水際のウルヴァシー

19 - エピローグ

都内にある某大学のバスケット部の部室、牧は迫る大会のトーナメント表を見て「おっ」と声を上げた。

「どうかしたか?」
「いや、2回戦、当たりそうだなと」

後ろから顔をニュッと突き出したチームメイトに、牧はトーナメント表を指差す。

「ああ、そこか。何か今年ずいぶん頑張ってるみたいだよな。監督結構な年なのに。気になるのか?」

牧たちの大学に比べてしまうと、宿敵というほど強いところではなかった。弱いわけでもないが、いまいちパッとしない、という状況が何年も続いている。それを知るチームメイトが首を傾げるので、牧は綴じられた紙をめくって試合日程表を見ながらニヤリと笑う。

「知ってるのがいるもんでな」
「へえ、海南OBか?」
「いや、湘北とか、まあ海南もいるけど」
「しょうほ――え、あの湘北? ああそうか、海南も湘北も神奈川か」

どんなチームなのかはわからなくても、山王に勝ったという情報だけがひとり歩きしている。そういう意味では牧の世代には湘北はとても有名だ。選手の名をひとりも知らなくても校名は知っているという場合も多い。

「でもいくら山王倒したって言っても、ひとり入ったくらいじゃなあ」
「そういう心配はしてないけど、何しろ嫁がオレのことよく知ってるもんだから」
「嫁?」
「そいつの彼女」
「友達だったん?」
「いや、海南のマネージャーだった」
「はあ?」

何で海南のマネージャーが湘北の部員の彼女なんだよ、と言いたげな顔をしている。その辺は話すと長いので事実関係だけで納得してくれ。牧は説明する気がないので、それについては返事をしない。

「湘北OBのやつもな、ちょっとめんどくさいヤツで」
「上手いのか」
「元々の才能と努力がちゃんとくっついてるタイプ」
「やなやつだな〜オレなんか中高あわせて4回もポジション変わって超苦労したのに」

それでも大学バスケット日本一常連校に入って来られるのだから、三井のことを言えた義理ではない。牧は少し苦笑いを返し、最近ではたまに文字で連絡を取るだけの間になってしまったと、そして豪胆なことに自由登校に入るまでの間、しょっちゅう海南までを迎えに来ていた三井を思い出す。

堂々と正門前で待つ三井は顔が怖いので女子生徒がビビって先生に通報する騒ぎになったり、何の臆面もなくを迎えに来たと言って手を繋いで帰る姿を見て、同じく帰ろうとしていた高砂と武藤、そして練習中に通りかかった神と清田が口をあんぐり開けていた。さすが元バカップル。

「どっちも調子に乗らすと面倒な感じなんだよな」
「嫁の方もか?」
「マネージャーとは言うけど、ほとんど監督の助手みたいなものだったし、選手のケアは超得意」
「今もマネージャーやってるのか」
「いや、もう直接関わる気はないらしい。だけど三井に請われればいくらでも話せることがあるからな」

三井と聞いてチームメイトはまた首を傾げた。どこかで聞いたことがある気がする。

「もう忘れたのか、トリ頭かよ。去年の国体」
「国た……あー!!! え、あいつ湘北だったの!? ああそう……

このチームメイトも中部地方の強豪校出身で、IHでも上位に食い込んだ経験を持つ。が、国体で神奈川と対戦した際に、ろくに名前も知られていない三井に色々と痛い目に遭わされていた。一度対戦しただけの相手の名前や出身校まで全部覚えてられない、とむくれているが、思い出したようだ。

「怪我でブランクがあったし、高校での実績が殆どなかったからな。でも中学で県MVP取ってるし、海南からもスカウトが行ってたんだよな。そしたら今頃こんなところにはいなかったはずだ」

牧はまたトーナメント表を指でトントンと叩いた。もしあの頃三井が海南を選んでいたら、今この場に一緒に並んでいたかもしれない。そう思うとなんだか可笑しい。

「じゃあ逆にそのマネージャーの子に三井の弱点とか聞いてくりゃいいじゃないか」
「三井の弱点なあ。体力ない、たまにメンタル激弱、短気、バカ……
……お前もよく知ってんな」
「国体大変だったんだよ」

自分で言いながらへらへら笑っている牧はしかし、大学入学後にから送られてきた写真画像を見て、寮の自室で吹き出し、これがまた水を飲んでいる最中のことだったので、思い切り吐き出してしまった。

自撮りではなく誰かに撮ってもらったと思しき画像、場所は彼らの大学の古めかしい正門前、ふたり揃って白っぽい服のと三井は左手の薬指に嵌めた指輪を突き出す格好でにんまりと笑って写真に収まっていた。そして添えられたメッセージが「お父さん私たちしあわせになります」と来たもんだ。

まあもちろん本当に結婚したわけではない。だがやはりこのふたりにはバカップルになる才能があるのだと思ったら笑いが止まらなかった。お前ら中学生の頃のこと黒歴史とか言ってるけど今でも充分恥ずかしいからな。

さらに追い打ちを掛けるように届いた画像、場所はやはり大学の正門、悲壮な顔をした翔陽の長谷川が写っていた。のメッセージは「写真撮ってくれたのはこの人! 可哀想に、これから4年間一緒です」と書かれていて、牧は床に転がって腹を抱えて悶絶した。災難としか言い様がない。

あんまりそれが可笑しかったので、牧はその場でに電話を入れた。は三井の部屋にいて、楽しそうな声で着信に出た。そもそもが中学生カップル、親同士もよく事情を知っているから寮ではなくてアパートを借りることにして、はそこに入り浸っているらしい。

ふたりの指輪はさておき、長谷川が不憫過ぎて泣きそうだと笑いながら言う牧に、ふたりもそうだろうと言って大笑いしていた。いやいや、お前らは少し自重しろよ。

三井が電話を代わり、埋め合わせをしてるのだと言った。

「3年も空いたからな。しばらくは各種プレゼントが2倍でな……
「3年分の補填か」
「あと何だ、えーと夏祭りとかカウントダウンとか」

彼の部屋の壁には「同じ高校に行っていたら出来ていたこと」が書かれた紙が貼り付けられているらしい。それを1つにつき3回こなすとスタンプがもらえて、全ての項目にスタンプがつくとプロポーズする権利が与えられるらしい。それまではプロポーズに類するようなことすら口にしてはならないそうだ。

「項目っていくつあるんだ」
「えーと……18とか20とかそんな」
「それを3回……ご愁傷様」
「しかもプロポーズ『する権利』であって『受けてやる』とは言わねえからな」
「お前それでよかったのか?」
「まあ若干の不安があることは否定しないし、こんな女にした海南はやっぱりクソだなと思います」

牧はまた声を上げて笑った。その海南に行かせることになったのはお前のせいだろうがよ。

「でもどうだ、ちゃんとうまくやれてるのか?」
「まあな。なんとなくってところだけど……ってどっちの話だよ」
「そりゃどっちでも。ああでもバスケの方はうまくいってない方がいいけど」
「お前な」

そしてまたに代わると、彼女は彼女で三井の勉強の方が今から心配だと言う。

「中学の頃はそこそこ出来てたんだけど、やらない習慣ができちゃってるからさ」
「マネージャーの腕の見せどころじゃないか」
「こんなところで役に立ってもらいたくなかったんだけどね」

ひとしきり愚痴ったはしかし、ややあってから急に声を潜めた。

「どうしたよ」
「今トイレ行った。あのね牧、私今あいつと一緒にいられて嬉しい。牧にハワイの言葉教えてもらったおかげ」
「なんだ、そんなことか。そんな声してるなと思ってたんだ。よかったな。安心したよ」
「だからあいつがグズグズ言ってもお尻叩いていいプレイヤーに育てるからね。本当にありがとう」

また牧はカラカラと笑った。お前はトレーナーかよ。

「メ オウクウ カ ウェリナ オ カ アロハ」
「あろは……今度はどういう意味よ。あ、やば戻ってきた」
「ははは、じゃあ意味はまた今度な。頑張れよ」

それが今のところとの最後の会話になっている。それを思い出した牧は、と三井の面影と一緒になってほんの少しだけ過ごした異国の地も思い出した。東京の室内にいるというのに、暖かい風を感じたような気がしてこそばゆい。

いつか時間を作ってもう一度行きたい――そんな風に思えるようにもなっていた。

、意味は「ふたりに親愛の情を込めて」という意味だ。

も三井も友達ではない。チームメイトですらない。けれどとは3年間共に戦った仲だし、三井も一応国体では共闘した。それだけの関係でも、エールを送りたくなってしまうのは何故だろう。

「だけど不思議なもんだよな。オレたちはチームだ仲間だ、って言ってたのに、今はほとんど連絡取らない」

チームメイトの声に回想から引き戻された牧は、うんうんと頷き、トーナメント表をテーブルの上に置いた。彼の言葉に答えが見えた。三井はまあ、のおまけに過ぎないけれど、ふたつでひとつと思っていると言っておけばいいだろう。だけじゃない。仲間たちみんなに同じ思いを抱いている。

「お前さ、毎日家族に電話とかしてるか?」
「毎日は別に……用もないし、向こうがたまにかけてくるくらいだけど、それが何」
「そういうことなんじゃねえのかなと思ってさ」
「意味わかんねえ」

察しの悪いチームメイトに呆れた顔をして見せながら、牧はあの浜を思い出す。

「家族みたいなものになっちゃったんじゃないのか、って話。毎日連絡取れなくたって、元気でやれてるんだったらそれでいい、苦しんでなければそれでいい、思うままやれてたらいいんだよ、それで」

遠くにいても、会えなくても、君が幸せでいられるならそれでいい。家族のように、君の幸せを祈ってる。

まったく何でこんな感傷的なことを考えてるんだか、と自分にも呆れた牧はしかし、対戦が叶うことを願った。幸せを祈ることと勝負は別だ。、お前と敵になるのは初めてだけど容赦はしないぞ。せいぜい三井を鍛えておくんだな。あいつがグレてる間にオレがどれだけ練習したか、知ってるだろう。

中学MVPが高校MVPに勝てると思うなよ、覚悟しとけ!

END