。現在21時半である。確かに学校の体育館ならとっくに追い出されている時間だ。しかし、運動部といえば朝練というイメージもある。試合の翌日は朝練ないの? 疑問に思ったは率直に尋ねてみた。

「朝練は今のところ強制じゃないからな。赤木は毎日やってるっていうけど」
「あ、赤木くんはなんていうか武士道だよね……

三井が吹き出す。しかし自分のよく知る木暮や赤木と三井が混ざり合わない。片や真面目に品行方正バスケットまっしぐら、片やロン毛で目つきの悪い捻くれヤンキー。

「でも試合で疲れてないの? 早く寝ないと」
「つっても試合終わったの昼ごろだしな。子供じゃねえんだから21時じゃ眠くならないだろ」

三井はの手を取るとすたすたと歩き出す。体育館の控室で昼寝してきましたとは言えない。

「ていうか試合! どうだったの」
……勝った」
「嘘!?」
「嘘ってなんだよ!」

自慢げににやりと笑った三井だったが、はまたも率直に感想を漏らした。相手は翔陽だったのに。

「だから言ってんだろ、オレが入ったんだからそう簡単に負けねえんだって」
「だってさあ、それ公ちゃんも散々言うけどイマイチ……
「お前はそういうところ失礼な女だよな、ほんとに」
「正直に感想を述べたまでですー」

そう言いつつも、三井は繋いだ手を引き寄せての肩を抱いた。まだ駅から遠く、人通りの少ないメインストリートをふたりは歩いていく。会話が続かなくてもどかしいが、むっつり黙った三井と手を繋いで歩いた半年前にはなかった笑顔が今は零れ落ちるほどに溢れている。

「決勝リーグ、見に来るか?」
「そうだね。翔陽じゃないんだし……公ちゃんと赤木くんも見てみたいしなあ」
「見てろよ。絶対インターハイ行くからな」
「色々面倒くさいことはその後だね」

さらりと言っただが、三井は少し険しい顔をして言葉に詰まった。

「え、ダメ?」
「いやダメじゃねえけど、いいのかよ、そんなに時間かかって」
「いいんだってば。こうやって時間がある時に会えたらそれで」

三井は歩く速度を落としての頭に頬を寄せる。


「ん?」
「夏祭り、今度こそ一緒に花火、見に行こう。浴衣で」

は顔を上げてにやりと笑い返した。少し照れたような三井の頬がくすぐったい。

の耳にマスターのピアノの音が蘇る。沈み行く夕日と「Let It Go」、歌う自分、弾ける花火、上弦の月。それだけでも嬉しかったのに、今年は浴衣を着て一緒に夏祭りに行けるなんて。インターハイ終わるまで? そんなの待てるに決まってるでしょ! 余裕!

ニヤニヤ笑いを引っ込められないのおでこに、三井は素早くキスした。耳が真っ赤だった。

三井の、また木暮の宣言通り、なんと湘北はインターハイ出場を決めてしまった。決勝リーグ3戦のうち、最終戦を見ることになったは、予想を遥かに上回る試合展開に開いた口が塞がらず、三井はもちろん木暮すらも良く似た別人なのではないかと目を疑った。

しかも、呆然とボールの行方を追うばかりのの目の前で三井が倒れ、青田が現れ、木暮が3Pシュートを決め、そして湘北は勝った。三井が倒れた辺りでもほぼ体力を使い果たし、試合終了の頃には会場の隅でぐったりと肩を落としていた。そんなの肩を叩いたのは、久々の再会となる青田だった。

「どうしたよお前、久し振りだな」
「龍っちゃんこそ……そのかっこでこんなとこまで来たの」

青田は柔道着のままだ。しかしそこでは大変なことを思い出した。緒方に紹介してみちゃったりして、などと浮ついたことを考えていたのだが、青田は赤木の妹にずっと片思いしているのだ。

「よかったなあ、木暮。これでとうとうあいつらもインターハイだ」
「なんか変な感じだよ。毎年今年の湘北は強いって言いながら1回戦負けだったのに」
「インターハイも見に行くのか?」
「さすがにそこまでは。遠いしね」

今年は広島なのだと木暮が言っていたことをは思い出す。三井も木暮も出来れば応援してやりたいが、如何せんどこまで勝ち進むかわからないインターハイを単独で観戦する勇気はない。

「それにしてもこんな隅っこで……もっと前に出て応援してやればいいのに」
「ひとりでそんなことする度胸ないよ。顔見たら泣いちゃいそうだし……

にしてはずいぶんと迂闊だった。青田は三井とのことなど何も知らないというのに、彼のことを言われているのだと思ったは相当甘ったれた声を出した。青田は当然木暮のことを言ったのであって、これは兄妹にも等しい木暮に対する声音ではなかった。

「あれ? お前らそういうことになってたのか」
「え? あれ? 誰の話?」
「いやだから木暮だろ」

そこで初めて自分と青田の勘違いに気付いたは、薄っすらピンクに染めていた頬が一転、青くなる。

「それは、ないけど」
「おい、まさか赤木じゃ……
「それもないよ!」

否定すればするだけ首を絞めている気がする。は疑惑の目を向ける青田に何と返せばいいのかわからなくなって、汗をかいてきた。冷静に否定すればいいだけなのだが、三井とのことを隠しているせいで余計な緊張が走る。一方青田は青田での様子がおかしいのが気になる。

「じゃあ誰だよ? まさか三井じゃねえだろうしなあ」

こんなお約束でいいのだろうかというくらいにはがたりと姿勢を崩して真っ赤になった。もちろん青田もそれに驚いて身を引いた。心の底から冗談だったというのに、なんだこの反応は。

「そんなバカな」
「バカってなによ!」
「いやまさか知らないわけじゃないよな、三井は少し前まで……
「その頃からだからいいの、わかってるから!」

青田は口をあんぐりと開けている。無理もない。バスケット以外の点では人畜無害な木暮に赤木に、当人はアナソフィアである。グレまくっていた三井とくっつけようという方が無理があるのだ。そんなわけで、妙な巡りあわせだが、と三井の関係を最初に知るのは青田、ということになった。

「まあなんだ……お前のことだから心配はしないけど」
「ありがと。ついでにこれまだ誰も知らないんだ。ちょっと内緒にしててね」
「まあそうだな、とりあえず終わるまで、な」

やっと青田が腑に落ちたようなので、は気が楽になった。そうなるとちょっと欲が出る。

「ねえ龍っちゃん、まだ晴子ちゃんのこと好きなんだっけ?」
「は!? なんだお前急にそんな、オレはだな」
「晴子ちゃんも可愛いんだけどさ、この子とかどう?」

アナソフィアにおいてはイケメン扱いの緒方だが、一歩外に出れば小顔で手足が長いモデル体型の美人さんである。は、青田の晴子への想いはとりあえず措くとして、長身スレンダーの女の子が苦手でないことを祈る。急に携帯の画像を見せられた青田は固まっている。

「ちょっとボーイッシュだけど、きれいな子でしょ?」

まだ固まっている青田に向かって、はにんまりと笑いかけた。

せっかく頑張っているのだからと、は三井はもちろん木暮にも特に触らずに過ごしていた。夏が近付き、制服が夏服になったは再度増えたナンパ攻勢に耐えつつ、たまにロダンまでやってきてくれる三井と帰るのを楽しみにしていた。三井がいれば制服でも大丈夫。

まだ詳しい「過去のこと」を聞いていないだったが、三井はアナソフィアの夏服が気に入ったらしい。とりあえずアナソフィアの制服に対する何らかの嫌悪感は払拭できた模様だ。

その後三井は7月の合宿8月のインターハイと忙しく過ごし、もちろんそれは木暮も同様なので、暇を持て余した2組の両親に纏わりつかれたは木暮のようにロダンに逃げ込む日々だった。日の光が苦手で夜行性のアナさんは夜の短い夏は基本的に不機嫌だが、はいい退屈しのぎになる。

そして、8月3日。いつものようにロダンで掃除だの仕込みだのをしていると、三井からメールが届いた。画像が添付されており、満面の笑顔の三井や木暮や赤木が写っている。ユニフォームを着ているし、察するに試合の後らしい。他にも知らない顔の部員たちが写りこんでいるが、はこの画像をその場で保存した。

メールの内容は、なんだとかいう高校に勝ったということが書かれているだけ。だからなんだと思っただが、ピンと来て緊張しながら検索をかけてみた。すると、インターハイにおける男子バスケットの優勝校欄がその高校で埋め尽くされていた。思わず手が震えた。

疲れてもいるようだが、三井も木暮もこの上もなく嬉しそうに笑っている。だいたい常に仏頂面の赤木ですら優しげな顔をしている。は三井がこれを自分に送るために撮ってくれたのだと思うことにした。兄のような木暮に赤木に、大好きな三井が最高の笑顔で並んでいる。なんていい画像なんだろう。

は「ありがとう、いい画像だね」とだけ返信すると、保存した画像を表示させて、こっそりキスをした。

だがその翌日。前日と同じような時間にまたメールが届き、「負けたから帰る」という。急転直下の天国と地獄にはつい声を上げて笑った。アナさんの午睡を遮ってしまったが、簡単に説明をするとアナさんも笑ってくれた。三井はすぐに会えないだろうが、木暮は明日にでも帰ってくるだろう。健闘を称えてやらねばならない。

ということは、近いうちに木暮に話すということだ。そして、ずっとおあずけ状態だった三井の「話」を聞かせてもらえるということでもある。もちろん夏祭りもある。はどきんと胸が弾む。三井がいないので厳重な私服でロダンを出たは、夏のオレンジ色の月を見上げてついにんまりと口元を歪める。

公ちゃんなんて言うかな、寿くん何を話してくれるんだろう、夏祭り、楽しみ過ぎて爆発しそう!

湘北高校バスケットボール部がインターハイから戻って数日後、三井はまずHeaven'sDoorへ向かった。も一緒だ。Heaven'sDoorでの出来事を全て三井に話していた。マスターはの保護者でもなんでもないが、三井は殴られそうな気がしてならない。

開店前のHeaven'sDoorのドアを、いつかのようにを背後においてゆっくりと開ける。暗い店内にピアノとカウンターが浮かび上がっている。漂う香りは少し埃っぽい煙草の匂い。

「よう、ちゃん久しぶり、どうし――あれ?」
「ご、ご無沙汰してます」
「お前三井か!?」

普段は物腰が柔らかく静かなマスターの声が裏返る。マスターはいっそ哀れなほど驚いて口がだらしなく開いたまま戻らない。三井が髪を切ってバスケットの世界に戻ってからもうすぐ3ヶ月が経とうとしている。彼はその間にずいぶんと優しい顔をするようになっていたからだ。

「あの、すいませんした。オレが急に連絡できなくなったもんで……
……ああ、そうだったな」
「ご迷惑をおかけして……

軽く頭を下げている三井の後ろでは冷や冷やしている。最初の衝撃が過ぎると、マスターはカウンターをゆっくり回って三井の正面に立ち、腕を組んだ。ものすごく怒っているようにも見えないが、笑顔で歓待してくれるようにも見えない。

「正直、あんなにちゃんのこと泣かせて、ブン殴ってやりたいよオレは」
……はい。わかってます」
「でも殴らねえから安心しろ。なんでかわかるか」
……いいえ」
ちゃんがまた泣きそうだからだよ」

三井とマスターの視線に晒されたは、つい肩を竦めて爪先立つ。涙が出るとは思えないが、確かに泣きたいような気はしていた。マスターの気持ちは有難いけれど、きっと三井にも事情があった、騒いで大袈裟にした自分も悪かった、というのがの言い分である。

マスターは大きくため息をついて、三井の肩を掴む。

「ほんとにちゃんわんわん泣いて、見てられなかったんだぞ。お前が何やってんのかなんてオレは知らねえしよ。鉄男も来ないんじゃ知りようがないしな」

マスターは肩を掴んでいた手で、今度は三井の少し髪の伸びた頭を勢いよくかき回した。

「ほんとに何なんだよ、急に消えたと思ったら急に現れてこんな頭になって」
「マスター、寿くん、もうああいうのやめたんです」
「だろうな。そういう顔してら。つーかお前元はそういう人間だったんだろ」

三井の頭を拳骨で突付いたマスターはやっと笑った。

「本当にご迷惑をおかけしました」
ちゃん大事にしろよ。こんな可愛い子、お前じゃなくたって大事にしたいって男なんか腐るほどいるんだからな。ちゃんは、このバカがなんかやらかしたらすぐに言うんだぞ」
「はーい」

もやっと笑顔に戻る。それを見て安心したのか、三井はやっと表情が和らぐ。

「マスター、あの、ちょっとお願いがあるんすが」
「なんだよ」
「今度、ここ少し借りられませんか。このくらいの時間帯でいいんです。お願いします」
「え、どういうこと?」
「ちょっと話したい人がいるの。私の幼馴染でお兄ちゃんみたいな人なんです」

ふたりで色々考えたものの、木暮を交えてちゃんと話をするのに適当な場所がなかった。

「おお、そういうことなら使えよ。オレが仕込みしてても構わないだろ」
「はい、それはもちろん」
「なるほどな、ちゃんの兄貴に断り入れるってか。硬ぇなあお前は」
「それがその、今部活一緒にやってて……
「部活! お前が部活かよ!」
「マスター、寿くんこの間インターハイ行ったんですよ」
「インターハイ!」

マスターはひっくり返った声でそう言うなりカウンターに倒れこんだ。肩を震わせて笑っている。

「はー腹いてえ。お、そうだお前らまたマスタードサンド食っていくか」
「あっ、すんません、これからロダン行くんです」
「おいおいアナさんかよ。地獄の門が開くぞオイ。ラスボスだかんな、心してかかれよ」
「わ、わかってます」

ロダンと聞いてマスターの顔は一瞬で三井に同情を示す表情に変わる。どんな脅しの言葉よりもそれが一番三井をビビらせている。アナさん、どんだけ怖いんだよ。

「まあまたいつでもおいで。おおそうだ、夏祭りはどうする。またやるぞ屋上」

帰りかけたふたりの背中にマスターがそう言うと、三井はの背中に手を添えてにっこりと笑った。

「今年は会場の方に行きます。に浴衣着させてやりたいんで」
「寿くん」
「言うねえ。まあ花火終わってもやってっから、気が向いたら来れば」

マスターの言葉にふたりはぺこぺこと頭を下げながらHeaven'sDoorを出て行った。地上への階段を黙々と上り、まだまだ日の高い夏の空の下に出る。もう5分も歩けばロダンである。

三井はラスボス・アナさんに対峙すべくの手を取って歩き出した。