満月の夜に革命を

14

ラスボス・アナさんはお盆時期の火がついたような夏の暑さにぐったりしている。ぐったりしているが、日が沈むとなんとなく元気が出てくる、それが夜行性人間である。だがまだ午後のど真ん中で、と三井がロダンに入ってきた時も、アナさんはソファ席でぼんやりとキセルを咥えていた。

「アナさん、ちょっといい?」

たちが店内に入ってきたことに気付いたアナさんはだるそうに顔を上げ、の声がする方を振り返った。そしての顔から視線をずらし、三井を目に留めるとのろのろと立ち上がる。アナさんは小柄なので三井に近付くとまるで少女のようだ。が、迫力は巨大なドラゴン並みである。

「あんたね? を泣かしたの」

何も説明しないうちからアナさんはそう言って三井を見上げた。はまた冷や冷やし始める。今日のことは全部自分でやりたいのだと三井が言うので、は口を出すのを我慢している。そしてその三井も大見得を切ったものの、今にも火を噴きそうなドラゴンに返す言葉がない。

「ふうん、あんた、捻くれるのやめたの?」
……はい」
「臍曲げてたこと、ちゃんとこの子に話したの?」
「まだです。これから」
「包み隠さず話すのよ」
「はい」

予想に反してアナさんは淡々と三井に言葉をかける。

「別に私、あんたたちがどうなっても構やしないんだけど、あんた、のこと、本当に好きなの?」
「はい」

正直にそう返事をした三井は、凄まじいスピードで飛んできたアナさんの裏手打ちによろけた。突然のことでは声も出ない。三井が身構えるのが間に合わない程の恐ろしいスピードだったが、なにしろアナさんは小さいので威力は小さい。よろけた三井だが、すぐに向き直って少し頭を下げた。

「愛しい男に会えない女の胸の痛みはこんなもんじゃないのよ、覚えておきなさい」
「はい」
「じゃあもういいわ、気が済んだから。、コーヒー淹れて〜」

フルパワーで裏手打ちをぶっ放したアナさんはがっくりとソファに身を沈めた。そして、いいと言ったらいいのアナさんは、の淹れたコーヒーを啜りつつ、すぐに三井と楽しそうに喋り始めた。その後、今日はもう帰れと追い返されたふたりは日の沈みかけた街をよろよろと歩いていた。さすがに疲れた。

三井はぼんやりとした目でを見下ろしつつ、呟く。

、アナさんが好かれるのよくわかったわ」
「でしょ〜」
「ありゃお前の先代だな」
「常連さんたちと同じこと言わないで〜」

は力なく笑って三井の腕に縋り付いた。次は木暮である。

ふたりがHeaven'sDoorとロダンをはしごしてから2日後、お盆の学校閉鎖期間に入る直前、三井は木暮を呼び出した。話したいことがあるとだけ言って、後は貝のように口を閉ざしてしまった三井を木暮は不審がったが、それでも時間通りに駅前に現れた。

駅まで迎えに出た三井と木暮は痛むほどの日差しの下を黙って歩き、Heaven'sDoorまでやってきた。地下に下りる階段といい、「Cafe & Bar」と書かれた看板といい、夜の匂いのきつい佇まいに木暮は困り顔だ。だが、三井が場所を借りてるだけだというので、渋々着いてくる。

「三井、まだこんなところに出入りしてるのか」
「知り合いの店だって。他に人のいない場所がなかったから、借りたんだ。まだ開店前だよ」
「その辺の店じゃ出来ない話なのか? どういうことだよ」
「ちゃんと話すからそう焦るなよ」

店内の照明は落としたままである。唯一明るいのはカウンターとピアノの近くだけ。三井に促されて木暮はソファに腰を下ろす。以前にが泣きながら座っていたソファ席だ。カウンターにドリンクを取りに行った三井は冷たいウーロン茶を持って帰ってきた。

「悪かったな、急に」
「いやいいよ、もう本当に引退なんだし、忙しくないから。で、話ってなんだよ」
「せっかちだなお前は」
「せっかちって、だって気になるだろうが、こんなところ連れてこられて大事な話があるとか」

仕方あるまい。すっかり更生して共に夏を戦った仲間に呼ばれて来てみれば、酒の並んだカウンターにペンダントライトに照らされたアップライトピアノである。三井は小さく息を吐いてからウーロン茶を啜ると、また立ち上がる。少し待っていてくれと言い残して三井はカウンターの中に消えていく。

ひとり残された木暮はソファの背もたれに深く身を沈め、アップライトピアノを眺めていた。そこへ静かな足音が戻ってくる。ひとりではない。ゆっくりと音のする方へ向き直った木暮は、目を見開いて固まった。

「木暮、オレたち付き合ってるんだ」
「公ちゃん、黙っててごめんなさい」

三井に並んだは、深々と頭を下げた。

沈めていた背を起こした木暮は、ふたりを見上げて口を開いた。

……いつから?」
「ええと、去年の夏くらいから」

三井はをちらりと見てからそう言った。その頃のふたりにそんなつもりはないが、付き合っていたようなものだ。明確な言葉で取り決めがなかったことと、手を繋ぐくらいしかしていなかったという建前があるだけで、自覚もないままに想い合っていた。もう1年が経つことになる。

……、こっちに来なさい」
「公ちゃん、あのね」
「いいから来い!」

なんとか穏便に済ませたいだが、普段人の数倍温厚な木暮の厳しい声に驚いて、大人しく従う。木暮の座るソファの脇に立ったは、木暮に手首を掴まれて隣に座らされた。その後で三井も席に着く。木暮はの手を掴んだまま、三井の方に向き直った。

「三井、オレとがどういう環境で育ったか、話したよな」
「ああ、からも聞いた」
「だったらオレが意地悪や嫉妬でこんな態度になってるわけじゃないことはわかるな?」
「ああ、わかる」

は木暮の手を撫でたりポンポンと叩いたりして、なんとか解こうとするのだが、木暮は手を緩めない。

もだ。お前が誰を好きになってもオレは構わない。それをどうこう言うつもりはない。だけどこれはおかしいだろ。なんで隠れてコソコソするような真似をしたんだ。隠さないとならないような関係だったのか?」
「違うよ、そんなことしてない」
「じゃあなんでだ? あの頃の三井がグレてたから? そんなこと言い訳になるのか?」

そうは言うが、1年前に同じことを言って、木暮は笑顔でふたりを認めてくれただろうか。はそれには疑問を感じていた。だからこそ何も言わなかったし言えなかったのだ。

「それに……一緒に夏を戦った仲間としては、三井、オレはお前を本当に誇りに思ってる。尊敬もしてる。だけどはうちの家族にとっては大事な子なんだ。それが正しかったかどうかは別にして、まるでお姫様みたいに可愛がってきたんだ。お前、それを悲しませて苦しめただろう」

は顔を跳ね上げて木暮の横顔を凝視した。公ちゃん、気付いてたの――

「コソコソ隠れて付き合って、その上――
「言い訳がましいけど木暮、宮城とのアレで、連絡取れなかったんだ」
「ああ、その後のことはよく知ってる。が急に元気を取り戻したのは翔陽戦の頃だ。お前それまで何してたんだ。連絡が取れなかった? 去年から付き合っててロダンも知らなかったのか? それもおかしいだろ」

木暮は声を荒げることなく淡々と話している。それがかえって怖い。

「公ちゃん、私の話も聞いて」
「三井も辛かったんだっていうんだろ。、そんなことはオレが一番よくわかってるんだよ」
「だったら!」
「それでもオレは正直に話してもらいたかったよ! どっちにもだ!」

木暮が気分を害しているのはこのせいだ。認める認めない以前に隠し事をされたのが腹立たしい。は言葉に詰まる。木暮はやっと手を離すと、膝の間で組んで俯いた。

「お前らふたりが付き合おうが別れようが、そんなことはどうでもいいよ。けどな、オレは兄貴代わりを、うちの親も本当の親みたいに、それをもう17年もやってきたんだ。オレは家族だと思ってるから怒ってるんだよ! こそこそされて気分がいいわけないだろ」

そしてそんな家族でいられる日々はもう長くないから――

「でもそうは言っても他人は他人だ。こんなこと言う権利なんかない。お前らも報告する義務なんかない。じゃあ何でこんなことになってる? 隠してたことを告白したい? なんのために? それはオレがほぼ家族だからだろ。どうしてもそこに戻ってくる。そうだったのかよかったなよろしくな、なんて言えると思うのかよ」

木暮の気持ちが痛いほどわかるは、なんと言えばいいかわからなくて同じように俯いた。木暮が言葉を切ったのを待って、三井は少し身を乗り出す。

「木暮、お前は正しいよ。このことに関してはオレが何を言っても言い訳だ。それはわかってる」

顔を上げた木暮の視線を真正面から受け止めた三井は、小さく頷くとまた話し出す。

に付きまとってたナンパを蹴り飛ばしたのがきっかけだったんだ。オレが声かけたとか、誰かの紹介とかそういうことじゃない。それから何度もそういうことがあって、去年の夏からって言ったけど、その頃は付き合ってるつもりなかったし、たぶん好きだとも思ってなかった」

が小さく「私も」と囁いたが、木暮は反応しない。あくまで三井の話を聞きたいのだ。

「去年の今頃なんてまだまだオレは不貞腐れてたし、バスケ部に復帰するつもりなんてこれっぽっちもなかった。日の当たる世界全部が憎かったし面白くなかったし、なにもかもどうでもよかったんだよ。
おまけに天下のアナソフィアだ。偶然に顔を合わせる度に友達みたいに声かけてくるが疎ましかったこともある。バカにされてると思ってた。誰にでも愛されて大事にされてるくせに、オレや徳男に話しかけてくるのが腹立たしくてしょうがなかった。
だけど結局オレはバスケのこと諦めきれてなかったし、それを認めたくなかったし、それでも、いやだからこそグレてた時の仲間と縁を切るつもりもなかった。
それをに会う度にぐらぐらと揺さぶられて、自分が本当はどっちなのかわからなかった」

アナさんが指摘した通り、染まりきれなかった。皮肉にもと過ごすことでそれは余計に表面化した。

「お前は正直に言って欲しかったって言うけど、去年の今頃にオレが現れてと付き合ってるなんて言いだしたら、なんとしてでも別れさせようとしたと思うぞ。アナソフィアの妹がヤンキーと付き合ってましたなんて、オレならそんなの無理だ。バスケさえなかったら、殴りかかるかもしれねえ。
そういう風に、アナソフィアとヤンキーなんて、誰も認めない。普通の付き合いだなんて、誰もそうは思わない。
しかもオレがたらし込んだと思うだろうさ。が騙されてるって100パー考える。それが普通だ。
だから何がどう転んでもオレが望むような結末になんてならねえ。
オレはそんなことをひとりで勝手に考えて、腹が立って頭に来て苛々して、それを宮城にぶつけたんだ」

先ほどから出てくる「宮城」という地名か名前かに心当たりのないは疑問符が頭に浮かぶが、それも木暮との話が終わったらちゃんと話してくれるだろうと信じて突っ込まない。それに、こうして三井が心の内を話してくれているのが嬉しいし、その内容に胸が痛む。

「そんなことしてたから、それまでと一緒にいることで和らいでたものが全て噴き出したんだ。宮城との時に携帯が壊れて、親に勝手に解約されてたから、もう連絡の取りようがなかったし、あの状態でお前にのことなんか聞けるわけがなかった。教えてくれるわけがないってな。アナさんだって同じだ。合わせる顔がない」

話がイマイチ読めないが、三井がわざとからのメールに返信をしなくなったわけではなかったとわかって、はまた涙腺が緩みそうになる。自分と一緒にいたことで、三井の心に平穏があったのかと思うと、さらに目頭が疼く。

「バスケ部復帰しました、木暮、妹に連絡取りたいんだけど、なんて軽々しく言えるかよ。それに、部活のこととのことはまったく別のことだ。持ち込みたくなかった。予選突破してインターハイ行って、そんで全部終わって初めてお前に話そう、に連絡取りたいって言おう、そう思ってたんだ。なのに翔陽戦の前に偶然道端で再会しちまった。
だから、付き合い始めたってのも正直その辺りからだ。それによくわかってるだろうけど、練習優先してたから、付き合うって言ってもロダンに迎えに行って送って帰るくらいのもんだ。
誓ってお前の妹に手は出してない」

今となってはそれが救いだったかもしれない。キスくらいなら手を出したことにはなるまい。

「お前より先になって悪かったけど、アナさんとこにも行ったよ。引っ叩かれた」

三井は自嘲気味に頬を緩めた。未だ木暮は黙ったまま話を聞いている。

「なんでこんなこと、ってオレも思うよ。おかしな話だ。お前が腹立つのもわかる。別に喧嘩売ろうってわけじゃない、オレだって黙ってバスケ部に戻らせてくれたお前らに感謝してるんだよこれでも。だから、これは単に報告で、それ以外の気持ちなんかないよ」
「報告? 付き合ってるってことをか?」

それまで黙っていた木暮の言葉が針のように三井を刺した。三井は少し間を置いて、首を振った。

「喜んで押し付けられようと思ってる、ってことをだよ。オレなら不足はないんだろ」

驚いて背筋を伸ばしたの隣で、木暮が笑い出した。三井もにんまりと目を細めている。

「ああ、そうだった。そうそう、不足はないんだ。、もうこれでいい」
「公ちゃん? 一体……
「いいんだ、よくわかったから。怖がらせてごめんな」

木暮はいつものにこにこ顔になっての頭をぐりぐりと撫でた。三井も荒れていた頃とは別人のような優しい笑顔を浮かべている。はなにがなんだかわからないが、急に話が丸く収まったので、とりあえず微笑んでみている。

「あ、それと、この店の店長、元ロダンの従業員だからな」
「え? じゃあアナさんの子分だ」

ホッとしている木暮の肩を掴むと、三井はまたカウンターへ行ってしまった。残されたと木暮は肩を落としてホッと息をつく。は木暮の手を取って、両手のひらでそっと包んだ。

「公ちゃん、ごめんね」
「もういいんだって、。三井がちゃんと自分の気持ちを話してくれたから」
「だけど、嘘ついてたから」
「それはちょっとカチンと来たけどな。三井も正直になるには暴発して一度壊れるしかなかったんだろうし」
「ちょっと話が見えないんだけどね、その辺」
「それは三井から聞けよ。湘北で起こったことなら後でオレも話してやるから」

木暮が意味ありげににやついたところで、三井が皿を2枚持ってきた。マスターが用意しておいてくれたマスタードサンドである。ちなみに三井のおごり。インターハイで強豪校に勝ったご褒美で叔父にもらった夏休みの軍資金である。ここの払いと夏祭りで消える予定だ。

「それにしても、よくあの頃の三井で付き合おうと思ったな
「いいじゃないよ……絶対に浮世絵にならなかったんだもん」

大笑いする木暮を三井が驚いて見ている。浮世絵?

「でも、なんでなんだろうね。徳男くんもだし、赤木くんも龍っちゃんも浮世絵にはならなかった」
「浮世絵ってなんだよ」
「ナンパくんとか翔陽男子はさ、話してる内に目尻が下がって浮世絵みたいな顔になるんだよ」

これには三井も下を向いて笑いをかみ殺している。

「うちの親もアナソフィアだけど、湘北なんて過去に例がないぞたぶん」
「そりゃそうだろ。普通はアナソフィアの方が敬遠する」
「あ、そうそう、実はね、アナソフィアの友達を龍っちゃんに紹介したんだよね、ほらこの子」

は携帯で撮影した画像を表示してふたりに向かって突き出した。青田に見せたものとは別の、私服の緒方だ。長身の緒方がロングワンピースを着て髪をかき上げ微笑んでいる。まるでモデルのようだ。三井と木暮は目をまん丸にして息を呑んだ。

「龍っちゃんて、あの青田か!? もったいないだろ!」
「なんでまたピンポイントで青田なんだ?」
「いやあ、この子、ゴリマッチョじゃないと好きになれない人で」

三井と木暮は岡崎のような点と線顔になる。はそれを見て腹を抱えて笑った。